炎の街頭舞踏家   林 さぶろう


 その日の朝刊で知ったギリヤーク尼ヶ崎の公演をみるために、僕はバスで阪神電車の尼崎駅まえに着いた。駅前広場での公演が始まるまでにはまだ間があり、明け方から降り続く雨を避けるためにバス停から駅舎へむかった。駅の出入り口に近いコンコースの床には、数人の男たちが座り込み酒盛りをしている。ビール缶や酒のワンカップ、コンビニの弁当や総菜が、無数のタバコの吸い殻が散らばる地面に無造作におかれている。
 その僅かに離れた場所には、耳だけでなく鼻にまでピアスを光らせた若者ら数人が座り込んで談笑し、ある者は携帯のメールにと余念がない。この駅の普段の光景なのだが、その日はいつもと違い、雨を避けて駅舎の出入り口付近に立つ何人もの人々が目についた。察するところ、これらの人たちも、僕とおなじようにギリヤークの公演を知り、かけつけた人たちと思えた。
 ギリヤーク尼ヶ崎の公演は、劇場やホールではみられない。自らの踊りの舞台を、街頭での公演にこだわる異色の舞踊家なのだ。近年は、米国や欧州の主要都市においても街頭公演をするなど、その活動歴は四十年にもわたる。津軽民謡を素材にした激しい動きで表す情念の世界が評価されるにつれ、国内外においてもその名を知る人も多いと思われる。
 予告された二時の開演時間が迫り、人々の群れが駅前広場にむけてぞろぞろと移動をはじめた。バスターミナル上階の空中庭園に上る大階段脇に、ギリヤークの公演予告の幟が晩春の雨のなかに濡れそぼっている。この大階段と広場中央の噴水池のあいだに、雨水に洗われ僅かに識別できる白墨で書かれた直径十メートルほどの円が、公演のステージであることを示していた。
 思えば昨年にはJR福知山線の脱線事故現場近くの公園で、犠牲者に鎮魂の舞をささげてから一年経っての当地での公演なのだ。
 午後の二時きっかりにキャリーバッグを引いて、ギリヤークは飄然として現れた。人垣の輪が消えかけた白墨の輪に沿い彼を囲む。一旦は弱まり、このまま止むかと思われた雨がふたたび降りだして、まわりの傘の滴をもろに受けながらも、僕は人垣の輪の一番まえにいた。
 ギリヤークは人垣の真ん中にどっかと胡座をかき、人々の足もとあたりをぐるっと睨み、自らに気合いをいれるかに微かに頷いた。彼はすぐさま小道具の入ったキャリーバッグからラジカセと、小さな表示板を取り出して傍らに置いた。長年の街頭公演によりもとの赤色がほとんど退色した錆色の表示板には『街頭舞踊芸人ギリヤーク尼ヶ崎』の文字。
 さらに小さな写真立てを三つ、その傍らに並べておいた。一つは二十年前テロの凶弾に倒れた朝日新聞阪神支局の小尻知博記者の遺影、もう二つは二年前のJR福知山線脱線事故の現場写真だ。無念の死を余儀なくされたこれら犠牲者の御霊に、ギリヤークはこれから鎮魂の舞を捧げるのだ。
 小雨のなか、ギリヤークは手にした化粧パレットから手際よく顔面に白粉を塗り、黛を描き紅をひく。目にしただけで、そうとう履き込まれたらしいトーシューズを履くとすっくと立ち上がった。さらに器用な手つきで肌をみせることなく黒のドレスに着替えると、ラジカセの傍に歩み寄りスイッチを押す。
 小手調べのように『夢』と題する舞踊が始まった。雨水を避けてビニールで覆ったラジカセからノイズの混じったアコーデオン演奏の旋律が流れる。黒の頭巾帽子を被り手に一本の薔薇を携え、円陣の真ん中でしなやかに舞うギリヤーク。そのあいだにも足を止めてみいる人々で、傘の輪は幾重にも広がる。
