三年ほど前になる。近頃はやりの過労死というものの一歩手前まで行った。とうとう食事が摂れなくなったのだ。食欲不振ではない。嚥下したものが胃ではなく気道に入るようになり、物理的に食事ができなくなったのである。病院に行ったのはそれからだった。不思議に切迫感はなかった。医師の問診を受けながら、今日し残した仕事を明日どのようにして補填するかばかり考えていた。結局、街の診療所では手に負えず、地域の基幹病院とやらに紹介された。そこでの診断は即刻入院であった。一時帰宅も許されなかった。職場の事情を盾に抵抗したが、生きるための基本システムが崩壊しつつあるのです、このままでは死にますよ、という医師の言葉に沈黙した。
脳梗塞の疑いがあるということで、腕の動脈からカテーテルを挿入し、造影剤を脳内に送り込んでレントゲン撮影をした。しかし、異常は見つからず、原因不明の奇病として某大学の付属病院に転院することになった。そこでは三人のドクターがチームで診療を受け持つ体制となった。大変珍しい症例であるので、今後の研究に生かしたいとのことだった。休職のために必要な診断書には、症状をそのまま病名にしただけの診断名がつけられていた。
都合ひと月ほど入院し、ありとあらゆる検査をした。
要するに、脳と体の各地を結んでいる神経がショートを起こしているのです、と、チームの医師の一人が言った。お家に電線の延長コードがありますね、それを覆っているビニールが溶けて銅線が露出しているようなものです、とも。
検査結果がすべて出た。別室でその説明を受けた。医師は、ぶ厚いファイルになったカルテに目を落としながら、標準的な治療法の無い症例です、と言った。要するに、症状としては確認できるが、その原因は不明で、従って治療法もない、ということらしかった。しかし、皮肉なことに、検査漬けで一切の治療行為をしていないにもかかわらず、体は少しずつ回復し、今では食べたものも問題なく胃の方に流れるようになっていた。ひと月間の入院生活、すなわちバランスの取れた食事と規則正しい睡眠、そして安静の結果だったのかもしれない。
治療法が無いのであれば入院していても仕方がないので、退院することになった。体調はまだひどいものだったが、死なないための最低限の機能はなんとか維持できるようになっていた。最新の現代医学で治療法が見つからないのであれば、自分で探すしかない。それからは、民間の健康法を手当たり次第に探し回った。西洋医学では手に負えない病気が膨大に存在すること、西洋医学以外の治療法を民間代替療法と呼ぶこと、そしてそこで救われている患者も多いということもその過程で知った。
誰も教えてくれる人はいない。手探りで書籍、インターネットの世界をさまよった。気が付くと、本棚一本が健康・医療に関する本であふれていた。それぞれの内容の真贋は、自分の肉体をもって確かめていくしかない。予算や地理的な関係で実現不可能なものもあったが、それはできるだけその健康法の本質を捉え、他の条件に置き換えて取り入れていった。取捨選択の後、たどりついたのは次のような日常だった。
起床後、すぐに行うのは真向法。これを二セット。その後、朝食の時間となる。朝食は基本的に有害であるので、食べないことにしていたが、近年は様々な理由によりジューサーで作る手作りの野菜ジュースだけを摂ることにしている。野菜ジュースは、ニンジン、リンゴをベースとし、季節ごとに旬の野菜を何種類か取り入れる。それを飲んでおもむろに出勤。駅までは当然ウォーキングである。パワーウォーキングではなく、ナンバ式の歩行術で歩く。万歩計は必ず携帯し、一日一万歩は必ず歩く。昼食は弁当持参。外食は避ける。メニューは玄米飯と野菜の煮付けか納豆が多い。ちなみに食生活も革命的に変わった。主食は玄米。副食は伝統的な和食とし、獣肉は食べない。牛乳と、ヨーグルトなどの乳製品は一切やめた。タンパク源は主に豆腐などの大豆製品から摂り、味噌や醤油、漬け物などの発酵食品も欠かさない。飲料は基本的に生水か柿茶のみ。一日二リットルを目標にちびちびと飲む。ペットボトルはどこにでも必ず持参するが、その中身は柿茶か水道の水である。出世コースからは距離を置き、残業はなるべく避けて、健康法を実践できるように時間の余裕を持って帰宅。夕食も基本的に玄米菜食。そして入浴となる。ここで少し時間を取る。まずは浴槽にビタミンCを少量入れ、湯を満たす。これは水道水の塩素を飛ばすためである。湯が満ちると重曹をたっぷり入れる。これにも様々な効能があるが、煩雑になるのでここでは記さない。湯の温度は三九度。半身浴を二〇分から三〇分行う。湯面から出ている上半身が、汗の玉でびっしりと覆われていく。その間に、免疫力を活性化させるために爪揉みも行う。湯船から上がり頭髪と体を洗浄した後は、仕上げに温冷浴となる。これは冷水と温水に一分ずつ計九回交互に浸かるという荒技である。さすがに自宅に冷水用の浴槽はないので、全身に冷水シャワーを浴びることで代用する。最後は冷水を浴びて風呂を出るのが温冷浴のルールである。真冬には相当にこたえる。しかし健康のためには体調など気にしてはいられない。風呂から上がっても休む暇はない。水分補給を十分にした後、今度は西式の運動が待っている。金魚運動、毛管運動、合掌合蹠運動、背腹運動を順次行う。それぞれの運動には、深遠な理念と効用がこめられているが、煩雑になるため、ここでは割愛する。少なくともその理念と効用を知らなければ、運動中の姿は一見単に死にかけたゴキブリのようなていたらくではあるが。仕上げにもう一度真向法。そしてようやく就寝の時間となる。ここでもさらに健康道は続く。行住坐臥すべては健康のためにあるのだ。惰眠を貪ることは許されない。入院する以前に大枚をはたいて買ったベッドやマットレスはすべて処分した。そんなやわなものに寝ていては、健康にはなれないのである。寝床は合板にシーツを敷いただけの平床寝台。枕は杉の木をかまぼこ状に加工しただけの硬枕である。信じられないかもしれないが、この上で一晩寝ると、朝には体のすべてのこわばりが、嘘のように消失している。さらにひと月に一回は一日断食の日を設け、体内にたまった老廃物をクリーニングする。その日は朝昼晩と野菜ジュースだけを飲み、静かに過ごす。本来ならば専門の断食施設に入所し、減食期間、復食期間を含めて二週間程度かかる本格的な断食をしたいところだが、日程と費用の点で、なかなか折り合わず、現在は自宅でできる範囲の断食をしている。
さて、この生活スタイルが、千日を超えた今、体調はすこぶる快調である。体重、血圧、血液検査の値はすべて標準の範囲内に収まった。余禄としてか幼いころから悩まされ続けてきたアトピーもきれいに消失した。脂肪も筋肉も過剰な部分はすべてそぎ落とされ、生きる機能に徹したきわめてシンプルな肉体が完成したといえる。
器はできた、と思う。この世界を生きていくための乗り物、といってもいいかもしれない。さて、と考える。この入れ物に、何を満たしていくのか。現在は、ようやくそれを模索しはじめているところだ。しかし、周りの世界を見渡してみても、やはり誰も教えてくれそうにない。
|