研修日記   上月 明


 十一月十四日(月)
 昨夜から雨が降っている。二カ月ほど雨らしい雨は降っていないのに、久しぶりの雨だ。出発日に雨とは……。
 スウェーデン、イギリス、ドイツ、オーストリアの福祉制度を、十三日間をかけ視察することになっていた。
 欧州視察研修は、厚生労働省が企画している。本省から二名と、全国に八つある地方厚生局から各一名の中堅職員を対象に、各地方厚生局長の推薦があった者が派遣された。
 私が所属する近畿厚生局では、勤務評定を基準にして局長が決めていた。
 午前十時、妻の運転する車で自宅近くの駅まで送ってもらった。これからヨーロッパへ視察に出掛けると思うと、緊張感が湧き出てくる。車からスーツケースを下ろし、雨の中を駅構内に駆け込む。切符の自動販売機に身体を密着させ、雨を避けながら切符を買いホームに入る。通勤時間が過ぎているせいか電車は空いていた。
午後二時二十分に、大阪空港から成田へ飛び立つ。いつの間にか雨は上がり曇り空だった。雲の中を通過するとき機体が上下に揺れた。雲の上は真っ青な空が広がっており、下界との違いを見せつけられた。眼下には白い綿を敷き詰めた雲海が広がっている。
 東京に近づくと機体は高度を落とし雲の中に潜る。また機体が上下に小さく揺れ、そして大きく揺れた。成田空港はどんよりした暗い空から雨が降っていた。
 機体から降りるとターミナルに向かうバスが待っていた。初めて見る空港はやはり広い。建物が障害になって全景が見渡せない。
成田空港からシャトルバスで宿泊先の成田全日空ホテルに向かう。ホテルに着いたのは四時三十分だった。今回の視察研修に参加してる者は、このホテルに宿泊しているはずである。
 ホテルのレストランで食事をしたとき、前のテーブルに一人黒いスーツを着た女性がいた。
 夕食の後、この研修に参加している職員が、一堂に集められ、厚生労働省の担当者から研修に関する説明があった。十名の名簿が手渡された。氏名と所属が書かれていて、その中に女性が三名含まれていた。
 簡単な団結式と自己紹介があり、団長と副団長が決められた。すべて事務局の指名である。
「このたび、視察団の団長に指名されました、本省の社会援護局総務課の峯川敬介です。年齢は三十五歳、よろしく」
 敬介は私と同年齢だった。濃紺のスーツに、髪を七、三に分け、いかにも頭が切れそうに見える。
「副団長に推薦された関東信越厚生局福祉指導課の夏村有香、三十二歳独身です。よろしくお願いします」
 レストランで見かけた女だった。パンツスーツが、引き締まった体型を表し、髪を後ろで束ねキャリアウーマンの感じを受ける。十人すべてが初対面だった。みんな形式的な挨拶を繰り返すだけで本心を相手に見せない感じだ。

