葉蘭の下で   西村 郁子



 面会時間の三時にあわせて家をでてきた。家と病院は車で十分もかからない。院内にあるセルフサービスの喫茶店で会うことになっていた。
 四月の陽の光を背にしている多田さんは青年のようだった。顔はシルエットになり、ウエーブした髪の毛の輪郭を金の粉が縁どっている。運んできたトレイにレモンティーとホットコーヒー、それにニューヨークチーズケーキが載っている。多田さんはレモンティーを手前に引き寄せ、グラニュー糖をひと匙いれた。ほっそりした指でスプーンをもちカップの中をゆっくりかき回している。
「何してるの」
 コーヒーに手をつけようとしないわたしを催促して言った。同じように手前にコーヒーを引き寄せ、何もいれずカップを持ち上げた。
「早くこれも」
 多田さんはチーズケーキをこっちに押した。自分は昼ごはんを食べたばかりだからとケーキはひとつしか頼まなかった。大振りなフォークを横にしてケーキをきった。堅い感触が指に伝わり、少し力を加えておろしていく。ひとかけを口にいれた。
 先々週、ずい分前から約束していた定年退職と再就職祝いの食事の約束を体調が悪いとキャンセルされたので、胃でも悪いのかと軽く思っていた。それが昨日病院からだと電話がかかってきたのだ。
「全然どこも悪そうにみえないですよ」
 口の中のチーズケーキをブラックコーヒーで軽く流してから言った。
「そうや。じっとしてたらどうもない。階段上ったり駆け込み乗車なんかしようとしたら息があがってしまう」
 不整脈のための検査入院だった。グレーのカーディガンの襟元に和柄の伊達締めみたいな布が見える。ピンク地でまるで多田さんにそぐわない。そう思っているのを見透かされたのか、ここでモニターしているのだと説明してくれた。ピンクの伊達締めは心拍を二十四時間モニターする携帯型の計器を吊るす紐らしい。
「不整脈って、電話では脈が遅いって言ってましたよね。インターネットで調べたんですけど、徐脈っていうのですよね」
「うん。僕の場合、一分間で四十回しか心拍がなくて、会社も休んで安静にしてたんだけど正常に戻らんかった。治療方針はあさって木曜日に言われることになってるけど、ブロックがあるってわかったしな」
 そういいながら多田さんは椅子をずらして、足を組んだ。陽光がずれて突然、多田さんの表情が現れた。その視線がまっすぐわたしのほうを射抜くように向けられてていたので、慌てて下を向いた。
 多田さんがいた後ろにオリヅル蘭の鉢が置いてあった。ペーパーナイフのような鋭さで全方向に葉を垂れている。また葉のあいだからスパゲティー状のつるが延びて先端に子どものオリヅル蘭をつけていた。葉もつるも静かに上下していて、その速度が多田さんの心拍の速さとして伝わってくる。
「何か買ってくるものないですか」
 昨日の電話でも同じことを言った。
 多田さんは妻と別居中であり、離婚をのぞんでいた。
「着替えのパジャマはありますか」
 今着ている深緑のパジャマをじっとみる。昨日もそうだった。なかなか返事をしようとしない。
「そしたら買ってきてもらおうかな」
「サイズはLでいいですか」
 体はほっそりしているが、背は高いのでLサイズではないかと思うが、多田さんもはっきりしない。わたしは立って多田さんの襟首をめくってみた。タグはMと書かれていた。椅子に戻って改めて多田さんをみる。そんなに寸足らずでもなさそうだった。
 サイズを確かめるとき、かすかに体臭が臭った。髪の脂じみた臭いだった。何度も会っているが、こんなことは初めてだ。多田さんは病人になっている。
「やっぱり、ストレスですかね。定年退職して住まいも変って、新しい仕事が始まったでしょ」
 週に三日だけ働くといっていたが、閑職とは縁遠い新製品の開発を任されていた。
「電気一筋で働いてきて、自分の体の電気が減ってしまうなんて皮肉ですね」
 多田さんも笑って頷いた。
 ふたりで食事をしているときに、よく多田さんの仕事の話をきいた。
 僕はハードの人間なんでね、という言葉が忘れられない。放送関係の技術職だった多田さんは頼まれて、大学時代の後輩が社長をしている会社で研修の講師の仕事もしていた。それが現会社なのだがひと月に一度若い社員を対象に技術のことを話してきたのだそうだ。
 最近の若い奴にはついていけない、と言ったことがある。頭が追いつかないというのではなく、多田さんが何かを作るときは、そこに思想があってそれに従って作るものだと言った。論理だてた考えがあってこそ、作ったものが正しく動くのだ。
 自分と若い人の違いを喩えて、テープに鉄粉を撒いて現像するのがハードの技術だが、DVDにとってかわったのと同じようなものだと言い、その他人が作ったソフトを使うのが嫌なのだそうだ。なぜならそのソフトには製作者の思想があり、製作者のミスであるバグが存在する。多田さんはそれが理解できないのだそうだ。それならば自分でつくる方がよいと。人間がソフト型になるということは、ある部分、興味のあることであればものすごく勉強し詳しくなっているが、それ以外は知らん顔なんだとか。物ごとが細分化されてきているとも言った。
「会社はどうされるんですか」
 わたしは予後のこともあり、勝手に長期休みになるだろうと思っていた。
「おとつい電話で検査入院すると言ってある」
 一週間で戻りそうな口調で言った。
「忙しいって言ってたでしょ。もう辞めて陶芸教室されたらどうですか。わたしが生徒さんたくさん集めてきますよ」
 多田さんは嬉しそうに笑った。
 後ろに人の気配がした。多田さんもそちらをみている。振り返ると、三十代くらいの若い夫婦連れのような男女が立っている。わたしたちの隣の席に座ろうかと躊躇っているようだったが、別に荷物を置いていたわけでもなかったので、気にせず多田さんのほうに向き直った。だが、まだ多田さんはふたりをみつめていた。それでもういちど振り返ると、
「立ってんと、座りなさい」
 多田さんが言った。
 ふたりは多田さんを見たまま、若干前に身を傾けた。
