秋も深まる頃、アイコと二人で一泊二日の旅に出かけることにした。
紅葉の京都に行くことが第一の目的だったが、どうしても私の故郷に立ち寄りたいと彼女がしきりに言ってきた。京都と故郷はとても近い。どうやら以前に里山というテーマで、故郷を取り上げられたハイビジョン番組を目にし、つよく印象に残っていたらしい。山、川、湖、そのなかに生きる魚、虫、植物、そして共存する人の情景が見事に描かれていたそうだ。
はじめは、こんどの旅にあまり気が乗らなかったが、祖母や父母の供養もお寺にまかせっきりだったので、近いうちに墓参りもしなくてはと頭のすみにあったし、なにより時間のかかった編集作業がひと段落して、ほっと一息つきたいところだったので、二つ返事で行こうと決めた。
新幹線の車窓からみえる空は、西高東低の冬型の気圧配置らしく澄んだ青が東京から静岡、愛知とずっとつながっていた。
「体調はどう、寒くないか」とアイコを気遣った。
「今日の天気みたいに、とても気分がいいわ」
二人とも、どちらかというと口数が少ないタイプで、私はミステリーの文庫本を手にし、アイコは車窓に半身を寄せて、差し込む陽にまどろんでうつらうつらとしていた。
取材として二人で出かけることはあったが、プライベートでそれも泊りがけで旅行するのははじめてであった。
向かいに座る彼女の姿は、十二年前と今も変わらない。
出会った頃、私は中堅の出版社を辞めてフリーになったばかりのライターで、アイコはAV女優だった。
私は、組織に縛られることが嫌で、東京なら食いっぱぐれもないだろうと、フリーの物書きになった。私はしゃにむに働き、編集以外の仕事も積極的に引き受けた。そのひとつに、男性雑誌によくあるセックス記事に登場するモデルのコーディネーターをやりはじめた。ちょうどその頃、アダルトビデオ業界が黎明期を迎え、やたらその部類の雑誌が増えた時期でもあった。コーディネーターとは聞こえがいいが、AV女優のあっせん業みたいなもので、プロダクションに所属する女優を雑誌などで使ってもらい、そのギャラから何割かをもらうという仕組みだ。一時期は、本来の仕事よりも、何倍もの収入を得た。
最初のモデルがアイコだった。その後、たくさんの女優と出会ったが、どうしたわけかアイコとの付き合いが続いている。と言っても、籍を入れているわけでもなく、一緒にずっと暮らしているわけでもない。この十二年の間、アイコが私の住居兼オフィスに出たり入ったりの状態が続いている。二人とも、おたがい一人身の気楽さがあり、相性もあったのだろう。それと、他の女優とは違って散財することなく、生活はつつましかったのも良かった。
付き合いはじめた頃は、アイコの素性をふくめ、ほとんどと言って何も知らなかった。彼女も話そうとしなかったし、私もそういう事にあまり関心がなかった。でも、時が経つにつれ、周りから入ってくる話によると、高校在学中に家を飛び出し、東京に出てきて、そのての新宿の店で働き、AVに入ったという経緯だ。高校くらいの頃から、グレはじめて、シンナーに手を染めたらしい。家庭内でいろんな事があったようだ。
私のオフィスに訪れた最初の日、「一本もらっていい?」と、テーブルにあった私のタバコを手にして、すっと煙を吸って口の中に溜めると、人差し指で頬をつんつんとつつく。顔を斜め上に、細いくちびるから吐かれていく輪は薄いピンク色に染まっているようで、ふわっとすぐに消えていった。やわらかでさびしげで、さくらの花びらのように見えた。
わたしの得意技なの、と屈託なく笑った。
アイコはとりたてていうほどの美人ではない。はじめて見たときの印象は、どことなく能面の小面(こおもて)に似ていると思った。
彼女との仕事を二回、三回と増やしていくと、私のオフィスに訪れる回数も増え、これといった用事もない時でもやって来た。拒む理由もなく、仕事に支障がでるということもなかった。