 十一月十五日(火)
 カーテンの隙間から朝日が射し込んでいた。昨日と違って今日は良い天気のようだ。ほとんど眠れなかった。しかし、体調はいい。目をこすりながらテレビのスイッチを入れると、十数年前にエジプトで起こった乱射事件が放映されていた。日本人六人が死亡したとのことである。死亡した中には添乗員も含まれていた。過去の事件であっても少し不安がでてきた。少々税金が高くても治安の良い安全な生活が送れる日本が、ありがたい気持ちになる。
 午前十時五分、ホテルからシャトルバスで成田空港に向かう。他の宿泊客も一緒だった。
成田空港で案内役として添乗員の深見氏を紹介される。搭乗までの待ち時間の中では、テレビに映し出されていたエジプトの乱射事件が話題にのぼっていた。
 十二時四十五分発コペンハーゲン行きに搭乗する。今から十一時間あまり機上の人となる。幸運かどうかわからないが窓際の席に座ることができた。
「失礼します」女の声が聞こえると同時に、パンツスーツの女が隣に座ってきた。私はどきっとした。有香だった。
 私も挨拶を返した。しかし、言葉が続かない。彼女の匂いが鼻孔に流れ込んできた。気持ちが高揚するのがわかる。気持ちを落ち着かせるために目を瞑った。
 それでも十数時間無口でいるわけにはいかない。そのほうが苦痛である。
 飛行機が振動と共に飛び立つ。成田市周辺が見え、そして千葉沖の太平洋が見える。機体は旋回して日本上空を通過し日本海に出る。シベリア大陸に向かっていた。機内のハイビジョン画面に飛行機の速度が掲示されていた。今の速度は時速九百キロだった。
 有香はバックから視察先の資料を取り出し、目を通していた。
一時間ほど経ったころに、気圧の関係か頭が痛くなってきた。五年前、シンガポールへ行った時のことが頭の中に浮かんだ。あの時は熱が出て寝込んでしまい現地の医者に往診をしてもらった。異国の地で不安な思いをした。あれ以来の海外旅行である。今回は頭痛薬をはじめ解熱剤や栄養剤、その他必要と思われる薬をすべて持参してきた。
 機内食が出された。チキン飯とソバにパンだった。視察研修のことを考えると、体調に万全の気を使わなければならないのに、少し食べ過ぎ腹が張る。妻から食べ過ぎに気をつけるようにと、口やかましく言われていた。足下に置いている手提げ鞄から、薬袋を取り出し胃腸薬を飲んだ。
 今まで窓から雲海しか見えていなかったが、雲が流れ地上が見えだした。「これはまさしくシベリアだ!」作家の山崎豊子が書いている『不毛地帯』が頭に浮かぶ。広大な山々が眼下に広がり、高い山の山頂には雪が覆い被さっている。凍り付いた森林の間を大きな川がくねくねと曲がっていた。人が住める所ではない。
 六十数年前の終戦時、ソ連の捕虜になった日本兵が強制労働をさせられたシベリアだ。多数の死者が出たのがわかる気がする。労働者は過酷な自然と強制労働に耐え、また貧弱な食事で生命を維持しなければならなかったのだ。それに耐えられない者は容赦なく淘汰されていった。そんな思いが脳裏に浮かぶ。
 飛べども飛べどもツンドラの原野が続く。たまに湿地帯なのか山がなくなり、川と沼が見える。初めてみるシベリア大陸に感動する。機外の氷点下何十度という寒さが機体を通して入ってくる錯覚を覚え、機内が少し寒くなってきた気がした。
隣の彼女と話すきっかけをつかめないまま、持ってきた黒岩重吾の『幻への疾走』を読んでいた。文庫本で八百枚近い長編である。黒岩文学には、弱者が弱者にとどまることを明確に拒否する人間像の追求がある。そこが共感を呼び引き込まれる。
 本を読んでいて気付かなかったが、いつの間にか隣の有香は座席を少し倒し目を閉じていた。眠っているようだった。白い肌に適度の登り勾配の鼻筋、真っ黒なストレートの黒髪が、肩口を隠すように覆っている。黒のスーツの上からでも想像できる盛り上がった胸、パンツから二本のすんなり伸びた脚がスタイルの良さを物語っていた。
彼女が目を閉じているので気兼ねなく観察することができた。昨夜洗ったと思われるさばさばと光沢を放つ髪と、ほとんどわからない薄化粧、それに白いブラウスの襟元が清潔感を感じさせる。座席を倒すと、隣の女と添い寝をしているような錯覚を覚える。そして、かすかにシャンプーのさわやかな匂いが、鼻孔に流れ込んでくる。
なおも食い入るように見つめていると、口の中に唾液が滲み出てくる。彼女の方に顔を向け眠ったふりをし、鼻を近づけ女の匂いを嗅いだ。心臓がばくばくと勢いよく唸っている。なぜだろうかと自問してみた。答えはすぐに見つかった。
 それは有香が好みの女性だったからである。白いブラウスに黒いスーツが似合う清楚が漂う女性を見ると、身体の芯が燃えてくる。腕に力が湧き出てきて思い切り抱きしめたくなる。
 過去の経験から感じたことだが、エリートを意識した知的で鼻っぱしが強い、難攻不落と思える女性を陥落させたときの満足感、充実感は男冥利につきる。男でよかったと心底思う。
 ふと目をあけたとき、彼女が目を開きこちらを見ていた。これには驚いた。どんな顔をしていいのか。格好悪さから咳払いをして窓際に体位を変えた。
 機中の人間となって九時間ほど経ったころに、どこまでも続く雲海の間から海が見えてきた。バルト海のようだ。やはりヨーロッパは遠い。
現地時間で午後四時三十分に、デンマークのコペンハーゲン空港に着く。鈍い灰色の空は空港を薄暗くさせていた。
 有香とは彼女の匂いをかいでいたときに、視線が合ってから、会話を交わしていない。相手が腹を立てているのではないかと思うと、声をかけられなくなってしまった。
ストックホルム行きに乗り換えた。もう日が暮れ辺りは暗かった。午後六時三十分、ストックホルムの空港に到着する。
ホテルに向かって四十キロの距離をチャーターのバスで、オレンジ色の水銀灯に照らされた高速道路を走る。両脇に岩盤が突き出している。この国の表土の下は固い岩盤だそうだ。ストックホルムの中心街に入ったが 、大阪や神戸に比べるとネオンが寂しい。
 ホテルに着いて、部屋割りが添乗員から伝えられた。私は個室を要望していた。一人部屋の方が余分な気を使わなくてもよい。今回の研修で個室を申し込んでいたのは、敬介に、有香、それに私の三人だけだった。
 すぐに夕食を取ることになった。ホテルの七階が隣のアイスホッケー場に続いており、場内のレストランでアイスホッケーを観戦しながらの食事だった。
 同じテーブルに敬介と有香なども一緒だった。有名なチームの試合だったらしく随所で歓声が起こっていた。機内食を食べてから、あまり時間が経っていない。目の前の脂っこい肉料理よりも口当たりの良いワインに手が伸びた。
「長時間飛行機に乗っていたので、疲れたでしょう」
 ホークとナイフを置き、有香に問いかけた。彼女も手を止め視線を返してくる。そのとき、また歓声があがった。人気チームが得点したのだ。私たちはつられるように視線を試合会場に向けたが、すぐに戻した。
「ワンプリーズ?」
 横からワインを持ったボーイが声をかけてきた。グラスが空になっていた。軽くうなずきテーブルの端にグラスを置き直すと、ボーイはワインを注いで戻っていった。
「スウェーデンは、アイスホッケーが盛んなんだ。日本のプロ野球と同じだよ」
 敬介が口を挟んできた。
ベッドに入ってから、なかなか寝付かれない。脳裏に有香の顔が浮かぶ。何回も寝返りを打ち、朝方に一時間ほど軽い眠りに入った。

