ペンを  若林 亨


 

 ショルダーバッグの紐が少し気になった。肩にまとわりついて重いと感じる。しかしこれ以上軽くはできない。中には三ヶ月後に三十年ぶりに開かれる同窓会への出欠はがきが一枚入っているだけだ。財布も鍵も携帯電話も入ってない。ショルダーバッグも一番小さなものを選んでいる。
 どうしようかなと迷ったが吾郎はやはり家を出ることにした。外出は面倒だった。着替えるのにも時間がかかる。抗ガン剤の副作用で手がしびれているのでシャツのボタンがはめられない。だから今日はTシャツ一枚だ。これまではTシャツ姿で外を歩くのに抵抗があった。でももうそんなことはいってられない。靴を履くのもひと苦労になっていた。紐はまったく結べなかった。靴べらもしっかり握れないので女房の手を借りている。そこで必ず女房は言う。杖を持って行きなさいよ、転んだら大変でしょ、と。うるさいやつだ。確かに看護師も転ばないように注意してくださいと言っていた。実年齢よりも十歳は年を取っていると思って慎重になってくださいと。それでも杖をつくのは嫌だった。相当に体が悪いといううわさが広まるのも困る。それに今日は町内を一周してポストにはがきを投函してくるだけだ。ゆっくり歩いても十分とかからない。たとえ途中で具合が悪くなっても町内のことだから誰かが助けてくれるだろう。
 三和土の上にしばらく座っていた。するとまた家の中から女房の声が聞こえてくる。
「疲れない程度にしてよね。また熱が出たら入院することになるでしょ。そうなったらいろいろめんどうなのよ、こっちも」
 たしかにそうかもしれない。一回目の点滴の時は二週間入院した。はじめてのことだからどんなことが起こるのかと心配だったが、案の定体がむくんで熱が出た。熱はなかなか下がらなかった。関節が痛くて寝てばかりいた。そのうちに手足がしびれ始めた。特に手の方がひどくて急に物をつかむことができなくなっていった。箸を持ってもすぐに落としてしまうので、フォークを握りしめてなんとか食事をした。床に落ちた硬貨が拾えなかった。指先が何かに当たるとじーんと痛い。刺すような痛みではなくて鈍痛だ。いったん痛み出すとしばらくは収まらない。髪の毛は全部抜けてまゆげも半分になった。それでもガンをやっつけて元気になるんだという気持ちは強く、退院したら毎日歩いて体力を戻そうと思っていた。すぐに戻ると思っていた。しかし甘かった。体力を戻すどころか、体を動かすことすらおっくうになり、気分が落ち込んでしまった。医師の言うとおりだ。四週間ごとに四回の抗ガン剤を打ってそれがワンセットの治療なのだ。あせってはいけない。二回目は通院でもいいということだったので日帰りで点滴を受けたが、翌日に三十九度近くの熱が出てあわてて救急へ飛び込んだ。白血球の値が低かった。結局また一週間入院した。三回目の点滴の時は女房に強引に入院させられた。「あたしとしては入院してもらった方が楽なんだけど」と。そしてまだこれから最後の点滴が残っている。すべて終わって詳しい検査を受けて、さあどうなんだという結論が出る。会社は休んでいる。六十の定年まではあと二年。車の運転ができないのがつらい。タクシーを呼ぶことにも慣れた。そしてなによりガン患者ということにも慣れ始めている。
 五月下旬だというのに真夏並みの暑い日だった。門扉がコンクリートの上に濃い影を落としていた。家を出てすぐ帽子を忘れたことに気付いた。吾郎はそっと戻って靴箱の上の帽子を両手で持ちあげて頭の上に乗せた。ぶかぶかだ。髪の毛が抜けているので仕方がない。普通にかぶると目まで隠れてしまうので頭の後ろのほうへずらせている。
 家を出て右の方向へ歩き始めた。はがきを投函するだけなら左を向いて歩けばいい。二百メートルほどのところに郵便ポストはある。しかしせっかくだから遠回りして町内を一周してみようと思っていた。百三十世帯ほどの小さな町内だった。女房の実家をリフォームしてこの町内へ引っ越してきてから二十年になるが、まだ一度も歩いたことのない道がいくつもあった。通勤に使っている道以外はほとんど知らない。氏神神社の祭りや地区の一斉清掃の時に少し歩き回るぐらいだったが、それも場所が限られていた。町内全体の地図を思い浮かべることができないのだ。町内のことは女房の方が詳しかった。自治会の役も長年女房が引き受けていた。もともと住んでいたところだし、祖父の代からの三代目だから古株の方だ。
 歩き出してすぐに背筋を伸ばした。意識してあごを上げる。前を向くというよりも上を向く感じだ。歩いているとふらつきが出るのでどうしても足元が気になる。すると猫背になってしまう。だから意識して姿勢を正そうと思っている。三回目の点滴あたりから手だけではなくて足もかなりしびれるようになってきた。地面を踏んでいるという感覚がなくて、トランポリンの上を歩いているような跳ね返りの感じがする。そんな中で時折小石を踏みつけたような痛みを感じるのだった。
