春が来た! 益池 成和


   
――連絡出来なくってゴメンなさい。心配してました?
 ですよねえ。でも、もう大丈夫。ようやくハッキリしました!
 パンパカパーン! 発表します。とうとうこの私にも春が来ました。春が! そうですよ。里美にも恋人が出来ちゃいました。カッコイイー彼氏が!
 ヤッタでしょう。信じてもらえないかも知れないけど、本当だよ。ですから、里美と一緒に喜んで下さいね。
 又連絡しますね。今日のところは、おめでたい報告までで〜す。
「春が来た!」と題されたそのメールは、米原里美からほぼ一ヶ月ぶりに届いたものであった。 
 久しぶりの連絡がこれかよと思うと、私は気抜けしたような気になり、受信ボックスの画面も閉じないまま、机の上に携帯電話を投げ出していた。

 米原里美と知り合ってから、三年ほどは経つだろうか。
 それまであまり地元で飲み歩くということをしていなかった私だが、たまたま自分と同じく、四十を過ぎても独り身を通している中学の同窓生が、いい店があると言って連れられて行った居酒屋があった。私はつい居酒屋と言ってしまうのだが、正式には『喫茶ラブ』という名で、朝の八時からきっちりと店を開け、毎日モーニングサービスも行っている、れっきとした喫茶店である。私が通い始めた頃には、すでに開店二十周年記念イベントも済ませたところで、そのせいかどうか、午後の五時を過ぎると、主にウイスキーの水割りを飲ませる店に様変わりする。
 通いはじめた当初から、なぜか私は五十代の夫婦二人でやっていたこの店のママに気に入られた。死んだ父親が、開店当時の店の馴染み客だったせいもあるかも知れない。むこうは商売とはいえ気に入られればこちらも悪い気はしない。ましてや中学の同窓生の何人かがけっこう足繁く通う店であれば、知らずしらずのうちに、この私にとっても『ラブ』は馴染みの店になっていた。
 その『ラブ』に足繁く通う一家があった。とはいっても、家族全員が一緒にやって来ては伴に帰って行くというのではない。店の夫婦と同じく五十代の夫婦と、二十代の一人娘の三人家族なのだが、めいめいバラバラにやって来てはその店を利用する。それが里美の家族、米原家だった。
 米原家の家は『喫茶ラブ』から歩いて三、四分の近さにあった。又、妻のほうが淋しがりやの傾向があるのだろう、酒が強く他人と騒ぐことが好きなこともあってか、暇さえあれば昼夜を問わず『ラブ』に入ってしまう。その結果、夕食を作るのが面倒になるのか、夫にも娘にも『ラブ』で済ませて来て、と電話することとなるようだった。
 つまり米原一家は、夕食代わりに『ラブ』を利用していて、いつの間にかそこが一家のたまり場のようなことになっていた。            
 そんな訳で里美とは、私が『ラブ』に馴染み始めた頃からの顔見知りということになる。が、だからといってはじめから彼女と親しかったということではない。むしろ、当初は親しくなった一家の娘という印象しかなく、今のように、両親抜きで二人でお酒を飲んだり、誰か仲間を引き入れて、カラオケボックスに繰り出すような間柄になるとは考えてもいなかった。
 昨年のバレンタインデーの時のことであった。里美が私あてにチョコレートを『ラブ』に預けて帰ったことがあった。もっとも、そのチョコレートはいくつか店に預けたなかの一つ、ということに過ぎなかったのだが。いわゆる義理チョコという奴である。が、まあここらあたりも店のママの場合と同じく、気に止めてもらえれば悪い気がしない訳で、暮れの里美の誕生日に、今度は私のほうが彼女に花を贈ってみた。なにもそこまでしなくてもというためらいもあるにはあったが、両親ともども顔見知りという言い訳のもとに踏み切ったところ、案外にこれが好評だった。
