お盆日記  なりた もとこ


  大阪のオフィス街で会社勤務をしていた頃のことだ。わが社では本社と営業所には盆休みがなかった。夏休みは交代で取る。で、混雑するお盆を避けてほかの土日を含めてとっていた。途中から盆に夏休みが設定されたような気がするが、会社を離れて10年近いと正確なところは忘れてしまった。今はどうなっているのだろう。
 お盆に会社に行くのはそれほど嫌ではなかった。なんとなく取り残された気分はあるが、電車が空いている。普段は身体を斜めにして片足の先だけを入れて無理やり乗り込むほど込んでいるのに、お盆にはうまくいくと座れることさえあった。会社の周辺は森閑としていて、通る車も少ない。お昼を食べるところも皆休んでいるので、ちょっと不自由だったが、社内で交わす会話もビルの谷間にこだまするような気がして、非日常の雰囲気がちょっとうれしい。
 団地でも、夜、明りのついている窓がすくない。家に帰ってもしんとしていて、さびしいような、物悲しいような、ここにも非日常があった。

 田舎に住むようになって、最初に驚いたのはお盆のスーパーマーケットの混雑である。広い広い駐車場が満員になるほど車が集まっている。レジは長い行列だ。ここは日本一おいしい但馬牛の産地。肉屋の前も長い行列で、みな、1キロ、2キロと大量に買い込んでいる。
「ははーん、オフィス街や団地から、みんな、こんなところに来ていたのだな」と実感した。
 イカやハマチ、サザエなど、刺身の材料やバーベキュー用の肉類。山積みの商品が次々と売れていく。

 8月の6日ごろだったか、有線放送からお知らせが流れきた。
「満願寺の棚経は明日朝5時から小城、御又、森本の順番で行います」
 我が家のお寺はここではないから関係ないけれど、朝5時にお寺のお坊さんがお経をあげに廻ってくるわけだ。聞くと、棚経というものは午前中にするものだという。大阪の実家では浄土真宗だったから、お盆にお寺さんは来ることは来たが、昼からのこともあれば夕方のこともあった。日にちもお盆前の適当な日で、7日でなければならないとか13日でなければならないとか、そんなことはなかった。檀家の多い都市部では特定の日の午前中に廻りきるなんて、午前1時スタートでも出来ないだろう。
 それにしても朝5時までに準備をしてお寺さんを迎えるのは大変だ。

 いろいろ事情があって夫は結婚するまでしばらく墓参りも墓掃除もしていなかったらしい。
「鎌と軍手を持っていかんならんで」と夫はいった。「長靴のほうがいいかも知れん」
「鎌? 軍手? 長靴?」
 実家の墓は芦屋の墓地公園にある。六甲山を背に、大阪湾を一望する広い墓苑で手入れが行き届いている。草といえばせいぜいフォークの先のようなもので突っついて抜くくらいだ。鎌と軍手と長靴のいるお墓の草取りは想像できない。
 田舎のお墓に初めて行ったときは驚いた。我が家のお墓の10倍以上の面積に江戸時代からのお墓が十数基立ち並び、中には背丈ほどの自然石に彫ったものもある。しかもそれを覆い隠すように背丈ほどの草が伸びている。桔梗やほかの野草も花をつけている。上も、下も崖になっていて、崖際にはシキミやヒサカキ(大阪ではビシャコといった。シャシャキという地方もあるらしい。仏花の背後につけるつやのある葉を持つ木の枝だ)のかなり大きな木もある。なるほど、鎌も軍手も長靴もいる。2時間以上かけて草を刈り、除草剤をまいて墓参りをした。
 今は年に何度が除草剤をまくし、草刈機という強い味方もある。8月7日の7日盆に掃除に行けば、1時間くらいできれいになる。この辺りでは、本来これは男性の仕事となっていると聞くが、うちの夫は決して一人で行こうとはしない。まあ、いいでしょう。これも田舎暮らしの楽しみの一つ。
 今年は6日の朝7時半に出発して墓掃除に行った。今年はお墓の石を直してもらったせいか、草がすくない。夫が草刈機で刈り、私が墓石の周囲の雑草を引き抜き、刈った草を竹箒で掃き寄せる。1時間もかからなかった。裏の竹やぶの竹が一本、墓地内に進出してきていた。これは近々切ってしまわないといけない。1時間ほどで終った。ずいぶん楽になったものだ。

