西村郁子
たこ焼居酒屋をしているので毎日天満市場で仕入れをしている。
和美さんとは、天満市場の客同士として顔をあわすうちに、親しく話すようになった。たこ焼屋でバイトしていたことが分かり、ちょうど、人が足りなかったので、週二回、わたしの店でアルバイトを頼むことになった。
その和美さんが、年末にアフリカ・ケニアに旅行に行った。
明けて、十日。帰国した和美さんは髪を数十本、いや百本以上の三つ編みにした姿で現れた。わたしは和美さんに近寄るや、それかっこいいね。似合ってるよと絶賛した。お世辞ではなく、和美さんの淡褐色の肌と三つ編みをヘアバンドのように束ねているラメ糸の入った紫の布が、民族的であり、気丈な働く女性の雰囲気を漂わせていたのだ。
写真のモデルになってくれないかなと誘っていた。そのときにはすでに、淀川の河川敷で葦の前に立つ彼女の姿が目に浮かんでいたのだ。
趣味で写真を始めたら、その面白さにどんどんはまってしまって、いまでは中判や大判カメラで撮影するようになった。プリントも自分でしたくなり、プロセッサーを中古で買って店の奥に暗室まで作った。
プリントした写真は、写真専門のギャラリーでグループ展をしたり、企画展に参加したり、個展までやってしまう熱の入れようなのだ。和美さんのポートレートも今年の個展の作品のなかにいれようという心積りである。
和美さんは照れながらも嬉しいと喜んで引き受けてくれた。お互いの住まいを言いあうと、徒歩十分とかからない近くであることまで判明した。
場所は、すでに浮かんでいた淀川河川敷を指定した。わたしの住まいから近いのは西中島、新御堂筋の高架下あたりの河川敷になる。河川敷の平地は整備され駐車場や公園、野球場になっているが、遊歩道を越えた水際は葦原と雑草の手つかずの景観だ。葦や枯れた背高泡立ち草越しに中津、梅田のビルが見渡せる。
ビルやマンションの多い場所で生活も仕事もしているので、広い空をみることがない。わたしにとって広い空をみることは、日常からそっと後ずさりするかのようなスリルと寛ぎを意味する。
約束した時間に和美さんは現れた。コートの下にはアフリカで買ったシャツと大きな一枚布の巻きスカートをはいていた。
どこをみればいいのか分からないというので、ファインダーをみながら、あれこれ指示をする。足を揃えて斜めに立たれると記念写真のようになるので、動いて欲しいと言ったりする。
ゆっくり歩きながら撮ったり、コートを脱いでもらって、また着てもらうというやりかたで、自然な動きが撮れるようになった。
何回目かの、どこをみればいいかわからないという言葉に、レンズをまっすぐみて欲しいと言った。
わたしのカメラはブロニカの645でウエストレベルなのだ。わたしは頭を下に向け、カメラ上部に着いているファインダーを通して和美さんを見つめる。彼女とわたしの目は正対しないため、かえってリラックスしてレンズを見てくれることがわかったのだ。
一見、一重の切れ長の目なのだが、大きく目を見開くと二重だとわかる。笑顔をつくることなく無表情なのもありがたいと思った。
フィルムにわたしが感じた和美さんの母性と強さが写りこんでくれたらいいなと思う。少なくとも、ファインダー越しにはそれが見えた。
一時間ほどで撮影は終わったが、すっかり体は冷え切っていた。
駅前のハンバーガー屋さんでお茶でもしようと誘ったら、寒いので着替えてくるといい、バイクで帰って行った。阪急南方の踏切りのところで、和美さんがジーパンに履き替えて、もう追いついた。
実家がすぐ近くなのだそうだ。
ハンバーガーを前に話は弾んだ。和美さんはわたしの店の仕事が楽しいと言ってくれ、バイトの日が待ち遠しいのだそうだ。
その流れで、店の片隅で飼っている猫に話がおよんだ。
交通事故で片目を失い、脚を骨折し、屋根裏から壁の間に落ちて二週間閉じ込められ、あげくは妊娠したのはいいが、骨盤が折れていたので胎児が産道を通れず瀕死の状態になった。必ずわたしの目の前に現れるものだから、治療費が高額になることを承知で獣医に連れていったことなどを話す。
だいたい、わたしが飼っている猫はみな同じようなものだと言った。わたしに飼われなければ、命がないだろうという猫たちばかりなのだ。
何匹飼っているのかと和美さんが訊くので、店の二階に二匹。野良猫が捨てていった猫と、迷い猫だと思って警察に届けられた猫。警察から飼い主が現れなければ保健所に行くときき、届けた人が引き取り手を捜していた。その人から頼まれた天満市場の玉子屋さんからわたしにまわってきたのだ。その夜、茶色の猫を助ける夢をみて、引き取ることを申し出た。猫のことはなにも聞いていなかったのに、警察から戻ってきた猫は茶色だったことなど。
マンションの猫も野良猫が捨てた猫と、これまた天満市場の漬物屋さんが飼っていた猫だと話す。
その前は土井商店という店の猫で……。と、言いかけて和美さんが遮った。
わたし土井商店で二十一歳くらいのときバイトしてましたというのだ。そのとき、土井商店の屋根裏で仔猫が二匹産まれて、和美さんが飼いたいといって、土井商店で飼いはじめたのだと。
カイちゃんって言うねん。と、わたしがいうと、その名前は、自分がつけたのだと言った。
リクとカイ。
じゃあ、カイちゃんはわたしがずっと飼ってたんよと和美さんに携帯の待受けにしていたカイの写真をみせる。
ああ、そうやわと言うが確信がもてないらしく、さらに別の写真をホルダーから探してみせた。
鼻のところが黒くなっているのをみて、この鼻はカイやわと納得がいったようだ。
和美さんの目からスーと涙が流れおちた。
リクは自分が働いているうちにいなくなったので、あきらめがついていたが、カイは土井商店の人にやめてから、「猫とり」に取られたかもしれないときいたのだそうだ。それからいままで、ときどき思いだしては、カイのことを気にしていたというのだ。犬派だという和美さんが初めて飼った猫たちで、忘れられなかったのだそうだ。それにしてもえらい長く思っていたものだ。
その思いがわたしたちを引き合わせて、和美さんに無事が知れたのは、不思議な繋がりだなあと思う。
カイの出生の秘密がわかった。ついでに歳も判明した。
十五歳だったのか。このカイの話は「せる」五十九号二〇〇二年三月五日発行で「漬物屋のカイ」というエッセイに書いている。
なので、今回のエッセイのタイトルは「カイ ビギンズ」にした。
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