日本で原発がこれほど多数造られるようになったのは、一九七〇年代のオイルショック以降のことだ。石油の値段が高騰して、日本のエネルギー政策をどうするかという議論の中で原発にシフトすることになり、田中角栄がいわゆる電源三法を作って原発立地の自治体に交付金という名の札束が流れ込むようにした。
そのころ理系の大学を卒業した私は、原発の理論を知っていることもあり、推進した方がいいだろうという認識だった。放射性廃棄物の問題を別にすれば理論は大変よくできていて、原発反対は原爆被爆国がらみで語られることはあっても、その危険性の声は全く耳にしなかった。私の同級生で日立の原子力部門に就職した者もいるくらいで、当時とすれば花形の分野だった。
トイレなきマンションと揶揄された放射性廃棄物の問題も、高速増殖炉が完成すれば核燃料サイクルが出来上がり、日本のエネルギー問題は解決するなどとバラ色の未来が語られていた。
それが暗転するのが、一九七九年に起こったスリーマイル島の原発事故である。何重もの防護設備で守られた原発が炉心溶融するような事故を起こすとはどういうことかと、私も注目していた。しかし、アメリカに調査に行って帰ってきた原子力安全委員長は成田空港の記者会見で、それを否定した。一次冷却水の分析からみて、炉心溶融は認められないし、そんなに大騒ぎするような事故ではないと。
その後、運転員の技術が未熟だったとか機器の故障はアメリカ製品の信頼性が低いためだとかの言説が流れてきて、日本では考えられない事故だということになってしまった。私もそういうことかと納得してしまった。
そして七年後の一九八六年、チェルノブイリの大事故が起こる。その時も、ソ連の原発は日本の軽水炉と違って黒鉛チャンネル炉で暴走しやすい特徴を持っており、それに運転員のミスが重なったため起こった事故で、本質的に日本では起こりえないとされた。専門家にそう言われて、また納得してしまった。
どうやらそうではないらしいと気づいたのは、一九九七年のことである。スリーマイル島の事故では炉心が溶融していたという記事をインターネットで見つけたのだ。あれと思い、瀬尾健という原子炉の専門家だが反原発学者の書いた『原発事故……その時、あなたは!』を買って読んだ。まさに、目から鱗の落ちる思いがした。それまで聞かされていた言説がすべて事故を矮小化するためになされてきたことを知ったのだ。
特にスリーマイル島の事故は、いつ日本で起こってもおかしくないと思わせるものだった。運転員は決して未熟ではなく、機器の故障に翻弄されながらも最善の手段を講じようとしていた。にもかかわらず、二次冷却系の些細な故障からメルトダウンに至り、原子炉が破壊される寸前まで追い込まれたのだ。
もし若狭の原発でスリーマイル島のような事故が起こって原子炉が破壊される事態になったら……、そう考えると私はぞっとした。そこから大阪までは一〇〇キロ程度の距離しかないのだ。原発で大事故があれば一〇〇キロの距離など、とても安全な距離とは言えなくなってしまう。
自分のこの気持ちをなんとかしたい、そう思って書いたのが、「せる」四十九号に載せた「立川平吉の日記から」である。
今回、福島第一原発で事故が起こった時、まさかと思ったのが正直な気持ちだった。小説に書いておきながら、こんな事故は自分の生きているうちには起こらないだろうと漠然と思っていたところがある。ECCS(緊急炉心冷却装置)が働けば、最悪な事故は回避されるから。
しかし、津波で全電源を失い、ECCSが働かないという報道を聞いたときには?然となった。私が福島にいたら、その報道だけで逃げ出していただろう。原発事故に関しては、アメリカもソ連も情報を隠し、小出しにし、矮小化しようとしていたことは明らかなので、日本政府だけが違う振る舞いをするとは考えられない。
実際、その後の経過を見ると、政府は同じようなことをしている。「立川平吉の日記から」では、主人公は政府の発表を信用せず、インターネットの情報に基づいて大阪脱出を決めるのだが、福島でも同じような行動を取っている人々が大勢いるようである。
ましてや、それまで一般人が受けてもいい被曝限度(年間一ミリシーベルト)を一気に二十倍に引き上げるなどと言い出したら、おかしいと考えるべきだ。子供の放射線感受性は大人より三倍から十倍も強いので、本来なら強制疎開をさせるレベルだろう。
政府がそんな厚顔無恥な政策が取れるのも、低レベルの放射能の影響が後発性、つまり年月が経たないと現れないからだ。年月が経つと、ガンなどが現れても放射能の影響であるという証明が非常に難しくなってしまう。うやむやにできるのだ。
今回の事故で原発からエネルギーを転換しなければならないとする世論が高まってくるだろうか。もしそれができなければ、何十年後かに、今回以上の大事故が起こって日本が壊滅するシナリオも頭に浮かんでくる。
原発ができて五十年あまり。その間に三回もの大事故が起こった事実を真摯に受け止めなければならない。
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