何をするでもなく、いつもリビングの窓ちかくに寄りかかり、差し込む陽の光を浴び、まどろんでいた。
「何を考えているの?」と、聞いたことがある。
「ううん、何にも」
「ネコみたいだね」
「寒がりなのかな、きっと」
物憂げに浸っているその姿は、生活を持った女にはない、どこか哲学者のような素振りでもあった。
昼ごろ不意にやって来て、私が仕事に没頭しているあいだに、すっと帰っていた。そうかと思えば、私が一人で退屈していると、タイミングよくひょっこり現れてくれる。そんな関係が、不思議と気持ちがよかった。
その間、私と彼女の間で肉体関係は何度かあった。以前は、仕事とはいえ、アイコの艶美な肢体を見るたびに、ざわざわと心が騒ぎ、腰あたりを熱くしてしまったことがあるし、夜になると、撮影中の男優を自分に投影させて自慰に耽ったことも数知れない。そんな私を察知してか、アイコは私を幾度となく受け入れてくれた。それは情けか、愛情か、私にはわからない。
そうやって五年、十年と時は経ち、私は四十、アイコは三十を過ぎた。
彼女はとうにAV業界から卒業し、今は私の仕事を手伝ってくれている。ぼうっとしているようで、いざ何かをはじめようとすると、その集中力はすごく、一気に仕上げてしまう。AV女優の時も、カメラマンや編集者の意向というのをさっと見抜き、体位を変えながら彼らの期待に応えていく。きっと、頭の良さがあったのだろう。文章も達者で、企業がだす広報誌なども、取材も含めて自分一人でこなすぐらいに育ってくれた。時代はエコロジーで、取材対象もその分野が多く、今回、私の故郷へ行きたいという希望は、なんら不思議ではなかった。
岐阜あたりからちぎれた雲が出はじめ、車窓に雨の線がはしった。
「今まで、晴れていたのに」
アイコは不思議そうに窓の外を覗き込んだ。
「時雨れてきたな。この時期、この地域の特徴でね、北からの風が伊吹山にあたって、雨や雪をふらすんだ」
ガスにかすんだ伊吹山を指す。
二人は米原駅で降り、敦賀行きの北陸線に乗り換えた。どんよりとした灰色の雲が広がり、ところどころ雲の切れ間から薄い光が琵琶湖の湖面を照らす。ちょうど、ぽっかり浮かんだ竹生島がかすんで見える。一度も訪れたことのない島だった。行こうと思えば簡単なのに、どういうわけか、遥か遠くに見えてしまう。
「コウヘイさんの故郷はどのへん?」
「ちょうどこの琵琶湖の向こう側」
「へえ。でも、向こう側がまったく見えないのね」
「まったくね。はじめて琵琶湖を見る人の中には、北陸の海と勘違いする人もいる、という話を聞いたことがあるな」
北へ走る車内は、人がまばらだった。近くの座席に座っていた女子高生たちは一様にひざ掛けをしていた。扉が開くと、床に這うように冷たい風が入りこんで、脚にまとわりつく。パンツ姿のアイコだったが、それでも何度となくふとももをさすった。
「寒くないか」
「すこし」
「陽性だったの」と、私の肩越しに何か見てでもいるように、アイコは目を細めた。三年前のことだ。「えっ」と口にして、最初は妊娠でもしているのか思ったが、アイコの表情がすこし沈んでいるように見えた。
「HIVの陽性反応が出たの。コウヘイさんには言っておかなければいけないと思って」
と彼女は言った。
「えっ」と、もう一度口走ってしまい、数秒くらいたってようやく理解できた。
アイコは、その何日も前から、だるさと、寒さが続くといって、風邪だからそのうち治るだろうと気にしてはいなかったが、やはりどこかひっかかるところがあったのだろう、近くの検査所で調べてもらったのだ。
「報いよね」と、誰を責めるということもなく自分で受け止めているように見えた。「でも、こんなに経ってから……」アイコの顔がゆがんだ。私は顔を逸らしちゃいけないと思いつつ、視線は下に向いてしまう。彼女の身に降った現実に、どう言葉をかけたらいいか、適切な言葉がみつからない。ようやく私もレギュラーの仕事が増え、今後の将来の見通しが立ち、アイコも助手としてここまで成長してくれて、さあこれからだ、という矢先だったのに。
