「作品そのもの」について   益池 成和


 まさかそのようなことには、と思いつつも、フェスティバルホールの玄関先に着くまでは、一抹の不安があった。クラシック音楽関連の本を読んだりすると、予定されていた著名な指揮者やソリストが、突然やむなく休演するという話によく出会う。たいていは当日代役をつとめた新人が、それをきっかけとしてスターに上り詰めるという成功話に結びつくのではあるが。もっとも美貌のヴァイオリニストとして誉れ高い諏訪内晶子は、もれ聞くところによると気の強さもかなりのものであるらしい。ならば、噂話の域を出ないと云っていい週刊誌の記事一本で休演などということは、まさかあり得ないだろうとは思っていたが。
 長い歴史を誇る大阪のフェスティバルホールが、建物の老朽化に伴う立て替えのため、いったん閉館する。そのホールの最後の外来オーケストラ公演が師走に入ってから行われるという。イギリスのフィルハーモニー管弦楽団で、指揮はNHK交響楽団の首席指揮者も勤めたウラディーミル・アシュケナージ。当初は指揮者にもオケに対してもこれといった思い入れはなかったので、たいして食指は動かなかった。が、ソリストが諏訪内晶子ということで、それではちょっと行ってみるか、という気になった。
 ヴァイオリンの音色が好きなので、大阪近辺で竹澤恭子の公演があると、必ずといっていいほど駆けつける。最近の贔屓は、陽気でキュートな米国人ヒラリー・ハーン。この二人ほどではないものの、やはり諏訪内もパンフレット等で見かけるとたいていは聴きに行く。やはり彼女の美貌は捨てがたいから、これまで四、五回ぐらいは駆けつけている。
 もっとも、これまでの彼女の公演で満足を味わったかと言うと必ずしもそうではない。最年少でチャイコフスキー・コンクールで優勝し、使用楽器も天下の名器ストラディヴァリウス(愛称<ドルフィン>)を奏でての演奏にもかかわらず。なるほど美しくはあるけれど、どことなく冷たい印象が彼女の演奏にはいつも付きまとってしまう。
 その点竹澤恭子は違う。彼女も同じく日本音楽財団から貸し出しを受けているストラディヴァリウス(<カンポ・セリーチェ>。過去にはストラディとしては最高価格で競り落とされた<ハンマー>を使用)を使うが、むろん音も美しく、なによりも線が太い演奏をする。そして毎回感じることなのだが、竹澤の場合、バックのオーケストラを引っ張っている印象を受けるのである。それがどうもわたしに熱演、という言葉を植え付けるらしい。
 その日の諏訪内の曲は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だった。彼女でこの曲を聴くのは、おそらく二度目か三度目だったはずである。かつてヴァイオリン協奏曲ならメン・チャイと並び称された人気曲だけに、度々演奏することになってるのだろうが、もしかすると彼女の好みなのかも知れない。
 いい出来だった。もしかすると、今まで聴いてきた彼女の演奏の中で一番だったかも知れない。少なくともいつも感じ取ってしまう、どことなく冷たい印象は、その日の演奏からは得ることはなかった。聴衆も大喜びで、何回も呼び出され、二部が控えているにもかかわらず、アンコールとしてバッハの無伴奏曲を独奏した。おそらくソリスト自身も満足していたのかも知れない。
 そんな訳でけっこう満足感の得られる演奏会となったのだが、何日か日を経ているうちに、はたしてその日の諏訪内晶子は、今まで聴いてきた中でほんとうに最高の出来だったのだろうかと、ふと思うようになった。もとより生演奏である。奏でられた側から消えていく。耳を通して脳を刺激したあと、その音そのものはもうどこにもない。CDなどで残された演奏なら比較のしようもあるけれど、比べているのは過去の音で、もはや消え去って久しい。久しいどころか、一番の出来だと思ったその夜の演奏も、もうどこにもないのである。当たり前といえば当たり前なのだが。
