ページ数は気になるか。やはり気になる。どのような本でも雑誌でも多少は気になる。手にとってみていきなり最終ページを確認することもある。単行本の場合が多い。読んでいる途中にも二回三回と確認する。残りのページを計算しているのだ。
嫌な記憶がよみがえってきた。高校一年の夏休みの宿題。読書感想文。課題図書はトルストイの『戦争と平和』、トーマスマンの『魔の山』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。あとは忘れたが、大長編がずらりと並んでいた。どれを選んでも文庫本で一日三十ページ以上読まなければ終わらない。一日三十ページを四十日間。これはきつい。あの時はさすがに残りのページ数が気になって気になって仕方がなかった。当時は活字嫌いだったし国語の成績も悪かったが、この宿題でますます本を読まなくなった。まじめな友達は登場人物の名前をひとりずつ書き出して関係図を作っていた。読み終えてから一気に書くのではなくて途中で二回ほどそれまでの感想文を書いておくのだといっていた。こちらは結局最後まで読みきれずにあとがきに頼ってしまった。
適量というものがあると思う。写真集なら写真集の適量、漫画なら漫画の適量、新聞の適量、辞書の適量。漫画の週刊誌などはかなり分厚いが、きっとあれくらいの量が必要なのだろう。代表的な文芸誌も分厚い部類に入るのではないか。読み応えがあるなどと自信を持っていえる人は相当な活字中毒。しかしあの分量も文芸誌としての適量なのかもしれない。分厚くなれば持ち歩くのが大変だ。まあもっとも文芸誌を持ち歩く人は少ないと思うが。
一冊の本の長さも気になるが、ひとつひとつの作品の長さも気になる。ついつい作者に何枚ぐらいですかと確かめたくなる。ここでいう何枚とはもちろん原稿用紙のこと。もう原稿用紙を使っている人はほとんどいなくなっているはずなのに長さを伝えるときは未だに四百字詰めに換算している。
さてそれでは小説の同人誌の適量はどれくらいか。会員数にもよるだろうし合評の仕方にもよる。予算の都合もある。だから一概には言えない。けれどもそれなりの適量はあると思う。毎回毎回極端にページ数の違う雑誌や同人誌があればショッキングでおもしろいとは思うが読者はきっと戸惑うだろう。
今回の七十六号も三作の発表を見て少しほっとしている。エッセイも含めて適量になった。 (w)
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