ゆがんだアイコの顔に、出会った頃の彼女の顔がだぶってくる。
「シンナーって、どういうのかなあ、脳が溶けるくらいふわっと気持ちよくなるの。でも、
しばらくすると、ぐっと体温が下がって、すごく寒くなるの。それが、身体に染み付いちゃって」
「で、こういう世界に?」
「そう。人肌が恋しくなっちゃうのよね。誰でもいいから、抱きついちゃうんだよね。今でも、寒さがすっと忍び込んでくるの。男の数? うん、たくさん」くすりと笑った。
私はうつむいたまま、何も目に入らなかった。
「コウヘイさんも検査したほうがいいわ」
言わなくてはならない事を、彼女は伝えた。
「ああ、そうだね」
と私は言った。
二日間、アイコはオフィスに姿を現さなかった。彼女は、弱い人間ではない。長い間つき合って、私が一番よく知っている。きっと一人で、今ある現実と向き合っているのだ。
私は外に出かける意欲もなく、仕事にも手がつかず、ぼうっとパソコンの前で座っている。インターネットで、HIVやエイズ関連の情報を見るが、現実味がうすく、ただぼやけて見えて、うなだれてしまう。
「報いよね」彼女が口にした言葉が、私の心に重くのしかかる。
彼女が報いというならば、私はどうなのか。エイズにならないためのひとつに、性のモラルを説く。私は、お金に困っている女や有名になりたい女たちに、何度かAV出演をすすめたこともあった。セックス産業に直接たずさわらなくても、性の世界へ彼女たちを誘い込んだことに対して、あまり大差はない。私がすすめたことによって、彼女たちがHIVに感染しエイズになったということも低い割合であるが、ないとは言えない。立派な犯罪なのだ。そんな愚かしさを恥じながらも、やはり自分に感染しているかが怖かった。こうも半端な自分がつくづく情けなかった。
近江塩津で乗り換えて、湖西線に乗り継いだ。
「琵琶湖を見下ろせるのね」
「高架線になっているからね。強風でよく停まるんだ」
冬になると、比良山からの比良おろしが吹いてきた。雪は深い。対岸の湖東とは違って、湖西の地域は平野が狭い。すぐ右には高さ千メートル級の比良山が連なり、左には湖が広がる。湖西はこれといった産業もない。久しぶりに見る景色も、昔とほとんど変わっていなかった。田畑の間にぽつぽつと家が点在し、大きい施設といえば、役場か学校ぐらいである。
「コウヘイさんは、どんな子供だった?」
「何かにしがみついてなァ」
「そんなに風が強かったの」
いつも強い風が吹いていて、寒いという記憶しかなかった。両親は私が七歳の頃、車の事故で亡くなり、祖母ひとりの手で私を育ててくれた。そんな祖母も、もう八年前に亡くなった。祖母は明け方小さな舟に乗せてもらい、フナ、コイなど湖魚を獲る仕事をして、昼からは、綿花の糸つむぎをやっていた。明治生まれの弱音を吐かない祖母だった。
左に目をやると、いまにでも岸から沖へ祖母を運ぶ小さな舟がでる光景が浮かんでくるようだった。
街へ出たくて出たくてしょうがなかった。大半の級友は就職組で、農業や漁業、小さな工場で働き口を見つけた。私は高校を卒業して、奨学金をもらって東京の大学に入った。
それ以来、祖母の葬儀や家の整理以外は、ほとんど里帰りはしていない。
新旭町駅に着いた。どこかニューベッドタウンを匂わす名前だが、町を表すものと大きく隔たりがあった。駅構内も老朽化しており明りも薄暗く、トイレも旧式のままである。新しいものと言えば、シーズンによって取り替えられる、観光ポスターとパンフレットのみだ。それでも、この日の改札口には二人の若い女性の職員がいて、「ありがとうございました」と明るい声が響いていた。