 米原家の夫婦二人は顔をあわす度に礼を口にするだけでなく、しばらくの間は、事あるごとに何かと私のことを引き合いに出しては褒めそやす。店の飲み仲間から冷やかされることだけは余計だったが、若い里美の態度が目に見えて好意的になった事も、私には歓迎すべきこととなった。
 それだけに、私は四月の自分の誕生日をどれだけ期待をもって迎えたことか! もちろん、里美のお返しを考えてのことである。何しろ彼女には、一万五千円もの出費をしていたのだから。 
 たしかに里美からの誕生日プレゼントはあるにはあった。が、それはウイスキーの水割り一杯分の代金に過ぎなかった。しかも、誕生日が過ぎて何日かたった後、遅い時間に偶然『ラブ』で同席したときに里美が出してくれたもので、つまり彼女は完全に私の誕生日のことなど忘れていたのである。花のプレゼントの後は、さんざん私の誕生日のことを聞いておきながらの行為がそれだった。
 むろん、私はガックリした。と同時に、若い子にうつつを抜かすことの現実を思い知らされたものであった。
 ところが、さすがにそれではまずいとでも考えたのだろうか、またもや『ラブ』のママ経由ではあったが、里美が私に一枚の紙切れを渡してくれたのは、そのすぐ後のことだった。
 二つ折りにされたメモ書きには、里美の携帯電話の番号とメールのアドレスとともに、若い子らしい丸文字で、「シングルの会のお誘いで〜す」とあった。
 
 はじめから私は、彼女のメールにはすぐ返信をするのが常で、読みっぱなしということはなく、どのようなたわいない内容でも何らかの返事はかえしていた。が、「春が来た」メールには返信を打たなかった。大人げないとは思うものの、そんな気分になれなかったのだから仕方ない。
 彼女から『ラブ』に呼び出しがあったのは、それから十日ばかりしてからのことだった。
 その日、里美は九時過ぎに店に入ってきた。待ち合わせを知っていたママの計らいで、カウンターの隅の二つが急遽私達の席になった。恋人が出来たはずの里美だったが、その日の彼女には、以前と比べてこれといった変化は見られなかった。少なくとも私の目にはそう映った。
 高校以来の付き合いの朱美という女の子と二人で、鉄道会社が企画したミステリーツアーに参加してきたらしかった。彼女は出雲大社のお守りを私に差し出しながら
「私には、もう必要ないんだけど。シングルの会のよしみで」と言った。
 彼女が勝手に立ち上げた「シングルの会」には、私も朱美ちゃんも、いつの間にかそのメンバーらしかった。
 彼女は一泊旅行の土産話もそこそこに、聞きもしないのに、彼氏との馴れ初めをぬけぬけと語りだした。しばらく黙って聞いていた私だったが、
「あの、電話の男やろ?」と訊ねてみた。
「え! 図星や。よく分かったやん。でも、なんで?」
 そう言うと、里美は改めて私のほうを見た。   
 どうかすると、夜中の四時ぐらいまで長電話する相手がいることを、里美から聞かされたのはもう二ヶ月以上も前のことだった。大阪市内の地下街で婦人服の販売をしている彼女だったが、商品搬入のため毎日店舗にやってくる二十歳の男がいた。どういう訳か、その男が最近になって頻繁に里美の携帯に電話をかけてくるようになった。しかも、たいていは深夜の十二時を過ぎてからで、日によってはその電話が三時、四時まで続く。一方的に男が喋るというのだが、彼女のほうも居眠りしながらでも付き合うらしかった。
 私は里美のその話を、数年前離婚してから『ラブ』に通い始めたというミッチャンとともに聞いた。ミッチャンは私の中学の同窓生の姉で、三歳年上だった。彼女もいつの間にか、里美の意向でシングルの会のメンバーになっていた。 