 口は何かを言い出しそうなのに、いっかな言葉がでてこない。
「こっちが長男で、M市役所に勤めてるって言ってた」
 と、紹介された。わたしはそんなこと聞いたことがあったようななかったような曖昧な気持ちのまま頭をさげた。
 多田さんの横に座った長男は、立っていたときと同じ顔のまま会釈した。
「こっちが長女や……。それから彼女が陶芸仲間の佐々田さん」
 わたしはゆっくり遮って、
「お会いしたことありますよね。二年ほどまえM市のご自宅で練り込みを教えてもらいに行ったとき、小さい娘さんと一緒に……」
 長女は記憶を探るように下を向いてから、ぱっと顔をあげたて「ああ、あのとき」と頷いた。
 今度は多田さんが考え込み、「いつや」と長女に尋ねる。
「パパ、あの時よ。みっちゃんが幼稚園の発表会でピアノを弾くのにわたしの使ってたピアノでお稽古してたでしょ。パパが陶芸してて、みっちゃんにも粘土で遊ばせてくれたじゃない」
 わたしも横から、
「Kさんと練り込み教えてもらいに行ったときです」
 と付け加えた。
「ああ、あのときか」
 あのとき電話で、Kさんが家に来て陶芸の練り込みを教えてといってるから、あんたも来ないかと誘ってもらったのだった。
 最寄の駅に迎えに来てもらって家にお邪魔した。
 楠正成ゆかりの古い町で旧家の多く残るところだった。多田さんの家もそのひとつで大きく開かれた門構えを入ると、築山になったツツジが植わっている。二軒幅の大きな白木のひき違い戸の玄関があり、そこに向かうのかと思っていたら、すっと通りすぎ、奥の方に連れられた。
 そこは古びた木造の家で、完全に母屋と軒を離して建っていた。縁側の建具はなく沖縄なんかの古民家を思わせる佇まいだ。
 ちゃんとすぐに作陶できるよう準備がされていたが、わたしとKさんは中をあちこち見て回り、生活の気配がしないことを尋ねた。母親の家だったと言ったので、すでに故人かと思い込んでいたら、去年の正月に多田さんから母親が亡くなったときいた。それで長く介護施設に入っていたことを知った。

 多田さんと長男たちが話しにくそうにしているのはわかったが、彼らが座ってすぐに立って帰るのもどうかと思い、厚顔承知でコーヒーを啜った。
 長女のほうはわたしに対する警戒を解いたのか、何食わぬ顔でいることに決めたのか笑顔を向けてくれたが、長男は相変わらずわたしをどの位置づけに置くものか決めかねている顔をしている。
「それじゃ、わたしはこれで」
 全員がほっとしたような空気が流れる。喫茶店の出入口までつかつかと歩き、最後に多田さんのいる方をみた。三人ともわたしのいたことを忘れたように話し込んでいた。
 病院の地下駐車場に停めていた車に乗り込みゲートをでる。料金は二時間分の金額を表示していた。
 誘導路を通り、信号が変ると大通りに車を出した。
 それにしても長男の顔が面白かった。心臓の病気で心配して来てみると親父はちゃっかり女に電話して見舞いに来てもらっている。何をしてるのだという呆れた顔だった。わたしの父親が多田さんの五歳上なので長男と同じくらいの世代だ。わたしの父も年賀状の添え書きに、今度美術館でもいこか、などと女の人に出したものが住所不明で戻ってきたのをみたとき、自分の父親でもこんな台詞を言うのだなと思ったことがあった。
 長男たちが来るまでは、パジャマを買って戻るつもりだったがそれはもういいだろう。クローズの札をかけてきた雑貨店に戻ることにした。

 二日たったが、多田さんから連絡がなかった。聞いていた話では、今日、ペースメーカーをつける手術をするかどうかが決まるはずだった。
 こちらから出向かないのは、多田さんの息子、娘に気兼ねをしているからではない。多田さんには東京に暮らす長年の恋人がいるからだった。
 わたしは携帯電話のアドレス帳を開き、多田さんのアドレスを出してみた。自宅と自宅パソコンのメールアドレス、それに携帯の電話だけだった。
 このまえ見舞いに行ったとき、携帯のメールは契約していないと言っていたが、多田さんもこんなときは携帯のメールの必要性を感じたらしく、病院をでたら契約に行くと言っていた。
 携帯をぱちんと閉じると、掛け時計に目をやった。十時だ。朝6時に起きて植木の水遣りや店の周りの掃除が住むと正午ごろまでがわたしの時間になる。以前はジムに通っていたが、毎日顔を合わす人に更衣室で話しかけられ親しげに寄ってこられるようになると、行くのが嫌になり止めてしまった。
 階下の店に行けば検品の終わっていない食器や値札をつける仕事があるが、やはり多田さんのことが気になってやる気がおこらない。
 会社勤めで貯めたお金をもとに雑貨店を開いて五年になる。開店当時は土物の和陶器ばかりを置いていたが、それだけでは客が来ず、いつしか今のような生活雑貨を商材にするようになった。
 店の一角に多田さんの練り込みの作品ばかりを置いているスペースがある。毎年伝統工芸展に出品するため大きな壷や鉢を作るのだが、会が終わってしまうと置き場所に困るということで委託品として預かっているのだ。
 店に来た客はまずそこに行き立ち止まってくれるのだが、相場からすると相当安いといっても十五、六万円する壷に財布の口をあける人はいなかった。逆に余った土で作ってくれる箸置きやお手塩皿なんかは、五百円から千円で飛ぶように売れる。実はそういう小物は多田さんがくれるものなので、おおいにありがたかった。
 呼び鈴が鳴った。
 最近はホームページも作って店のPRをしているので、旅行のついでに店に立ち寄る人も多くなった。スケジュールの都合で開店前でも見せて欲しいといわれることもある。
 ガラスの格子戸の向こうに女の人がひとり立っていた。客ではなさそうなので、階段の下で立ち止まった。女の人はガラス戸に近寄り中を覗いている。店の奥にいるわたしのほうをじっと見ている気がして、仕方なく戸を開けることにした。
 女の人は白いブラウスに紺のフレアスカート、手には風呂敷に包まれた植木鉢を提げて立っていた。その顔にどこか見覚えがあったが誰だか思い出せなかった。
