バレエ「くるみ割り人形」には、ロシアのコサックダンスに想をえた男子ダンサー数人によるダンスが挿入されている。クリスマスの夜に少女クララの夢のなかで展開されるパーティの出し物のひとつだ。
コサックダンスができるほど足腰が強靭ではない、われわれ中年男組の出演するジャズダンス公演のわがセンセイ演出になる「くるみ割り人形」には、ロシアの踊りの代わりにカウボーイの踊りが登場する。
カウボーイたちは、それぞれ馬を模した小道具を携えて、馬の走るさまどおりギャロップしているか、馬を正面位置から見せるように足を広げた二番ポジションからの小さいジャンプを繰り返すかが二分ほどしかないこの出番の大半を占め、ダンスらしい動きはエイトカウントかけるところの四程度あるだけである。
男組の踊りだけでは観客を魅了するテクニックに欠けるので、小道具との合わせ技で馬をどれだけ活き活きと見せることができるかが、センセイの狙いであるそう。
センセイが主宰するダンススタジオによる市民ホールでの公演には、ダンサーだけで百人を超える老若男女が出演する。男女といっても、男は、バーのマスターのエガワさん、エンジニアのイシイさんと公務員の私とあと一人、武田君。武田君以外の三人は、すでに五十歳台に突入しているが、武田君は、三十六歳。設計事務所に勤務する建築士。
勤務するといっても、事務所はおやじさんが代表である。両親との同居で、およそ生活への苦労を想像させない御曹司である。
五年前に知り合ったが、スタジオでともに汗を流すダンスだけの繋がりとはいえ、女性だらけの中、圧倒的少数派の男同志の契りみたいなものができていた。
彼は、当初から今にいたるも、バレエ担当の美人インストラクターに片思いを続けていて、美人インストラクターとねんごろになることをおっさん連中は応援するのだが、彼女は、センセイを習って、ダンスのミューズに人生を捧げているのか、両者の距離が縮まる気配がない。
まわりにはたくさんの女性がいることだし、武田君もほどほどのおねえさんで手を打ったら、そこそこの伴侶を獲得することができるだろうに、ご両親も喜ばれることだろうにと、ハタ目に観察するが、目標を下げないプライドの持ち主である。
年に一度のペースでの公演を重ねていくほどに、それぞれの個性に応じた役割分担が確立されてくる。武田君は、美術担当なかでも小道具制作である。
今回は、馬を作ってくれた。
四頭の馬と四人のカウボーイが「夕陽のガンマン」のテーマのような口笛がリードする音楽にのって、舞台でひと踊り、最後は舞台下手に競馬レースのように鼻づらを並べて四頭横一線になって、舞台上手へ競い合いながらギャロップで横断する。
その馬は、頭と首だけ。カウボーイたちが片手で制御できるように首は細い棒でよい。センセイの注文は、張子の虎の頭のように頭部が上下に揺れ動くようにして欲しいというものだった。
武田君は、円筒型にまるめることができる切り込みの入った発泡スチロールを入手して、これに厚紙を貼って頭部分をつくり、細いパイプを首にした。そして、頭と首の接合には、コルク栓に竹ヒゴを貫通させた部品を作った。コルク栓をパイプに押し込んで、竹ヒゴを頭のほっぺた部の内側に当たる位置に突きさして、完成品となる。発泡スチロールに突き刺さっているが、固定されていないので、車軸の役割を果たしていた。
さらには、パイプにクリップをはめて頭の上下動する範囲を限定する工夫も加えている。
頭には、厚紙を発泡スチロールに張り付けて、同じ厚紙を切りだして作られた目と耳が貼り付けられる。目は、白と黒の正円で、耳は、長い三角形である。
建築士だけあって、象徴的で計算づくの構造物はお手のもの、制作の楽しさが伝わってくる優れものだった。少々無機的な顔立ちに不満を感じたが、専門家の労作に対する批評は控えざるを得ない。
ただし、パース制作と似て、持ち運びのため分解できるのはありがたいのだが、軸の竹ヒゴとかが脆弱なので、練習を重ねるうちに壊れてしまって、本番まで耐用できるのか、皆が不安に思う代物でもあった。武田君も大丈夫とは言わないが、壊れたら補修すると約束してくれる。
リハーサルは、毎週日曜日の夕方からを定例に、半年近く続けられ、本番一か月前に本番会場の市民ホールで通し稽古が行われた。終了後、そのビデオをチェックして、センセイは個々とりどりのダメダシと呼ぶ変更指示を出される。
そのひとつが長さ30センチぐらいだった「馬の顔が小さい」という指示だった。上からなにか貼り付けて、大きくすることができるでしょ、と乾いた口調で依頼される。反論はできない。センセイのダメダシには、絶対服従である。
