立ち飲み屋に、通っていたことがある。
通っていたとはいっても、毎日ではなく、せいぜい二週間に一度。生中二杯にアテ一、二品。それでも、何度か通っているうちに、どの店が安いか、どの店に行けば楽しく飲めるのか、少しはわかるようになってきた。
なかでも京橋は立ち飲み屋が多く、しかも安い。JRの改札を出て、右に進んで左に曲がれば、立ち飲みストリートと呼ばれる道に入る。串カツがメインの店、魚介類がメインの店、何がメインなのか曖昧なまま客が溢れて身体が半分外に出ている店。共通しているのはどの店も安いということで、生中一杯が五百円を超えることはまずない。
その日の夕方も、私は友人と二人で京橋の立ち飲み屋に入った。
客が多いから、客と客の間に割り込むようにして入り、ダークダックス状態(カウンターに対して身体を斜めに向ける)でビールに口をつけたときだった。
「俺、出てきたばっかなんや」
と既に赤い顔の隣の客が話しかけてきた。
京橋では、まだ早い時間でも顔が赤いおっちゃんは珍しくないし、隣になった客にこうして話しかけられることも少なくない。おっちゃんは眉毛の下がった、どことなく間が抜けたような顔をしている。
それでも、どこから、とはなんとなく聞きにくい気がして、へえそうですか、と相槌を打った。
「そこにな、真須美ちゃんがおってん」
「ますみちゃんて、誰ですのん?」
「林真須美やがな。やろ?」
代わりにおっちゃんの隣の客が答える。
「うん、そうそう」
それでようやく、おっちゃんが「入ってた」ところが掴めた。
「会ったんですか?」
「会われへんけどな、おるのはみんな知ってんねん」
おっちゃんはなぜか得意げだった。
「そんで、そういうとこでもカレーが出るねん」
林真須美とカレー。うまい組み合わせなのか、まずい組み合わせなのか。
「で、カレーが出たら、みんなで叫ぶねん。『真須美ちゃーん、カレーやでー』って」
聞き耳を立てていたのだろう、近くの客がクスクス笑う。
「『カレーやでー』、ですか」
おっちゃんがどのような経緯でそういう場所に「入ってた」のかもさることながら、「入って」おきながらそんな呑気なことでいいのかという疑問も沸き、そしてそんなものだったのかというカルチャーショックも受け、私はビールを飲み干した。
その後、おっちゃんと顔を会わすことはなかったが、数年経つ今でも、カレーを食べるときにはそのときの会話を思い出す。
そして、そうした会話が受け入れられたのは、京橋という街だったからではないかと思う。雑多で、色んな食べ物の匂いがして、昼間から酒を飲んでも眉をひそめられない場所。
今回のせるに掲載される小説には、京橋が舞台になったものがある。その小説を読み、京橋の立ち飲み屋に通っていたことを思い出した。
素晴らしい街だと胸を張って人に勧めることはできないが、なぜか行ってしまう。私にとって京橋はそんな街である。
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