編集後記
このところ、小林多喜二が異常に売れているそうだ。毎日新聞によると、今年になってから五月末まで文庫本の増刷が二十万部を越えたとある。一部では店頭に平積みしたり品切れの書店もあるとかで、数ある古典小説のなか、わけてもプロレタリア文学の売れゆきとしては、たしかに異常ともいえる現象だろう。
ちなみに、オリコンの文庫ランキングでは十一位を記録したそうだから、出版元の新潮社でなくてもこれは一種の社会現象だと思いたくもなる。
しかし、なぜいま多喜二なのか、さきの新聞記事の分析によると、派遣社員やフリーターなどのいわゆるワーキングプアといわれる層が、自分たちの境遇と小説「蟹工船」などに書かれた世界を重ねて共感を呼ぶからだとある。
四十代以上の世代にも購読者が広がりつつあるそうだが、多喜二を読むならやはり三十歳までに読んでおくべきだと思う。小説には、それぞれ年代に応じた読み時があるからだ。
もっともプロレタリア文学など、その言葉さえも死語にひとしいと思える現在の若者たちが「蟹工船」や「党生活者」をどのように読むのか、私には大いに興味が湧くところでもある。
いまひとつは「文學界」の同人誌評が、今年限りで打ち切られるということを知り少なからず衝撃をうけた。ことは私のみならず、同人誌活動をしている多くの書き手にとりショッキングな知らせであったと思う。
たしかに「文學界」の同人誌評で取り上げられることで一喜一憂するとか、ひたすらそのことを目標に書いているというわけでもない。
とはいえ、誌評で作品を取り上げられるなかでの評者の一言一句は、こつこつと地道に作品を書いている同人誌作家にとり大きな励みであっただけに「文學界」における同人誌評の打ち切りは、残念でありかつ惜しまれる事柄なのだ。
若者の活字離れにより、小説が売れなくなっているといわれて久しいが、たしかに昨今の映画やドラマの原作は、劇画や漫画というのが多いようだ。しかしながら小説の魅力が薄らいでいるとは思わない。多喜二の小説がいま売れている現実は、八十年もの時代を超えてもなお人々の心に驚きと発見を与えることができる、これこそ本物の文学だけがもつ底力ではなかろうか。
さて、今号は男性作者の二作と女性作者の二作の四作品である。それぞれ作者の個性が光る誌面は、読者諸氏には満足していただけるものと思う。 (H)
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