 すると、
「突然ごめんなさい。多田の家内でございます」
 そう言って深々と頭を下げた。すっと頭を戻すとき、今度は違和感を感じた。左耳の辺りが異様に膨らんでいたからだった。
「あの……」と彼女はわたしの応答を催促するように一歩進み出た。この場合、入り口で用件をきくには話が込み入ってそうだし、家に入ってふたりきりになるのも気乗りしなかったので、まだどう答えてよいのか言葉がでてこないのだ。
「ごめんなさい。驚かれたでしょ。でもどうしてもお話をしておきたくて、よかったら、お店の中でお話させてもらえません」
 さすが年の功と思わせる手際のよさで、体を反転させて店の中に入ってきた。
 店の中央に小休止用の木のテーブルセットが置いてあり、彼女はそこに行って座ってしまった。
 薄暗い店内にガラス戸から差し込む柔らかい光が、少しずつ差し込んでくる時間帯だったが、客のために一部分の照明をつけることにした。
「どうかお構いくださいませんように」
 彼女はそう言うと手提げ袋の中からお茶のペットボトルを二つ取り出し、これは駅前のお店で買ったのですけど、と桜餅をその隣においた。
「その節は、お宅にお邪魔させていただいて、お世話になりました」
 わたしは二年前の作陶の日の礼を言った。あの日、お昼前から多田さんの家で練り込みの作陶をしていて、この前の長女さんと孫娘がやってきて、それについて彼女が挨拶にきたのだ。
 お昼に店屋物のパック寿司とすまし汁を作ってだしてくれたとき、田舎料理なんですよと、すまし汁のことを言った。巻き麩と卵を割って汁の中に落としたもので、母親が作ってくれたものとよく似ていて懐かしかったのを覚えている。
 わたしたちが来ることは話してなかったのかと思ったが、寡黙な多田さんならありえることだと受け取っていた。当時、多田さんのお母さんは介護施設に入っていて、お母さんが住んでいた方の家をアトリエにしていたのだ。
「この前、夫の病院にいらしてくれてたんですね。娘や息子からききました。あ、あそこにも、主人の置いてくれてらっしゃるのね」
 彼女は目線の先にある多田さんの壷や皿に気づいて言った。
 これから何を言われるのか見当もつかない。仮に夫との関係を誤解して、何か言いにきたとしたら、あるがままに説明すればいいと思っている。別に友人以上の付き合いはないのだ。それに、作陶に行ったあの時ですら別居状態だったことは後から聞いて知っていた。
「わたくしね、あなただから申し上げるんですけど、主人との離婚を拒んでおりまして、それでそのストレスからでしょうかリンパ腫、悪性のね、癌にね、なったんですよ」
 切れ切れに言葉を吐き、首を捻ってみせた。
「こんなこと恥だとは百も承知でお話に参ったんですけど、夫と東京にいる女のことは死んでも許せないんです。わたしと別れてふたりが籍をいれるつもりだと聞いたときは、夫を殺してわたしも死んでやろうかと思ったくらいです」
 多田さんと東京の恋人とはお互いに独身時代に出会っていて、それも友人としてだったらしいが、お互い四十代になったころ再会したのがきっかけで付き合いが始まったと聞いていた。
 多田さんにすれば、秘密裏にしておけるものならずっとそのつもりだったらしいのだが、彼女が探偵を使って調べさせ、多田さんの親友にまでバラしてしまったのだ。     
 最初に会ったときもそうだが、彼女にはどこか山の手のマダムのような品格があって、心の内に激しい嫉妬をたぎらしているようにはとてもみえない。今も重篤な病気を抱えているにしても、身奇麗にして指にはシンプルながら高級感のあるエメラルドの指輪をしていた。
 まだ話の方向が見えず、わたしは少し焦れてきた。今から何をいわれてもわたしは多田さんの友だちなので、彼女に懐柔されるわけにはいかないのだ。ましてや、多田さんと東京の恋人のことなどあずかり知るものではない。もし、そんな感じのことを切り出されたらきっぱり断ろうと決めた。
 ただ、わたしも夫に女ができて、家をでていかれたのは同じなので、彼女の気持ちは痛いほど分かるのだ。それは多田さんにも言ったことがある。夫に離婚してくれといわれるのは、人格を否定されたような気になる。そして夫と女がいっしょになることは、ふたりは幸せになり、自分だけが不幸になっていると、許しがたい嫉妬心に身がちぎれそうになったのだと。
 多田さんはありがたいと言った。姉や親しい人にいうと、かならず家内のほうが悪いと僕の側につくけれど、わたしのように妻の側に立って意見を言ってくれる人はないからと。 
「今日伺ったのは、これを受け取ってもらいに来たんです」
 そういうと紫の風呂敷を床に置いたまま解いていった。
 そこには土の塊をスーパーのレジ袋に包んだ観葉植物が入っていた。
「葉蘭なんです。M市の家の庭に植わってたんですが、これをあなたに面倒みてもらいたくて、お願いにあがったんです」
「えっ」と言って彼女の顔をみた。
「多田の家に江戸時代からあったんです。戦前は大阪の堀江で材木商をしてましてね、そこで植わっていたのをM市に転宅するときに持ってきまして。これは多田家の主婦が育てていくことになっているんです。店はとっくに廃業してしまっているけど、今でも毎年正月の二日はマルニ会といって、当時の使用人の家族や分家筋も集まっているんです」
 息をついで、また、
「そのときに神木の上にこれを載せて、そこにお米とお神酒をお供えするしきたりなんです。うちの主人は本家の長男なんですよ。だから主人が家をでるときにもちだそうとしたんですけど、わたしが必死でとめたんです。だって、主人が持っていけばあの女が育てることになるでしょう」
 そこまで喋ると、彼女はペットボトルの蓋を回してとり、そのままごくごくと飲んだ。
「あら、すいません。コップも用意しませんで」
 わたしは腰を浮かせた。
「お願いだから、構わずにお座りになっててちょうだい」
 肩を押しとどめられた。
「どうしてあなたにって、思ってらっしゃるでしょ」
「ええ、そうですよ。わたしはお預かりできないです」