 お盆には息子一家と主人の妹一家が来る予定だ。11日まではなにやかやでばたばたしていたが、合間を縫って、あちこち掃除をした。何しろ、私は掃除が苦手。誰かが来るとなると、洗面所やお風呂などを必死で磨かねばならない。夕食は焼肉中心で手がかからないものにした。
 12日昼過ぎ次男の一家が来た。おじいちゃんの発案で香住に釣りに行った。焼肉の予定なので私も参加する。小鯵がたくさん釣れた。(写真に撮ればよかった)4年生の有香が一番たくさん釣った。有香ちゃん、よかったね。6時半までには家に帰り、即、小鯵をから揚げにした。あとはゴーヤの胡麻和えと焼肉のメニュー。ビールとワインがおいしかった。

 翌朝起きてみると、息子がいない。家の前の川で鮎取りをしているに違いない。有香が起きてきたので、おじいちゃんと一緒にパパの鮎を見に行っておいで、と外に出した。鮎は20センチほどが6匹。早速塩焼きにする。鮎特有の香が高い。今まで生きていたので、串など刺さずに焼いても、串に刺して焼いたように踊るような姿に焼けている。水害の余波で今年は鮎もダメかと思っていたので、なおおいしい。
 午前中は竹野の海へ。いつもは私は行かないのだけれど、今年は泳げるようになったので私も行くことにした。有香はもう35メートルも泳げるようになったそうだ。海に浸かると20年前、夏ごとに子供たちを海に連れて行ったのを思い出して、その延長のようにはしゃいでしまった。息子はおばあちゃんの泳ぎはクロールじゃなくてトドロールだといったとか。けしからん。有香もいいつけに来たし、吹田の妹も電話で息子の発言をいいつけた。悪口はたちまちばれるんだから。
 午後2時ごろ夫が迎えにきて私だけ帰り、お墓の花をもらいに栄木さんの牧場へ行く。蓮のつぼみや実をたくさんとヒャクニチソウなどをもらい、大きなスイカと、桃もバケツいっぱい貰ってきた。少し買い物をして帰ってくると、近所の墓地にはもう次々と墓参りの人たちが集まっている。皆、こざっぱりした服装で、夕風の中さわやかな風景だ。
 夜は長谷川さんに持ってきてもらったカンパチとイカの刺身、のどぐろの煮付け、キュウリとモズクの酢の物、白ナスと紫ナスのあげだし、食事の後、村の盆踊りはサボって、公園で花火。シャワーを浴びると疲れてソファーで眠ってしまった。
 