 町内は一組から五組に分けられていて、吾郎の家は一組の一番端にあった。駅に近い一組はここ数年でずいぶんと景色が変わった。建て替えやリフォームが進み、ちょっとした新興住宅街のような雰囲気になっていた。転入してくる世帯も多く、玄関やガレージには三輪車、ベビーカー、スケーター、一輪車、ホース、ビーチパラソル、サッカーボールなどがあふれ、見た目にも明るくなった。保育園、幼稚園、小学校が近くにあり、学区内には総合病院もあるので小さな子供のいる世帯に人気があるようだった。建売住宅は売り出されるとすぐに買い手がついた。ただみんな自治会の活動には消極的だった。
 吾郎はゆっくり歩いてとなりの二組に入った。道幅が狭くなり、右へ左へと曲がりくねっている。それぞれの家の向きがまちまちで、なんだかばらばらに立っている感じだった。一組のように整然とした並びではなかった。それでもまだ二組にはなじみがあった。吾郎と同じ世代の三代目住人が多く、子供の学校の行事などでよく顔を合わせていた。この二組からも車で駅へ抜けられる。三組、四組、五組にはそれがない。
 女房の言うとおり杖を持ってきた方がよかったかなと思って歩いていると、いきなり頭の上から「ちょっとあなた」と声をかけられた。すぐに目の前の家からこの家の住人である中西温子が出てきた。
「ちょっとあなた、肺ガンなんだってね。入院してたんでしょ、もういいの」
 大きな声だった。大きな体に大きな顔。髪の毛も大きく盛られていた。温子は吾郎よりもひと回り上の七十歳だった。
「肺ガンって怖いんでしょ。転移するのよね。あなた大丈夫なの。死亡率も高いのよ。気をつけなさいよ」
 吾郎はこの早口で甲高い声が苦手だった。遠慮のない物言いも苦手だった。町内の多くの人が苦手にしている。得意にしている人なんていない。要注意人物のひとりだ。
 温子の声を聞いて気温がぐんと上がった気がした。
「それはそうとこの前ね、一組の誰かがあたしの家の庭へどかんとごみを捨ててったのよ。なんか恨みでもあるの」
 まずいと思ったが遅かった。二組の環境美化委員である温子がごみの話を始めると長いのだ。自分の家の前がごみ収集場所になっているので神経質になっている。カラス除けネットが少しめくれているだけでもだれだだれだと叫んで犯人捜しを始めるし、曜日を間違えて出されたゴミにはバッテンマークのシールを貼って一軒一軒確認して回る。猫に対しても容赦なく怒鳴りつけていた。あたしの家の庭、と言っているのは正確には隣家との境の市有地で温子の敷地内ではない。とにかく温子にごみの話をさせてはいけなかった。その前に離れなければならなかった。
「あなた今年から一組の環境美化委員でしょ。新しく入ってきた人たちにちゃんと説明しないとだめじゃないの。あの人たちに決まってるわよ。朝早くに車でやってきてドアからポイポイて捨てていくのよ。ネットもかけずに」
 温子の大きな顔が近づいてきた。紫のアイラインがさらに顔を大きく見せる。環境美化委員は女房が引き受けたのだ。むずかしい役だから毎年なり手がない。女房も嫌がっている。でも温子はそれを十年以上続けている。
「一組は一組のごみ置き場に出しなさい」
 頭から雷が出ている。
たしかにそう決まっていた。ひとつの組に二、三ヶ所のごみ収集場所がある。出し間違い防止や日頃からのごみ意識向上のため、小さな単位で監視していこうということだった。ずっと何の問題もなくやってきた。ところが最近曜日を無視して出勤途中に車から投げ捨てていく人がいるらしい。
「この前なんかね、重い袋が置いてあるのよ。なんだと思ったらガラスよ。割れたガラス。いい加減にしてよ、危ないじゃないの。それも日曜日によ。日曜日に収集なんかあるわけないじゃないの、常識でしょ。ちょっとあなた、もう一度復習するからちゃんと聞いてなさいよ。カセットテープ、CD、発砲スチロールは燃えるごみ、月曜と木曜。植木鉢、ガラス、傘、時計は燃やせないゴミ、第二土曜。新聞雑誌は廃品で最終土曜。分かりましたか」
 吾郎の耳には何も入ってこなかった。雑音がしているだけだった。ふらつきが出ているので日陰に入って腰を下ろしたかった。温子の家の庭は三方に開かれていて風通しがよく、もみじが十分な日陰を作っている。腰かけるにはちょうど良い石垣もある。しかし庭を借りるわけにはいかなかった。あとで何を言われるか分からない。それだったらふらふらしながらでも歩いている方がましだ。
 温子の話はごみのことから急に二年前の放火事件のことに切り替わった。
