変わらない日の変わったこと   奥野 忠昭


 

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」ではないが、世の中のもの、すべてが変化する。日常生活もまたしかりである。だが、よほど注意していないとその変化はわからない。そこでどんなつまらない変化であっても、今日はそれを書き留めてやるぞと思い、それを試みた。これがその報告書である。

 昨日、朝、八時十分、愛犬の柴犬「駒子」が死んだ。肺癌だった。私も喘息を患っているので絶えず咳が出る。それでときどき肺癌ではないかと不安が過ぎる。駒子が肺癌だといわれたとき、私はひどくショックを受けた。
 駒子がいるときは五時半頃に起きていた。彼女が私たちを起こして早く散歩に行けとうながすからである。ベッドの傍に来て、女房の腕や、顔に鼻をつけ、それをしゃくり上げる。女房が起きるまでそれをつづける。女房が起きるので、私も寝ていられない。起きるが早いか散歩に出掛けた。しかし、今日は違う。もちろん、病気になったときから散歩は止めていたのだが、しかし、起きる時刻は同じだった。駒子が生きている間は、その時間、駒子のために使っていた。だから、散歩とほとんど同じ感覚だった。だが、今日は駒子のためには何もする必要がなくなった。だから、朝の一時間半が空白になった。いや、私の中から朝が消えた。
 いつも朝早く起きて、外に出ると、晴れている日には、東の空にかぎろいがたち、やがて、街並みの向こうから、炎色を底にしてあかね色の層から濃い藍色へと連なっている光の帯が見えた。だが、そんな空をもう見ることがないだろう。それに、都会の早朝は独特の雰囲気がある。ビルとそれに挟まれた車の通らない広い道路、それらを照らす街灯。排気ガスのない清浄な闇。何かが張り詰めている。喧噪のない静寂ではなく、喧噪の消えた静寂である。
 それらの中を人がぽつりぽつりと現れる。闇の中でただ輪郭が見えるだけなのに、いやに個性的で実在感がある。ジョギングしている人が多い。犬の散歩をしている人もいる。すでに仕事に向かう人もいる。都会の中で、人が一瞬、主役になれる時間である。だが、そういう朝との出会いが消えた。
 
 久しぶりにジョギングをするため真田山公園へ出掛けた。駒子が病気になってからは走る気がしなかったし、駒子のいろんな世話もあったのでジョギングは止めていた。
 公園へ入ったすぐのところに椅子の背もたれぐらいの黒板が立てかけられていて、そこには「公園樹維持工事――冬期剪定――ナンキンハゼ」とあった。剪定も工事なのかといささか驚いた。
 庭師は木の上に登っていて、枝は数十センチを残して、すべて切り落とされていく。まるで、人間が裸にされていくような感じを受けた。そのほか、公園の周囲を囲うようにして植えられているクスノキやヒマラヤスギもほとんど枝が切り落とされている。これでは大きな柱ではないか。おそらくこうすることで、春には新しい枝や葉っぱが出やすくなるのだろう。新しい芽を出させるためには、古いものをなきものにすることが大切なようだ。
 裸にされた大木を眺めながら、私の身についている古い枝はすべて切り落とさなければならないという気がする。だが、本当にこれで大丈夫なのだろうか。春になれば今まで以上に青々と葉が茂るのだろうか。
 私の古い枝を切り落とせば新しい枝を伸ばす力はもうないのではないか。だとすれば、わずかに残っている枝を大切にし、むしろ、失わないように守っていくしかない。そう思うと、なんだか悲しくなってきた。思い切って枝を切り落とせない悲しさと切り落とせば生えてきそうにない悲しさとが混じりあった。

 公園には空き缶集めの人が何人も集まっている。自転車の後ろにビニールの袋いっぱいに空き缶を入れ、そんな袋をいくつもくくりつけていて、白い小山のようになっている。
 私の走っている道路のよこで、袋から空き缶を路上に出し、足で踏みつけ、缶一つ一つを平べったくしている。売るところからそうしろと言われているか、それとも、運ぶのにかさばらないようにしているのだろうか。それに、売る店がこの近くにあるのだろか。
 しかし、彼らを見ていると何だか懐かしさを覚える。私たちが幼かった頃、「あか探し」というのをやった。真鍮とかあかと言われている金属を拾い集め、それを売るのである。
 私もした。ほんのわずかな金しかもらえないのだが、自分が働いて金を得た最初だったような気がする。

 これらは違ったことではなく、いつものことだ。公園で何か変わったことがないのか。走りながら辺りを見回す。
 違うことが一つ見つかった。走るコースの横にある真田山幼稚園の向かいのテニスコート横の広場にやたらたくさんの自転車が置かれている。いつもそこには十台ぐらいの自転車が置かれているのだが、今日は違う。いつもはジョギングに来る人の自転車と、テニスをしに来る人の自転車だけだ。しかし今日は五十台以上はある。そうだ、きっとこれは幼稚園の園児を乗せてきた母親たちの自転車に違いない。そういえば、今日は一月八日、始業式だ。園児とお母さんが、連れだって学校にやってきたのだろう。いつもなら、送ってきて、園の前で子供を下ろすとすぐに帰るので自転車がそう多く置かれてはいないのだが、今日は、自転車をそこに置き、始業式に親子ともども参加しているのだろう。
 お母さんたちはたいへんだなと思う。始業式に立ちあわなければならないとなると、勤めをしている人は勤めをやすまなければならない。中にはおばあさんやおじいさんが来ている人もいるが、仕事と子育てとは両立しない。共働きの人はどうしているのだろうか。共働きの人は幼稚園には行かせられないのか。幼稚園は専業主婦がいる家庭だけの施設なのか。そうあってはいけないだろう。もっと、働く人のことを考えなければ。

