編集後記

 小説とは何かと聞かれても答えるのは難しい。「小説は何をどう書いてもいい」という言い方があるが、一方では「これは小説ではない」と批難される作品もある。
 昔、十九世紀的小説を否定して、新しい小説を生み出そうとした文学運動があった。その中心的な作家が、いずれこの小説の方法が一般的になるだろうと予言したが、残念ながらそうはならなかった。細々と続いてはいるのだが。
 かといって、その運動が無駄であったかというと、そうではない。その中で試みられた様々な手法は形を変えて、今の小説にも取り入れられている。小説形式は十九世紀に完成して、我々はそのおこぼれで書いていると豪語(?)する作家も、さすがに十九世紀そのままの手法では書いてはいない。
 小説形式が新しいと思わせる作品を書くのは、そう簡単ではない。自分の内在する要求に従って、自ずと今までにない形式を選ばなければならない場合ならまだしも、そうではない場合は、まず自分の従ってきた形式を解体する必要があるからだ。解体することが小説の間口を広げるのだと信じなければならない。これは結構難しい。
 この後記は、今号の三作品のうちの一つに触発されて書いたものだが、それはどれか、読めば分かります。(洋)

 


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