十一月十六日(水)
 スウェーデンの冬は夜間が長く昼間が短い。朝の六時でも夜がまだ明けていない。
 九時、午前中の訪問予定である福祉施設のサービスハウスに行くために、バスに乗り込み出発する。有香の表情を窺おうとして、視線が合ってしまった。横を向かれ軽く無視をされた。
「本日から視察にはいります。私たちが、今後の厚生行政を担っていくと言っても過言ではありません。そういった心がまえで……」
バスの中で団長の敬介が挨拶をしていた。みんなの顔を見渡しても、うなずきながら聞いている者などひとりもいない。車窓から北欧の景色に視線を向けたままだった。
道路脇には、肌色に塗られた外壁に山吹色の屋根が乗った五階建てのアパートが並んでいた。
「土地の値は坪いくらくらいするのですか」
 今日から出国するまで随行してくれる、現地通訳者に聞いてみた。
「スウェーデンは日本の一・二倍の領土があり、人口は逆に十三分の一しかない。それだけに土地の値段は日本とは比較にならないほど安いです。だから土地の値段ははっきりしません。家を買うとすべて土地込みの値段なのです」
 車窓から見える、広い敷地に建てられた家の景色から、日本にはないゆったりとしたものを感じた。
 予定されていた定刻より訪問にはまだ少し時間があるので、小高い丘に登ってストックホルムの街が一望できる景勝地にバスは停まった。
 バスから降りると冷気が身体を包んだ。スーツのポケットに両手を突っ込んだ。どんより曇った天候の中でストックホルムを望む。寒いが身が引き締まり気持ちがいい。湖のそばに建つゴシック建築の教会の尖った屋根が、ネズミ色に染まった空に突き出し、北欧に来たという感じを与えた。
私は一歩下がって丘に立った。自然に視線が有香を捜してしまう。一メートル前に有香が北欧の街を見下ろしていた。冷たい風が彼女の首筋から顔面をかすめて流れていく。肌に視線を集中させた。ほつれ毛が風の中を泳いでいる。見つめていると、また身体の芯が熱くなってくる。
 午前十時に市営のサービスハウスを訪問する。五十歳くらいと思われる女性の施設長が出迎えてくれた。小太りの彼女は笑みを浮かべ私たちに握手を求めてきた。
 職員からストックホルム市の福祉制度と施設の説明を受けた。スウェーデンでは大きく分けて福祉は市、医療は県という役割分担がされている。病院、地区診療所などは原則として県の責任において運営されていた。
 福祉サービス法によって福祉の実施主体は市であり、市内をいくつかの地区に分け、それぞれ福祉事務所が置かれている。
 職員の説明を聞きながら、有香の態度が気になった。すらりとのびた指先にペンを挟み、ノートに記録していた。彼女がそばにいると、身体が固くなる。意識をすればするほど口が重くなり、言葉を発せられなくなる。
「県と市の情報交換はどのようにされていますか」
 有香が質問をしている。赤く塗られたルージュがどきっとさせる。
「仕事の中で、県と市が競合する部分があると思うのですが、押しつけあうことはないのですか」
 今度は敬介だった。有香の質問に対する援護射撃に聞こえる。ここで何かを質問して、ポイントを稼いでおきたい気持ちになるが、なかなか思いつかない。
 次に訪問した施設はケアハウスである。ケア付き住宅とも呼ばれ、あまりケアを必要としない高齢者のためのアパートで、福祉サービス及び入所の決定は福祉事務所が行っている。入所者の平均年齢は八十五歳であった。現在、入所希望者が多く、三、四カ月の待機状態が続いている。
 死亡した親族のいない入所者の財産は、市が引き取ってオークションにかけている。最後に施設内を見せてもらうことができた。
 ここでも彼女はノートにメモを取り、真剣なまなざしで聞いていた。
「日本では民間法人の福祉施設建設には補助を出しておりますが、スウェーデンではどうなっておりますか」
 先ほどの訪問先での失点をばん回しようと質問した。有香に視線を送ったが無表情だった。
「スウェーデンでも民間には補助を出しています」
 施設側の回答はあっさりしたものだった。
 施設を出たときは一時を過ぎていた。遅い昼食は地下の洞窟を利用した、テーブルが十ほどある小さなレストランだった。ロウソクの灯りの下にトナカイ料理が並べられていた。
「この国の地質を生かしたレストランですね」
 目の前の敬介に話しかけた。
「本当に堅そうですよ」
 彼は手が届く、近くの黒く光った岩盤に触れていた。
 午後は自由行動で、全員が現地通訳者の案内で郊外を見学することになった。地下鉄と二台の車体をゴムでつないだ路線バスを乗り継いだ。
郊外は、市街地では見られない林の中に点在する住宅街を見ることができた。住宅街を走る道の両側は土が高く盛られ、騒音等を遮断する配慮がなされていた。まだ三時だというのに辺りが薄暗くなってきた。
 六時から二階建てのバスに乗り込み夕食に行く。連れて行かれたのは湖畔のレストランで、料理は仔牛のステーキ肉だった。半分だけ食べて残した。胃がもたれて食欲がわかない。他の者も残している者が多かった。

十一月十七日(木)
 朝一番、有香に「おはよう」と声をかけた。少し控えめな声で「おはよう」と返ってくる。それだけで今日一日が楽しくなる。
 妻のある男が、こんなちっぽけな出来事に一喜一憂している。こんな自分を恥ずかしいと思うし、反対に異性に興味を失ったら人生は終わりだと、開き直る気持ちにもなる。
 最終的には、女性と一線を越えなければ許される範囲だと、身勝手な判断で自分の気持ちに決着をつけた。
 ホテルの外に出ると、雲のないネズミ色の空だった。この時期ほとんど太陽を見ることがないらしい。
 午前中、茶色の大きな建物でノーベル賞の授賞式が行われるストックホルム市庁舎を見学する。ノーベル文学賞をもらった大江健三郎が、たどたどしい英語で演説を行った場所で写真を撮る。舞踏会を行った部屋などを見て回った。
 次に旧市街地を見学する。煉瓦造りや石造の建物が国の保護によってほとんど残されていた。王宮なども見学した。
「王宮と宮殿は、どう違うのですか」
 質問をした。王宮とは国王が執務を取るところ。宮殿とは国王のプライベートな場所ということだった。
 有香が近くにいると意識をしてしまう。妻のある男が他の女性を好きになってはいけないという否定的な意見もあるが、人生はやはり張りがあった方がおもしろい。
 日本料理店で昼食をとる。ご飯と焼魚にみそ汁。私にとっては最高の昼食である。スウェーデンでは米の収穫ができないので、ご飯はカリフォルニア産米ということだった。やはり日本人は日本食がいい。少し食べ過ぎた。
 バス停のところでバスの乗降口が油圧で下がるのを路線バスの運転手に頼んで見せてもらった。高齢者や障がい者が乗降しやすいようになっていた。福祉国家として細かいところまで、目がいき届いている。
 空港に向かってバスは高速道路を走る。空港は雨が降っていた。ストックホルムからイギリスに向かって飛び立つ。
 午後四時五十五分ロンドンの空港に着く。やはり雨が降っていた。空港からロンドン市内の宿泊地であるホテルまで、まっすぐに延びた高速道路を走る。ホテルの部屋に入ってから疲れていたのか三十分ほど、うとうととベッドの上で眠ってしまっていた。
 八時からホテルのレストランで夕食をとり、部屋に帰って寝る。眠りは浅い。