 いかにもあやしげな話に、ストレートにミッチャンはその男が好きなんだろうと里美に問いかけたものであった。が、彼女は向きになって否定していたことが思い出された。          
「そろそろシングルの会、復活しないとあかんね」
 会話が途切れたあと、思い出したように里美が言った。
 彼女にメモ書きを渡されたあと、私と里美とミッチャンで、不定期ながら月に二、三度、主に『ラブ』で集まっては飲んでいた。
「まあ、ええけど、でも、あんたもうシングル違うやろ。それに、俺みたいなんと会うてたら、彼氏怒るんと違うか?」
「大丈夫。ちゃんと言うたるし、許可もとったるから」
 そう言うと里美は、自慢げな表情になった。
 つまり里美にとって、私は男の範疇に入ってないということだろうか。
「それに、今まで三カ月以上続いた男いなかったし」
 何を思ったのか、彼女はそこで一瞬気弱な様子を覗かせてそう付け加えた。
「でも、今度の彼氏は違うと思うよ。多分」

 結局こちらの危惧に反して、里美との付き合いは以前のまま、という事になった。つまり、住む場所が離れている朱美ちゃんはなかなか参加出来なかったが、グループで飲んだり遊んだりしながらも、里美の分は私持ちということであった。年齢差を考えれば当たり前のことではあったし、私が勝手にそうしているといえばその通りではあった。
 が、彼氏が出来て、頻繁に一人暮らしの男のアパートに通ってることを隠すどころか、いかにも自慢げに話す里美の無神経ぶりを目の当たりにすると、私との付き合いはやはりお金目的か、と思わないではなかった。だからこそ、彼氏に納得させているのだろうかと。
 反面、たとえそうであったとしても、私は致し方ないとも考えていた。二十歳代の若い女の子と、曲がりなりにも一緒に遊べることだけをとっても、良しとすべきものであるかも知れなかった。

 どこか釈然としないまま、十二月が過ぎ、年が改まった。その間、何度かシングルの会で『ラブ』で会合を持ち、忘年会と称して朱美ちゃんを交えた三人でフグを食べに行ったりもした。里美の誕生日には昨年以上の花を張り込んだ。彼氏の存在を公言している相手に、誕生日プレゼントというのも、どこか間が抜けた話のような気がしないではなかったが、その相手が強要するのだから仕方ない。もしかすると、彼氏のことを口にはしても、すでに里美のなかでは、熱は醒めているのかも知れないと思ったりもした。というのも、三人での忘年会の席で、皆で初詣に行くことが決まったからであった。
 里美と朱美ちゃんは、ここ数年毎年のように一緒に住吉大社に行っていて、その運転手を私がかって出たのである。私にすれば、酔いも手伝っての軽い気持ちからの申し出だった。出来たばかりの彼氏がいる里美が、応じてこようとは思いもしなかったが、彼女が「それ、グッドやわ! 行こう、行こう」と騒ぎ出して即座に決まったのである。しかも、二人は振り袖姿で行くと宣言して、私を喜ばせるというおまけ付きで。
 
 初詣は新年の三日になったが、振り袖ということもあって、当日の米原家はけっこう大がかりなことになった。まず、振り袖の着付けのために『ラブ』の夫婦が早朝から駆けつけた。そして、店の飲み仲間の何人かも集まってきて、どうやら私達が出たあと新年のパーティーが始まるらしかった。
着付けの終わる九時頃、私は車で乗り付けた。知らされていなかったので少し驚いたが、朱美ちゃんの同僚の二十五歳の看護師さんも参加しての 、結局四人での初詣になった。
 新年の挨拶もそこそこに、あわただしく振り袖姿の二人中心の記念写真を何枚かカメラに納めてから、すぐさま出発となった。二組の夫婦と飲み仲間に見送られての出発で、私は内心悪い気がしなかった。四十半ばの独身男の年明けとしては、なかなかのものだと思った。
