校庭には音楽が鳴り響いている。フォークダンスを踊っているのだ。体育祭が間近にせまっており、練習も最終の段階にはいっている。初秋の夕暮れ、照明灯が灯され、三百数十人が作る大きな二重の輪が軽やかに飛び跳ねている。みんなうまくなったわ、先生が叫ぶ。トレーニングシャツの胸のふくらみが眩しい。でもまだ恥ずかしがり屋さんがいるようね。踊りは心の表現よ。さぁ、肩の力を抜いて、心の底から今を楽しまなくっちゃ。先生の言葉が魔法の呪文のように降り注ぐ。心がますますうきうきしてくる。あの踊りは……確かオクラホマ・ミクサー、輪の内側に男、外側に女が並び、同じ方向をむいて、左手は前方で、右手は女子の背後で取りあい、時計と逆に進む。柔らかい女の子の手の感触、軽快な四分の四拍子のオタマジャクシに操られてステップを踏むと、三色のカクテルライトに彩色された三重の影たちも楽しげに跳ねる。いつの間にか彼女が前列に来ている。鼓動が高鳴る。音楽は終盤にちかい。たぶん今日の練習はこれが最後だ。終わるな、あとひとり。左足からゆっくり四歩前進する。そして左足の踵を左斜め前につけて二拍する。それから左足を右足の後方で爪先だて再び二拍。右手を離し、女の子は左足から三歩で男の子の前を通って円内で左まわりに廻り込む。男子はその場で足踏みしながら、女子をリードする。もう少しだ。右足を出す。二拍。右足を引く。二拍。輪がずれる。女子が時計廻りに、男子は逆に。彼女が頬笑む。風が吹く。髪が乱れ、柑橘系の匂いがする。汗とシャンプーが入り交じった彼女の匂い。頬がこわばる。身体のリズムが微妙に狂っている。中途半端に差し出した左手が、行き場を失い硬直する。その手を彼女が掴む。あったかい、そう思った瞬間、彼女が耳元に、唇を寄せて囁く。
「あなたの手、きれいね。リボンの騎士みたい」
昇給と夏季賞与の査定が終わったので、二週間振りに休暇を取った。町内会から古着供出の依頼があった。納戸がわりになっている二階の板間を探していたら、積み上げられた段ボール箱のひとつから、メモの束が出てきた。それらは、すべて手書きであった。今では、文章は公私ともにワープロだ。もう随分長いこと手で書いてはいない。ブルーブラックのインクの筆跡が、なつかしかった。
一階の自分の部屋に戻った。壁際に三本書棚が並んでいる。最下段が引出になっており、右端の引出を開くと、螺鈿つくりの文箱がある。薄っすらと埃をかぶった蓋を取る。輪ゴムで括られた手紙が二束と万年筆が五本入っていた。黒いエボナイト製の燕尾服を着た小太りのおじさんのような一本、ステンレス製のペンシルロケットのような一本、銀メッキが酸化してすっかり黒ずんだ、燻し銀のキセルを思わせる一本、深緑に白い曲線模様が入ったキャンディのような一本、そして、他の四本とは明らかにひと回り小さい、鮮やかな檸檬色をしたモンブランのマイスターシュテュックの縮小モデルのような一本。
五本目のペンを取り出し、机に座り、書いてみた。文字は現れず、指先にかすかな抵抗感がある。他の万年筆は、ペン先が十四金なのだが、これだけは、たぶん黄銅だった。引っかかるような書き味が、文字を一字一字刻み込んでいくようで、その感触が気にいり、愛用していた時期があった。カートリッジインクが、すっかり乾いていた。コップに水を入れ、その中ですすいでみた。青黒い薄煙が微かに渦巻き、そして消えた。
納戸で見つけた文章は、A4サイズの方眼紙に書かれたものだった。薄い緑色の八ミリ平方の枡目が縦横に並んでいる。活字のような四角い文字がぎっしりと埋め込まれていた。
無作為に手に取りそれらを読んでいった。ほとんどが断章だった。やがて、これらの文章は自分のオリジナルなのだろうかという思いが浮かんできた。本からの引用や聞き書きを記したのではないかと推測できる痕跡がいくつかあった。その中に『手』という未完の草稿があった。これには覚えがある。二十歳の頃に試作したものだ。書き出しやストーリーが少しずつ異なるバージョンが何種類も残っていた。
この草稿が、檸檬色の万年筆を使った、はじめての纏まった書きものだった。たぶん……