二年前の夏、町内で放火事件があり、数軒の家が夜中に火をつけられた。犯人は駅の方から自転車でやってきて火のついた新聞紙を適当に投げ捨てながら町内を横切って行った。幸い被害は少なく、バイクシートに穴が開いたり、すだれが半分焼け落ちたりする程度だったが、四組の竹藪だけはかなりやられた。ぱちぱちという音がして近くに住む自治会長の山岸が目を覚ました。すぐに副会長二人に連絡して消火器とホースを使って自力で火を消した。その時山岸と一緒に火を消したのが温子だった。山岸からの一報ですぐに駆けつけた。「あたしがいなかったら四組は丸焼けになっていたわよ」。温子を自信満々にさせる出来事だった。実際、何人かが現場にやってきたのは火が消えてからだった。ほとんどの人は竹藪が焼けていることすら気づかなかった。吾郎もそのひとり。四組は片側に山が迫っていて薄暗い小道が続き、町内の住人ですらあまり歩かないところだからはじめは土地勘のある人物が疑われたが、犯人は遠くからやってきた若い男だった。となりの町内では民家が全焼していた。その第一発見者を装っていたのだ。もっと被害が出てもおかしくないくらいにたくさんの火の玉を投げられていたことがあとで分かった。そういえば庭に燃えカスがあった、新聞紙が捨てられてあった、変な音を聞いたとみんな言い出した。その後防犯委員という役が新たにできて、週に一度ハンドマイクと懐中電灯と防犯ブザーを持って防犯を呼びかけることになった。三人一組で夜の八時から町内をひと回りする。この防犯委員の新設も温子の提案だった。提案というよりはごり押し。自治会の役が増えることを誰も歓迎していない。
 背中の方からいい具合に風が吹いてきたので吾郎はふたたび歩き出した。まだ温子はしゃべり続けている。防犯委員は最近見回りをさぼって集会所でお茶を飲んでいると文句を言っている。付き合っていたらいつ終わるか分からない。またごみの話に戻って一組の悪口が繰り返されるだけだ。
「ちょっとあなた、早くガンを治すのよ。どこの病院行ってるの。え、え、え、え、あそこ。あそこはだめ。あんなぐちゃぐちゃなとこだめよ。いい先生知ってるから紹介してあげるわ。ちょっとあなた」
 温子の声を置き去りにして先に進んだ。
二組から三組に入るとまた一段と道幅が狭くなる。アスファルトにひびわれが目立ち上り坂が続く。行き止まりの路地も多かった。それらはほとんど舗装されていなかった。自治会の案内板には日付の過ぎたポスターが貼られたままになっていた。
 雑草の中をかいくぐるようにして流れる小さな川を超えると急に山が近づいてきた感じがした。もう車は通れない。バイクもむずかしい。
 どんどんと郵便ポストからは離れていく。足の裏は痛いままだ。後ろを振り返ったら知らない道だった。前の道もどこへ続いているのか分からない。
吾郎は心細くなった。大きく息を吐いて目の前の生け垣に寄りかかろうとした時、その家の庭から、
「大将!」
 と声がかかった。
 赤黒い顔をした小柄な男が飛び出してきてにゅーと笑った。酒焼けの顔だ。右手を上げてもう一度、
「大将!」
 と近づいてくる。
 富岡秀樹。五十五歳。自称植木職人の酒乱男だった。五年前に引っ越してきた。自治会長の山岸が知人に頼まれて部屋を世話したらしい。はじめのうちはまだ左官の仕事をしていたが、今は何もしていない。玄関に止めてある自転車の前かごには鎌、斧、枝切りばさみ、軍手、手箒、ちりとり、ごみ袋が入っていて、後ろの荷台には小さな脚立がくくりつけてあった。この自転車にまたがって無断で他人の庭に入り込み、勝手に植木を持ち出したり枝を刈ったりする。秀樹もまたこの町内の要注意人物のひとりだった。
「大将、景気よろしいなあ。これからお伺いします。大将のお宅はたしか一組の一番端でしたなあ」
 酒臭い息だった。
「大将のとこのあの梅の木はなかなかよろしいなあ。ああいう古いやつは大切にせんといけません。それからあの楓はもうちょっとすいた方がよろしいなあ。お日さんが土まで届いてません。せっかくの南ですからもったいない。お日さん大事です。今日はちょっと枝の方をいじらせてもらいます」
 秀樹は顔をくしゃくしゃにしてうれしそうに話す。実際のところ秀樹が吾郎の庭へやってきたことはなかった。それなのに梅や楓のことを知っている。ホースの場所や灯籠の位置まで正確に言う。
 秀樹がその気になって自転車にまたがろうとするので吾郎は慌てて、今日はいりません、と断った。
「なんでですか大将、お出かけですか」
「まあちょっと」
「よろしいなあ大将。わたしが東京にいた時は総理大臣の家もやらせてもらいましたんやで。なんちゅう名前やったかな、あの男、あの男。それはそれはもう立派な庭でね、真ん中にどーんと池がありまして、いっぱい泳いでますのや、なんやかんや。それで餌をやりましてな。弁当のおかずをぽいぽいと投げてたら怒られまして。こらっ、勝手に餌やるなって、はっはっはっは」
 秀樹がまた自転車にまたがろうとするので、吾郎はだめだめだめと強い口調で言った。
「きょうはあきませんか」
「あきません」
「それは残念ですなあ。お出かけですか」
「まあちょっと」
「よろしいなあ大将。わたしが東京にいた時は」
 吾郎の口から大きなため息が漏れた。秀樹が引っ越してきた当初はトラブルが絶えなかった。白昼堂々やってきて、よろしいなあよろしいなあと言いながら庭をうろうろされたり、留守中に勝手に枝を切られたり芝を掘り起こされたりする人が続出した。そのたびに自治会長の山岸が中に入って丸く収めた。さすがに最近はみんな付き合い方を心得てきた。愛想よくしない。調子を合わせない。少々のことは我慢する。被害に合ったら自治会長に相談すると。