 が、そのような自負心などすぐさま吹き飛んだ。
 車が走り出してすぐのことだった。後部座席に陣取った振り袖の二人が何やらひそひそ話をはじめたのは。ミラーで後ろの席を確認してみると、朱美ちゃんがバッグの中から携帯電話をやおら取りだし、それをいじくり出した。そして二人で、「撮ったろか」「送ったろか」とか「そんなこと、まじで !」などと若者らしい口振りで相談事をし始めたのである。
 しばらくして助手席の看護師さんも加わって、三人で、キャッキャ、キャッキャと笑い声を交えて騒ぎはじめるではないか。何がそんなに面白いのか、まるで小学校に上がったばかりの子供のように。   三人の中に入り込めない私は、内心の戸惑いを隠しながら運転し続けていたところ、朱美ちゃんが今度は、携帯を里美の身体の前にかざしては手元に引き戻し、何かを確認するというようなことを繰り返しだした。
たまらず私は、「何やってるんや」と訊ねてみた。が、こちらのことなど完全無視であった。
「ないしょ、内緒やなぁ。里美もう一回、今度は右のアングルで送ったろか?」
 二人はこちらの問いにはまともには答えず、相変わらず笑い声を発しながら同じようなことを続けた。
 ひとり取り残されたかたちの私は、仕方なく苦笑いを浮かべて黙るしかなかった。
 あとで知らされて分かったのだが、彼女たちは里美の晴れ着姿を携帯電話で里美の彼氏に送っていたのであった。つまり写真メールという奴である。むろん、そのような機能の携帯が出回っていることは知っていた。が、早くも彼女たちが手に入れていることまでは分からなかった。晴れ着姿のふたりの振る舞いが意味不明なものに映ったのは、仕方なかったのである。
 だが、写真メールのことはまだ苦笑いですますことが出来た。それどころかその時点では見たこともない里美の彼氏にたいし、妙な優越感すら感じて密かにほくそ笑んでいた部分さえ私にはあった。実際に振り袖姿の里美と一緒にいるのは自分の方なんだと。
 そのあとがいけなかった。
地図を頼りに不慣れで渋滞しきった道を行き、苦労して駐車スペースを見つけ、ようやくの思いで若い三人を引き連れての初詣を済ませた。帰りは帰りでそれなりの店に立ち寄り食事をふるまった。むろん一対一ならまだしも、相手は三人の若い女の子である、彼女たちの会話に加わることも出来ず、これではまるでどこかの園児の引率役だなあと、ひとり苦笑しながらもどうにか米原の家にたどり着くことが出来た。内心やれやれという思いと、ホッとしたというのが正直なところだった。
 家に着くと大歓迎が待っていた。
 ことに里美の母親は戻ってきた私にたいしては、まるで大事な婿を出迎えんばかりの有様で、さかんに「悪かったなぁ」「えらい気いつかわせたんと違うか」などとねぎらいの言葉を繰り返し、私の身体を抱きかかえんばかりにして招き入れてくれた。
 そもそも彼女は知り合った当初から、私にはひどく好意的だったのである。おそらくは通い始めた年の『ラブ』の忘年会で、彼女が披露したトランプ手品を大仰にほめちぎったことが始まりだったはずだ。その日の彼女は感激のあまり、横にダンナがいるのもかまわず、私をその場で抱きしめては頬にキスのあらしまで見舞ってくれたものであった。
 又、あくまでも酒の席での出来事ではあったが、二度ほど彼女から、娘との結婚を暗に勧められたことさえあった。むろん、年齢差を言い訳にいずれもその話題を誤魔化しはしておいたが。