大学時代、夏と冬の休みに南の百貨店の外商部でアルバイトをしていた。はじめは学校紹介だったが、二回目からは担当課長から直接電話があった。バイト学生はいつも七、八人いたが、半分は同じ顔ぶれだった。学校は違ったが、その中の三人と仲良くなった。
四人全員が二十歳になった三年目の年末に、女子を誘ってコンパをしようということになった。必ずひとつプレゼントを持参するようにと、幹事からの要請があった。余興でアミダくじをするとのことだ。
その日は早番だったので、十八時過ぎに職場を出た。飲み会は、遅番にあわせて二十時からだ。心斎橋筋を本町方面へ歩いて行った。まだクリスマスの名残の電飾があちらこちらにみられた。
長堀通りを渡り、しばらく行くと丸善に着いた。カウンターに行き、女性の店員に英語版の「星の王子さま」があるか聞いた。しばらくすると、彼女が三種類の本を手に戻ってきた。その中の英光社発行ものを買うことにした。幹事から金額制限があった。その本が一番安価であったが、それでも制限をすこし超えていた。今日コンパに参加するエレベータ係りの女の子が、ほしいと話していた。アミダだから彼女にあたるかどうかわからないが、プレゼントと言われた時、そのことを思い出した。
まだ時間があったので、店内を散策していた。万年筆コーナに来た時に声を掛けられた。振り向くと、松山美智だった。
「久しぶりね。フミ君」
「二年ぶりかな。元気?」
従業員用の休憩室に連れて行かれた。
「今日はどうしたの?」自動販売機でお茶を買いながら彼女が言った。
「これを買いに」丸善の紙袋を見せる。
「私、ここでバイトしているの」
「そう、俺は大丸だ」
「わりと近くにいたんだ」
「君んちへ何回か電話したんだけど、いつも親父さんが出るので、掛けにくくなって……」
「知らなかったわ。うちのお父さん、嫉妬深いの。母親が二人いるみたいでうんざり。今、京都で一人住まいしているの」彼女は京都の美大に行っていた。はじめは大阪の実家から通っていた。
「そうなんや。それで美術部の連中も、松ちゃんと連絡が取れないと言っていたわけか」
「もうすぐ勤務終わるので、ごはん食べない」
「ごめん、先約があるんや。明日以降ならいつでもいいよ」
「じゃ、これ」と言って京都と職場の電話番号を書いたメモをくれた。
「お店に電話しても大丈夫?」
「いいわよ」
「じゃ明日電話するよ」
「いっぱい話したいことがあるの」
時計を見ると三十分前だった。
「そろそろ行くよ。明日楽しみにしているよ」別れようとした時、ちょっと待ってと言って、彼女は部屋を出て行ったが、すぐに戻ってきた。
「フミ君、梶井基次郎が好きって言っていなかった」
「好きだよ」
「これあげる」手には、万年筆があった。
「何年か前にアニバーサリィの記念品として上得意に配ったペンなの。梶井の『檸檬』の舞台、丸善でしょう。それで檸檬色の万年筆。ここの助平主任から貰ったのだけど、いらない?」「うれしいよ、大事にするよ」「檸檬、爆発するかもしれないから気をつけてね」と言って、笑いながら舌を少し出した。
『檸檬』の主人公は、丸善の美術コーナの棚に画集で城壁を築き、その上にたまたま持っていた檸檬を放置し、店を出る。
帰り道、彼はその檸檬を爆弾だと想像する。その不意に浮かんだアイディアが、彼の鬱屈した心に、ひとときの解放感を与える。
その日、帰宅したのは日付が変わってからだった。目が覚めたのは七時ごろだ。痒くてたまらないので、鏡を見ると、全身に蕁麻疹がでていた。バイト先に電話を入れたら、二日酔いかと言われた。よく覚えていないのだが、昨夜はずいぶん飲んだらしい。十時になるのを待って近くの皮膚科へ行った。一時間ぐらいかけて、点滴をされた。その間、松ちゃんとの約束のことばかり考えていた。医者からアルコールアレルギーがきついので、酒は飲まないほうがいいと、言われた。
朝からなにも食べていないので、うどん屋に寄ってから家に帰った。
「奥井さんから何回も電話があったわよ」と母が言った。奥井幸雄ことオクユキは、高校の同級生だ。「電話してほしいって」
自分の部屋に黒電話を持ち込み、そこから掛けた。