 なぜ最高の出来と感じたのか。実際にすばらしい演奏だったかも知れない。いや、多分そうだったに違いないが、もしかすると、その日の彼女の演奏を名演に仕立て上げた一番の功労者は、数日前たまたま眼にした、週刊誌の彼女に関するゴシップ記事だったかも知れない。
 これまでのわたしの諏訪内に関する印象は、最年少でチャイコフスキー・コンクールで優勝を果たした美貌のヴァイオリニスト、それだけである。しかし、その日は違った。取るに足らないと断じてもいい週刊誌の記事一本によって、たぐいまれな美貌を誇るヴァイオリニストも、何やらプライベートで色々と苦労しているらしい、ということを知った。そして、当夜はもしかすると急遽休演なんてこともあり得るかも、と思って会場に向かったのである。その時点で、もはや、わたしの諏訪内に関する思いは、以前の彼女の演奏時とはまったく違ったものになっていたといえるかも知れない。要するに、演奏を聴くときの、受け手の側の思いそのものが前回までとは違っていたのである。
 長い間同人の活動に携わっていると、プロ・アマを問わず人様の作品を批評することが多い。最近では、ひとえに同人のメンバーとしては不徳の致すところだが、自身がものを書く以上に、他人の作品の批評をする機会が増えてしまっている。
 批評で気をつけなければならないことは様々にあるだろうが、その中の大事なひとつに、作品そのものだけをもって判断すべき、という考え方がある。小説なら書かれた作品そのものだけを読んで判断すべきであって、書いた本人の例えば人柄やこれまでやって来たことなどは悉く排除して、作品の好し悪しを口にすべき、というものである。これは正論である。だが、これがなかなか難しいし、はなはだ怪しげでもある。
 例えば、いまだに人気の高い作家太宰治のことを考えてみても分かるかも知れない。太宰のことが話題に上れば、かなりの読書好きでも、彼が書いた作品そのものよりも先に、「ああ、あの破滅的な生き方をした人」とか「玉川上水で誰かさんと心中した作家」なんてことを思い浮かべるのではないだろうか。そして、そのイメージを持って、過去に読んだ彼の諸作品、例えば「人間失格」や「斜陽」などを、記憶の引き出しから取り出してくるのではないだろうか。
 あまり健全な論の立て方ではないだろうが、もしも太宰が破滅的な生き方を選ばず、女性と心中することもなかったのなら、いまだ衰えない作家としての名声は、はたして今日のようになっていただろうか。わたしは少し世代が違うので好んで聴くということはないけれど、「若者の教祖」と呼ばれることもあったらしいシンガー・ソングライターの尾崎豊が、あのような形で夭折せずに今も生きていたとしたら、彼の生み出した唄への評価は又違ったものになっていたかも知れない。
 あまりにも当たり前のことだが、物事には必ず背景というものがある。奏でられた音楽にたいしての感動も、小説作品への批評も、それを抜きには考えられない。いくら背景を抜きに考慮をめぐらしたつもりでも、その判断がどこまで「作品そのもの」だったかは保証の限りではない。又どのような作品であっても、生み出した人の背景があったればこそ、そこに今立っているともいえる。
 昨年の暮れフェスティバルホールの舞台に立った美貌のソリストは、おそらくは自身のことが週刊誌ネタになっているのを知っていたはずである。実際にその記事を読んだかどうかは分からないが、この国で販売部数一、二位を争う週刊誌である、取り上げられていることを知らずにすむことは難しい。ならばこそ、彼女は聴衆の無言の好奇の思いを意識しながら、おのが音楽を奏でたに違いない。もしかすると、見返したいとか、はねつけたい、あるいは演奏そのものに集中したい、という思いがあったかも知れない。それが熱演を呼び込み、聴衆のこころを普段にもまして揺り動かした可能性も否定出来ない。
 事ほどさように作品そのもの、というのは難しい。もしかすると、出来ないからこそ、ひとつの諫めとして、皆声高に称えているに過ぎないかも知れないが。

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