生まれた針江まで、タクシーで行くには近すぎるし、歩いては遠い。駅近くのレンタサイクルで自転車を借りることにした。
「観光の方ですか?」
「ええ、まあ」
「かばたのご見学ですね」
係員は機械的に見学ツアーの案内を出して「ボランティアガイドがついて、ぐるっと一時間くらいのコースはいかがですか」とまるで参加するのが当然のように聞いてきた。
私の顔色をチラッと見た係員は、実はですね、と次のように話してくれた。テレビ番組で紹介されるや、あちこちから観光客が押し寄せて、個人の敷地内に勝手に入り込んだり、生活道路に平気で車を停めたりと、いろいろなトラブルが起こったため、いまではボランティアが付いてご案内しているということにしているんですよ。
アイコは、ねえ、参加してみましょうよ、と私の腕を引っ張った。
レンタサイクルで、生まれた場所に行くというのもなんだか妙な気分だ。里帰りと観光気分を足して二で割ったような感じか。ペダルを漕ぎながら、右や左に目をやって町の様子をうかがう。街のようなめまぐるしい変化はないにしても、それでも新興住宅地やコンビニエンスストアができていた。
見学ツアーの集合場所である公民館前に着くと、もしかしたらと思ったら、やはり三つ上のタエコ姉さんがいた。IDカードを首から下げていたので、すぐ確認できた。
タエコ姉さんがゆっくりと近づく。
「コウちゃん?」
「ええ。お久しぶりです。耕平です」
「へえ、何で」と手を口に当てて「もう、おばあちゃんが亡くなって八年くらいになるから、それ以来かねェ」
タエコ姉さんは私の顔を正面から見据えて、手をぎゅっと握ってくれた。とても暖かい手だった。彼女は三軒となりに住んでいて、私が一人っ子ということもあり、小さい頃からかわいがってもらった。思い出すのは子供の頃の記憶ばかりだ。どうしたわけか、祖母の葬儀の時の記憶があやふやで、そのとき手伝ってくれたはずのタエコ姉さんの存在すら、するっと抜け落ちていた。
私は辺りをぐるっと見回し、変わらない昔のままの風景を眺め、安堵した。針江の氏神さんである日吉神社の傍には、針江大川が流れている。ひとむかしまでは物資を運ぶ舟や集落の人たちの田舟が停泊していた船着場でもあった川だ。大川に注ぎ込む水路には、最近作られたらしい大きな水車がゴトンゴトンと音を鳴らしていた。
滅多に帰ってこなかったためか、集落全体がこじんまりしたように見えた。これも都会暮らしが長いせいかもしれない。つい脈絡もなく、良かったですね、と口にすると、タエコ姉さんはうん、と頷いた。
「コウちゃん、自分の生まれたところを見学するの?」
「いや、彼女がどうしても、というもので」
「コウヘイさんとは仕事仲間で、よろしくお願いします」
アイコは頭をぺこっと下げた。
見学者は二人だけかと思ったら、大型バスが入ってきた。スーツ姿の中年男性がぞろぞろとバスから降りてくる。百七十世帯の小さな集落に、不釣合いな光景だ。
「全国からの視察が増えてね。ヨーロッパやアジアの国からもあるのよ」
タエコ姉さんはそう言って、さあ、行きましょ、と二人を案内してくれた。
針江は町の中の集落であり、端から端まで歩いても七、八分くらいの広さである。その中心を流れているのが、針江大川だ。比良山系の雪や雨が伏流水となり、各家庭から地下水がコンコンと湧き出し、その水が水路を経て、この大川に辿り着く。
三人は石段を降り、川辺に近づく。あざやかな緑色した幾本もの藻がそよそよと泳いでいる。藻は、川の中で三つ編みした少女の髪が無数に並べられたようで、小さな白い花びらがチラッと顔を覗かせた。
「あっ、花が咲いてる」
タエコ姉さんの横にいるアイコは、慌ててカバンの中からデジカメを取り出そうとした。
「これが、梅花(ばいか)藻(も)ね。梅のような花にみえるでしょ。だからそう、言うの」