「おれおれ、病気。しんどいや。本日はややっこしい話はお断り」
「なにふざけてるんや。死んだんや、松ちゃんが」
「嘘?」
「詳しいこと分からんのやけど、昨日の深夜に、ビルから飛び降りたらしいんや。それも心中。男の方は命助かったみたいやけどな」
しばらくの間、言葉に詰まった。
「聞いてんのか?」
「実は、昨日松ちゃんと会っているんや」オクユキに、昨夜の顛末を話した。彼は黙って聞いていたが、突然、「なんでお前は、松ちゃんの誘いを断ったんや」と、怒鳴りだした。
「先約が」
「長い間ほったらかしておいて、なにが先約やねん。お前って昔からそうや。普段は誰にでも親切でやさしいが、相手が一線を越えそうになると、急に冷たくなるんや」
自分が人からしてもらって嬉しかったことを、人にもしてあげなさい、と小さい頃から母親によく言われた。思春期になり、自分の嬉しいことと、他人の嬉しいことが果たして同じなのだろうか、と思うようになった。その頃から時々親しい人から冷たくなった、と言われることがあった。財布を開くと、昨日松ちゃんから渡されたメモが挟んであった。
「ほんまにちゃんと聞いてんのか? また他のこと考えているんやろう」
「そんなことないよ。誰から聞いたんや?」
「おばちゃんがうちのお袋に泣きながら話していったんや。今、警察にいっているらしい」母親達は幼な友達だった。
「今日は一日家で寝ているので詳しいことが分かったら連絡して」と言って受話器を置いた。
夕刊に小さく記事が載った。そこには、やはり心中を匂わせる表現があった。しかし翌日の朝刊では、酔ったうえでの事故だと明確に書かれていた。葬儀は密葬だった。死に顔を見ていないせいか、なかなか彼女の死を受け入れることができなかった。メモの番号に何度か電話してみたが「現在この番号は使われていません」のメッセージが帰ってくるばかりだった。
『手』を書きはじめたのは、彼女の満中陰が明けた頃だった。今のうちに記憶の中にある彼女の姿をスケッチしておこうと思ったのだ。記憶なんて、日に日に自分に都合よく更新していくもの、生まれて初めて経験した喪失感、オクユキの指摘、少し舌を出した彼女のはにかんだ笑顔、今なら素直に自分の気持ちと向き合うことができるかもしれないと思った。檸檬色の万年筆が力を与えてくれるような気がした。
しかし、事はそんなに簡単なものではなかった。書いていくうちに疑問が芽生えてきた。あの笑顔のたった数時間後に死ぬことができるのだろうか? それも自らの手で。そして、ついに失語症のように言葉が出てこなくなった。
後に残ったのは、後悔と言い訳が書かれた紙の束だけだった。
納戸にはかなりの量の古着があった。その中から比較的きれいなコートやスーツ、セーターなどを二十枚ほど選んで、透明なビニール袋に二つに分けて入れた。
その週の土曜日が収集日だった。自転車で集会場まで届けた。その足で梅田の紀伊国屋書店までインクのカートリッジを買いに行った。丸善の心斎橋店はずいぶん前に閉店していた。
檸檬色の万年筆は、特注されたもので、メーカーが不明だったので、合うカートリッジインクを探すのに手間取った。若い親切な店員は、倉庫からカートリッジのサンプルを探しだし、セーラー製が合うことを見つけてくれた。
食事をとり、家に帰ったのは、二十一時前だった。風呂にでも入ろうと立ち上がったとき、携帯の着信音がなった。
「お前、今日、紀伊国屋に行ったか?」オクユキだった。
「行ったけど……」
「黄色い万年筆のインク、買った?」
「どうして知っているんだ?」
「じゃぁ、間違いないわけか」納得顔で首を上下に振っている姿が目に浮かぶ。生来顔の長い彼が、その仕草をすると、ますます老いぼれロバに似てくる。
「篠田あゆ、覚えているか」
「ダブマドだろう?」高校時代、同級生のなかに、飛び抜けた美人が二人いた。男どもは彼女達を「ダブルマドンナ」、縮めて「ダブマド」と読んでいた。
「お前、ダブマドのあゆと会っているんだぞ」
「どこで?」
「紀伊国屋、文房具売場」
そういえばレジの女性が、こちらを見ていたような記憶がある。彼女が篠田だったのだろうか?