 14日は鳥取砂丘へ行くという。ここから車で1時間ほど。魔法瓶に冷たいお茶を詰めたが、178号線はぐにゃぐにゃの峠の連続で、有香も私も気持ちが悪くなってきた。お茶を飲んでちょっと休憩。
 砂丘は広い。有香はひとこぶラクダの「えいきちくん」にのった。ほんのそこいらを一回りするだけ。そのあと、なでたり、草をやったり、ひとしきりラクダと遊んだ。
 向こうの砂丘まで人が蟻のようにむらがって続いている。きっと海が見えるのだろう。「行こう」と歩き出した。細かい砂に足をとられて歩きにくい。それでも下りはよかった。有香はパパと走って下りる。私が一番ラスト。のぼりにかかると、がぜん、あつくなった。真昼の夏の太陽に照らされて、砂が焼けている。暑い砂を踏みしめて一足ずつ登る。10歩ごとにハアハアととまって息をつく。暑い。いや、熱い。もう駄目だと思う。あとすこし。あとすこし、と上まで上りきると、急斜面で海だ。海の風が涼しい。生き返った思いだった。魔法瓶のお茶はもう少ししかない。ほんの一口ずつ残りのお茶で口を潤した。
 帰りも下りはらくだった。オアシスが見える。砂丘の下に水が湧き出して小さな流れになり、10メートルほどで又地下に吸い込まれている。辺りには草が生えて、ほんものの小さなオアシスだった。
 有香は水に足を浸してあそぶ。ここから再び砂丘を登ることを考えて、タオルを水に浸してもらった。夫がのどが渇いたから早く帰ろうという。有香の汚れた足をパパが拭き、靴を履いて出発した。間もなく、夫がしんどくなった。おなかがへんだと止まってしまう。熱中症だ。ぬれたタオルを首に巻いて、顔を拭いたり、頭を拭いたりして少しでも冷やそうと思うが、なかなかしんどがって進めない。ここで座り込んだりしたら、もうだめだ。
「お父さんを押してやって!」と前にいる息子を呼ぶ。息子がびっくりして駆けつけ、もうすこし、もうすこし、と励ましながらうしろから支えて歩かせる。
 あとで聞くと、もしほんとにうごけなくなったら、あのラクダを呼んできて乗せてもらおうと思ったのだそうだ。私ももし倒れたらどうしよう、担架なんかあるのだろうかなどと心配したが、ラクダには気が付かなかった。ようやくのことで、砂丘の出口にたどり着いた。ラクダのところまで戻った有香もママも気分が悪くなり、ベンチで休んでいたので、息子が救出に行った。私は夫をみやげ物屋の食堂に連れ込んで、とりあえず入り口で買ったペットボトルのお茶を飲ませると、顔中に汗が噴出した。やっとみんなそろって冷たい水を飲んだ。
「50℃くらいあったんじゃないかしら」
「最高に暑い時間帯だったしなァ」
 有香は顔が真っ赤になっている。みんな、危ないところだった。夏、砂丘に行く人はたっぷりの水を用意して行きましょう。すぐそこに見えるけれど、あるくと遠い。

 3時ごろ家にたどり着き、4時過ぎには息子たちは帰っていった。それから私は慌ててコープまで買い物に。そろそろ、夫の妹一家が来る時分だ。
 疲れていて、手の込んだことはとても出来ないので又お刺身と焼肉にする。今朝のご飯がたくさんあまっているのでレンジで暖めて散らし寿司にしよう、とも考えた。材料を買って帰り、錦糸玉子を焼き終わった頃、妹一家4人と犬一匹が到着。料理ができるまでの時間を利用して夫に竹野温泉に引率して行ってもらった。こうして時間を稼いで、すし太郎とすしのこで簡単な散らし寿司を作り錦糸玉子と海苔でかざって、刺身を作り、昨日の枝豆を温めて盛り付け、野菜を切って、肉類(牛肉3種類、トントロ、鳥の松葉)を盛り付けた。約1時間ちょっと。みんなが帰ってきた頃には出来上がっていた。
 きょうもビールがおいしかった。いくらでも体がビールを吸い込むような気がした。

 15日、朝食が終って、庭の花を切り、お墓参りの用意をする。但馬では町々でお墓参りの習慣が違うらしい。一度各町のお盆風景を取材して写真もとりたいと思うけれど、いつもこの時期は忙しく、写真どころではない。八鹿町ではナスを細かくさいの目に切り、洗った米をまぜて蓮の葉に盛って供える。
 毎年、妹一家といっしょにお参りするのだ。今年は今後のこと、永代供養のことなども少し話し合った。墓参りのあと、昼食をいっしょに取って、妹一家とは別れた。家に帰るとそのままぐったりソファーに寝転がって、夫はソファーにもたれていっしょに昼寝。疲れた、疲れた。

 16日 とにかく、洗濯。7人分の寝具の洗濯。幸いお天気でよかった。
 以上、お盆の報告終わり。

 



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