「今の時期でも咲くんですね」
「手を入れてみて」
「あたたかい」
アイコは水を撫でて、タエコ姉さんの顔を見上げた。
梅花藻は夏の花で、清流しか育たない。それも一年中花を咲かせるところは珍しい。川の水の七割が湧き水のため、一年を通して十三、四度の水温に保たれているためだ。花の姿はいじらしくもあり、「水の妖精」と呼ばれている。
コウちゃん、懐かしいでしょ、と私を振り返った。私はうん、と答え、小さいときに遊んだ筏の川下りや、魚つかみを思い出す。夏はしびれるくらいに冷たく、よくガマンくらべをやったものだ。冬の頃は、日一日が異常なほどゆっくりと過ぎていった。通学途中で雪に足をとられ、長靴には雪水がしみこむ。毛あらしが立つ大川に、かじかむ手足を入れたものだった。同じ水温なのに、季節によってこうも違うものかと。それが信じられなくて、温度計で確認したこともあった。
橋の向こう側に行きましょ、と案内されると、多くの小さな魚が、梅花藻の中で泳いでいた。
「最近、琵琶湖から、少しずつ鮎やビワマスがこの川に遡上してきたの」
「へえ、すごい。昔みたいに、きれいな川に戻ってきたんだ」
私は川を覗き込み、そしてタエコ姉さんに視線を向けた。彼女の顔に、川面から反射したきらきらとした光が注いでいた。幸せそうだった。
むかし彼女の家は半農半漁で、タエコ姉さんはいつも歯をくいしばって家の手伝いをさせられていた。街に出たかったろうな、といつも傍から見ていた。きっと、その頃の私もそうだったから。
「タエコ姉さん、ずっとこっちに」
「ええ。近くの男(ひと)と一緒になって。子供も二人いて、こんなに大きくなってるわ」
手を自分の頭よりずっと上に指した。
集落の中に入ると、すべての家は水路と路地でつながっている。大通りというものはなく、車一台通れる道もそう多くはない。ふと目の前の路地の辻で、子どもの頃の自分と出くわすような、そんな気持ちにとらわれた。
それぞれの家の塀には、表面を焦がした炭化状の板が張られている。
「どうして、塀を焦がしてるんですか?」
アイコは辺りの家を見回し、タエコ姉さんに聞いた。
「焼杉塀というの。逆に火災から守って、湿気や風雪にも強いのよ。代々家を守っていく、昔の人の知恵といったところね」
「へえ、味があるというか、自然になじんでる感じ。コウヘイさんの家もそうだったの」
「たしか、そうだったな」
一度も塀を修繕したことや、薬を塗ったという記憶もなかった。そんな生まれ育った家、土地はとうに不動産屋に売却してしまった。
タエコ姉さんは、かばたを見せてくれると言った。かばたは、この集落の大半の家に、およそ一〇〇か所はあるという。古くは江戸時代からあったそうだ。家庭の敷地内にあるため、日常の暮らしの一部として生き続けている。
近くの家の敷地にはいった。ガイドだから、許可されているのだ。母屋とは離れた水路ちかくにある四畳半くらいの小屋に案内してくれた。失礼します、と言って三人は小屋の中に入る。家人はいなかった。
まず、目に飛び込んでくるのが、多くのコイが泳いでいる生簀(いけす)のような大きな池だ。その縁に一段高くなっている壺のような円形状の池があり、その真ん中にある管から水が湧き出ている。
「うわっ、何匹ものコイ。それも大きい」
アイコは目を丸くして、少しでもコイに近づこうとする。二十匹を超えるコイたちは悠々として、不意に現れた客人に驚かない。もう十年以上は生きているような、一メートル級のコイも何匹かいた。
「この小屋が、家の外にあるから、外カバタ。見て。壺の中で地下水が湧出しているでしょ。ここが壺(つぼ)池(いけ)。ここは飲料水や野菜や果物、お茶を冷やすところ。そこから溢れ出した水が周囲の池に注ぎ込んでいるでしょ。その池を、端(はた)池(いけ)と呼ぶの。食べかすや野菜のくず、食べ終わった皿や茶碗を沈めておくと、コイやニゴロブナなどがすべての食べ物のくずを食べてくれるのよ。だから濁るということはないの。そして端池から出る浄化された水は水路を通って針江の川に注ぎ、琵琶湖に流れていく。この循環を川端(かばた)というの」