 久しぶりに、ポケットから西行の山家集を書き写した紙をとり出し、憶えながら走った。これをやり出してからもう三年になる。だが、まだ読了していない。あと一年はかかりそうだ。ただ、「下」の真ん中辺りまで来ている。歌の番号で1260台だ。全部で1562だ。ただ、口に馴染んでしまうまで次に移らないことにしているのでなかなかはかどらない。あと一年はかかりそうだ。
 今日憶えている歌で気に入ったのが二首あった。まず一つは、「思い余り言ひ出でしこそ池水の深き心のほどはしられめ」で、もう一つは「心には深くしめども梅の花折らぬ匂ひはかひなかりけり」である。いずれも恋の歌である。最初のは、小説のことにも当てはまる。いや、すべての言語表現に当てはまる。思いがいっぱいつまり、どうしても言わないではおれなくなってこそ人を打つ言葉が発せられるのだ。なかなかそうはならない。どうしようか。二つめは、男の心理を正直に書いてくれている。梅の花は女性のことだろう。梅の花を折るとは、Hすることととらえた。いかに美しい人と懇意になれ、女性の魅力に触れられたとしてもHしない限り「かいなかりけり」である。西行も私たちと同じ男性のこころの持ち主であった。親しみを覚える。
 歌を憶えながら走るのはいつもの通りだが、憶える歌が違っていく。今日は恋の歌だ。ただ、恋の歌は自然を詠んだ歌にくらべてどうも憶えにくい。なぜだろうか。心の様子なのでイメージしにくいためだろうか。それとも、複雑なためだろうか。

 午後、女房と二人で白川義員の写真展を見に行った。かなり大がかりなもので、空中からとった滝の写真や、朝焼けの峯峯の写真などがあった。確かにどれもいい写真だ。だが、私はあまり好きではなかった。こんな写真は選ばれた人でしか写せない。我々はヘリコプターに乗って、空中から朝日に映える山など写せない。もっと我々目線の写真を見たいものだ。

 帰り、ヨドバシカメラの上にある回転寿司屋で夕食をとった。まだ時刻が早いためか、店には客が二、三人しかいない。回転するベルトの上には、寿司の載っていない皿だけが回っている。それに、回転するベルトの周りを椅子席がとり囲んでいる。これは普通の回転寿司屋とは違う。普通は回転するベルトに向かって、カウンターのような席が取り囲んでいるものだが、ここは違う。それに、テーブルの端にはタッチパネルがある。それには、にぎり、手巻き、軍艦、赤だし、海苔巻き、などといった写真付きの四角いアイコンがあり、それのにぎりを押すと、今度は、マグロ、マグロトロ、イカ、アジ、イワシ、などといったにぎりの種類が出てくる。どうも、これに触れることで、注文できそうだ。このシステムを理解するのに、数分はかかった。それに何だか頼りない。スマートフォンに慣れた若者のために注文の仕方を変えたのだろう。だが、私にはどうも違和感がある。こんなものを操作するより、口で言った方がよほど早い。「兄ちゃん、マグロと鯛とサーモンとヒラメ」と叫んだ。「マグロと鯛とサーモンとヒラメですね」と店員が復唱し、しばらくすると、回転しているベルトを越えて、店員がにぎりの載った皿を四皿、次々と手渡してくれた。回転のベルトもタッチパネルも不要だった。
 これでいいんだ、これで、と密かに勝利したような気分になって寿司を食べた。

 夜、スポーツジムの温泉に行った。最初は健康のために水泳をするつもりでスポーツジムに入会したのだが、いつの間にか水泳は止めて温泉だけになった。でも、そのような人がたくさんいて、けっこう温泉は賑わっている。
 一応、露天風呂もある。露天風呂といっても、室内に在るのだが、部屋の電気をくらくしたり、周りの気温を下げたりして、露天の雰囲気を出している。そして、部屋の温泉と露天風呂との境に開閉式のガラス扉がある。その扉を手で開けて露天風呂へ入る。
 私が機嫌良く露天風呂に浸かっていると、一人の青年が扉を開けて入ってきた。その青年に見覚えがあった。
 つい先程、風呂場に入ってくるとき、風呂場の入り口の扉を閉めないで、つかつかと中へ入ってきた。身体を洗っている老人たちが一斉に「おい、扉を閉めんかい」と怒鳴った。青年は慌てて扉を閉めに戻った。
 その青年が露天風呂に入ってきたのだ。扉を開けたが、またも閉めないでそのまま風呂に入ろうとする。「ああ、扉」と私も怒鳴った。青年は慌てて扉を閉めに戻った。先程怒鳴られたことがまったく身にこたえていない。
 年齢の高い人には開けた扉を閉めない人など見たことがない。扉を開ければ必ず閉める。だが、この頃は自動扉が多くなり、扉は閉めなくても自動的に閉まり、それに若者は慣れてしまったのか。扉を閉められない若者が増えているのかもしれない。これも、変化のひとつだろう。年齢の差がこんなところにも現れてくる。

 

 

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