十一月十八日(金)
 今日も朝一番、有香に近づき挨拶を交わすことができた。それだけで心がうきうきとする。
 有香が他の男から声をかけられているのを見かけると、気持ちが動揺する。好みの女性だからといって、男性と話をしているのに、いちいち焼き餅を焼いていたら、こちらの身体がもたない。そんな言い訳の気持ちで自分を慰めた。
 九時に小型バスに乗ってロンドン市内に出る。今日は曇っていたが、たまに太陽が顔を出していた。
 戦前の石造建築物がたくさん残っている。ここでも規制で保存がされていた。内部改造しかできないらしい。タワーブリッジを通る。
午後二時十五分視察先であるダイアル・ア・ライドを訪問する。
ダイヤル・ア・ライドでは福祉交通システムを見ることになっていた。高齢者や障がい者の移送サービスである。担当職員から業務の内容の説明を受ける。
 イギリスでは県と市町村に上下関係はなく、違った機能を補う関係にある。高齢者福祉という面では県が社会福祉全般について担当し、一方高齢者住宅などの住宅施策は市町村が担当している。
最後に移送サービスに使用しているリフトカーを見せてもらう。リフト付きのワゴン車といったところだ。説明を受けている途中に寒気がしだした。トイレで風邪薬を飲む。
 五時頃ホテルに帰ってくる。七時半からホテル近くのレストランで夕食をとる。イタリア料理だったが、風邪薬を飲んだせいか胃の調子が悪く、ほとんど食べられなかった。無理をして食べようとすれば、吐き気を起こしそうになる。もったいなかったが、ほとんど手をつけずにいると、店のマスターが気を使ってスパゲティを出してくれた。これもほんの少し食べただけで残してしまった。
 有香の姿が見えないと思っていたら、体調を崩したらしくホテルに残ったままでレストランに来ていなかった。
 九時にホテルに帰る。有香の部屋へ行って、身体の様子を知りたかったが、夜遅く女性の部屋を訪れることに気がひけた。

十一月十九日(土)
 昨夜はほとんど眠れなかった。朝食の後、ホテルの周辺を散歩する。
 近くにイスラエル大使館があったのでカメラを向けると、ポリスマンが近づいてきて、だめだとジェスチャーで示した。テロ防止のために写真は禁止されていた。パレスチナとの紛争からテロを警戒しているのである。
ホテルに帰ってみると、敬介が有香らを誘って大英博物館に行こうとしていた。ここは黙っていられない。みんなの中へ入っていった。有香の体調は快復したみたいだ。
 大英博物館に行くため、四人と添乗員で地下鉄に乗る。列車は小さくホーム自体も狭苦しいものだった。土曜日のせいか人出が多い。五番目の駅で降り大英博物館へ歩く。
 中に入ってもあまりの大きさに見る場所を決めなければならない。すべて見ようと思えば丸一日あっても時間が足りないだろう。まずエジプトのミイラを見て、日本の展示物を見る。地図を持って歩かなければ迷ってしまいそうである。
午後はウィンザー城の見学をする。途中雨が降ってきた。城にはユニオンジャック旗ではなく、エリザベス女王の旗が揚がっていた。女王がこの城に居られる意味である。
雨の中傘をさして城内を見学する。雨がなければもっとゆっくり見れたものを少し残念。
 夜寝ていると、のどが痛くなり鼻が詰まり、昼間の疲れがでてきたのか不安になる。まだ旅行行程のちょうど半分である。途中で帰るわけには行かない。持ってきたのど飴を口の中に含み寝る。朝まで少しうとうととした。

十一月二十日(日)
 午前四時、モーニングコールがかかる。今日は六時出発である。五時頃ドアがノックされ開けるとウエートレスが立っていた。部屋までパンとコーヒーが運ばれてくることを、事前に聞かされていなかったので、早朝にドアをノックされ、びっくりした。
 九時、ドイツに向かって飛び立つ。時差で時計を一時間早め、十一時三十分曇り空のフランクフルトに着く。ハブ空港らしく乗り換え客が多く混雑していた。
バスで高速道路をローテンブルクに向かって走る。途中農村地帯を走り、草原の中に農家が見える。急勾配の屋根に茶色の瓦だった。バスの中で横になって少し身体を休めた。
今夜の宿泊地であるホテルに着く。こぢんまりした家族風のホテルだった。午後七時から一階で夕食を取る。食後に外を散歩し夜景を見た。
偶然ホテルの玄関のところで有香と出会ってしまった。少し焦った。何かを喋らなければと思う。彼女も一人だ。こんなチャンスなんて、研修中にあるかどうかわからない。
「少しお話をさせてもらってもよろしいか」
 丁寧に言葉を選んで声をかけた。
「はい?」 
 彼女の視線がまぶしい。
「施設を訪問したときは、熱心に質問をされていましたね」
「そんなことありません」
 有香は顔の前で、謙遜するように手を振った。
「日本の福祉制度はヨーロッパに比べたら、やはり遅れていますよね」
話の中身なんてどうでもよかった。彼女と話がしたいだけなのである。
「そうですね。でもそれだけお金をかけているだけあって、消費税が高いですから。日本も同じような制度をしようと思えば、消費税を上げないとできないと思います」
 彼女との話が本格的になってきた。
「その通りですよね」
 私は相づちを打った。
「もうホテルに入りましょうか」
 有香の言葉に少し残念な気がした。
「夜寝れますか。私は眠れなくて、頭がぼうとしています」
 少しでも話をしたい気持ちだった。
「眠剤持っていますよ」
 その日の夜、有香が持ってきていた眠剤と抗生物質の風邪薬をもらい飲む。風呂に入って頭を洗いベッドに入る。薬が効いたのか朝の六時までぐっすり眠ることができた。