タエコ姉さんは、アイコと私に視線を交互に送った。
「へえ、何でも食べるんですか?」
眉をあげて、アイコは聞いた。
「コイは雑食性だから、何でも食べるわ。家のコイたちはカレーが大好物なの。カレーって濁るでしょ。でも、それが全然なの」
池の周りには、漬物や味噌を漬けたいくつかの桶があった。棚には炊事道具や歯ブラシといった生活道具から、どんじょけと呼ばれる魚捕りの竹篭が吊るされていた。懐かしかった。家によってかばたの造りは違っているものの、使っている道具や桶などを見ていると、実家にあった物とほとんど同じだ。
ついこの前までは上水道に頼って、湿っぽい不潔な存在として見向きもされなかったかばたが、こうも注目されるとは。
タエコ姉さんは、アイコに「どうぞ、壺池の水を飲んで」とコップを渡してくれた。
「身体に染み入ってくって感じ」
目を丸くしてアイコは言った。
「生水(しょうず)って言うの」
「ショウズ?」
「生きる水と書くの。命の水という意味なのよ」
アイコは振り返り、「コウヘイさん、ここにいると、元気を取り戻せるかも」と小さな声で言った。
「そうだね」
と答えた。
アイコは二年前から、抗HIVの薬を服用している。いつも肌身はなさず、持ち歩いている。多くの種類の薬を前にして、「飲み忘れたら大変」と、眉間にしわ寄せてふっと息をつく。飲みはじめた頃は、慣れない薬の大きさと、量の多さに戸惑い、一粒ずつゆっくりと口にしていた。今では服用するのが当たり前で、数種の薬を一気に飲む。でも、決して飲み忘れてはいけないようで、飲み忘れると薬が効かなくなるという。服用する時間になると、腕時計にアラームが鳴るようにしている。万が一のため携帯電話にもセットしている。すごく用心深い。最近ではいい新薬ができているらしく、うまく薬と付き合うことができたなら、エイズを発病せずに生きていくことができるみたいだ。
私はふと、家のかばたに沢蟹がやってきたことを思い出した。桶にいれておいたら、卵からかえった数匹の子蟹を見つけたことがあった。ザリガニもそうだった。「水神さんからの恵みや。小さな命やけど、粗末にしたら、罰があたるで」と祖母が言ったことを思い出す。祖母は朝夕と湧き出る水に手を合わせて頭を垂れた。父母が亡くなってから、とくに手を合わせたように思う。かばたの中の些細な出来事のひとつではあったが、子供ながら、命の愛おしさを感じたものだった。
アイコの病気も、そんな出来事のひとつとして、奇跡が起こるかもしれないと思った。なぜならば、地下二十メートルの水脈から途切れることなく自噴しているこの湧き水というのは、恵みそのものであり、大小の生き物を問わず、命をはぐくむ場所なのだから。
ピチャ、と音がした。風呂場にいるときのようなエコーが小屋の中をつつむ。水面をたたくコイの尾ひれが見えた。エサを催促しているのか、他のコイもいっせいに真似をする。水面に大きな口を開けて、ひげと目が見えた。大きさもあってか、ちょっと驚かされる。コイには胃がない。食道と腸が直結しているため、満腹感というものがなく、いつもエサを欲しがっているのだ。一斉にピンク色の厚い口が水面にでると、どこか強欲な人間の口に似ていて不気味でさえある。
「コイって、どれくらい生きるんですか?」
アイコは、タエコ姉さんに聞いた。
「平均、三十年くらい。長寿のコイで、八十年、百年も生きるコイもいるみたいよ」
「へえ、そんなに」
「縁起のいい魚なの。掛け軸でも、鯉の滝昇りってあるくらいだから」
アイコはしきりにコイを撮ろうとするが、水が反射してか、鮮明なコイは撮れないようだ。