「相変わらず自己中やね。周りのことは、どうでもいい。それでよく人事が務まるよ。あゆも最初、お前だと気がつかなかったそうやからお相子か? 要は、あゆが、お前に会いたいとのことや。そこでうちの嫁のところに、お前に連絡とれないかって電話があったという訳や」奥井夫人の圭ちゃんもダブマドのひとりだった。今ではすっかり肝っ玉母さんになっていた。
「あゆも二年前に亭主を亡くしてシングルなんや。子供もいないし、いい話とちゃうって二人で盛り上がったんやけど、実はな、彼女、最近、変な新興宗教みたいなのにハマッテいるみたいで、嫁も勧誘されて困ったそうや。それでどないしようか迷ったんやけど、取りあえず伝えたらって、嫁が言うので電話したんやけど……あゆの携帯の番号言うからメモってくれよ。どうするかお前が決めろよ。そうや、何か黄色い万年筆について聞きたいと、言っていたそうや?」
淀屋橋の南西角の地下にある喫茶店にいる。日曜日の店内は程よい込み具合だった。ここを指定したのは、篠田あゆだった。待ち合わせ時間は十八時だった。
この店にも幾度か来たことがあるが、心斎橋のチェーン店の方には、大丸でバイトしていた時、よく通った。店内は白と濃いブラウンが基調色になっている。照明は多少薄暗く、木製の椅子の、格子模様の大きな背もたれが、間仕切りのようになっていて、テーブルのひとつひとつが独立した空間のような趣があり、落ち着けた。
『七色の珈琲』と称して、曜日ごとに異なった豆の珈琲をサービス価格で提供していた。水曜日のウインナーが、一番お気に入りだった。今日はアメリカン珈琲の日だった。
階段を女性が、降りて来た。篠田あゆだった。青いワンピースを着ていた。絹のような光沢を持つ生地は、彼女が歩くたびに青い波のようにゆったりと揺れて纏わりつき、身体の線を露わにする。プラチナの細い鎖のネックレスをしている。胸元の肌が透けるように白い。黒い革製のバックを左手で持っていた。その指にはリングはなかった。年齢が不詳に思えた。彼女が、どういう人生を生きてきたのか想像することができなかった。
「本当に私のこと覚えていたの?」
「君みたいな美人を忘れるはずがないよ」
「ありがとう。フミ君もそんなこと言うようになったんだ。万年筆持ってきた?」
「ここにあるよ」
篠田にペンを渡す。彼女はじっとそれを見つめていた。そして、その檸檬色の万年筆をめぐる物語を話し出した。彼女の語りは、けっして上手くはなかった。思いの向くまま、あちらこちらと話が飛んだ。知らない個人名や事柄も多く含まれていた。
彼女と別れてひとりになり、難波方面へ御堂筋をゆっくりと歩きながら、今聞いた話を咀嚼しながら整理していった。趣旨はだいたい次のようだった。
元々とその檸檬色の万年筆は、二年前に亡くなった彼女の夫の持ち物だった。彼は昔、丸善に勤めていた。この万年筆は、彼が松ちゃんにプレゼントしたのだ。松ちゃんと一緒にビルの屋上から落ちたのは、彼女の夫だった。二人が結婚して一年目の出来事だった。松ちゃんは路上に直接落ちたので、ほぼ即死だったが、彼女の夫は、手前の花壇に落下したため、一命を取り留めた。頭部を強打した後遺症で、記憶の一部を失い、長い間、頭痛に悩まされたそうだ。