 江戸時代やマルニの会などわたしのかかわるような世界ではない。
「それがどうしてもあなたでないと、ダメだとわかりましたの。それがこの間、病院で娘たちと会ったと聞いたときに……。ごめんなさいね。気が変だと思われるでしょうけど、もう少し我慢してきいてちょうだい」
 もうひと口、ペットボトルからお茶を飲んだ。
「葉蘭の下にね。おばあちゃんの遺灰を埋めたんです。主人がね。介護施設に入っているときも、わたしは一切ノータッチでしたの。酷い嫁とお思いになってもいいのよ。でも、お義母さんはわたしの出生のことで主人との結婚を反対してきたの、子どもができてもわたしを嫁とは認めずに主人の姉たちに家のことは任せていたわ」
「わたしの母は南地で芸者をしていてね。ある政治家のお妾になったの。それでわたしが生まれたのね。むかしはまだ、そういうのがあってね。父ね、、認知はしてくれたけれど、一族からはもちろん除外よ。進学も就職も父の口利きでいいところに行けたし、当時華やかなテレビ局に入社したのもコネがあったからだものね。そこで主人と知り合って、お義母さんは材木商の娘でね、婿養子だったのお義父さんは。だから、結婚の許しもお義母さんに貰いにいったようなもので。反対されたけれど、わたしも父の人脈を使って、主人の職場の上司を味方につけて、やっと結婚できたの。そういういきさつがあって、最初からそんなだったの」
 彼女の顔が青黒くみえる。
「ご気分悪いんじゃないですか」
 わたしの言葉が聞こえてないように、
「夢でね。お義母さんが葉蘭のところに立ってわたしのことを黙ってみているの。悲しそうな顔をして。最初はそんな夢をみたあとは、腹がたってしかたがなかったし、抜いて捨ててしまおうかと思って、娘に相談しましたの。そしたらね。お母さん、この世に恨みを残したらわたしの娘の幸せにも影がさすとは思わないって言われたんです。お父さんに葉蘭を返してあげてって、泣くんですよ」
 病院の喫茶室でみた横顔を思い浮かべた。長女は再び交わることのない親の関係に胸を痛めていたに違いない。
 そういえば、多田さんに別居するならM市に近いところでと言ったことがあった。これは子どもの立場で言ったことだが、離れて住まれたら子どもが右往左往しなくてはならず、普段の様子が分からないと心配だろうからと。
「娘が夫から聞いたことをききましたの。あなたが、今度の主人の病気はわたしの生霊じゃないかって」
 後ろ髪をつかまれて引っ張りあげられたような気がした。確かにそんな話はしたけれど、多田さんとの間で交わしたジョークのつもりだった。横顔の長女のことが今度は敵に思えた。
「すみません。お気を悪くされたのでしたら謝ります」
 わたしは椅子からたちあがり、深く腰を曲げた。
 彼女の口から笑って否定してくれるのを待ったが、まったく何も聞こえてこなかった。
 ゆっくり腰を戻すと、恐々彼女の顔をうかがった。
 鼻にハンカチを押し当てて、顔を横に向けている。わたしはマージャン卓で牌をガラガラと混ぜるように自分が口にだしてしまったことを無かったことにしたかった。彼女のことが理解できるとも言いたかったし、これっぽちも悪意はないことを分かってもらいたいと必死で思った。
「生霊って言ったのは本当ですけど、奥さんのことを悪く思って言ったのと違うんです。多田さんのあの状況では奥さんが辛い思いをされているだろうと思うし、あの、わたしの母がよくそんなことを言う人だったので、つい、まさか、お耳に入るとは思っ……、あ、でも陰口じゃないんです」
「いいんです。息子や娘にはなんで離婚して、新しい生活をしないんだって言われてますの。息子なんか、お母さんの面倒は俺がみてやるから心配するなって」
 彼女は目じりを下げて笑った。その端からつうと涙が流れていった。
「人を呪わば穴ふたつっていいますでしょう。わたしはお義母さんを呪い、あの女を呪ってきました。それは主人が一度もわたしを一番大事な女としてみてくれなかったからです。どうしようもなかった……。それで自分がこんなことになってしまったの」
 彼女は左の顎の膨らみを手で撫でた。
「娘がね。孫の幸せのことをいうまでは、あの世に行っても呪い続けてやるって思っていたんですよ。それをね、
娘が病院で、あなたが主人に奥さんの無念を汲み取ってあげないと人間として失格じゃないですかって言っておられたって聞いて……」
 彼女はわっと泣き出した。
 一時的にお預かりするだけですから、と何度も念をおして葉蘭の包みを受け取った。彼女が店の格子戸に向かって歩いて行くのをなんとなく目で追っていた。彼女の髪の周りに光の金の輪郭が浮かびあがり、彼女の靴で踏んだ床には、ガラスのプリズムがきれいな虹を映している。虹を踏み越えて行ったんだ。まるでそれは善き事の徴のように思われた。
 椅子に戻り、葉蘭をみる。多田さんの母親の遺灰を養分に摂って、葉は濃い緑で艶めいている。
 無念を汲み取ってやれ、とは、わたしはそんなこと言ったんだと改めて思った。確か長女さんたちが来るまでのあいだ、いろんなことを喋っていた。どこでそんなことを言ったのか思い返してみる。
 そうだ。多田さんが、東京の彼女がもし僕が死んだら何の権利もないって嘆くんだと言ったことからだった。多田さんの愛情も時間ももらった彼女がそのうえ多田さんと同じお墓に入る権利まで欲しがるのは欲張りが過ぎると思ったのだ。すべてを失いかけている人間からまだ奪うのかと思うと多田さんの奥さんに代わって腹を立てていた。
 数軒先の園芸好きな人のところに行って、葉蘭を鉢に移植してもらった。日陰がいいというので店の中に置くことにした。多田さんの壷をおいているコーナーにおさまった植木鉢は、ますます生気を感じさせる。
 お昼をまわったところだが食欲はなかった。朝から心配だった多田さんの病院に行く理由もできたことなので、身支度にかかった。急用のときなどに店番を頼める友だちに電話をして来てもらい、病院に行ってくるというと、顔色悪いけど風邪でもひいたのかと言われた。頬に手お当ててみるが、自分がしんどいのか元気なのか、さっきの話で高揚していてわからなかった。あちこち触りまわるのが好きな友だちなので、店の隅にある葉蘭の鉢には触らないほうがいいと言い残して店をでた。
