橋本 直樹



 二月から新しい職場で働くことになった。
正社員としては四社目になる。
電機メーカー、出版社、出版社。そして、性懲りもなく、また出版社。
昨年末に三社目を辞め、一月は少しのんびりしようと考えていた。辞めた報告もかねて、翌日に大阪編集教室の恩師であるK先生と会うことが決まった日の夜に、父からメールが来た。
「B社。昨年の十一月で募集が終わっているようだが、応募してみてはどうか。ホームページ見られたし」
のんびりする心づもりがあったとはいえ、やはり背に腹は代えられない。何社か履歴書を送ったりもしていたので、その一環としてダメ元で、まだ募集しているか確認するメールを送ってみた。
翌日の夕方から、K先生と飲んだ。あーだ、こーだと前の会社の悪態をついた。ひとしきり文句を吐き出して小休止になったとき、先生が口を開いた。
「B社って、知ってる? そこの社長、編集教室の卒業生なんだよ」
B社? 聞き覚えのある社名だった。
そうだ、昨日、父からメールが来て、募集の確認をしている会社だった。
事のいきさつを説明すると、先生は「社長と直接話してみたらどう。私の紹介と言ったら、きっと会ってくれるよ」と言う。「会社から結果の連絡があってから話してみます」と答えると、またしばらく話して、その日は解散となった。
週明け、B社のIさんからメールが来た。
〈昨年の十一月に募集を締め切っていますので、申し訳ありませんが、今回は見送らせて頂きます〉
まあ仕方ないと思い、K先生に結果を電話した。
「私から社長に電話してあげるよ」と先生は言ってくれたが、「自分で伝えます」と答えて電話を切った。すぐに、メールをくれたIさんに、編集教室の卒業生であること、失業中であること、約八年間出版社で本を作ってきたことをメールに書き、一度社長と面会させてもらえないかと付け加えた。
翌日、履歴書と職務経歴書、過去に制作した書籍のリストを送るよう、Iさんから返信があった。すぐさま、用意していた書類を郵送した。
数日後、再びIさんから面接日時の連絡があり、数日後に社長と面接することになった。

 天満橋にある大川沿いの細長いビル。自社ビルらしい。
一階のインターホンで訪問を伝えると、エレベータで六階の会議室へ行くよう告げられ、オートロックのドアが開いた。
会議室に入り、椅子に座って待っていると、しばらくして年の若い一人のすらりとした男性が入ってきた。私より若くみえる。
「社長のSです。履歴書を拝見しました。電機メーカーにも勤めておられたのですね。K先生からも、どんな人か伺っています。実は、急きょ、一人独立してフリーランスで仕事をしたいという人間が出まして、ぜひ弊社に来てください」
後に判明するのだが、私にメールをくれていたIさんが辞める張本人だった。私は、前社で最後に担当していた書籍の編集を、二月いっぱいまで、外注編集者として編集することになっていた。そのため、二月はアルバイト社員、三月から正社員として働くことで採用が決定した。
二月は休もうと思っていたが、Iさんが三月末で辞めるため、引継ぎは早い方がよいということで、二月から通い始めたのである。
父からのメールと偶然決まったK先生との飲み会。縁は不思議なものである。入社してからも、また不思議な縁があったが、それは、また次回の機会で……。

   

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