はじめて編集後記を書く。今回は編集委員として、提出作品の下読みをさせて頂いた。三回読んだ。
文校のときから、三回は目を通すことにしている(一部例外もあるが)。例えば、朝昼晩。自分の中の小説モードが、その時々によって微妙に違っているのがわかる。読むたびに、違った印象を持ってしまうのだ。さらに四回目に挑むのだが、困ったことに自分の中で混乱してしまい収拾がつかなくなってしまう。文体、構成、描写などは、まだいい。難しいのは作品を通してのテーマ性、回想の扱い(過去)、新しい試みをしているか、という点。読み手は、とくに新しい試みの点を期待しているに違いない。そして、そういう作品に出会った場合、わたしもそうなのだが、その作風についていけるかどうか、である。しかし読んでいて、なかなか理解できず、わからないことに対して苦痛にさえ感じるときが少なからずある。最近の芥川賞でさえもそうだ。よくこんな作品が、と思えることもしばしばである。過去の規範に引きずられてしまうかのごとく、どうしても自分の小説観のイメージに合わせようとしてしまう。ステレオタイプ調に陥ってしまうかのように。
もう三十年以上の昔のことだが、村上春樹の「風の歌を聴け」を読んだ時のこと。スカスカの文がずっと綴られていて、何を言っているのかも判らず、なにこれと思って、十数ページほどで投げ出したことを今でも覚えている。いま振り返れば、その瞬間が、初めて出会う小説だったのだ。新しい感覚がゆえに、簡単に受け入れられなかったのだ。そして、何年もの間、処分したかどうかも忘れていた同書だったが、本棚の奥の一番隅っこにその本は眠っていた。
文章を書くときや、他の作品の評に行き詰まったとき、助けになる参考本がいくつかある。その一冊に保坂和志著「書きあぐねている人のための小説入門」がある。既成の「文章の書き方」とは、一味ちがう。文章を書く上でのテクニック論というのがなく、むしろテクニックは使うなという。
先述の新しい試みだが、この本では次のように書いている。「本来、小説とは新しい面白さをつくりだすことで、そのためには『面白い小説とは何か?』ということをつねに問いかけながら書かれるべきものだが、そうして生まれた新しい面白さというのは、新しいがゆえにそう簡単には伝わらない。たとえば、今から十年以上前、漫才のダウンタウンが出てきたとき、彼らのつくりだす笑いはそれまでの笑いとは明らかに異質だった。そのため、最初のうちはどこで笑っていいのか、よくわからない人が大勢いたが、それと同じことだ。」と。なるほど、ダウンタウンの出はじめの頃は、確かにそうだった。
さて、今回の作品はどうだろうか。ぜひ、異質なところを見てみたい。 (T)
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