 秀樹はまだしゃべり続けていたが吾郎は無視して歩き出した。やはりふらつくが、延々と植木の話を聞かされるよりましだ。
 急に傾斜が激しくなり、日当たりも悪くなってうっそうとした細い道が現れた。片側がずっと山だった。手入れのされてない伸び放題の枝が道に覆いかぶさっている。これが四組なのかと吾郎は思った。整然と家が立ち並ぶ一組とはだいぶ雰囲気が違う。林の中に古い家がぽつんぽつんと建っている。玄関までたどり着けないぐらい雑草が茂っているので空家だとすぐわかる。二階建ての木造アパートは山肌へ突き刺さるように建っていた。建物全体が錆色に変色して今にも崩れ落ちそうだ。お化けが出るという噂は噂ではないのかもしれない。無理に逃げようとしたら金縛りにあうらしい。「四組回ってこい」というのがいまだに子供たちの間で罰ゲームとして存在していた。他の組はおおよそ三十世帯ぐらいあるのに四組だけ九世帯で十五人しか住んでいなかった。その数もいい加減なものだった。
 吾郎は胸苦しさを感じて目の前の石に腰を下ろした。口先だけの細い息を繰り返してリズムを整える。時々やってくる発作のようなものだ。静かにしていればすぐに収まる。
目を閉じてとなりの岩へ体をあずけた。
 病院へ戻りたいと思った。入院している時よりも家へ帰ってからの方がしんどい思いをしている。副作用も強くなっている。病院は快適だった。最初に入院したのは二月下旬の雪の日だったが、院内は適温で暑くも寒くもなかった。新調されたばかりのベッドも悪くなかった。病室の窓からは駅のホームや保育園が見えて退屈しなかったし、五階のラウンジへ行けば大きな窓から市内が一望できた。自動販売機のコーヒーもおいしかった。看護師も医師もみんなやさしくて気軽に話しかけることができた。女房とは大違いだ。女房はいま大正琴と俳句に熱中している。入院中も病室でノートに俳句を書き込んでいた。それを見るのがうっとうしかったので毎日来てくれなくていいと言うとすぐ三日に一回になった。退院してからも女房が目障りだ。多くのことを女房の世話になっているので、みじめな気持ちがよけいにそう思わせる。あなたも何か趣味をもったらどうなのと言う。いまさら何をと思う。することが見当たらない。独立した三人の息子達は男のくせに女房と話す方が自然みたいだ。女房がそのように育てたのだ。ああ、やっぱり病院へ戻りたい。

 加藤がとなりのベッドにやってきたのは吾郎が入院した翌日だった。同い年で同じ肺ガンで同じ抗ガン剤治療を受けるということで最初からいい話相手だった。せき、たん、微熱といった症状も似ていたし、ガンの進行レベルも一緒だった。加藤は長年コンサートホールやイベント会場の電気設備にかかわっていて現場一筋だった。入院してからもひんぱんに電話をしてなにやら指示を出していた。パソコンに向かうことも多かった。
お互いに一回目の点滴を受け、その直後の発熱やだるさもやわらいできたある日のことだった。
「病院食まずいですねえ」
 と加藤が言い出した。ふたりとも食欲はふだんの半分くらいでおかずしか食べられなかった。米はおかゆにしてもらい、なるだけたくさん食べようと思ったがだめだった。おいしいと感じない。塩や醤油でごまかそうとしたがかえって胃にもたれてしまう。
 まずいですねえと言ったあと加藤はにやっと笑って、
「ビール飲みたいですねえ」
 と続けた。
「ビールですか」
「ビールです」
 吾郎よりまだ加藤の方が元気だった。それゆえかなり退屈している様子だった。ふらっと病室を出て行ってなかなか戻ってこないことがある。ナースセンターで看護師相手に世間話をしているのだという。この呼吸器フロアより一階上の消化器フロアの看護師の方が愛想がいいらしい。血圧を測りにきた看護師にそちらへ移りたいと言ったりする。胃ガンになったら行けるんだよなとまじめな顔で尋ねる。呼吸器は陰気くさいんだ、もうちょっとニコニコしろよ。すいません。どうやったら胃ガンになれるんだ。知りません。知ってるくせに。知りません。不摂生したらいいんだろ、暴飲暴食だ。分かりません。なんだなんだその態度は、聞いたことに答えろ、こっちは患者だぞ。あたしは看護師です、ここは病院です。
 加藤のからかい方がしつこいので冷や冷やしっぱなしだったが、これくらいのことでもなければ本当に退屈して気分が滅入ってしまう。
「ビール買ってきましょうか」
 加藤は本気の顔をしていた。
「買ってきましょうかって、売ってないでしょう」
「残念ながらここには売ってない。しかし」
「しかし?」
「スーパーには売ってます」
 嫌な予感がした。病院の前にはスーパーがある。患者さんもいらっしゃいとばかりに間口の広い、明るくてきれいなスーパーだ。
「やっぱりビール飲みたいですよね」
 加藤はおもむろにカバンの中から野球帽を取り出して目深にかぶった。
「飲みたいなあ、飲みたい飲みたい」
そうつぶやきながらサングラスとマスクをつけて顔の変装を終えた。
「飲みたいけれど、やっぱりビールはだめかいな、でもノンアルコールならオッケイ、オッケイ」
 だんだんと節がついてきた。
