私の母は今年で八十四歳になる。近くで、一人暮らしをしている。八十を過ぎてから物忘れが多くなったが、今年に入ってそれが特にひどくなった。少し前のことを忘れてしまい、同じことを何度も聞いてくる。
三月に墓参りに同行した時、親戚の家に行ってご主人に挨拶をしたのだが、そのご主人が農作業か何かでいなくなると、しばらくして、「ご主人に挨拶したかしら」と言う。さっき挨拶したよと答えて、またしばらくすると、同じことを聞いてくる。
そんなことが三度あって、さすがにこれは少しおかしいと心配になった。それで、それとなく「物忘れを専門に診てくれるところがあるから行ってみる?」と言ってみると、「行こうかしら」と答えたので、早速近所の大学付属病院の物忘れ外来に電話をかけた。
初めての場合は、一般外来で診察してから物忘れ外来に掛からなければならないので、まず一般外来を予約した。患者が多いのか、十日後だった。
テレビの認知症のドキュメンタリー番組で、簡単な計算をして症状を改善させたというのを見て、そのことを勧めると、やってみると言ったので、計算ドリルを買ってきた。診察を受けるまでの間、かなり熱心に計算をやったらしい。
診察当日、最初に二つの知能検査を受けた。私も同席していたが、数字を並べ替えたり、引き算をしたり、時計の文字盤を書いて短針と長針で時刻を書き入れたりするテストだった。見ていて、かなり混乱しているのが分かる。
検査の結果、認知症とそうでない境界線上だと言われた。私は少なからずショックを受けた。母は動揺している様子は見せなかったが、ショックを受けたようである。帰ってきてから、計算ドリルなんか全然役に立たなかったと嘆いていたから。
「十日やそこらで、効果が出るわけないやろ」と私は笑いながら答えたが、検査結果を気にして塞ぎ込むのではないかと心配した。
しかし、そこは物忘れのいいところである。しばらくすると、境界線と言われたことを忘れている。
その後、MRI、脳波検査を受けて、物忘れ外来の診察を受けた。
担当医は、MRIの画像や脳波のグラフを見ながら、「加齢による物忘れですね」と説明し、「物忘れを改善する薬を飲みましょう」と言ってくれる。そして、「副作用について今ここで説明すると、お母様がそのことを気にされて、症状がないのに出てしまう場合がありますから、お母様には外で待ってもらって、息子さんにお話しします」と言い、母を診察室から出した。
私が母の坐っていた椅子に腰を下ろすと、担当医は「お母様は軽度認知障害ですね」とあっさりと言う。不意打ちを食らった私は、どう応えるべきか言葉が出てこない。
「大体五年くらいで、以前のお母様とは違うと感じられるようになります」
「進行するということですか」
「はい。飲んでいただくのは、脳内の神経伝達物質を増加させる薬で、進行を数年遅らせることができます」
それ以上、病気について訊く気にはなれない。私は、一人暮らしをどの時点でやめさせたらいいのかと尋ねた。
「今お住まいのところが気に入っていらっしゃるのなら、ご本人がしんどいと言われるまで続けさせてあげて下さい。環境が変わると、進行が早くなる場合がありますから、介護保険のヘルパーをお使いになって、できるだけご本人の意向に沿うようにしてあげて下さい」
薬の副作用は、胃のむかつきくらいで、一週間様子を見て、何ともなければ、用量を増やすことになった。
母は、私と担当医が何を話していたのか気にして、何度も「何を話してたの」と尋ねる。その度に、「副作用のことと、一人暮らしをどこまでさせたらいいのか聞いていただけや」と答える。根本的な治療方法がないのだから、本当のことを話しても仕方がないと思うし、死ぬ用意は八十になってから、病気に関係なくやっているから、今更病気のことを聞いても、取り立てて何かしなければならないこともないだろう。
十年ほど前、老人力という言葉がはやったことがある。確か赤瀬川原平が使い出したと記憶している。世間ではその用法を誤解して、老人の(若い者には負けない)パワーのように捉えることが多かったが、正しくは老人の衰えを肯定的に捉え直そうというコンセプトから来た言葉である。
そういう意味では、母にもいよいよ老人力がついてきたと見るべきだろう。次第に老人力を強くしていって、幽明境をゆるゆると異にしていったらいいのである。
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