水のおいしいところに、酒蔵と豆腐屋がある。針江もそうだ。
タエコ姉さんが是非、というので、百年以上もつづく一軒の豆腐屋に寄った。案内するルートにも入っているのだろう。私も小さい頃から、ボールを持っておつかいに行かされた馴染みのあった小さな店だった。古い木造宅に「とうふ」と看板が出ている。むかしのままだった。看板が無ければ豆腐屋とはわからない、なにも着飾らないふつうの家だ。作業場は奥にある。機械化せず、ずっと家族で細々とやっているようだ。その日の豆腐が売切れればそれでおしまい、というふうに。
庭先にある木々の下に、外かばたがあり、榊が供えてある。手書きの一丁百七十円の表示があった。きっと、むかしの金額だろう。かばたの中に、豆腐が泳いでいるように見えた。湧水のせいだった。豆腐らしい豆腐という言葉はおかしいが、見てからに美味しそうである。久しぶりの豆腐を味わいたい半面、どうも家人に顔を合わせるのはすこし照れがあった。
「こんにちは」
玄関先でタエコ姉さんは声をかける。
「はあい、ちょっと待ってや」
割烹着を着たおかみさんが中からでてきた。私を見るなり、あら、と上半身を反るように「こうへいチャンかいな、懐かしいなあ」と言った。
「よく覚えてくれてましたね。ご無沙汰しています」
「覚えているがな。ほんまに懐かしいなあ」としばし私の顔を見た。
「食べてくか」
おかみさんは、井戸にあった豆腐を皿に上げてくれた。血色のいい張りのある指の間から水が滴り落ちる。豆腐はずしりと重く、ほのかな大豆の香りが立つ。一丁を半分に割り、アイコと食べた。さいしょは醤油をつけずに口に入れた。
うん、と頷きながらほお張った。朝から何も食べていなかったので、染み入るようにお腹に入っていく。アイコも目を大きくし、「とっても濃い。大豆って、畑のお肉と言われているのよ」と口に入れる。玄米食をかみしめて味わっている時と同じような表情をしている。
HIV感染者とわかって以来、彼女は健康で前向きに生きていこうとしていた。ブログを通じての仲間も増え、大きな支えになっているようだ。また自己啓発書や多くの啓発セミナーにも触発され、きれいな思いをめぐらせれば、きっと心が洗われ美しい肉体を持てると、信じている。二、三度、彼女が口にしたことがある。その時は薬の副作用が収まった頃だ。「告知を受けてから、面倒なことが増えたのも事実。でも、教えられたこともたくさんあるわ。毎日を大事に生きようって」
近頃はマクロビオティックや薬膳、ロハスといったものに関心を寄せている。狂信的な信者とまではいかないが、一緒に食事をとる時は、私にはちょっとつらい。でも告白のあの日から、アイコの背筋がぴんと伸びていた。
元気を取り戻せるかも、とさっき言った彼女の顔に曇りはなかった。ひょっとして、かばたのあるここで暮らしたいといいはじめるかもしれない。まあ、それはそれでいいかもしれない。
いくつかの家のかばたを案内してもらった。
むかしと変わらず、どの家もコイを飼っていた。水路をみれば、沢蟹やタニシ、小さな魚がいて、一部堰き止められたところにも、コイがいた。
タエコ姉さんとアイコの足取りは軽い。畑作業をしている老女に、タエコ姉さんが、「おきばりやす」と精が出ますねという意味の声をかけると、「なんのなんの」と鍬をおろして笑った。アイコが「いいところですね」と言うと、「そうか。なーんにもない所や。おもしろいことなんて、なんにもあらへん」老女は、よく育った冬野菜を持って帰るか、と言った。
あちこちに木造立ての織物の工場があった。とうに稼動しておらず廃屋のまま物置として残されているらしい。当時は、地場の綿花を使っての小規模な産業だった。祖母もここで帆布や綿重布を織っていた。でも、どうして十年、二十年にもわたって廃屋のまま残しているのだろう。売るに売れず、解体するにもお金がかかるのか。