あゆの夫は、二年半ほど前の大寒の頃、首の左に瘤のようなものができた。痰がでて、せき込むようになったので、風邪でもこじらせたのかと思い、主治医に診てもらったら、総合病院を紹介された。最初はドックを受けるくらいの軽い気持ちで検査を受けたが、即入院ということなった。悪性リンパ腫と診断された。余命は数カ月、長くて半年と宣告されたが、いいさ、一度死んで、それから四半世紀生きることができたんだから、と言って笑っていたそうだ。
亡くなる一週間ほど前に、彼があゆに、ある記憶を取り戻したと伝え、こんな風に話したそうだ。
理由は分からないが、彼女はどうしても死にたかったのだと思う。ただひとりぽっちが寂しかったのかな? あの日、二人はかなり酔っぱらっていた。酔い醒ましにあの四階建ての雑居ビルの屋上に行こうと誘ったのは、彼女だった。知人の税理士がそこに事務所を構えていて、非常階段を使えばいつでも屋上に行けることを彼女は知っていた。長方形の屋上の奥半分に貯水タンクと空調用の室外機が並んでおり、反対側に鋳物製のベンチが二脚あった。二人はそこに座り、とりとめのないことを小一時間ほど喋った。突然、彼女が泣きだし、ごめんね、あの万年筆、あげちゃった、本当は彼といっしょにここへ来たかったんだけど、と言い、しばらくそのまま俯いていた。やがて立ち上がると、ビルの際までゆっくり歩いて行った。フェンスは彼女の腰ぐらいの高さしかなかった。彼女が身を投げだす素振りを見せたので、慌てて駆け寄り、彼女を制止しようと手を伸ばしたら、その手を彼女がしっかりと掴み、きれいな手ね、と言うと、次の刹那、勢いよく飛び込んだ。まるで高飛び込みの選手のように……
交差点が見える。長堀通りの一つ手前の新橋北交差点、そこを右折してふたつ目の角に松ちゃんが飛び降りたビルがあるはずだ。地図で調べてはいたが、一度も訪れていない。立ち寄ろうかと思う。やはり止める。冷たいやつやなぁと、言うオクユキの声が聞こえる。
心斎橋筋に入るため、六車線の道路を渡り、長堀通りを東に進む。商店街に入り、パルコの前に来る。一群の若い男女が、円陣を組み、音楽にあわせて、ステップを踏みながらふざけあっている。その中に小柄な女の子がいる。松ちゃん? 一瞬そう思う。彼女が振り向く。
おっさん、なにジロジロ見てるねん。キショイ、と叫んで思い切り舌を出す。
話したいことが、いっぱいあるの。
ただひとりぽっちが、寂しかったのかな?
相変わらず自己中やね。周りのことは、どうでもいい。
店先にバーゲン・セールのPOPが目立つアーケードの下を、歩いている。
檸檬、爆発するかもしれないから気をつけてね。はにかんだような笑顔が、歪んでいる。
ほんまにちゃんと人の話、聞いてんのか?
そうか、爆弾が仕込まれたのは、このペンだったのだ。ジャケットの上から触れてみる。
ブティックからアベックが出てくる。二人は、それぞれ大きな紙袋を手で持ち、空いた方の手をしっかりと繋いでいる。
柔らかい女の子の手の感触、軽快な四分の四拍子のオタマジャクシに操られてステップを踏むと、三色のカクテルライトに彩色された三重の影たちも楽しげに跳ねる。踊りは心の表現よ。さぁ、肩の力を抜いて、心の底から今を楽しまなくっちゃ。
人の手の温もり、最後に感じたのは、何時だったのだろうか。心ときめく踊り、記憶にすらない。そう思った瞬間、内ポケットの中の、檸檬色の万年筆に仕掛けられた時限装置のスイッチが入り、カウントダウンが始まる。カチ、カチ、カチ……
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