わたしの本棚には「せる」が五〇号から並んでいる。そのときの編集後記によると一九七八年から二十年間かかって五〇号に到達したとある。
二十七年で七〇号まできた。この調子でゆくと十一年後の創刊三十七年目に一〇〇号がでる。五〇号の編集後記には創刊時には五〇号がでるなど思ってもみなかった、はるばる来たという思いが書かれてあった。一方、わたしは一〇〇号は必ず出ると思っている。
「せる」の意味はセルオイスター=殻つき牡蠣からつけたのだそうだが、今になってもまったく古びないネーミングだと身内ながら思う。そして「せる」のスタイルそのものがセル=枠として名の通り定着したのだと思う。
そこには長い間、多くの小説多くの書き手を内包してきた、書き手が読み手となり、読み手が書き手となる同人誌の姿がある。ひとりでは到底持続できない情熱もセルの中にいることでチャージできるというのがわたしの思いである。今号は四作。さぁ、殻を開けてお召し上がりください。(N)
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