「我慢はあかん、ストレスたまる。ノンアルコールならオッケイオッケイ」
 右手首にスポーツ用のリストタオルを巻いて青色の患者識別バンドを隠した。
「いくら飲んでもオッケイオッケイ」
 素早くジーンズに履き替えてジャケットをはおる。すると全く分からなかった。入院患者の加藤ではなくて見舞客のひとりがそこにいる。なかなか立派な変身ぶりだった。
「それじゃあちょっと買い出しに行ってきます」
 加藤はそう言って堂々と病室を出て行った。今夜はノンアルコールで盛り上がろうというわけだ。
 しかし加藤はなかなか戻ってこなかった。
看護師が体温と血圧を計りに来た。加藤さんはラウンジにいるはずですよと吾郎は嘘をついた。変わりありませんと言っておいた。
しばらくしてまた看護師がやってきた。
「六十くらいの男の人が中庭で倒れていると連絡があったから今確認しているところなんです」と心配そうに言った。
「中庭ですか」
「はい、パジャマ姿で首にタオルをまいているみたいです」
「だったら違います」
 吾郎は自信たっぷりに言った。加藤はジーンズにジャケットだ。パジャマはベッドの下の洗濯用のかごに入っている。
「加藤さんは五階のラウンジでしたね」
 泣きそうな顔だ。
「たぶんそうだと思います」
「ちょっと見てきます」
 看護師は急いで出て行った。
 加藤が戻ってきたのはそれからしばらくしてからだった。病室にはいってくるなりベッドに倒れこんだ。ふーはーふーはーと苦しそうに息をしながら手足をばたつかせている。吾郎はすぐに看護師を呼ばなければと思ったが、その前に元通りの患者としての加藤に戻さなければならない。急いで帽子とサングラスとマスクを取ってジャケットを脱がせた。体を浮かせたり回転させたりしながら上下をパジャマに着替えさせてベッドの中央へ仰向けに寝かせた。その間加藤は自分から動こうとはしなかった。ふーはーふーはーと息継ぎをしながらすべて吾郎にまかせっぱなしだった。
床に散らばった三百五十ミリリットルのノンアルコールを拾い集めて冷蔵庫へ入れる。そしてようやく吾郎は大丈夫ですかと声をかけた。
「すいません。看護師を呼んでください」
 加藤は腕を伸ばして懇願した。加藤の代わりにナースコールボタンを押そうとすると、「内緒ですよ」とまた懇願した。
リストタオルがそのままになっていた。取ると右手首から「呼吸器、加藤修一」と書かれた名札が現れた。これで完璧だ。
 結局加藤は熱を出して点滴を受けることになった。白血球の値が急激に低くなっていた。宴会は中止にした。
 ノンアルコールを買ってさあ帰ろうと思った時に突然地面が歪んで見えたのだという。ふらついてなかなか歩くことができず、しばらくスーパーの椅子に座っていた。飲み物を抱きかかえて病院へ戻ってきたときは力が抜けてしまい、三階のこの部屋までたどりつけるかどうか不安だったという。
「寿命を縮めましたよ」
 点滴の管をみつめながら加藤は言った。
「我々が思っているより大変なのかもしれませんね」
 吾郎もまた自分のベッドから加藤の管をながめて言った。
「これから髪の毛が抜けるんですよね」
 吾郎は急に心配になった。
「そうそう、つるつるになります。まゆげもつるつるに」
「ほかにどんな副作用が出るんでしたっけ」
「ゲーゲーしたりガンガンきたり、クルクル回ったりメーメー泣いたり」
「いやだなあ。あと三回も抗ガン剤を受けないといけない。でもあなたのようなおもしろい人と相部屋になってよかった。陰気くさい人だったらこっちまで暗くなりますからね」
「わたしも全くその通り。話し相手になってもらって助かりましたよ」
 やはりノンアルコールを飲みたかったなと吾郎は思った。夜中にこっそり飲んでやろうか。
 夕飯の時間になった。配膳に来た若い看護師が、
「食欲がなかったら無理して食べなくていいですよー」
 と語尾を上げてかわいらしく言った。別におかしいことはないのに吾郎と加藤は顔を見合わせてくすくすと笑った。

 我にかえったら汗だくになっていた。頭からも顔からも汗が噴き出して流れ落ちてくる。ズボンに入れておいた小さなハンカチはすぐにびしょ濡れになった。Tシャツの袖も間に合わなくなり、仕方なく裸になってTシャツをタオル代わりにして上半身の汗をぬぐった。扇ぐものがないので汗で重くなった帽子を両手で持って風を起こした。でもすぐに腕がだるくなってしまう。
水が一杯ほしいと思ったその時、細い道の向こうからコンコンコンという地面を踏む足音が聞こえてきた。近づくにつれてその音はザクッザクッという濁った音になり、さらにジャリジャリジャリと大きくなって目の前までやってきた。
「吾郎君、吾郎君」
 吾郎は呼びかけられていた。声の方へ頭を上げると体のバランスが崩れてそのまま後ろへひっくり返りそうになった。
 自治会長の山岸がバケツを持って立っていた。
「吾郎君、君たしか肺ガンで入院してたんじゃなかったのか。もういいのかい。肺ガンって君、危ないんだよ。転移するんだよ。注意してくださいよ」
