登る勇気より引き返す勇気   上月 明


 私ごとであるが、健康のために山登りに凝っている。歳を取ると徐々に弱っていく心肺と足腰を鍛えるのが目的である。
 日本の高い山ベストスリーをご存じだろうか。富士山、北岳(南アルプス)、奥穂高岳(北アルプス)であるが、私は、この三つの山を登った。夏山であっても標高三千メートルを超える山を登ることは、危険がついてまわる。高い山の頂上付近は、天候が変わりやすい。先ほどまで晴れていたかと思うと、数分で雲がかかり一メートル先も見えなくなる。危険と安全は表裏一体である。山を登るときはいつも、『登る勇気より引き返す勇気』この言葉を自分に言い聞かす。
 今年の七月に北海道の大雪山系にあるトムラウシ山遭難で八名の死亡者をだしたのは、『登る勇気より引き返す勇気』まさにこの言葉がぴったりと当てはまる遭難である。
遭難事故をテレビで見ていて、ガイドや中高年の登山者の心理状態が伝わってきた。ただ安全だけを考えれば、誰しも登山を中止して引き返すか、山小屋に残り救助を待つのが常識だと思う。
 しかし、せっかく高額なお金を負担し、貴重な時間を使い、中には仕事を休んでこのツアーに参加されていた者もいただろう。少し無理をしてでもトムラウシ山の頂上に立ちたい意識が働いたと思う。テレビの報道で、ガイドは参加者の意見を聞くことなく前に進むことを決行したと言われているが、雨の降る中、参加者たちもガイドから出発の声を聞いたとき、不安もあっただろうが、大きな声で反対の声をあげられなかったのは、そういった心理状態が複雑にいりくんで迷ったのではないか。これはあくまでも私の推測である。
 標高が高い山の登山は、天候が大きなウエートを占める。登山途中で、雨が降るという悪条件になっても、ここで引き返せば、いつまた、この山へ挑戦が出来るかわからない。勤務先を持っていれば、数日の休暇を取らなければならないし、登る山に行くまで時間をかけ、宿泊代や高速代などのお金もいる。そういった諸条件をクリアして、この場に立っているのである。そんなことを考えると、雨降りの中を無理な山登りをしてしまう。
 十数年前、中学生の息子を連れて奥穂高岳に挑戦したとき、『登る勇気より引き返す勇気』を経験した。
 標高三千メートルのところにある穂高岳山荘という山小屋に泊まったとき、息子が熱を出してしまった。静かに休ませてあげたいと思い、山小屋の主人に頼んで、個室に入れてもらった。昼間の暑さと、疲労とが重なったのだろう。看病をしていたが不安だった。熱が下がらなければ、どうすればいいのか。一晩中自分に問いかけた。
 山小屋まで救急車は来られない。背負って下山するわけにも行かない。ヘリコプターを頼めば何百万円というお金がかかるだろう。少しでも熱が下がればと願った。もう奥穂高岳の頂上は諦め、下山をしようと考えた。
 朝になって、息子がトイレにひとりで行ったので、熱は下がったように見えた。ただ体温計がなかったので、微熱があったのか、正確なことはわからない。
 山小屋の外に出てみると、雲海が発生し、すばらしい景色だった。空には雲がなく晴れていた。奥穂高岳の頂上を目指す絶好の天候だった。穂高岳山荘のすぐ隣に見える急斜面を登り切れば目的が達成出来る。頂上まで一時間もかからないはずである。
病み上がりの息子のことを考えると迷った。昨夜あんなに、おどおどしていた私自身が、息子の熱が下がっただけで、もう昨夜の不安であった心理状態を忘れ、目の前にそびえ立つ奥穂高岳に登ることだけが頭の中で大きく広がった。
 私は息子に何回も「登ろう」と話しかけた。目の前の急斜面を見上げ、息子は登れないと座り込んでしまった。そして帰りたいと言った。私は再度「登ろう」と懇願をした。しかし、息子はうなずかなかった。
 病み上がりの息子を、無理矢理に登らせて事故でもあれば、父親失格である。断腸の思いで下山を決意した。それでも無念の気持ちは抜けきらず、数年後、友達を誘って奥穂高岳の山頂をめざし、頂上に立つことが出来た。
 もう五十半ばの年齢になると、何泊も山小屋に泊まってまで、高い山を登ろうとは思わなくなった。今は兵庫県内の山をゆっくり焦らずに登っている。
先日、兵庫県で一番高い山で、但馬地方にある『氷ノ山』に登ってきた。県内の山を登る場合、日帰り登山が可能なため、天気予報を見て、天候の良い日に登山が出来るというメリットがある。
 近頃、山登りを楽しんでいるつもりであったが、少し自信がつくと欲が出てくる。毎年十一月に開催されている六甲全山縦走大会に参加したい気持ちになってきた。須磨浦公園から宝塚までの、六甲山系全山(全長五十六キロコース)を一日で歩き通すというスポーツの祭典である。
六甲全山縦走コースの一部である須磨浦公園から神鉄鵯越駅前までの約十六キロを歩いてみた。アップダウンを繰り返し五時間を要した。次の日から二日間、脚の筋肉痛に悩まされた。インターネットで完走者の時間配分を調べると、午前五時三十分から歩き出し午後九時にゴールを目標として、この区間は四時間で通過しなければならない。
 地図を見て完走計画を練った。山の中を歩く過酷なレースである。体力も必要であるが、脚が耐えられるか不安である。痙攣でも起こせば途中棄権が待っている。次の日の仕事や自身の年齢を考えると迷ってしまう。『登る勇気より引き返す勇気』の言葉がちらつく心理状態である。
 今年は無理でも、何回か下見を兼ねて歩くことによって、コースに慣れ脚も鍛えられる。そうなれば、来年以降に挑戦してもよいのではないかと考えた。
これからも健康の維持とストレス解消を趣旨にした、山登りを楽しみたいと思っている。


 

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