窓にカーテンがあり、中の様子はうかがい知れないが、ふと誰かがこちらを見ているような気配を感じた。私は頭をふり、ふっと息をつく。
「どうかした?」
アイコが怪訝そうに私を見て、タエコ姉さんもこっちを向いた。
「いや、何にも」
と進むべき方向に足を運ぶ。
「この先やね。コウちゃんが生まれたところ」
タエコ姉さんは、つぶやいた。
路地の辻を折れると、私が生まれたところに出た。更地のままだった。すべっと建物が無くなると、こうも狭いところだったのか。奥の民家が丸見えだった。家族の思い出までもが消されているようで、あっけないものである。縁に小さな売地の看板がささっていた。その傍らには、ひっそりとかばたがあった。
「あれ、かばた?」
アイコは、不思議そうに聞いた。
「そう。かばた」
私は答えた。私に残されているのは、ただひとつ、先祖の墓ぐらいしかないと思っていたが。考えてみれば、土地の売買などのやりとりはあったとしても、水が自噴する限りかばたは残り続けるのだった。埋めるということは決してない。
三人はかばたに近づく。苔のはった石垣づくりの壺池と端池には、コンコンと自噴する湧水と数匹のコイがいた。
「大きいコイがいる」
アイコが口にした。
「本当だ……」
コイはまるまると太っていた。でも、どうして……。祖母の葬儀の時に、誰かに差し上げたか、放流したように記憶していたが。ずっと棲み続けていたコイかどうかも、今となっては判別がつかない。
「ずっと、おったんよ」
タエコ姉さんはゆっくりと腰を下ろした。
「えっ。でも、誰が世話を?」
「うん。誰かやろね。でも、それだけじゃ。きっと、水草や水路をつたってやってくる沢蟹や小さな虫も食べていたんよ」
「そうだったんですか」
誰がエサをやってくれていたか、聞かなかった。タエコ姉さんでもあろうし、針江の人に間違いないのだから。
私は膝をつき、端池に手を入れた。肌を包むようなあたたかさだった。
「ここでコウちゃんも、産湯につかったんよね」
「ええ」
何にも言葉がなかった。じわっと込み上げてくる気持ちを抑えることができず、二の腕まで袖をまくり、端池に腕を入れた。コイ達はくるっと円を描きはじめ、手のひらに放射線状に集まってきた。まだ、触れようとしない。異物なのか、エサなのか、尾ひれを揺らしながら、相談しているようにも見え、何か考えているようにも見える。まるで家族会議でも開いているようだ。
アイコも二の腕まで袖をまくって、腕を端池にそっと入れてきた。
「コウヘイさんといっしょ」と言って、私に向かって微笑んだ。
私ははっとした。彼女の何気ない仕草だったからこそ、そう感じたのかもしれない。告知されてからずっと、彼女は肌を近づけることさえ拒んでいたのだ。
すると一匹が、キスをするように吸いついてきた。そして、二匹、三匹と吸いついてき た。吸盤をつけたような感触だった。
コイはどういう意図を持って、吸いついているかわからない。キス攻めに遭っているようで、どことなく気恥ずかしさがあり、気持ちがよかった。アイコははしゃぐように笑った。
きゅっ、きゅっと声がした。寂しげなようで、笑っているような、小さい声だったが、どこからともなく届いてきた。それも繰り返し聞こえてきた。周りを見回しても、鳥や動物が近くにいる気配はなかった。声がしたよね、と二人に聞いたら、した、したと返ってきた。
「コイって、声をだすの?」
アイコは聞いた。タエコ姉さんも、さあ? と首をかしげた。三人は端池の中を覗き込むように見た。
かばたから聞こえてくるのは間違いないようだが、それは壺池か端池からかわからない。聞き耳をたてた。コイが鳴いているのか、いや、もっと底から聞こえてくる気もしないでもなかった。
了
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