 家に入ると宴会が待っていた。私が帰ったことにより改めて仕切り直しという有様だった。里美の母親はすでに皆が陣取っているテーブルのところに座布団をひとつ割り込ませて私の居場所を確保し、キッチンから大きめのコップを持ってきて自らビールをついでくれた。そして、「気い使わせたなぁ」「三人のお守りは大変やったやろう」などとねぎらってくれるのを忘れなかった。
『ラブ』の夫婦をはじめ、朝見た連中は誰も欠けずにまだその場に陣取っていた。招かれていた男の客の中には中年の離婚経験者も二人含まれていて、この二人にさんざん四人での初詣のことを揶揄されながら残った鍋をつついた。それが済むと、この家の新年の恒例である花札大会になった。ここで突然、朱美ちゃんに付いてきた看護師さんが、明日早朝から仕事が入っているから帰ると言い出した。ところが、この二人の帰宅にあわせて、里美もこれから出かけると言うのである。
 普段着に着替えてから、鍋物にもまともに手もつけずに懸命に携帯電話をいじくっていたが、里美はどうやら彼氏と連絡を取っていたらしいのである。しかも、夜の七時を過ぎているというのに、これからその一人暮らしの男のアパートに行くというのである。
 私は唖然となった。
「ゆっくりしていって下さいね」と私に声を掛けてきた里美の顔には、いかにもすまなさそうな表情が読み取れはした。
 私は何を考えているんだ、と思った。時間が時間だし、相手の男が一人暮らしということも知っていたし、それよりも何よりも、多少なりとも気を使い、三人の女の子を連れ歩いた今日の初詣はなんだったのか、と思った。すべて里美のためにしたことではなかったのかと。 
 娘の外出を知り、両親も少し驚いた表情を覗かせはしたが、彼女のわがままぶりを知り尽くしているせいか、あるいはお屠蘇のせいで親としての自覚が麻痺してしまったのか、二人とも止める様子も見せなかった。それどころか赤ら顔の母親は、このような時間に一人暮らしの彼氏のもとに行くという娘に対し、「暖かくして行きや」と声を掛けたものの、帰宅の時間を訊ねることもなく、自ら花札や座布団を持ち出して賭事の場所作りに専念してしまっている有様であった。
 父親も父親で、娘の行動に一言も口を挟むどころか、早々に日本酒片手に花札の前に居座るばかりで、知らん振りを決め込んでいるのであった。
 実はこの父親からも私は暮れの『ラブ』の忘年会で、里美のことを言われていたのである。
 むろん酔った勢いもあったのだろう。彼は横に移ってくると、いきなり私を呼び捨てでよび、
「お前は誰に対しても優しすぎる! しかし、それは男としてよくない。卑怯なことや」とからんできたのである。
 話の筋が読めない私は黙って聞くしかなかった。彼はかまわず若い頃の自分の恋愛話をはじめ、そのあげくいかに今の奥さんを口説き落としたかを語って聞かせた。そして私に自らのコップに吟醸酒をつがせると、
「これと思った女は、いかんとあかん。多少いやがっても、強引に自分のものにするのが男というもんや。結局、女もそう言う男に付いていくもんなんや」
 彼はわたしの肩に手を回しながらそう諭した。言いようのない私は黙ったまま聞くしかなかったが、ここで彼は突如として、例えばの話だと強調しながら娘のことを持ち出した。何を言い出すのかと思うと、いきなりある日娘がガニ股になって帰ってきてもかまわない、などと驚くようなことを口にしたのである。そのあと、男に責任をとれる自覚がないと駄目だ、と但し書きをつけるのを忘れはしなかったが。
 忘年会の日のあの話はなんだったのだろうと、私は首を傾げざるを得なかった。

 メールのやり取りはあったものの、次ぎに里美と会ったのは初詣から二週間後になった。
「シングルの会」の新年会であった。ミッチャンを加えた三人で創作料理の店に出向いた。『ラブ』よりは出費がかさむが、メンバーの誕生日などには時折使っていた。