 続いての演題は『白鳥の湖』。同じく、アコーディオンのソロ演奏に合わせて、モダンバレーを思わせる肢体の躍動。周囲の喧噪は遮断されて、観衆はすでにギリヤークの世界に引き込まれていた。
 そのとき、突然一人の男が円陣のなかに足を踏み入れ、何事か呟きながらギリヤークにちかづいた。男は酔っているらしく、ふらつく足取りで所狭しと縦横に舞うギリヤークをつけ回そうとする。
 観衆はどうなることかと一様に不安の眼差しでみつめるが、ギリヤークは男に取り合うこともなく平然として舞い終えた。一斉に起こる観衆の拍手に、男はふてくされたように立ちつくす。
 二曲の洋舞を舞い終えると次の演目にむけて、大きな布を頭からスッポリと被り躯を覆い隠しながら、観衆の目前で慌ただしく衣装替えをするギリヤーク。
 布が取り除かれると、深紅の襦袢に経帷子、赤褌姿のギリヤークが現れた。間をいれずに一斉に観衆の拍手が起こった。彼の十八番『ねはんじょんがら』が始まるのだ。
 津軽三味線の曲弾きに合わせ、破れ菅笠に自然木の杖、小脇にゴザを抱え、腰をかがめた背には肩からかけた太棹三味線。地面を一歩一歩踏みしめるようにして歩くギリヤーク。彼は一瞬にして観るものを寒風吹きすさび、凍てつく津軽の寒村に連れて行くのだ。
 一段と激しく叩きつける三味線に合わせるように強まる雨足のなか、ゴザの上に座したギリヤークは身を捩り、さらには大きな動作の俯仰をくりかえす。髪をふりみだして絶叫し、激しくかき鳴らす破れ三味線。さらには地面を這いずりまわり、さながら五体投地を彷彿させる動きで、業苦に嘆く人々のために祈りを捧げるのだ。
 男女の性とそこに生ずる様々の怒り恨み妬み、人々の果てしなき欲望の果ては、阿鼻叫喚の地獄絵図、苦海に彷徨う人々の業と情念の世界を、激しい動きの舞踊で表現する炎の舞い。
 踊りが佳境に入ったそのとき、先ほどの男がまたしてもギリヤークに近づこうとする。何人かの観衆の制止を振り払い、間近で口汚い罵り言葉をあびせる男をぐっと睨み付けるギリヤーク。働き盛りでありながら、真っ昼間から飲んだくれているおまえのために祈ってやろう。おまえも、私とともに御仏に許しを乞うがよい。男にギリヤークの目が語りかけ、次の瞬間には激しく躯を回転させ、振り乱した髪が顔にまといつく。
 鬼神ともいえるその形相に、たじろぎ言葉を失い硬直したかに立ちつくす男、その顔には畏怖の念さえよぎる。それは鬼神の現形そのもので、居合わせるすべての者を凌駕して、七十六歳とも思えぬ弾力と強靱さを併せ持つ彼の肉体に、観衆はただただ驚嘆するばかりだ。
 降りしきる雨のなか『ねはんじょんがら』を舞い終えるとギリヤークはつづけて墨染めの衣に赤い帷子に衣装を替えた。首には大きな念珠をかけ、小脇にゴザを抱え二つ折りにならんばかりに腰を折り、杖をたよりに行乞姿で観衆に向かって叫ぶ「念仏じょんがら〜」
 はかなきものは〜この世のならい〜。吹雪の音にかき消される哀調の和讃を唱える声、激しく叩きつける三味線の響き、ゴザの上に座したギリヤークは両手で握った念珠とともに髪を振り乱して首を振り、雨水の流れる地面を転げ、傍らの写真を胸に掻き抱くや天を仰いで祈り、はたまた地面に伏して慟哭する。不慮の死を遂げた霊の無念を、激しい舞いの動きで表すギリヤーク。
 三途の川のはてまでも届けとばかりの鬼気迫る舞いに、観衆は圧倒され身じろぎもせずに戦慄するのだ。捨て身で死者の鎮魂を祈るギリヤークの迫真の祈りに、己だけ傘の下で眺めているのを恥てか、強まる雨足とは逆に傘の輪は数えるばかりに減って、人々は濡れるがままに立ちつくす。
