「せる」の創刊は一九七八年。だから厳密にいえば去年の七九号が創刊三十周年の号になるわけだが、きりのいい今号を三十周年記念号と銘打ってもいいかなと思っていた。
しかし皆に計ると、記念号と銘打つのは一〇〇号でいいという意見が返ってきた。
いやはや、えらく前向きである。それだけ一〇〇号が現実味を帯びてきたということだろう。
ここのところずっと一年で三号出ているので、順調に行けば六年後の二〇一五年に一〇〇号に達する。
長く続けることが目標ではないが、安定した書く場を持つことは、プロではない書き手にとって重要であるという意識はずっとあった。つぶれたらまた新たな同人誌を発行したらいいと思っていても、そう簡単にできないのが同人誌である。創刊には、書く以外の別のエネルギーがいるからだ。
創刊時にはまさかこんなに長く続くとは思ってもみなかったが、そのための工夫は取ってきた。
一つは資金面。印刷費用の半分は会費から負担し、残りの半分は作者負担にしたこと。
二つめは、発行方法。作品が集まれば出すというのではなくて、締切を決めて三作品以上あれば、どんなに薄くても発行する。
三つめは、持ち回りの編集委員制にして、合評会を会員だけでも行えるようにしたこと。あらかじめ作品内容を知っているのは三人の編集委員だけなので、それ以外の会員は白紙の状態で合評会に臨める。
他に、会員相互の付き合いは、月一回の例会程度にしておく。つまり淡交ということ。人間関係での揉め事を避ける意味合いがある。
もちろん作品が集まらなければ発行ができないわけだから、長く続いたのは会員が頑張って作品を書いてきた成果でもある。
新しい書き手を見つける道として、やはり大阪文学学校の存在は大きい。「せる」の会員の中に大阪文学学校のチューター(講師)が四人いるので、これはと思う書き手を迎え入れることができる。新しい書き手が入ることによって、それまでの会員も新たな刺激を受けることになる。
最後に、会員同士はすべて対等であるという原則。自分の文学観、小説観に基づいて、言いたいことを言い合う集団であること。誰かの文学観に従う必要は全くないということ。
一番大事なのは、最後かもしれない。 (洋)
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