 実のところ、私は今回の新年会にはあまり積極的でなかった。どこか白けた思いが邪魔して乗り気になれなかったが、里美の再三の催促メールに押し切られてしまったのである。
 里美のほうは最初からはしゃぎ気味だった。私と顔を合わすのは二週間ぶりで、ミッチャンとは一ヶ月以上のブランクがあったせいかも知れない。近くのスーパーに勤務するミッチャンは、昨年の暮れはかなり忙しかったらしかった。
 里美は店のカウンターに座るなり、主に隣のミッチャン相手に、またもや彼氏の話をしはじめた。生ビールのジョッキも出てこないうちに、彼氏の写真をバッグから取りだして、見せびらかしはじめたのである。
 茶色に髪を染め、うっすらと顎のあたりに髭をたくわえたひどく痩せた男が、ニコリともせず写っていた。写真はその一枚だけではなかった。次からつぎへと十五枚ほどは出てきた。誰が撮ったのか、里美と彼氏のツーショット写真もかなりの枚数あった。ご丁寧にも彼女は一枚一枚に、撮ったときの状況を説明しながら取り出すのである。
 私は彼氏の写真を見たとき、なんだこのような痩せぎすの男なのかと、安心するような思いに一瞬なった。が、ミッチャンから回されてくる何枚もの写真を見るうちに、無性に腹が立ってきた。どこか腑に落ちない気にもなった。
 それでも三人で『ラブ』に立ち寄ってから、この二人の共通の趣味であるカラオケに連れていった。里美は終始彼氏の話を持ち出し上機嫌だった。途中でミッチャンが相手との年齢差を話題にして窘めるようなことを口にしたが、笑い飛ばしただけであった。結局のところ、この日の新年会は、里美の彼氏自慢の会のような有様で終わった。

――昨日はご馳走さんでした。大成功の会でしたね。ミッチャンの元気な顔を見れたし、よかったです。今年もどうかよろしくお願いします。又、一緒に遊びましょう。
 里美からのお礼メールは、次の日の五時を過ぎてから届いた。おそらく、販売の仕事が終わってから送ったに違いない。
――いえいえ、どういたしまして。姫によろこんでいただけるだけで、わたくしめは非常に満足で、感激しておりますよ。
 と、私は一気に打ち込んで、ふとそこで手が止まった。いつもなら、そのまま送信ボタンを押してしまうのだが、そうはしなかった。
 自分で打った「姫」の文字がなぜか目についた。
 メール文のなかで、里美のことを「姫」と呼ぶのは珍しい事ではなかった。遊び心も手伝っての、いわば常套句といってよかった。彼女に彼氏が出来る前は、この「姫」が時として「天使」になったり、「私の宝物」などとなったりもしていた。
 が、その日は何が「姫」だ、と気に触った。昨晩の面白くない気持ちがどうしたことか、急にムラムラとこみ上げてきたのである。
 続けて親指で打ち込んでいた。
――でも、里美にお相手願うと、どうしてこんなにも楽しいんでしょうね、いつも。考えると不思議ですね。
 ところで、ここで質問。あなたはどういう気持ちで二十歳の彼氏と付き合っているの? いったい若い男になにを求めているんだろうか、二十八歳の女性が。ちょっと疑問なので、お教えいただけませんでしょうか?
 メールを送信するときにためらいはあった。気が強いことを自慢げに口にする彼女のことである、怒るだろうなあ、という思いはたしかにあった。その反面、怒らせてしまえという気持ちも生まれていた。 
 返信はすぐ戻ってきた。
――どういう気持ちっていわれても……。ウーン、やっぱり好きだから、かな? とにかくわたしにも春が来たんですよ、春が! 一緒によろこんで下さいよ。大事なお兄さん。
 何が春が来た、だ。なにが大事なお兄さんだ!