 いきなりギリヤークが、人垣をかきわけて円陣の外へ奔りでてバスターミナルの路上を転げ回る。路上に置かれてあったポリバケツに溜まった雨水を、躊躇することなく頭からかぶり祈りの言葉を号叫するギリヤーク。
 突如として出現した奇異な光景にバス待ちの人々は驚愕し、客待ちのタクシー運転手は呆然とたたずむばかり。通りがかった一匹の黒毛の犬は、地面を這いつくばるギリヤークに頭を低くして威嚇の姿勢をとった。しかしつぎの瞬間、ギリヤークの振り回す大きな念珠と死者の魂に呼びかける絶叫に恐怖し混乱に陥っている。
 その証拠に、それまで地面を擦るほど低く攻撃的であった尻尾は、股間の奥に巻き込むように隠れている。犬は恐怖し、いまこの場所に来あわせた己の不運と絶望感に、だらしなく開けた口から涎を垂らしはじめた。いましがた広場を睥睨しつつ歩いてきたこの犬は、ギリヤークの鬼の舞いをまえにして己の尊大さも奢りも失ったのだ。わずか数メートルばかり先の駅頭で、飲んだくれている男たちの足元に散らかる、酒臭い唾液の付着した食い残しのコンビニ弁当を漁ることなど、とうに諦めたかに腰が砕けてへたり込んでしまっている。
 黒犬のまえから身を翻したギリヤークは、こんどは広場の中央にある噴水に奔りよると、その池に身を躍らせた。肩まで水に浸かりながらも両手に高々と遺影をさし上げて号叫する。
 二十九歳の若さで非業の死を遂げた小尻知博記者の無念を、脱線事故で命を失った百七名の無念を。ギリヤークは何度も頭を水中に没し、己の肉体の極限を試すかに祈り続ける。
 噴水を出てふたたび人垣のなかへ戻ってきたギリヤークは、津軽三味線の響きとともに、天を仰ぎ地面に伏し、遺影を胸に祈り舞う。それまでの激しい津軽三味線に代わり、ふたたび和讃を唱える声がながれて祈りの舞は終わった。
 このころには雨足も弱まり、取り囲んだ観衆から一斉に激しい拍手がおこった。正座して観衆に何度も頭をさげるギリヤークに、あちこちから投げ銭がとんだ。気づけば、くだんの酔っぱらい男は、ギリヤークのためにポリバケツを持って人々のあいだを歩き、そのなかには札や硬貨が投げ込まれてゆく。
 それまでの緊張感が解かれ、ふたたび街の喧噪が広場になだれ込むと、いき場を失っていた黒毛犬は、呪縛から醒めたような頼りない足取りで広場を横切り商店街の雑踏のなかへ紛れ込んでいった。
 思えば彼の踊りをみて衝撃的な感動を受けたのも、偶然に通りかかったこの広場であった。以来、彼の尼崎においての公演を知れば必ずかけつけることにしている。
 彼の舞踊はまさしく燃えさかる炎のごとくみる者の心をとらえ、鬼人のごとく振る舞い、そして厳かに祈りを捧げるのだ。
 自分は函館生まれだが、当地が自分の姓とおなじだから、関西での公演の初日は尼崎から始めるのだと、くったくのないこだわりを語るギリヤーク尼ヶ崎。彼は集まった人々に向かい、最近になり肺気腫を患い、以前のように激しい動きはできなくなったと言い、けれども命の尽きるまで街頭で踊り続けると話す。その表情は青年のように輝き、自らの舞踊に込めるふつふつとした思いを感じさせた。
 舞の余韻に酔う人々は、ギリヤークが居るあいだ立ち去ろうとせず、僕もまた、新たな感動を胸に広場をあとにしたのだった。
 

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