目ぢから   よこやま さよ


 

 CA――キャビンアテンダントと言えば、今でも特別な響きがある。私の学生時代には、スチュワーデスと呼ばれてはいたが、その頃はさらに女性のあこがれの職業の一つであったはずだ。
 さて、以前海外を一人旅した時のことである。目的地はオーストラリアで全てフリーの旅行だったのだが、なるべく航空運賃を安く上げたい学生だった私は、北京一泊付きの中国民航を利用した(直行便より割安だった)。
初めての国に入るときは、少し緊張と不安と、たくさんの期待で心ときめかせて、その国の玄関口である空港に降り立つ。そんなふわふわと浮かれた気持ちで北京の空港に着いてすぐ、トイレに行き個室に入ろうとしたときに、便器に座っている女性とはたと目が合ってしまった。それは先程まで、機内でテキパキと働いていた容姿端麗のスチュワーデスであった。しばらく見つめあったが、先に目をそらしたのは私であることは、想像に難くないであろう。中国のトイレ事情は聞いていたが、個室の扉が付いている近代的な空港のトイレで、いきなり先制パンチを受けた。
 ずいぶん昔のことなので、今ではそのようなこともないだろうが、綺麗に化粧をした彼女の顔は今でも鮮明に覚えている。
 しかし、それはまだほんの序章に過ぎなかった。
 目的地はフリー旅行だったのだが、北京一泊ガイド付きということで、中国に関しては何の下調べもしていなかった。そのような状態で、まさかガイドが来ないという事態が発生するとは。三月上旬の厳寒の北京空港の深夜、日本語はもちろん英語も通じない。話せる中国語は一から十までの数字と「私は学生です」の一言だけという体たらく。携帯なんて当然ない時代、旅行会社は今ではお笑いタレントがCMでバンバン宣伝している格安ツアーの大手だが、当時はまだそれほど知名度もなく、主に学生相手の会社であったのだが、そこと連絡もとれない。
 甘く見ていましたね、かの国を。旅行当日の朝にやっと熱が下がった私は、キャンセル料がもったいないと半ば強引に旅立ったのだが、咳き込みながら途方にくれていた。
 だがしかし、非常に幸運なことに、同じ旅行社を使って空港に放り出されていた一人旅の人たちの中に、留学経験のある中国語堪能の学生が一人いた。彼を頼って数人でタクシーに乗り込み、北京市内に入って、ホテルを当たる。
 だが、当時の中国である。商品が目の前にあっても、販売員は「没有(メイヨウ――ありませんという意味)」の一言で売ってくれない国である。空き室がないか、ホテルを何軒もまわったが、メイヨウメイヨウと何度も断られる。やっと泊めてくれる小さいホテルを見つけた時は、どれ程ほっとしたことか。
 シャワーはちょろちょろとしか出ずに、しかも湯が途中から水になるのだが、そんなことは些細なことだ。暖房の効きも非常に悪いが、空港の寒さとは比べるまでもない。日本で寝込んでいたため、何日か洗ってなかった髪を水のシャワーで洗い、薄い毛布にくるまった。同室の女性は、私が寝ている間ひどく咳き込み「寒い寒い」とうわごとを言うので、非常に心配だったらしい。私本人はそんなことを言っていた記憶はないのだが。
 翌朝、朝ご飯を食べる場所を探して、数人で町を歩く。町はたくさんの人や自転車であふれているのだが、皆こっちを凝視していく。少し立ち止まると、たちまち人垣ができて、取り囲まれる。ただ何を話すでもなく、少し距離をあけて、お互いあいまいな微笑を浮かべた状態で取り囲まれており、スター気分というより珍獣気分を味わうことになる。若い女性が、果敢にジェスチャーで話しかけてきて、スカートなんて考えられないわ、私なんてこんなに重ねて穿いているのよと、ズボンの中をのぞかせてくれたりもする。
 北京五輪も済んで、今はもう外国人は珍しくもないだろうが、当時はこんな状況だった。
長い一泊が終わり、オーストラリアに着いた時には季節が逆になり、暖かさと英語の通じる安心感とで、安宿のホテルで二十時間ほど爆睡してしまった。
 旅行会社からは、帰国後一ヶ月ほどしてから、北京での不備として五千円が返金された。
 昔の話だけでは何なので、ここからは最近の話である。
 グアムの空港。9・11事件以降、アメリカの入国審査はかなり厳しい。目に光を当てられて、指紋を検査される。日本発グアム行きの便の客は、ほぼリゾートを楽しむ家族連れやグループで、すいすいと入国審査を通っていた。当然私も難なく通過するはずだった。ところがですね、目つきの鋭いちょっと俳優のような苦み走った審査官は、私の指紋を検査したとたんに、少し首をひねって電話をかけた。新たに体格の良い女性の審査官がやってきて、私は別室に連れて行かれた。え、なんで。子供連れでいかにもリゾートですって感じなのに。別室で待つ間、不安な時間が流れていく。過去の海外体験を思い出してみる。海外で法に触れるようなことをした覚えはない(もちろん国内でも)。アメリカにホームステイしたとき、まだパソコンが普及していない当時、男の子たちは修正なしのアダルトな本をこっそり日本に持ち帰っていたが、私はもちろんしていない。はたして、私の指紋はビンラディンに似ているのだろうか。審査官はあちこちに電話をして、コンピューターのキーをたたいている。理由を尋ねても、ちょっと待ってくれと言われるだけ。半時間ほどで解放されたが、結局理由はわからないまま。知らぬ間に、私はアルカイダに入っているのだろうか。
 場所が変わりフィリピンの空港。ダイビングを楽しんだ帰りのこと、空港で抜き打ち荷物検査があった。全員ではなく、いくつか荷物を集めて、麻薬犬に臭いを嗅がせている。犬種には詳しくないが、黒と茶色のまじった目つきの鋭い犬である。犬のリードを持った捜査官らしき人は、恰幅がよくフレンドリーな感じであったが。
 無作為で検査する荷物を選ぶわけだが、当然こういうとき、私の荷物は選ばれるんですね。興味深々で麻薬犬の捜査を見ていたが、どうも私の荷物だけ、時間をかけて鼻を近づけている気がする。ちょっと待って、何もしていないわよとじっと見ていると、犬がこっちを振り返り、はたと目が合った。北京のトイレでは目をそらしたが、もうあの頃の小娘ではない。ここで負けるわけにはいかないと、犬を見つめ続ける。犬は目をそらし、もう一度鞄の臭いをかいで、吠えることもなく捜査は終わった。勝った! と思いましたね。
 その後私は、返却された鞄のポケットから食べかけのビーフジャーキーを取り出し、おもむろに頬張った。

 

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