突然の訃報に驚いた。「せる」のメンバーである清水康雄(阿井フミオ)さんが亡くなった。数ヶ月前の月例会では、元気な姿を見せていた。まさか死にいたるほど体調を崩されていたとは思わなかった。
「せる」に入会して十数年になるが、メンバーの私生活はほとんど知らない。文学を通しての交流だけであって、その人物がどういう職業なのか、また既婚者なのか独身者なのかわからない。作品の合評会で集まったときに、雑談の中に出てくる内容で私生活を知る程度である。
清水さんとは、入会してからの付き合いであるが、知っていることは会社勤めをし、それなりの役職になってから、退職されたことくらいしか知らない。月例会の二次会ではビールではなく、いつもウーロン茶だった。身体にアルコールが合わないのかと思っていたが、今考えれば、体調に異変を感じていたのかもしれない。
彼の作品批評には、妥協を許さないところがあった。特に会社に関することについては、手厳しかったことを覚えている。私の作品の中で、想像して書いた会社内容には、必ずと言っていいほど、厳しい指摘をしてきた。「こんな生ぬるい会社形態なんかありえない」といった内容だったと記憶している。
作品への批評は、褒められるより、厳しい指摘や批判の方が記憶に残っている。それを肥やしにするか、掃き溜めに捨てるかは、作者の考え方である。彼の厳しい批評は、小説を書くうえで非常に参考になった。
今思い返せば、私が入会してからは、清水さんの作品を読んだ記憶がない。彼の経験と知識をもってすれば、小説を書くくらい何でもないように思うのだが。
「せる」に籍を置き、会費を支払い、作品発表の機会を得ながら作品を書かないのは、大きな疑問である。客観的に見れば、もったいない気持ちになる。文学という雰囲気の中で、メンバー同士批評仕合い、意見交換し、また雑談することだけでも、心の肥やしになっていたのかもしれない。ペンを執ることに期間が空き過ぎると、なかなか書けなくなってしまうものなのか。
私が文学を始めた動機の一つに、ボケ防止がある。やはり歳を重ねてくると、物忘れが始まり、記憶力が落ちてくる。それらを鈍化させる頭の体操として、趣味と実益を兼ねて文学を始めた。体力のある限り続けたい。
謹んで清水さんのご冥福をお祈りいたします。
さて今回の四作は、作者の個性が滲み出ており、編集委員会でも白熱した議論となった。作者がどこまで編集委員の指摘を受け入れて書き直すか、または自我を貫き通すか。合評会で批評を交わしてほしい。 (上月)