――わたしが言いたいのは、姫が二十八歳の女性で、相手が二十歳の男だということをどう思っているか、ということですよ。昔二十歳の男だったから分かるんだけど、二十歳の男の前に二十八のお姉さんが現れたら、そらどんな男だってムチャ頑張りますよ。どんな男だってそう答えるよ、多分。とにかく甘えさせてもらえるし、相手は人生の先輩なんだから、色々と、ねえ。でも、続けばいいけど、どうだろうか。わたしは里美の大ファンだから、傷ついてもらいたくないんですよ。まあ、相手が二十五ぐらいで、里美が三十過ぎなら、こんな余計なアドバイスしなかったと思いますが。あんたはわたしの大事な宝物みたいなものだから、あえて言わさせてもらいました。イヤ、ホント考えてみて。
 一時間ほどしてから抗議のメールが届いた。
――わたしのこと、大切に考えてもらってること、感謝します。でも、まるっきり意味不明です。
 もしかして、あの子には、わたしはふさわしくないっていうことなんですか? もしそうなら、間違ってます。彼はいい人です。若いけど、苦労人で、一人で頑張ってるすばらしい子です。親は近くにいるけど、生活費も、アパートの家賃も自分でやりくりして、誰の助けももらってないりっぱな社会人です。
 彼のこと、何も知らないでしょう。なのに、そんなこというの、おかしいですよ。
――気にさわったら謝るけど、わたしが言いたいのは、彼がどうのこうの、ということではありません。あなたが二十八歳で、彼がまだ二十歳の男だという現実をどう考えているのか、てことですよ。彼の若さをどう捉えているのか、ってことなんですよ。
――彼が、二十歳の若さだからダメだってことですか? 若いから、二十歳だからって、なぜダメなんですか? 説明して下さいよ。分からないですよ。おかしいですよ。それは、大人の決めつけじゃあないんですか。意味不明ですよ。ちゃんとした説明、お願いします!
 参ったなあ、と思った。この時点ですでに、私はどう返信していいか分からなくなっていた。うるさいという思いと、これ以上里美を刺激したくない気持がわだかまって、しばらく携帯電話をほっておいた。だが、彼女は執拗だった。
 三十分ほどして又、メールの着信音がした。
――彼は若いけどいい子です。物事をきっちりと分かって行動しています。そこらの大人より、何倍も何十倍も真剣ですよ。私達のことも、今すぐは無理だけど、真面目に考えてるって言ってくれてます。
 あの子のこと、なにも分からないのに、あんな言いかたないです!  
――言い過ぎたかも知れません。もしそうであるなら、謝ります。でも、あなたの彼氏にたいして軽んじる気持などこれっぽっちもありません。ましてや、里美を怒らすためでもありません。それだけは分かって下さい。ただ、世の中には色々な考え方があり、たまには人の意見も聞いてみてもいいではないか、ということを言ってみたかっただけのことです。姫を思うばかりの勇み足ということで、どうかよしなに。
 そのメールのあと里美からの連絡はなかった。私はどうにか収まってくれたと思い、そのまま布団に入った。が、それは甘かった。彼女は少しも納得していなかったのである。
 翌日、私は耳障りな音で目が覚めた。携帯電話の着信音だった。
――お早うございます。昨晩は悔しくて眠れませんでした! 若い子だって真剣な恋をしますよ。どうして若いからダメって決めはるんですか。若いからって、二十歳の男だからって、私にふさわしくないってどういう意味ですか。一晩考えたけど、やっぱり分かりませんでした。
 恋愛に年は関係ありません! 若い人でも、りっぱに結婚している人はいくらでもいますよ。あの子にたいしてものすごく失礼やと思います。勝手に決めつけるな!
 朝から失礼しました。以上。
 部屋の時計を見ると、ようやく七時を過ぎたところだった。私は返信する気力もなく、そのまま携帯電話を投げ出した。
 十分後、またもや着信音が鳴った。
――やはりあなたはおかしいです! 一晩考えてみて、そういう結論に達しました。あの子のことなにも分からないのに、駄目だなんて決めつける資格、あなたにどうしてあるんですか。あるんなら言ってみろ! わたしはものすごく気分が悪いです。吐き気がします。たった今、あなたのことが大嫌いになりました。顔も見たくないのでシングルの会も抜けます。メールも送ってこないで下さい。送ってきても拒否します。電話も掛けてくるな! 今まで色々とお世話になりました。以上。 



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