 十一月二十一日(月)
 昨夜はよく眠ったので体調は良い。外は寒そうだが好天気だ。
 午前九時から女性のドイツ人ガイドに案内してもらい、ローテンブルク市内を見て回る。非常に底冷えのする寒さだった。
 有香は襟元に毛が付いたベージュのコートを着ていた。ガイドの横に付き説明する内容をうなずき聞いていた。気に入った箇所があるとカメラのシャッターを押している。
 寒風にそよぐ黒髪が顔に巻き付いていた。それをしなやかな指でかき分けている。
 日本に帰ったら連絡をして会いたいが、関東と関西では遠距離だ。本省への出張といってもそんなにない。せいぜい年に二、三回程度だ。交通費が高くつくなあと、ガイドの説明する古城を見上げながら、そんなことを考えていた。
 昼食は各自で取ることになっている。敬介が全員に声をかけ、街中のレストランに入ってパスタを食べることになった。彼は団長としての意識過剰なのか、私的なことまで取り仕切ろうとする。昼食は自由行動をとりたい気もしたが、ほとんどの者が敬介に賛同したので仕方がない。
 途中、有香と立ち話をする機会に恵まれた。彼女はペットボトルの水を持参していた。水分を常に取っていると体調がいいと教えてくれた。
 午後一時三十分、バスに乗り込み、ミュンヘンに向けてロマンチック街道を走る。有香の助言で水分を沢山取ることにした。水を買いバスの中でちびちび飲む。車窓から、頂上付近に雪化粧した山並みが見えた。四時にミュンヘンに着く。ホテル前の道路は、車道の横に歩道と自転車道が別々に造られていた。

 十一月二十二日(火)
 朝食をホテルのレストランで済ませてから、職場に電話をかけた。課長が出たが余分なことは喋らず、急用がないことだけを確認して電話を切る。
 十時、福祉施設である高齢者サービスセンターを訪問する。二名の担当職員から施設の状況、またドイツにおける介護保険制度について説明を受ける。
 高齢者サービスセンターは、日本でいう高齢者福祉センターと同じような仕組みになっていた。違うところは、在宅の高齢者が朝食として、パンと牛乳を自由に食べに来たり、また相談にも来れるとのことである。費用は無料となっていた。
 サービスセンターで暖かい食事を提供することや自宅へ給食サービスをすることによって、高齢者ができるだけ自宅で老後を過ごしやすくしている。特に年齢制限はしていない。高齢者だと思われる人は受け入れていた。
 みんな関心が高く質問がよく飛び出し、当初予定していた二時間が超過してしまった。
 午後は市内観光をする。ミュンヘンはバイエルン公国の首都だった。バイエルン国王の宮殿ニンフェンブルク城を見る。大きな庭がある広い城だった。
 六時三十分から大衆酒場で大ジョッキのビールと焼豚肉を食べてホテルに帰る。部屋のテレビで有料のエロチックビデオを見る。セックスシーンでは、モザイクはなく、日本との違いを見せつけられた。

 十一月二十三日(水)
八時、空港に向かってホテルを出る。途中霧が深かった。頭が少し痛くなってきた。風邪がぶり返しているのかもしれない。
 ウィーンに向かって飛ぶ。機内は空席が目立つ。約一時間で着いた。オーストリアもやはり寒かった。バスで市街へ。途中中央墓地に寄りベートーベンやシューベルトの墓を見学する。
 午後はガイドの案内で市内観光。ベルヴェデーレ宮殿を見る。近くに日本大使館があった。そしてもう一つのお城シェーンブルン宮殿に行った。ここはハプスブルク家の宮殿で、フランスのルイ十六世の王妃でありフランス革命で処刑されたマリー・アントワネットの生まれ育った宮殿だった。中はまばゆいほどの華やかさで、一九六一年のケネディ・フルシチョフ米ソ会談の舞台として、世界史に記されているところでもある。
宮殿の豪華さには圧倒され、当時の権力と富を持つ者を象徴する建物だった。
有香を視線で追った。後ろから華やかな宮殿に吸い込まれるように視線を這わせていた。何回も来れないと思うと、しっかり目に焼き付けている仕草に映った。
 有香という女性と同じ研修に参加できたことがラッキーだった。彼女が側にいるだけで、どことなしに気持ちが高揚して、緊張感があり張りのある毎日になる。
 宮殿の外では、寒さ対策としてコートやマフラーが必要だった。暗くなってから宿泊地に着く。