 車のエンジンをかけるときに寒気がしてきた。顔色が悪いと言われたからほんとに具合が悪くなってきたのだろうか。多田さんの奥さんの気迫に負けてしまったせいだろうか。シックハウス症候群のように家にいては体がボロボロになるのにローンの残る家をどうすることもできず、住み続ける人のように負の財産と背負った人。
 彼女に公平中立な女だと認めてもらえたことが、蓋をしていた記憶を思い出すはめになったからか。
 わたしも多田さんと一度だけ寝たことがある。
 夫が家を出て行ったとき、ひとりでいることが耐えられなくて多田さんを呼び出してお酒を飲んだ日のことだった。終電の時間が迫っている駅前でわたしは多田さんにしがみついて泣いていた。
 多田さんは何度か落ちつかそうと体を引き離して、帰りなさいと言っていたが、わたしはその口にキスをした。それからよく覚えていないのだが、気がつくとホテルの一室で寝ていた。
 明け方目が覚めて隣に多田さんがいたのに少し驚いたのを覚えている。布団の中で体を動かすと多田さんもすぐに目を覚ました。今度は多田さんのほうからキスをしてきた。服を脱がされ多田さんのペニスがわたしの中に入ったとき、下腹部の快感と胸の中に荒涼とした感じが同時に湧き上がったのをおぼえている。
 セックスの最中なのに、多田さんとこうなったのは間違いだったとすぐに後悔した。赤ちゃんができる……と言ったときだったか、多田さんはあわてて腰をひき外に射精をした。
 次に多田さんと会って食事をしたとき、多田さんは足さきでわたしの足をつんつんと突き、誘う素振りをした。わたしがその足から遠ざかるように足をずらすと、多田さんに嫌がっていることが伝わったようだった。もう次にそんなことしてこなかった。そしてそれからも何度か会っているうちに、やがてあれは夢だったのかと思えるようになっていった。
 さくら病棟の十一階に多田さんの病室がある。空港ロビーのような一階からエレベーターに乗った。病棟専用なので七階まで停まらずに昇っていく。振動もなく吸いあげられるような感じは高級ホテル並みだと思った。
 エレベーターを降りると左右に病棟があり、循環器を含む疾病患者はさくら病棟と記されていた。このあいだは、喫茶室で待ち合わせたので病棟は初めてだ。受付を右に曲がって廊下の中ほどに多田さんからきいた病室番号と多田さんのネームが掛かっていた。
 入り口に立つと、すぐに多田さんと目が合った。右の一番手前のベッドで、多田さんはベッドに寝ず、見舞い客用のパイプ椅子に足を組んで座っていた。
 わたしをみると膝の上に置いてあった雑誌をベッドに投げやった。
「何を読んでたんですか」
 雑誌を拾い上げながら訊いた。表紙には数独パズルと書いてあった。
「マスの中に数字を入れていくパズルや」
 ぱらぱらとページをめくってみた。ほとんどのマスは埋め尽くされていて、余白には多田さんが書き込んだ計算式があった。
「これって計算をしないといけないんですか」
「いや、エクセル関数で解けないか考えてたんや。数独の解法定石を数式化してるので、人が考えて解くのと同じようになる」
「人の頭ではどう考えて解いてるんですか」
 多田さんは雑誌をとると、まだ解いてない問題のページを開いた。
「三かける三の九マスが一つと考えて、横に三、縦にも三ブロックあるやろ。この右端のブロックだけを考えると、この列に五……」
 そういいながら、二色ボールペンの赤色を出して、縦横に線を引いていく。
「制約や」
 右端のブロックの一つだけが、空白になっている。空白には五しか入らないということだ。
「ああ、そういうことですか」
 わたしは手本をみせるように次々マスに数字を書き入れる多田さんを制するように大きな声で言った。
「でもそんなに頭を使っていると、疲れますよ」
「こんなもん頭を使ってるうちに入らへんよ」
 その顔はかつて仕事で抱えた数々の難問を思い出しているようだった。
「ちょっとびっくりされるかもしれませんが……」
 心の準備をしてもらおうとわざと間をおいた。
「今朝奥さんが家に来られましてね。いや、怒鳴り込みに来たんじゃないんですよ」
 わたしは笑ったが多田さんはこわばったままだ。
「お家に植わってた葉蘭を持ってこられて、わたしに世話をしてくれっていわれたんです」
「なんでそんなこと」
「娘さんから、このまえの病院での話をきいたからだって、言っておられました。とりあえず預かるだけということで、店に置いてますが、江戸時代からの大事なものだってきいたんで」
「江戸時代……」
 多田さんは何のことか分からないようだった。
「多田さんが持っていきたがったのを奥さんが持っていかさなかったのと違うのですか」
「ああ……」
 まだ気のない返事だった。
「あれはな、おふくろの思い出やねん。子どものころに遠足のお弁当いうたら、弁当箱の内側に敷いてくれたり、おにぎりを包んでくれてたもんや」
「マルニの会がどうとかいわれてましたけど」
「それにも使ってたけど、別にどこのでもええのや。ただ、家の庭に生えてたのは特におふくろが好きやったから、あそこに灰もまいたしな」
 長く考え込んでいる様子なので黙ってみていた。
「何も言わへんおとなしい母親やったんや。結婚を反対したからってゆうて、きつうあたってな」
 多田さんは膝の上で拳を握っていた。
 ここに嫁姑と親子の根深い恩讐が横たわっているような気がした。それなら東京の恋人は多田さんにとってどのような存在なのだろうかと思った。母親の代わりなのか、妻の代わりなのか。
 それで思い出したので、東京の彼女はいつこられるんですかと訊いた。週末に来るという。
「じゃ、彼女が来られたら葉蘭をお渡ししたらいいですね」
 わたしは多田さんの奥さんの言葉を意識しながらも、葉蘭を多田さんの恋人に手渡すことに迷いはなかった。