 温子と同じことを言っている。どういう情報が流れているのか分からない。転移はしていない。ただ肺が薄くなっていて手術のリスクが大きいということで医師の勧める通りに抗ガン剤治療を選んだのだ。
 温子から「あなた」と呼びかけられるのと同じように、また秀樹から「大将」と声をかけられるのと同じように、山岸から「吾郎君」と名前を呼ばれると覚悟しなければならなかった。ふたり以上に話が長いのだ。温子が説教タイプ、秀樹がひとりごとタイプとしたら山岸は自分史タイプで、これまでどれだけこの町内の役を引き受けてきたか、どれだけ結婚や就職の世話をしてきたかなどをとつとつと話す。わたしがこの町内の生き字引だといわんばかりに。かなり前からの大地主だった。四組のほとんどは山岸家の土地だった。回りの山林も所有していたが、手入れをしないので枝や雑草が伸び放題になり、あたりを薄暗くさせていた。四組に小さな墓地があることもあまり知られていなかった。山を少し登らなければならないので道からは見えない。それに水汲み場もなければバケツもない。墓参りに来る人は山岸の家でバケツに水を入れてもらい、必要なら線香や花をもらって墓へ向かう。盆や彼岸でさえお参りに来る人は少なかった。長年の慣習で山岸家が墓の守りをしている。それもまた山岸の世話ばなしのひとつだった。
「ところで吾郎君、涙の四組っていうのはどういう意味かね。最近みんなそう呼んでるそうじゃないか」
 そう言って山岸は吾郎のとなりに腰を下した。バケツには少しだけ水が入っていた。墓地を掃除したあとの残り水だった。バケツはふたつ重なっていた。何でもいいと思って吾郎はその水で顔を洗い少しだけ口に含んだ。
涙の四組。
 確かに町内の多くの人が四組のことを涙の四組と呼んでいる。でもそれは最近のことではない。少なくとも吾郎がこの町内へ引っ越してきた二十年前からその呼び方はあった。わざわざ涙の四組と言うときはたいがい四組のことをからかったり憐れんだりするときだった。例えば台風でがけ崩れが起きたり誰かの家が水浸しになったり、秀樹が暴れて警察の世話になったり泥棒が入ったりした時に使っていた。二年前の放火事件の時は四組にだけ被害が集中したのでみんなこぞって涙の四組だと口にしたものだった。実際のところ、台風や大雨、カラスや野良猫の被害は四組に集中していた。
「吾郎君は聞かないのかい、涙の四組っていうのは」
「それはですねえ」と吾郎は仕方なく方便を口にした。四組には地蔵が祀られてある。その地蔵の顔が泣いているように見える。涙地蔵。その涙地蔵のある四組だから涙の四組。
 しかしそれが嘘だということは小学生でも知っていた。順序が逆なのだ。地蔵がやってきたのは五年ほど前だ。山岸がどこからか持ってきて自分の敷地内に置いた。涙の四組は二十年以上前からある。涙の四組にきてしまった地蔵、さぞかし悲しいことだろうなあ、だから涙地蔵、というのが本当のところだった。まだ吾郎は一度もその地蔵を見たことがない。最近地蔵の顔が泣き顔らしくなってきたという噂を耳にしている。
「どうだい吾郎君」と山岸は吾郎の肩を叩いて言った。
「これから地蔵を拝みにいかないか。すぐそこだよ」
 確かめるチャンスだった。本当に地蔵は泣いているのか。
しかし山岸の言うすぐそこというのは今の吾郎にとってはかなりきびしいところだった。山へ入って足場の悪い道を百メートルほど上らなければならない。
 吾郎が丁重に断ると山岸はつまらなさそうな顔をして立ち上がり、歩き出そうとしたところで今度は集会所でコーヒーでも飲まないかと誘ってきた。吾郎はそれも断った。
 体が熱を帯びてほかほかしている。外からの熱ではなくて体の中からこみ上げてくるけだるい熱さだった。発熱すればまた入院しなければならない。女房は文句を言うだろうし薬の量も多くなる。でもまた相部屋の人と気が合えばそれはそれで楽しい。
 加藤とはその後も四週間に一度の点滴のたびに点滴室で顔を合わせていた。お互い髪の毛が全部抜けてつるつるになったが、加藤の方はこめかみのあたりからまた新しく生え始めていた。しびれがきついのも共通点だった。加藤は特に足がしびれっぱなしで歩くのが大変だという。三回目の点滴からしびれの原因になる薬を抑えてもらったがそれでも収まらないらしい。
二週間後に四回目の点滴がある。これでひとまず抗ガン剤治療は終わる。これからどうなるのだろうと思う。職場復帰はできるだろうか。車の運転は大丈夫だろうか。髪の毛は生えてくるだろうか。手足のしびれはいつまで続くのか、ふらつきは治るのか、微熱は収まるのか。
山岸が完全に遠ざかるまで待って吾郎はよっこらしょと腰を上げた。一歩一歩踏み出すごとに足の裏の痛さが首すじまで上りつめてくる。痛みだけではなく体の軸もゆがんでいて、丸い物の上を歩いているように両手でバランスを取りながらでないとまっすぐに歩けない。
郵便ポストから一番遠いところまできていた。境界を示す杭が二本打たれていて、そこから山へ入る道ができている。墓地へ続いているのだ。さらに奥へ行けば涙地蔵がいる。元気になったらとことん山の奥まで入ってやろうと吾郎は思った。肝試しだ。女房も連れて来よう。夜に来たらきっと怖がって途中で引き返すに違いない。