武田君はほかにも手間のかかるダメダシをかかえたため、武田君に作り直しをお願いする雰囲気はなかったので、四人それぞれが馬の頭を大きくすることになって、その日は解散した。
わたしの馬は片目を失っていたので、画像データのメール送信を依頼した。
こちらには、適当な厚紙がないので、翌日、仕事の帰路、素材探しに百円ショップに立ち寄った。
ウレタン系素材でできた二リットルのペットボトル用ホールダーが馬の頭に見えた。これと同じ商品ラインのブリーフケースもあって、ホールダーを長い鼻から口のあたりの部分に、ブリーフケースは切断して、頭を大きくする部分や耳などにできる。
さらに、馬には、ハミと手綱があってよい。ハミには英単語カード用の丸リングを、手綱用にリボンを購入した。
さらにさらに、店内をうろついていたら、ツケマツゲを発見した。こんなものも百円で売っているのかと感心していたところ、競走馬のつぶらな瞳の美しさをインスパイアして、馬の目玉用に使える白色のプラスチック・カバ−のついた安全ピンともに、ツケマツゲ一セット購入した。
まだまだ掘り出しものがありそうだとウロウロしていたら、バニーガールのコスプレ向けのうさぎ耳のカチューシャを発見した。屹立した耳の内耳部分にピンクの布が、外側は白の起毛素材で囲われている。馬の頭は黒なので、白い部分を黒く色付けなければならないのが手間だが、形が気にいったので、追加購入した。しめて六点、六三○円なり。
帰宅し、作業開始。ペットボトル・ホルダーに発砲スチロールの頭を鼻先の部分から挿入すると、ちょうどよい加減に包みこんでくれた。ブリーフケースをはさみで切り裂いて、頭の上部に貼り付け、サイズを大きくした。
あとは、ハミと手綱のリングとリボンで、荷造り紐の役割も果たさせ、骨格が完成した。
白色のカバーに油性マジックで黒い目玉を書き込む。ツケマツゲには、脱着できる接着剤が塗られていて、思うところに貼り付けることができた。黒のペットボトル・ホールダーの上に置いてみたら、つぶらな瞳ではあるものの、馬らしい真剣な眼光に見えてくる。
客席から馬のマツゲを判別できるのは、草原の狩人たるマサイ族ぐらいだろうが、みずから改良して、イメージどおりの馬の頭をつくることができた。元のマンガチックなものからアートな馬に変わり、愛着もひとしおのものとなる。
次のリハーサルの日、馬の頭を改良したものを持ち込んだ。
センセイのチェックを受け、了解を得たが、武田君は、開口一番「目が小さすぎるよ」「そんな耳、馬じゃない」と酷評する。
原作者の承認範囲を超える改変をほどこしたことで、彼が不機嫌になる気持ちを推し量ることができたが、本人は、気に入っているし、彼からは、耳の画像データが送られてこなかったことから、そちらにも落ち度があるよ、と内心でたしなめながら、「まずまずでしょう」と受け流した。
そして、その数日後、センセイからケータイ・メールをいただいた。
「こんにちは。先日はお疲れ様でした。残す時間でしっかり固めていきましょうね。
さて、ちょっと気になっている事を……武田さんの事です。社会にもまれた事がない彼の行動や言動、性格など私が見ていても、ん?となる時が多々あります。男組のメンバーは彼より数段社会経験を積んでいますのでそんな彼とうまく付き合ってくれているのかと思っています。本当に大丈夫ですか? 女性とは違い男性は細かい所にはこだわらないでしょうが目に余る態度な時はガツンと言いますので藤岡さんも振り回されない様にして下さいね。
そしてシュネターンで回りすぎて正面を間違えない様にお願いします。」
日ごろは、無味乾燥な事務連絡しか送信されなかったのに、これには、「了解しました」の定番レスができなかった。蛇足の一節も、気に入らない。
人間関係までダメダシされても、それは、センセイからレッスンされていないですよ。
本番。
ギャロップで下手から舞台に飛び出して、馬の頭を振ったら、ブチッという音が聞こえ、頭が首からはずれかけ、あわてて、あいている右手で取り抑えた。
首のパイプからコルク栓がはずれたのだ。
頭を上下動させることができない、しまったなぁと出番前の点検不足を嘆きつつ、舞台センターに踊り出たら、今度は、前にいるエガワさんの馬の首が飛んで、舞台の床に転がった。
カウボーイはマジな表情で、とセンセイから指示されていたが、観客とともに笑わずにいられなかった。
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