 実際、断っているわたしのところに曰く因縁のある植物を置いていったことに少なからず腹を立てていた。強引な人だと、そんなだから平穏な人生を送り損ねてるんだとか、非難の言葉を総動員して、自分のしようとしていることに正当さをもたせる。
 すると、
「それはいかん。あいつがあんたのところへ持っていったのは、そうささんためやったんやろ」
 多田さんは拳をこめかみにあてて、こつこつと軽く打ちつけている。
「僕が動けるようになったら、考えるからそれまで預かっておいてくれ。申し訳ない」
 パイプ椅子に座った姿勢で深く頭を下げた。
 帰り道、わたしもなぜ言わなかったのかと気づいたのだが、多田さんの娘や息子に葉蘭をみてもらうのを誰も言わないのだろうかと不思議に思った。引き返して言うことでもないが、今度会ったらそれを言ってみようと思った。
 店に戻ると、店番をしていた友だちが嬉しそうに飛び跳ねながら近寄ってきた。
「すごいよ。練り込みの壷が売れた」
 そう言ってレジから一万円札の束を抜き出して見せた。
「嘘、どんな人が買っていかれたの」
「年配の女の人で、東京弁だったかな。ふらっと店に入ってきて、壷をみるなり、これをくださいって」
「それで、あんな大きな壷持って帰ったの」
 友だちは首をかしげるように、
「お金だけ先払って、すぐに車で誰かと取りに来られたの。箱なんか作ってないでしょ。だから、後日木箱を作って銘っていうの、作者の箱書きもしてお届けしますって、それで間違ってないよね、ね、そう言ったのに、箱は要りませんからって持って帰っちゃった」
「住所は、聞いてくれてる」
 そこで友だちは肩をすくめた。
「ごめん。そう言われるって思ってたけど、わたしも舞い上がってて、忘れたのよ。お礼状もださないといけないのにね」
 それはそうだが、店番してもらったうえに高額な商品を売ってもらっていて文句などいえない。
 まっさきに浮かんだのは多田さんの奥さんの顔だった。
「その人、年配っていっても六十代くらいだったんじゃない」
「いや、ぱっと見た感じは七十歳はいってるなって思ったわ。小柄でほっそりとしてた。髪は真っ白で上品にシニヨンに結っていて、八千草なんとかって女優に似てる」
 八千草薫だったら知っているが、老女になった八千草薫ってどうなんだと思った。しかし、それならば多田さんの奥さんではない。東京の恋人とも違うだろう。
 偶然のことと思えばいいのだが、葉蘭の来た日に老女が来たなんて、つきすぎていてお札が葉っぱになってるんじゃないかと思ってしまう。
 そのあともお客が引きもきらずやってきた。それも気前のよい客ばかりで、レジの中は一万円札がどんどん溜まっていった。レジを閉めて売り上げを数えたら相当な額になっていた。壷の代金を差し引いても数日分の売り上げになる。
「ビールでも飲みに行こうか」
 帰りそびれた友だちが最後まで手伝ったくれた。
「行きたい。じゃあ家に電話いれとくわ」
 赤い携帯電話を取り出した。高校生の娘が出た様子で話ぶりでは家の電話ではなく、娘も外にいるようだった。
「旦那さんには連絡しなくていいの」
「旦那、いいのいいの。たぶんわたしより遅いと思うし、わたしがいなかったらメールしてくるから」
 友だちのよく行くという居酒屋で看板までいた。話は今日の売り上げのことに終始したが、友だちに葉蘭のことは伏せていた。すると、
「あなたが病院に行くまえにさぁ、植木に触らない方がいいよって言ったじゃない。あれさぁ、何って思ったのよ。だって、触らないでだったら分かるけど、方がいいって、ねぇ。それでさ、触らなかったけど近くに行って眺めたわけ。そしたらなんか妖気のような霊気のようなぞくってするものを感じたのよ」
 友だちは両腕を擦るようにした。
「なんかいわくがあるんでしょ」
 じっとわたしの目をみた。
「あるけど、言えない」
「あそ。じゃ聞かない」
 そう言って、箸を置いた。怒ったのかなと思ったが、そうではなかった。
「じゃこの件はこれまで。わたしもいっさい気にしないようにする」
 友だちは自分の体のほこりを振り払うようにして、それは何かの呪いのようにみえた。
「何してるの」
「払ってるの。わたし受けやすい体質みたいでね。人のことに首を突っ込んだりすると、とたんに体がしんどくなったりするのよ。だからできるだけ他人のことに関わらないようにしてるの」
「それって霊感があるってこと」
「ちょっと違う。見えたり聞こえたりするんじゃなくて、電波を受信するような感じ。何かを受け取ってるんだけど、何かは分からない。だからシャットダウンしないといけないの」
 確かに電磁波は体に悪いが、そんなことがあるのだろうかと半信半疑だ。友だちはそれを見透かしたように、
「見えるものだけが、現実じゃないでしょ。携帯電話もテレビもラジオも見えないけど電波が飛び交ってるってこと、疑う人はいないでしょ。花粉症も目に見えない粒子でなるし、生命のあるものってなんかしら電気をもってるんだし、だからあなたも深入りはやめたほうがいいと思う。これはほんとだから」
 友だちと別れてから思った。わたしも多田さんに具合が悪くなったのは奥さんの生霊じゃないですかと言ったのだ。冗談が混じっていたかもしれないが、半分よりずっと少なかった。ほとんど本心で生霊はあると信じていたかもしれない。友だちの言ってることを否定する必要はどこにもなかった。
 翌日、多田さんから電話があった。週末から東京の恋人が来てくれ、しばらく多田さんの家にいて世話をしてくれることになったそうだ。手術は週明けの火曜日に決まった。
 壷が売れたことを報告した。少し驚いたようだったが、喜んでいるふうもなかった。電話でお金の話もできないので、退院して落ち着かれたら連絡が欲しいと言って、電話を切ろうとした。
「あー、それで葉蘭のことやけど」
 多田さんは声をはって留めた。
「あ、そうだ。忘れてました。葉蘭は彼女さんが来てるんだったらマンションにお持ちしていいですね」
