編集後記

 先日の例会でエリアーデの「マイトレイ」を採りあげたので、ちょうどいい機会だと思い、同氏の、以前読んだことのある『聖と俗』という著作を、再度読み直してみた。たいへん面白く、参考になることが多かったのだが、その中でも、特に宇宙創造の考察が興味を惹いた。
 原始人、または、古代人にとって、未知の領域は単なる均質空間であり、あるいは幽霊や魔物や「よそ者」の棲む見知らぬ混沌(カオス)の世界であり、けっして自分たちの世界ではなく、自分たちの住む領域は、神々と交流して浄められた秩序ある領域、つまりコスモスでなければならないと考えられていた、とある。
 また、そのコスモス化には、文化段階によって違いがあるが、天(神)と交流する「聖」なる地や、それを象徴するもの(柱、山、樹、蔦、等=世界軸)があり、それらが世界の中心とされ、そのような中心が設定されて、初めて自分たちの住む世界、つまりコスモスが成立するのだと考えられていた。しかも、それらは、宇宙という広大なものから、村や家といった狭い空間まで同じ構造で考えられていたとされている。
 この「世界の中心、つまり世界軸」が設定されて、初めてカオスがコスモスになるという指摘は、何も宗教的世界に限らず、おおよそ統一ある世界を考える上で、最も基本的なことではないだろうか。
 以前、カメラ教室の講座で、風景写真をとる最も重要なこととして、ただ、まんべんなく風景を撮るのではなく、風景の中に何か一点、中心になるものを決めろ、例えば、高い木、小さな小屋、変わった家、など。そうしたとき、初めて構図がきまり、空間が風景となると言われた。これなど、身近なことでのその一例である。
 我々が小説を書くとは、我々の宇宙創造である。日頃のカオス的な日常世界から脱して、おのれの宇宙(コスモス)を創り上げることである。つまり「現実の再現」ではなく、「新しい精神的世界」を創造することである。そのためには、どのような世界軸(世界の中心)を明確に呼び込めるかが最も重要なこととなる。これが明確でない限り、小説世界は統一されず、ただカオス的な世界を投げ出したとしか言いようのないものになってしまう。
 その点、「マイトレイ」はヴェンガル地方というカオス的世界に「マイトレイ(との恋)」という世界軸を設定することで、ヴェンガルをみごとにコスモス化した作品だと考えられる。
 さて、今号の「せる」作品は、新しく入会した三人(高橋、柳生、塚田)と、ベテランの上月、という四氏の小説を載せることができた。それぞれ、どのような「世界の中心=世界軸」を設定しているだろうか? また、その成功は如何に? 読者諸氏の判定を待つ。                                     (O) 

 


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