十一月二十四日(木)
 午前七時頃起きる。外はまだ薄暗い。今日も決められた視察研修をこなさなければならない。研修内容を日本版にアレンジして運用していくのが私たちの役目である。のどの違和感を覚え、風邪薬を飲んだ。
 九時十五分、ホテルをバスで出発し、ウィーン市の社会局へ向かう。市社会局は市内二十四か所に分散し配置されていた。その一か所を訪問し、担当職員からウィーン市の福祉施策の説明を受けた。
 ウィーン市では二万四千人が在宅介護を受け、一万人の高齢者が施設に入所している。
 社会サービスの拠点として、社会福祉事務所が各地区で拠点となって福祉や介護を提供している。
 在宅サービスとしては、ホームヘルプ、ショートステイ、デイサービス、給食サービスで内容的には日本と同じであった。
 大きく違うところは、介護の必要な高齢者や障がい者の世話をする家族の者に対し、介護金支給制度が採用されているということである。
 研修が終わった。毎日、各国の社会保障制度を頭に詰め込まれ、パンクしそうだったが、やっと解放される。
 十二時半から昼食。場所は日本料理店で、天ぷら定食だった。外国で食べるご飯とみそ汁はおいしかった。昼食後ホテルに戻りスーツ姿からラフな服装に着替える。
二時二十分全員で外出し地下鉄に乗る。オーストリアでは改札がないのには驚かされた。切符を買えばフリーパスで改札口を通り抜けられる。駅員はいない。
自由行動で路線電車に乗って市庁舎のライトアップを見に行く。絵はがきのように暗闇の中に浮き出ていた。また屋台も出て人出も多かった。
 戻ってオペラ座の通りを歩く。シュテファン大聖堂の前に立つ。ゴシック建築で百三十メートルもの高さがあり、そびえ建っているという感じで、圧倒される高さである。時間があったので喫茶店に入りコーヒーを飲む。
 午後七時からシュテファン大聖堂の近くにあるレストランに入る。ハンガリー料理で赤ワインを飲み仔牛の肉を食べる。半分ほど残してしまった。
 九時三十分に店を出る。霧雨が降っていた。地下鉄に乗ってホテルに帰る。少し疲れたのかベッドの上で少し眠っていた。風呂に入らずに寝た。

 十一月二十五日(金)
午前七時起床、今日もバイキング形式で主に日本食を食べる。スクランブルエッグを作っていた料理人の横に置いてある生卵を一つ割って飲んだ。目の前の注意書に気がつく。生卵にはサルモネラ菌が付着している可能性があるので、加熱が必要とのことだった。不安になり添乗員に確認をとったが、あまり気にしなくてもよいと慰められた。今日も風邪薬を飲む。
 九時、『ウィーンの森』へ出発する。ウィーンの森という名前だから、緑の森林を連想していたが、行ったところは普通の見栄えのしない雑木林の山だった。六甲山を見ているのと同じである。山の頂上からウィーンの市街が一望できるはずだったが、あいにく一面霧がかかり何も見えなかった。残念だが仕方がない。
 山を下り、ベートーベンが一時、耳の湯治で住んでいた記念館に行った。ベートーベンはドイツのボンで生まれていた。
午後一時から各自自由に昼食を取ることになった。食べ物を自分で取るバイキング形式の店に入って食べた。一般の大衆食堂といったところだ。午後は路線電車で市内を一周する。市庁舎、美術館や街並みを見ることができた。
 五時にオペラ座近くの中華料理店で焼きそばを食べる。ヨーロッパでは無料の物はない。水一杯飲んでもお金がいる。
 夕食を済ませると、今日でヨーロッパ視察は終わりであることに寂しさが湧いてきた。何か思い出を、それもだれもが経験できない思い出をつくりたかった。
 添乗員に近づき、思い出になる遊べるところがないか聞いてみた。添乗員と一週間以上も一緒にいると、いろいろ私的な話をするようになっていた。
 地下鉄で三つ先の駅で降りると、日本横町があって、飲めるところや食べるところがあると教えてくれた。
ヨーロッパ最後の夜である。外国で日本の匂いを嗅いでみたい気になる。少し羽目を外すことにした。誰か仲間を誘うかとも思ったが、気の合う者がいない。一人で行くことにした。
 地下鉄の駅を降り階段を上がると、ネオンが輝いているところに出た。大通りから脇道の角に、『日本横町』というネオンを見つけ、露地に入って行った。両側に日本語の看板や暖簾を掲げている店が並んでいる。
ラーメン屋や寿司屋があったが、すでに夕食は済ませており、食べる気にはならない。『スナック大阪』の看板が目に入り、懐かしい気がした。大阪に帰ってきた感じだった。思い切って木のドアを手前に引き、半歩身体を中に押しやると、薄暗さの中に赤いネオンが目に入った。
入り口はさほど広くはなかったが、入ったところからカウンターがあり、二十人ほどが座れる奥行きのある店である。客はいなかった。オーストリア人と思われるバーテンがグラスを磨いていた。視線が合うと、笑みをつくりカウンターの真ん中あたりの席をすすめた。すすめられるままに腰をかけ、店内を見回していた。
 奥から笑みを浮かべた女が近づいてきた。
「いらっしゃい。お仕事? 観光?」
 上手な日本語だった。一瞬自分の目を疑った。視線が彼女に釘付けになる。有香に似ているのだ。年齢も同じくらいに思えた。
「驚かれた顔をして、どこかで会ったことがあったかしら」
そう言って、女は視線を外さない私を見返してきた。女は冴子と言った。日本人である。この女が気に入ってしまった。有香にそっくりで、それに着物が似合っていた。ヨーロッパまで来て着物の似合う女性に出会うとは思わなかった。着物の美しさが心の中にしみこんで、綺麗な女に見える。水割りを注文した。
 私が大阪から来たことを伝えると、大阪は出身地で、今でも母親が住んでいると、女は懐かしそうな表情を浮かべて話しかけてきた。
 こんな遠い異国で同郷の女と出会ったことで親近感を覚え、無防備な男になってしまった。
 彼女と会話を交わし、グラスを重ねていくうちに、私は女にのめり込んでしまった。目の前の女が有香に似ていなければ、この女の身体を求めなかった。