 一番大事な用件のはずなのに、思いもしなかった。
「違うねん。僕に考えがあるから、それまで預かってて欲しい。壷の代金はいらんさかい。それが保管料や」
 最後の一言がずしっとのしかかった。それはダメですとは言ったものの、預からねばならなくなったのは事実だ。
 電話をきったあと、葉蘭の鉢を見に行った。移植すると弱るものだが、葉はぴんと立ち上がり艶ややかに光っていた。葉蘭といえば寿司屋などでバランと呼ばれカウンターの前に皿やまな板かわりに寿司を載せたりする。鋏で切り落とされてからも色やハリは衰えないものだ。
 葉蘭に手を伸ばし指先で葉をなぞっていく。友だちのように何か感じるのではないかと神経を集中してみる。
 あっと思った。感じたのではなく、もしこれを多田さんの彼女に渡していたらわたしは多田さんの奥さんから恨まれるところだったと改めて思ったからだった。指先からどんどん思いが流れ込んでくる。そう、わたしの意志は関係ないのだ。

 五月の連休といっても最後日のせいなのか、高野山駅に向かうケーブルカーは数人しか乗っていなかった。わたしは葉蘭の鉢を椅子のすぐ横に置き倒れないように入れてきた手提げ袋の持ち手をしっかり掴んでいる。難波の駅で待ち合わせて一緒に来たのに、多田さんはほとんど喋らない。ときどき、具合がわるいのかと訊くのだが、いいやと首をふるだけだ。
 手術から数日して多田さんから電話があった。昨日外泊許可がでて家に帰ってきたと言う。事実上の退院やと葉蘭同様、多田さんの声に弱々しさはなかった。
 しばらく養生ですねと、わたしも調子を合わせるかのように、明るく言った。しかし、ひと月くらいは仕事も無理だと思っていた。むしろこのまま会社も辞めてしまうのだろうなとも。
 それが、「週明けから会社に行くよ」と即座に答えるではないか。
 嘘だと思った。大丈夫なのかと訊くと、生活には手術の前と後にまったく違いはないのだそうだ。
 でも身体障害者になるのだといった。役所にだす書類があって手続きが済んだら仕事に戻るのだと。
「五月の連休に付き合ってもらいたいことがあるねん」
 その電話の最後に、多田さんは高野山にある先祖のお墓のそばに葉蘭を植えに行きたいと言ったのだった。
 わたしは多田さんの背広の下の胸のあたりばかり気にしていた。ペースメーカーがどんな形でどんな風に体の中に入っているのかも知らなかった。
「脈拍は普通に戻ったのですか」
 わたしはずばり訊くことに決めた。
「脈拍数は関係ないねん」
 多田さんは言葉を抛りあげるように言い放つと、あとは黙った。
 それでは返事になっていないと思った。脈が遅くなったから息が切れて病院に行ったわけで、脈が遅いままなら、それはまだ直っていないことになる。脈が正常になってこそだろう。
 さすがに多田さんも説明が足りないと思ったのか、
「心臓には血液を心臓に送り込むほうと、心臓から出すほうがあって、僕の心臓は心臓に送り込むほうが、運動したりして血流が早くなってもマイペースに動いていて、知らん顔してるような症状やってん。せやから、その連絡をちゃんと行くように信号を送るんがペースメーカーにさせてることや。退院してから毎日ビール一本くらい飲んでるし、まったく生活は変わらんのや。一日何本か吸うてたタバコをびたっとやめてしもたくらいや」
 多田さんはワイシャツのボタンをはずして、左胸をさらした。横に十センチほどの切開のあとがあり、その下に正方形のふくらみがみえた。厚みはマッチ箱程度だろうか。
「これでも手術に五時間かかったんや」
 ポンプを連動させるために、正確な信号を送らなければならず、調整に時間を要したのだとか。
「六年したら電池がなくなるからまた手術せなあかん」
 不都合といえば、車のシートベルトがあたるのが気持ち悪いと言った。それでタオルをあてて、シートベルトをしているのだそうだ。
 そうこうしているうちに、ケーブルは高野山駅に着いた。多田さんはボタンを留めながら先に歩いて行く。階段もさっさとあがっていく姿を眺めながら、本当にどうもないのだなあと思った。
 十分ほど歩くと大きな道にでた。金剛峰寺を指す立て札を眺めていると、こっちやと多田さんに呼ばれた。そこは宿坊のひとつで打ち水されたきれいな石畳の玄関だった。
「この中にあるんや」
 多田さんは中庭まで入ったところで、その奥を指差した。杉や檜で覆われた山とは違い宿坊の庭には様々の木花が植えられていた。
「これなんていう花ですか」
 木に咲いている花でツツジのような花がかたまってボンボンのように咲き、花の下を囲うようにヘラの形をした葉がついていた。
「シャクナゲやんか」
 多田さんは練り込みのモチーフに花を使うことが多いので花のことは詳しかった。
「こっちがレンギョウ」
 上に伸びた細い枝に黄色の小花がびっしりついている木を指した。
 多田さんはその場にわたしを残し、建物の中に入っていった。すぐに割烹着姿の女の人といっしょにでてきて、墓の方へ行ってしまった。
 数分後二人して戻ってきたが、女の人は建物に、多田さんはわたしのところへ歩いてきた。
「移植ゴテをもらってくるから、待っといて」
 軍手とスコップを手に多田さんがこっちに来いと手招きした。
 連れてこられたのは墓の中でもひと際大きな墓の前で、多田家と大きく刻まれていた。墓石は古く時代を感じさせたが、手入れが行き届いていて、花活けには真新しい花が供えられていた。
「ここに植えよかと思てるねん」
 墓の斜め後ろにひっそり立つ木の下にスコップを立てた。
 わたしはてっきり盗掘の逆でこっそり植えて帰るものと思っていたが、許可をもらって植えるのだと妙に感心していた。
「これはお袋の好きやったナツツバキや。夏に白い花が咲くねん」
 ナツツバキの後ろは塀になっていて、葉蘭を植えても邪魔になる心配はなさそうだ。
 包みを解いて葉蘭を取り出した。養生に包んでいた新聞紙をとると、土がゆるんでバラバラになりそうだった。それに地面は堅くさっきから多田さんが掘っている場所はいっこうに深くなっていない。