 不明だった四組の細い道を抜けると下り坂に変わった。同時にあたりが明るくなり、自分の影を地面に見ることができた。
 山からの風にも助けられて吾郎は少し落ち着いて歩けるようになった。すると目の前に大きな屋敷が現れた。ぐるりを土塀に囲まれ、内側には葉の多い樹木が並び茂っていた。どこからどこまでが敷地なのか分からない。樹木の隙間からわずかに見える建物は時代劇のセットにでも使われそうな古めかしいたたずまい。山岸家だ。噂通りのいかめしさだった。ある人は忍者屋敷と言い、ある人は神がかりの家と言う。だれがどんな風に暮らしているのか知る人はいなかった。山岸の女房は十年前に死んでいた。葬式はなくて、一年ほどしてから回覧板で知らされた。そのあともふたりの息子が相次いで死んでいるのだが、知らされたのは随分と後だった。その地点で山岸はひとり暮らしになっているはずだった。
土塀に沿って歩いていると距離感がつかめなかった。歩けば歩いただけ土塀も伸びていくようで終わりが感じられない。ただ涼しかった。土塀に手を当てるとひんやりとして疲れを忘れさせてくれた。顔を近づけるとさらに涼しくて体全体から余分な力が抜けて、マリオネットのようにくねくねした感じで前へ進めるような気がした。
ああ気持ちいいなあと思ったその時、屋敷の中からぽーんと白い小さなボールが飛び出してきた。真っ白だと思ったのは、緑の茂みの中からふわっと現れたからだった。地面に二、三回跳ねて吾郎の足もとへ転がってきた。軟式のテニスボールでもなければおもちゃのゴムボールでもない。ただ透き通るほどに真っ白なやわらかなボールだった。とっさに吾郎は両手でボールをすくい取り、木の枝を避けるようにして塀の内側へ投げ返した。
 のどが渇いていた。水が一杯ほしかった。墓掃除の残り水でもいい。水が一杯ほしい。
 するとまた同じところからボールが飛び出してきた。今度はだいぶ汚れていた。透き通ってはいない。先ほどのまっ白なボールが使い込まれて一瞬にして古くなったのかと思ったがそんなわけがない。別のボールだ。それでも吾郎はちょっとあせってしまった。一気に時間が早送りされて自分だけが取り残されたような錯覚に陥った。せっかく暗い道を抜けてこのまままっすぐ郵便ポストまで行けると思っていたのに、また振り出しに戻って今来た道を何度も何度も歩かなければならないのかと。
 吾郎は慌ててボールを拾い上げ、屋敷の奥の方めがけて勢いよく投げ返した。それから駆け足で土塀の終わりまで進んだ。
 振り返ると屋敷の中から歓声が上がっている。子供が何人かいるようだ。はっきりとは聞こえないが、わーわーわーと楽しそうな声だ。また透き通るような真っ白なボールが飛び出してきた。ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。なだらかな放物線を描いてゆっくりと地面に当たり、スローモーションで跳ね上がる。すべてのボールが同じ高さに跳ね上がっていた。跳ね上がるたびに透き通り、地面に落ちると白くなる。少しずつの時間差で繰り返し繰り返し透明な線を引いていく。
 吾郎にはそれが命あるもののように思えた。若々しい命が満ち溢れているように見えた。
 目の前が真っ白になり、冷たい風がやってきて気持ちが休まっていく。
 また家族五人で温泉へ行きたい。カニをたらふく食べたい。子供が小さい頃はよく車を飛ばして遠方まで行ったものだ。一ヶ月に一度。いやそれ以上だったかもしれない。もう十年近く行ってない。
 同級生にも会いたくなった。みんな元気にしているだろうか。年賀状のやり取りだけになってしまった友人が何人もいる。若い時は子供の写真を貼りつけたり近況を書いたりしていたが、年を取るごとに淡泊になり、いつのまにか印刷の文章だけになってしまった。そうだ、同窓会があるんだった。三十年ぶりの同窓会。出席しよう。出席してみんなに会おう。
 バッグの中から出欠はがきを取り出して確認しようと思ったが、バッグを開けることがまず困難だった。チャックが小さくてうまくつかめない。仕方なく両手で挟みつけて少しだけ引っ張り、開いたところに人差し指を突っ込んで強引に開けた。
やはり欠席になっている。出席の方に二重線が引かれてある。二重線、住所、氏名すべて女房に代筆を頼んだ。しかし書き換えないといけない。出席だ。出席して懐かしい顔に会うんだ。そこで元気をもらうんだ。
出席しようと思い直した途端、今度は何が何でも出席してやるんだという気持ちになった。車椅子でも行く。病院からでも行く。医師に止められても行く。絶対に行ってやる。
今すぐ出欠はがきを書き換えてポストへ投函しなければだめだと思った。いったん家へ戻ってしまうと気持ちが変わってしまう。
 四組から五組へ入った。山は遠ざかって行った。車が通れるほどの道幅に戻り、左右に家が立ち並ぶ。児童公園、自治会倉庫、クリーニング取次店、曲がった電信柱。もう見慣れた景色だった。あとは道なりに行けばいい。
