この頃思うこと    益池 成和


 

 その昔、私は作家になりたかった。十代から二十代、三十になったばかりまでの頃の話である。今にして思えば結構生真面目な思いであって、毎日買い込んできた原稿用紙に向かって万年筆を走らしていたし、書くことの前提作業と思い込んでいた読書にも、自分なりのノルマを課し、それを励行していた。まあ、思い通りにいったことなど皆無に近かったが。
 細かなところは失念してしまったが、書くことに関しては、コクヨ製の四百字詰め原稿用紙五枚あたりが日々のノルマであったし、読書も月十冊ぐらいは頭にあった気がする。小説作品を一冊読み終えると、その次にはそれ以外のジャンル、とりわけ哲学めいたものを読了するというプランニングもなされていた。
 小説家イコール私の夢という時代は、おそらく三十を過ぎ、一人でものを書く作業に嫌気がさし、人を求めて大阪文学学校に通い出した頃から消滅してしまったのではなかったか。断っておくが、その当時文校に入った目的はあくまでも人を求めた結果ではなく、書くことを自分なりに学び直すことであり、自分がどれぐらいの立ち位置にいるか確認することにあった。一人孤独に書いていただけでは、その実力のほどがはかりようもなかったからだ。
 
 私は今年五十八になった。なってしまった、というのが正直な思いである。かの織田信長は好んで「人間五十年」などと唸りながら舞ったというが、その齢をとっくに越えてしまっている。伝説の武将と比すのもおこがましい話ではあるが、彼は様々のことを成し遂げて去って行ったが、この私は還暦を目前にして、人に誇れるようなことは何一つなしてはいない。それどころか、妻帯もしてなければ子供もいない。人の男として随分とざまあない人生である。夢を信じていた時期の私が今隣に居合わせれば、この体たらくさに大声をあげて笑い転げるに違いない。
 
『Dear FriendsY さだまさしトリビュート』というCDがある。二年前に出された岩崎宏美のアルバムである。タイトルが示す通りさだまさし作品ばかりが集められている。その中に「人生の贈り物〜他に望むものはない〜」という曲がある。
 次にあげるのはその歌詞の一節である。
 
 もしももう一度だけ若さを くれると言われても
 おそらく 私はそっと断るだろう
 若き日のときめきや迷いをもう一度
 繰り返すなんてそれはもう望むものではない
 
 断っておくが私はさだまさしのファンではない。岩崎宏美が好きだからたまたまこの曲にめぐりあっただけに過ぎない。第一、男である私は、どのような優れたアーティストであろうが同性の人のファンなどなったためしがない。興味もない。まあ、絶対数の問題で、クラシックの指揮者だけは例外ではあるが。
 一人で煙草を商っている私の店では、ここのところ毎日のようにこの曲が流れている。無精な性格のせいもあって、据え付けのミニコンポにセットされたままという事情があるとはいえ、繰り返し耳に馴染んでいる。
 
 人生をやり直す、というのは魅惑的なテーマである。ある一定の年齢を越えた人なら誰もが夢想することの一つではないだろうか。文学作品に限っても、この手のものは枚挙にいとまがない。ことにSFやファンタジー小説では頻繁に遭遇するはずのものである。
 もし、小説家の夢を追っていた時代に返ることが出来れば、この私は果たして再び同じことを繰り返すだろうか。おそらくその可能性は否定するものではない。が、もしかすると、以前のように夢に賭ける思いは、大して熱のこもったものにならないかも知れない。その点私はさだまさしに賛同するひとりである。もっとも、この歌詞は彼が手がけたものではないようだが。
 
 又、次のような言葉も残っている。
 
 年を重ねると云うことは、汚れていくことである。
 
 二十代の頃毎月求めていた「太陽」というグラフ雑誌で見つけたものである。記憶に齟齬がなければ作家竹西寛子のものだったはず。今は廃刊になってしまったが、写真がきれいな雑誌で、おそらく古都を特集した随筆の中にまぎれていた一文であろう。実際の雑誌は手元にもはやないので、はなはだ正確さを欠く引用ではあるが。
この文章にもひどく驚かされた。だから今も残響の如くこびり付いているのだが、年齢を重ねるということが、汚れていく、ということと同義だと述べているのである。人間の成長と汚れということが、昔の私にはどうあっても結びつかなかった。
 作家がどのような意味で汚れという言葉を使ったかは、もはや確かめようもないことではあるが、今なら、それなりの解釈は可能であるし、ある意味この言葉の示唆しているところも解らないではない。いや、ひとつの真実を突いているのではなかろうかとさえ思う。

 結果として、私の夢はものの見事に頓挫した。まあ、まだ残り時間はそれなりにあるようなので、何もここで決めつける必要もなかろうが、もはやすでに夢の事は、私の中ではセピア色した過去の出来事でしかないものに変貌を遂げてしまっている。かりに人口に膾炙した映画や小説なら、一つの挫折の物語として、短調の曲とともに流されたとしてもなんら不思議ではないだろう。
 
 なるほど私は作家になれなかった。が、作家になりたいという思いが全くの徒労であったかというと、多分それは違う。想定内という言葉があるが、逆にこの世の中は、本来の姿として、想定外のことに充ち満ちているものである。
 
 大阪文学学校に通い始めた頃、おそらく今もそうだろうと思うのだが、最初にチューターに口酸っぱく指摘されるのが視点の問題だろう。作品を書く上で視点が定まらないものはテキストとしてははなはだ読みづらいものになる。自身の物語なのか、神の立場にたって眺める出来事なのか、それとも稀ではあるが、あなたが語ったお話なのか。もっとも、二人称小説で成功したものを寡聞にして私は知らないが。
視点の問題は文学に馴染んだことにより意識することとなったものだが、私においては、今や人との対処の仕方すべてにからむものとしてある気がする。人は自分を愛さずにはいられない存在だが、この世の中は一言でいえば群れ社会であって、自分だけが生きているわけではない。自分が自分であるためには、必ず他者が鏡として居合わせてもらわなければならない。だからこそ視点の駆使は、日常生活にとっても大切な必要事項というしかないものであろう。

 ここまで書いてきてどうも今回の文は、自己肯定あるいは自己弁護みたいな話になってしまった気がしないでもないが、もしかすると、その昔作家竹西寛子が使った汚れという言葉にも通じる何かがこのあたりに潜んでいるかも知れない、とはたと気づいた今日この頃である。

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