目を見開くと、私は事務所らしき所にいた。ビルの一室に引っ張り込まれたらしい。部屋の奥に両袖の机があり、ボスらしき男が私にいちべつを送ってから、窓を見たままこちらを向かない。男は日本人だった。
 飲み過ぎて頭がボーとしている。冴子とホテルに入ってベッドインしたところまでは覚えている。それ以降の女との関係が、はっきりしない。
 身体を揺らされ目が覚めると、知らない男の顔が目の前にあった。服を着せられ無理矢理連れて来られたのだ。そのとき冴子が一緒だったかはっきりしない。まだ頭がぼやっとして霞がかかっている状態だ。
 頭がはっきりしてくると、部屋の中に冴子がいることに気がついた。なぜこの場所に彼女がいるのかわからない。
 細身の身体に着物をまとった冴子が部屋の隅に立っていた。
「おれの女に手をだしやがって、どう落とし前をつけるんや」
 ボスが凄んでみせた。関西弁だった。
「もう女に手を出せぬように金玉を潰してやる」
 ボスは口にくわえていたタバコを私に投げつけてから、部下に首を振り、指示をだした。
 男たちは私の両手を取り、もう一人の男は、私の股間を蹴りあげた。一瞬目の前が真っ黒になり、下半身部分に熱い物がくい込む痛みを覚えた。
 下半身部分を押さえ、床を転げ回った。痛さ半分、不安が半分脳裏を駆けめぐる。もうこのまま殺されてしまうのでは……。自分ではわからないが、目が充血していることだろう。
 ボスが冴子に何かを言っている。
「男と遊びやがって」
「わたしは、あんたの女じゃない。だれと寝ようと、とやかく言われる筋合いはないわ」
冴子が言い返している声が聞こえた。
「なぜおれに黙って男とホテルに行ったんだ。バーテンから連絡があったからいいようなものを……ひとりでこの男から金を巻き上げようと思ったのか……まさかこの男に惚れたんじゃないだろうな」
 彼女は黙っていた。ボスは顔の表情をしかめてから、部下に指示をだした。部下たちが私に近づいてくる。
 恐ろしさのあまり、失禁していた。殺されると思った。
「冴子、助けてくれ」
 泣き声になっていた。もう頼れるのは彼女しかいない。そばにきた男たちの顔が殺気だっていた。
「やれ!」
 ボスが怒鳴った。みぞおちを蹴り上げられ息が止まってしまった。もう終わりだ。死ぬのか。死にたくない。
「助けてくれ」
 最後の声を振り絞って出した。もう終わりだ。
「やめて!」
 どこかで叫ぶ声がした。女の声であることしかわからない。
「どうすれば、この場を丸く収めてくれるの」
 また、女の声がした。冴子の声であることがわかった。
「本来なら儲けの金は折半だが、今回はおれを出し抜いた罰として全額おれがもらう」
 ボスはゆっくり、もったいをつけて喋っている。
 身体中に痛みを覚える。かろうじて聞き取れるやりとりの声。お金は要求された分を支払おうと思った。助かりたい。ただそれだけだ。ボスと冴子の話がうまくいくことを願った。
「…………」
女は黙っていた。うなずいたかどうかはわからない。
「なめるんじゃない!」
 ボスの声が室内に響いた。
「あの男の命は、おれがあずかっているんだ。殺すのも生かすのもおれの手の中にあるんだ」
 凄みのある声。私は震えあがった。瞼が少しふくれあがり、見えにくくなった。瞼を大きく見開いて、二人のやりとりを見ていた。
私の命は冴子にかかっている。生まれ育った田舎の黄金色に輝く稲が脳裏に浮かんだ。開発の波が押し寄せていない田舎が好きだった。
 少し冷静になってくると、冴子が私を助ける理由がないのではないか。そう思った瞬間に心が凍った。
 彼女とボスが何か言葉を交わしているようだったが、絶望感に打ち負かされ、何も聞こえない。腫れた瞼の隙間から涙が零れた。
「わかった。それで手を打とうじゃないか」
 ボスの声だった。言っている言葉の意味を理解するのに、少しばかり時間を要した。
「おまえは、わしの女に手を出したんだ。落とし前をつけてもらわなければならない。指を詰めてもらおうか」
 ボスが近づいてきて、床に打ちのめされていた私の耳元に、タバコ臭い息を吹きかけながら言った。ボスの後ろから部下たちが、にやけた顔で私を見つめている。
「お金なら差し上げますから、それだけは勘弁してください」
必死だった。ジャケットの内ポケットに入れていた財布を、ボスの前に突き出した。
「足らない分は、財布の中にあるクレジットカードで払います」
 私の言葉に、拾い上げた財布の中を確認しながら、ボスはうなずいていた。部下が差し出した紙切れに、言われるままに暗証番号と宿泊しているホテル名を書き込んだ。
「もういいんじゃない。解放してあげたら」
冴子の声だった。不安に包まれていた私には、彼女が味方に思えた。
「カードから金が引き出せなかったら、どうなるかわかっているだろうな」
 ボスは冴子の言葉を無視し、脅しをかけてきた。
「大丈夫ですから……」
 私は頭を前後に何回も振り、弱々しく答えていた。
「話が済んだのなら、彼をホテルまで送って行ってあげていいかしら」
 彼女がなぜ私をかばってくれるのか。送ってもらうことはうれしかったが、彼女の態度が理解できなかった。
「だめだ!」
ボスの大きな声に、振り出しに戻らないか不安になった。
「それなら少しばかり、彼と話をさせてちょうだい」
 そう言って冴子は私の側にやってきた。彼女はメモ書きを私に渡した。そこには大阪の住所と女性の名前が書かれていた。
「ここに書かれてれているのは、母なの。大阪に独りで住んでいるの。身内もいないし、暇なときでいいのだけど、たまに覗いてやってほしいの。たぶんわたしは日本に帰れないと思うから。こんなことあなたに頼んでもいいかしら」
 彼女の手を握り返事をしようとしたが、声が震え言葉にならなかった。
「必ず覗きに行きますから……」
 必死で声を絞り出した。
 彼女は笑みを浮かべ軽くうなずいた。その笑顔が女神に見えた。冴子は別室にボスと消えていった。そして私はビルの外に解放され、タクシーでホテルに帰ることができた。
 タクシーに乗ってから、しばらくの間、波打つ鼓動が治まらなかった。お金はホテルに置いてある分で、帰るまでは何とかなる。クレジットカードは日本に帰ったら廃止することにした。