 だれか親しい人が通ってくれないかと吾郎は期待した。ペンを持っていてほしい。欠席を出席に直したい。それだけだ。
 そのまま郵便ポストの前までやってきた。長い道のりだった。バッグの中のはがき一枚を投函するためにわざわざ遠回りしてやってきた。これでようやく目的達成となるはずだったが、なんの感慨もない。最後にやるべきことが残されている。
 ポストの前でしっかりと地面に足をつけて仁王立ちした。すぐにはがきを書き換えてもらえるようにバッグは開けておいた。もう知った顔でなくてもいいから次に通りかかった人を捕まえて助けてもらおうと思ったが、体操服姿の女子高生には声をかけにくかった。不審者と思われてしまう。駅の方からは買い物帰りの人が何人かやってくる。その人たちにも声をかける勇気がなかった。同じ町内なのに知らない顔ばかりだ。とその時、温子の姿が目に入った。二組の方からこちらへ向かって歩いて来る。大股で体を左右にゆすりながらどんどんと近づいてくる。
とっさに吾郎は背を向けた。そのまま目の前の家の門扉を開き、庭に入って木蔭にしゃがみこんだ。全く素早い行動だった。どうしようかと考える間もなく体が勝手に動いていた。だれでもいいと思ったが温子だけは例外だ。ここでまたごみの話をされたらせっかく前向きになっている気持ちがなえてしまう。振出しに戻ってはいけない。
幸い温子は気づいてないようだった。気付いていたら遠くからでも「ちょっとあなた」と呼びかけてくるはずだ。
 たっぷり時間をとってから恐る恐る庭を出た。
静かで明るい昼下がりだった。時間が流れているなんて嘘のように一枚の風景画がそこにある。
 命拾いをしたなと苦笑いして吾郎はまた郵便ポストの前に立った。郵便の収集車がきてくれればドライバーに頼むのだが、次の収集時間はまだまだ先だ。
 しばらくすると今度は四組の方から「お〜らおらおら」という大きな声が聞こえてきて、同時に自転車のベルが激しく近づいてきた。
 吾郎はとっさに背を向けた。そしてまた先ほどと同じように目の前の家に侵入して木蔭にしゃがみ込んだ。秀樹も避けなければならない人物だった。ここでまた植木の話はこりごりだ。振出しに戻ってはいけないのだ。でもすぐに失敗したと思った。庭に隠れたのはまずい。庭は秀樹が一番好きな場所ではないか。
調子はずれの音頭を取りながら秀樹は機嫌よく自転車に乗っている。ベルの鳴らし方が絶好調のしるしだ。
案の定家の前で止まった。見つかったのかもしれない。
「ご主人、ご主人。お留守ですか、ご主人。今日は枝のほうをやらせてもらいます。ご主人」
 呼び方が「大将」ではないので吾郎はほっとした。気付いてないようだ。でも庭へ入ってこられたらすぐに見つかってしまう。
 身動きが取れなかった。しゃがんでいる体勢が悪くて足が痛くなってきた。呼びかけは一回だけで、あとは静まり返っている。庭へ入ってくる気配もないし自転車が走り去る音も聞こえない。お〜らおらおらもない。
不気味になってきた。体も熱くてたまらなかった。もう何が起こってもいいやと開き直って勢いよく庭を出た。
秀樹はいなかった。自転車もなかった。相変わらず静かで明るい昼下がり。時間の流れも止まっている。やれやれ一人芝居か、ばかばかしいじゃないかとため息をついて顔を上げたその先に、今度は女房を見つけた。携帯電話で誰かと話をしながら歩いている。楽しそうだとひと目で分かる。上半身が揺れている。刺繍の入った花柄のシャツにひだの多いロングスカート。外出用の服装だ。ワニ革のバッグがきらきらと光っている。あれを持って出るときは長時間の外出だ。大正琴の発表会とそのあとの打ち上げ、俳句仲間の出版パーティーとそのあとのカラオケなど。今日は何も聞いてなかった。向かいの中村さんからさんまを二匹もらったから今晩食べましょうと言っていた。ベーコンが古くなってきたから食べてしまいたいんだけど炒めるよりボイルの方が食べやすかったわよねと言っていた。もう夕飯の支度にかかってもいい時間だ。それなのに今からどこへ行くというのだ。
 近づいてくるとますます女房が楽しそうにしていることが分かった。家の中では見せたことのない笑顔だった。会話に熱中していて全く回りが見えてない。十メートルほどの距離になっても吾郎の姿に気付かなかった。
「おい」
 と吾郎は呼びかけた。
「おい、どこへ行くんだ」
 しかし女房へは届かなかった。
どこへ行くんだよ、どこへ行くんだよ。
何度呼びかけても同じだった。スクリーンの中の役者に呼びかけているようで全く反応がない。
 吾郎は何も持たずに家を出ていた。鍵もない。財布もない。携帯電話もない。家に鍵がかかっていたら中へ入れない。
 女房はいま目の前を通り過ぎていく。横顔も笑っている。
頼みたいことがあるんだ。悪いけどはがきを書き換えてくれないか。同窓会に出席したいんだ。出席に変えてくれ。頼む、一生のお願いだ。
 ペンを。ペンを。


 

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