「もし枯れてもな……」
 多田さんは少しいきんで言った。
「ここやったら許されると思て」
 わたしの手の中で葉蘭の根っこがかすかに動いた。
「僕もすっと死ねたらいいけど、寝たきりになったらどないするやろ」
 ひとりごとのように言った。
「そんなのわたしも同じですよ。子どももいないし、動けなくなったら介護施設に行くしかないですよ」
「お袋もな、最後は呆けて施設のなかを歩きまわってたから、家族の方が泊まってみてくださいって言われてな、ほんで僕が会社行ってるころ、施設から通ってたんや職場に。そら大変やったで」
 だいぶ掘りすすんで、土も柔らかくなってきたようだ。両手で土を集め穴から取り出す。その手つきは作陶をしているときの優雅な動きと同じだった。
 葉蘭を穴の中に移す。葉はだらりと垂れているが土を入れていく。水を撒いて、あとは葉蘭の生命力に任せるしかないと思った。 
 手を洗っていたら、割烹着の女の人が中でお茶を飲んでくださいと呼びにきた。多田さんは服が汚れていますからここでいただきますと言い取りに行った。
「さっきの話ですけど、多田さんには東京の彼女がいるじゃないですか」
 よく考えてみたらひとりなのはわたしだけだった。
「せやけど結婚はできひんし、僕が彼女より先に死んだら何も残してやれへんやろ」
 その話はこの前の繰り返しだと思った。
「もうすぐ東京からこっちにくるんや。いろいろあって彼女の住むところが無くなってしまうんでな」
「そしたら遺言書いておけば……」
「そんなんできるんか」
「いや、それは弁護士さんに聞くとか……」
「彼女の家族にはどう言えばいいねん」
 娘さんがひとりいるのだそうだ。
「お互いおとな同士なんだから、別に責任を持つとかそんなのはいいのと違いますか」
「そうやなくて、建て前のことやんか」
 自分が決めて選んだというのは至極あたりまえのことで、そんなことではないという。どんな気持ちであなたの母親と同居するのか、いわばプレゼンテーションのことを言っているらしい。
「じゃやっぱりマンションを譲るとかしかないんじゃないですか」
 多田さんは少しがっかりしたように、話をやめてしまった。
 しばらくしてまた、
「僕の彼女が女の人の夢をみたっていうてた……」
 ぼそっといった。
「奥さんのですか」
「それが違うっていうんや。あんたとちゃうか」
「なんでわたしなんですか」
 多田さんはそれに答えずわたしをじっと見たまま、やがて首をすっと戻すと話をやめてしまった。
 宿坊をあとにして大通りにでてきた。多田さんが奥の院まで歩こうといいだした。大丈夫ですかと訊いたが平気だという。木立の道を歩いていると、次々に戦国大名の墓がでてくる。ここは日本中の著名人が葬られに来ている場所なのかと思った。重層した時間の落ち葉を踏み歩いているようだ。
「この墓たちをみてて思ったんですけどね。不滅って人間の強い願望だと思うんだけど、ここに葬られたらある意味不滅じゃないですか」
 百年後、二百年後にどれだけいまの建造物が残っているだろうと思った。血筋にしたって何代も続いている家系があったとしてもどこかその途中に、イレギュラーを挟んでいるものだ。
「彼女の家族に約束するって話しですけどね。多田さんはお墓に入らないっていうのはどうでしょうね。だってこのままだったら奥さんが入る墓に多田さんは入るけど彼女さんは入れないでしょう。だから一心寺さん、あ、ここにわたしも入るつもりなんですけどね。いっしょに入るっていうのは」
 多田さんは即座に、
「それはできひんわ」と言った。
「そうですか。墓は長男さんにまかせて、そう、イギリスのチャールズ皇太子みたいに皇位継承権を譲るんですよ」
 うんと考え込んでしまった。
「ここがいい」
 ぽつりと言った。
 お遍路姿の団体が仏像に水をかけているところにきた。そのすぐ後ろに川が流れていて、その先が奥の院のようだ。
 小川の名前は玉川とあった。
「これのことだったのか」
 思わずひとり言を言ってしまった。
「何が」
 多田さんが訊くのも当然だ。多田さんは奥の院までの道を自分の残りの時間になぞって考え込んでいたのだと思う。そこに素っ頓狂な声をあげたのだから。
「いえ、ちょっと別のことを考えてました」
 わたしは言葉を濁し多田さんの後ろを歩いた。
「あんたにいわれたようにするかな」
 多田さんが立ち止まって言う。
「ナツツバキの、あの花の下にまいて欲しいって息子に言うとくわ。彼女にもそこでなら一緒におれるやろていえるし」
 高野の山の玉川の水、うまずはしらずなおるぞ……。
 わたしの頭の中はさっきからこのまじないの言葉が繰り返しでてきて、多田さんの言葉を遠くで聞くような感じがした。子どものとき、やけどをしたら水をかけながら母が唱えたまじないの言葉だ。
 わたしがいなくなれば、この思い出もいっしょになくなるけれど、亡くなった母のことは、わたしがいることでまだ在り続けているんだなと思った。多田さんのお母さんだってここに在る。
「多田さん、あんまり煮詰まらないでくださいよ。子どもも孫もいるんですから、生きた証は残したわけじゃないですか。わたしなんかどうしますか」
 自分の言葉にその答えが浮かぶ。
 何もないのがまたいいかもしれない。
「わたしも一心寺やめて、こっそり玉川に灰をまいてもらおうかな。そうしたら杉や檜の根に吸い上げられて、わたしも永久不滅の高野山の一部になれるかも」
 近くの大きな杉に身をよせてみる。木肌に耳をあてると中で音がする。風で幹が揺れるからか、枝がしなるからか、強弱のある雑音のそれは胎児の心音のようなくぐもった音だ。多田さんの胸にも手を置いてあげたかった。皮膚と皮膚を合わせて、わたしから多田さんへ分け与えてあげたいと思った。
 いつまでもそうしているわたしに、多田さんは待ってられないという顔をして向き直ると、ひとりで奥の院の中に入って行った。 


 

 

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