適齢期ですよ   尼子 一昭


 

 神社仏閣めぐりを無性にやりたくなった。
 還暦を過ぎて七十歳近い年になると、お寺や神社に参拝することが、自然なことのように思えて来る。老人はそういう行動をするものだと、これまで考えていたからかもしれない。私も老人の仲間であるからには、今まで行くことがなかった有名な寺社を訪ねてみよう。生きているうちに。
 それは運動不足の解消にもなるだろう。家で本を読んだり、テレビを見るだけの生活で、メタボになってしまった体をなんとかできるかもしれない。
 ひとりで行くよりも、誰かを道連れにしようと、同年配の友人に電話をかけた。
「暇だろう。京都か奈良のお寺に行かないか」
「どういう風のふきまわしなのだい。信仰心なんて、これっぽっちもない人が」
 友人のあきれたような声が耳に入って来る。
「神仏は信じていなかったけど、たまにはいいでしょう。我々は参拝適齢期だし」
「参拝適齢期って、何だい」
「そういう年になったってことだよ。爺、婆はお寺に行くものさ」
 友人はしかたがないなあ、つきあうよと言って、寺社に行ったあとは、久しぶりに会うのだし、いっぱい飲もうよと続けた。さらに、お前は酒場めぐりの方が似合うやつだったがなあと笑う。
 これで途中で投げ出すことはできない。嫌でも行かなければならない。
 常日頃していない行動には、準備が必要だということに気がついた。まさか革靴やサンダルでは行けないだろう。私はシューズを買いにスーパーに行った。
「お寺めぐり用の靴を買いたいのだけど」
 女子店員は丁寧に対応してくれて、足のサイズにあう軽量のスニーカーをすすめてくれた。スニーカーなど、何年も履いていない。次は、鞄売り場に行って、小さなリュックを買った。こういう時に、何でもあるスーパーは便利だ。これで最低限の用意が整った。
 目的地は京都の銀閣寺周辺にした。友人と日程の調整をする。ふたりとも既に現役をリタイアしているので、人が少ないだろう平日に決めた。
 JR京都駅の改札口を出たあたりで待ち合わせをする。友人はキャップ帽をかぶり、ポロシャツという軽装で現れた。私の真新しいリュックとスニーカーを興味深げな目付きで見ている。
 私達は市バスに乗り込み銀閣寺を目指した。
 銀閣寺前のバス停で降りて、参道を進む。平日でも予想していたより人が多い。老人ばかりではなく、若い人もかなりいるし、修学旅行や遠足らしい生徒の集団に外国人も加わって、列をなして歩いている。さすがに世界遺産だけあって、観光客も多いというかほとんどがそうではないかという気がしてくる。
 総門を入り、いよいよ東山慈照寺(銀閣寺)に到着した。
 国宝の銀閣(観音殿)が目の前にある。
 初層の心空殿、上層の潮音閣という二重構造をもった楼閣が重々しく迫って来る。派手さや華美さはない、詫び寂の世界である。
 私と友人はしばし佇み、室町時代からの時の流れに身をひたした。
 目を転じると、波紋を表した銀沙灘と、富士山型の向月台の白い砂盛りがある。
「風で砂が崩れそうに思うけど」
 私の言葉に友人がにっと笑う。
「見ての通り、がちがちに固めてあるし、手入れもしているはずだよ」
「江戸時代から」
「たぶん」
 過去から現在に、そして未来にとどけられる遺産。人間の一生に比べて、はるかに長い時を思う。
 寺の広い境内を順路に従って、一周する。私達は再び総門にもどった。
 門外の参道の両側にはみやげもの屋がならんでいて、客引きの声が絶えず響いている。参拝を終えただろう多くの人が、誘われて店に入って行く。
「八つ橋の売店に、元祖、本家、本店といろいろ書いてあるが、どこが大本なのだろうか」
 友人に訊ねた。
「看板だけで、どれも同じだと思うけど」
 その言葉にうなずいて、目の前の売店に入ると、さっそく店員が近寄って来た。
「美味しいですよ」
「粒餡入りと抹茶入りのセットをもらおうか」
 私は箱入りを指差す。友人はこれで十分だと、八つ橋の皮だけを買った。私はこれまで八つ橋を食べた経験があまりないが、友人はよく知っているようだ。八つ橋を背中のリュックに入れる。
 昼食後、銀閣寺の参道から枝分かれした脇道に入った。
 哲学の道である。
 西田幾多郎が思索にふけりながら散策したことから名付けられているらしい。片側に疎水が流れ、まるまると太った鯉が何匹も泳いでいるのが見える。
 非哲学的な私達は雑談を交わしながら二キロの道を歩いた。スニーカーが役立つ。よかった。
 途中にある大小さまざまな寺社のうち、法然院に立ち寄った。苔むした山門をくぐると、四季の模様が描かれた白砂壇がある。
 哲学の道を歩き終えると、日頃の生活でなまった足腰が疲労で重い。友人も汗をぬぐいながら、やれやれといった表情である。
 今日の計画の最終目的地である永観堂(禅林寺)に到着した。
 お堂の大玄関でスニーカーを脱いで、黒光りのする廊下の板を踏みしめる。
 平安の昔に創建された建造物は進みゆく私の体を静寂の気でつつみ込む。釈迦堂で、庭園の見える縁側に立つ。
 曲がりくねった古木と緑の草や鮮やかな色の花が、池の水と調和して美しい。
 私と友人は板張りの縁側に腰を降ろした。哲学の道を歩き続けて疲れにほてった体を休める。数人の年配の参拝者が、私達と同じように座って庭園を見つめている。観光シーズンでなかったこともあってか、ここを訪れる人は銀閣寺よりも少ない。若い人、外国人はあまりいなくて、この日は老人がほとんどであった。
 風が頬をやさしくなでて流れていく。私は縁側に手をついた。敷きつめられた古い板の乾いた感触が手の平に伝わる。浮きあがった木目を探るように、ゆるやかになぞってみる。心地よい。
 長い時間のなかで、幾多の修復を繰り返しながらも朽ち果てることなく在り続けた、お堂と庭園。それはひとりの人間の生の時間をはるかに超えている。
 人生の残り時間が少なくなるにつれて、人は自分を超えたものに目をむける。老いていくに従い、神や仏に救いを求める。死した後の極楽浄土に行くことや再びこの世への再生の願いである。
 それは神仏を信じている、いないにかかわらずにである。信じることと、願うことは別のものではないだろうか。決して実現しないとわかっていても救いを願うのが人間である。
「おい、どうしたのだ」
 友人の声で我にかえった。寺の一部となっていた意識がゆっくりと戻って来る。
「もういい時間だ。本堂のみかえり阿弥陀を拝観して帰ろう」
「わかった。そうしよう」
 私は頭を二、三度ふってから立ちあがった。
 


 

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