福島の原発事故から三年経った。「せる」八十七号のエッセイに書いたように、エネルギーの転換がどうなるのか、節目の時に来ているようである。
原発が一基も再稼働していなくても、今のところ停電もなく、火力発電等でまかなえている。事故前から、原発の電気に占める割合は、日本全体で三割程度なので、仮に原発がなくなっても火力等でまかなえると反対派は主張していて、その主張の正しいことが証明された。
ただ、沖縄を除く各電力会社は石油燃料の輸入で、大きな赤字を出している。政府が原発推進という国策に踏み出して、様々な措置を取り、原発で儲かるというビジネスモデルを作った。それに電力会社が乗って巨大な投資をしたため、原発が稼働しないと赤字になるのは当たり前である。原発に五十%も頼っていた関西電力は特に苦しい。このまま原発が再稼働しなければ、電気料金を値上げすることになるだろう。
原発ビジネスモデルにぶら下がって生活をしている人間が大勢いることを考えると、即ゼロという選択はかなり難しいと思われる。
かといって、前提を付けずに再稼働を許してしまうと、原発はおそらく次の大事故が起こるまで廃止することはできなくなるだろう。
原発が国策で始められたことを考えると、国策で廃止を決めるしかない。二十年後、あるいは三十年後にすべての原発を廃止することを法律で決めて、その間に原発ビジネスモデルで飯を食っていた人間には、別の食い扶持を探してもらう。巨大な投資もその間に回収してもらう。もちろん核燃料サイクルは廃止。再生可能エネルギーの開発に資金をつぎ込んでいく。
日本は周りを海に囲まれて、波力、潮力、風力の資源に恵まれているし、もちろん太陽や地熱もある。メタンハイドレートも埋もれている。原発に投資さえしなければ、火力発電でも十分に儲かることは、新電力の会社が証明している。
なぜ原発を廃止しなければならないか。それは万が一の大事故が起こった時の被害が、他のプラントに比べて桁違いに大きいからである。福島の事故で、もし三基の原発の緊急停止が一基でも失敗していたら、今よりも十倍以上の被害になって、東京からも人が逃げ出す事態になっていただろう。まさに運がよかったと考えるべきだ。
「失敗する可能性のあるものは、失敗する」というマーフィーの法則がある。どんなに小さな確率でも起こる可能性のあることは起こる。ましてや、五十年の間に三回もの大事故が起こったことを考えると、一基の原発が大事故を起こす確率は、一五〇〇年に一回くらいだと腹をくくった方がいい。となると、五十基を動かすと三十年に一回になる。
原発以外で、最悪の事故で日本の一部が無人地帯と化すプラントはない。そんな危険な物に頼らなくても電気は生み出せるのに、どうしてそうしないのか。未来の人間から見たら、おそらく訳が分からないことだろう。
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