 十一月二十六日(土)
 午前六時に起きる。身体中が痛んだ。風邪気味はどこかに飛んでしまっていた。一晩中氷で顔の痛みのところを冷やしていた。
 敬介から顔の腫れを聞かれたが、酔っぱらっていて、男に絡まれてどつかれたと答えた。昨夜の出来事は封印をした。
 朝食に行ったが、蹴られた後遺症なのか腹部に、まだ鈍い痛みが残り食欲がわかない。有香が風邪で微熱があり、部屋から出られないとのことで、部屋に食事を運んでいた。体調が悪いらしい。
八時四十五分、空港へ出発をする。今日も空が曇っていた。有香は顔に疲労感を漂わせていたが、何とかみんなについてきていた。やはり長旅は体力が必要だ。男でも体調が万全な者は少ない。それなのに女性であればなおさら体調を崩す可能性は高い。有香のしんどそうな表情を見ると、こちらの気持ちも滅入ってくる。
 昨夜の出来事があってから、有香への気持ちが微妙に変化しだした。彼女に替わって、冴子の脳裏に占める比重が大きくなってくる。
 十一時四十五分、コペンハーゲンに向かって飛び立つ。機内食を少し食べる。もうヨーロッパに未練はなかった。十三日間で十分に満足した。あとは帰るだけだ。少し機内が暑かった。
午後三時四十分、コペンハーゲン空港から東京成田行きに搭乗する。帰りも窓際の席だった。違うのは隣が有香でなく男であった。これから十一時間余りの機上の旅が始まる。夕食である機内食が出てきた。腹が空いていたので食べることができた。
 持ってきていた松本清張の『草の陰刻』を開いた。文庫本で七百枚余りの長編である。読んでいても冴子と金を脅し取られた出来事が頭に浮かび、感情移入がなかなかできない。頭が冴えて眠ることもできず、結局一睡もせずに何とか読んでしまった。

十一月二十七日(日)
 太陽が昇り、窓の下にシベリヤ大陸が見えた。やはり広大なツンドラ地帯だ。
午前十時三十分東京成田空港に着く。ほっとする。 十三日間お世話になった添乗員の深見氏に礼を述べる。
空港ロビーの片隅に全員が集まって、形式だけの視察団解散式が行われた。団長である敬介の挨拶が終わると、みんなは互いに軽く手を挙げ別れの言葉を交わし、家路を急ぐように散ってしまった。別れとなると寂しさが沸き上がってくる。
 有香の姿も離れようとしている。しかしこのまま別れてしまえば、いつまた会えるかわからない。思い切って彼女に近寄って行った。
「メールアドレスを教えていただけませんか」
 少し声がうわずっていたが言えた。有香は突然の言葉に迷っている様子だった。
「用事があるときは、職場に連絡してください」
 彼女は私の目をみて、はっきりと言った。教えてくれるだろうと淡い期待を持っていたが、身体の力が抜けるのを覚えた。
「また、会っていただけませんか」
気を取り直して、思い切って気持ちを打ち明けたが、恥ずかしさもあり顔が熱くなった。
「…………」
有香は少し驚いた表情を見せたが、私を見つめたまま何も言わない。ただ表情が緩み、苦笑いとも思える顔をした。
 彼女の表情から、(妻のいる男が言う言葉か。あきれて返す言葉がない)と読みとれた。そう思うと頭の中が混乱してしまった。次の言葉がなかなか思いつかない。重苦しい空気が二人を取り巻いた。
「本省で、出会うかもしれませんね」
 この場のしらけた雰囲気を破ろうと、作り笑いをして何とか言えた。
「失礼します」
そう言って、有香は固い表情で離れていった。追いかけて再度聞く勇気が湧かない。もう恥の上塗りをしてまで声をかける気にはならなかった。別れなんかこんな簡単なものなんだと、自分に言い聞かせた。運があれば、またどこかで出会うであろう。そのときに再度アタックしてやると、自分を元気づけた。 
 十二時五十分全日空で大阪空港に向かって飛び立つ。シートに身を沈め研修内容を振り返ってみた。
 ヨーロッパでは日本と違い、県よりも市に大きな権限委譲がなされ、国、県、市の分担が明確にされていることである。
 高齢化が進んでいる各国とも、施設福祉は財政的負担が大きいとして、在宅福祉に重点が置かれていた。施策としては、ヘルパーの派遣、ショートステイ、デイサービス、配食サービス、移送サービス等、日本の福祉制度とほぼ同等の福祉施策が行われており、大きな違いはなかった。ただ実施方法が民間活力導入ということで、イギリスでは移送サービスを有限会社に委託していたり、ドイツでは民間介護保険が併用されていた。
 また各国とも、サービスハウス、サービスセンターといった施設が住宅街の利便性のよい場所に設置され、地域の高齢者や障がい者が自由に施設内の食堂や図書館等が利用でき、いつでも福祉サービスの相談が気軽に受けられる仕組みになっている。
 総合的に見て、日本の福祉施策が、ヨーロッパ各国に劣るとは思われない。それよりも税金の徴収率を考慮すると、日本の方が少ない税率で効率よい福祉サービスが提供されている気がした。
 今回、ヨーロッパ四か国の地域福祉を見る機会を得たことは、日本と対比ができ、逆に日本の住み良さ、特に水と治安が良いことを改めて感じ直した。
 負の収穫として、鼻の下を伸ばしたばかりに、怖い目に遭い、お金を取られる失態を演じてしまった。しかし、大きな怪我もなく元気に帰って来られたことを考えると、高い授業料を支払って社会勉強をさせてもらったと割り切ることができた。
 ウィーンで冴子から渡されたメモ書きは、財布の中にしまい込んでいる。時間ができたときに母親宅を訪ねてみようと思った。
 オーストリアに行く機会があれば、冴子に出会える口実ができたことになる。ただし次回は今回のような轍を踏まないようにしなければ……。
 眼下に大阪の街が見えてきた。十三日間視察研修で国外に出ていただけなのに懐かしく思えた。


 

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