白狐   林 さぶろう




 奥丹波草尾庄の禅寺の娘、井原靖代が十九歳で丹波の茅部村は阿木集落の久世家に嫁いできたのは、昭和十三年の十一月も末のことであった。
 旧郷士であった嫁ぎ先の久世家は、明治のなか頃までは近々在郷にその名を馳せる繁栄ぶりであったと聞くが、このときにはすでに舅は亡く、家運は傾き凋落の一途を辿っていた。姑の萩乃はいまだに武家の格式を重んじて気位が高く、あれこれと家のしきたりや作法を守ることを嫁にも強いて、これまでそうしたものとは無縁であった靖代を大いに戸惑わせた。
 阿木集落は六十数戸ある集落のすべてが久世の姓であったが、人々は靖代が嫁いだ本家に対しては敬意を込めて久世屋敷と呼んでいた。
 靖代が驚いたのは婚礼の日に、区長を務める長老格の吾佐衛門から久世一族九百年歴史を延々と語り聞かされたことだった。大変なところへ嫁いできたと内心後悔したものの、日が経つにつれて村役場に勤める夫の蒼一郎の優しさが唯一の救いになった。
 輿入れして十日ばかり経ったある日のこと、集落内の久世家の持ち田に一台の貨物自動車が脱輪してはまり込んだ。自動車が阿木谷へ入ってくるなど滅多にないこととて、集落は大騒ぎになった。
 自動車には錨の印があったために、海軍関係の自動車に違いない、これは一大事とばかりに、吾佐衛門が招集をかけた。集落の男も女も総出で脱輪した自動車を引き上げたあと、吾佐衛門は運転手と同乗していた男をともなって久世屋敷へやってきた。
 貨物自動車は舞鶴海軍工廠のもので、京都方面からの帰途に道を間違えて集落へ入り込んでしまったらしい。
「うろ覚えの近道を行こうとして、この谷へ迷い込みました。田を荒らしてしまい申し訳ありません」
 運転手ともども丁寧に頭をさげた男は、工廠の造船技師で野田と言った。
「まあ、それは難儀なされましたこと、なにもお構いできませんがどうぞお上がりくださいな」
 久々の来客に萩乃は上機嫌で、恐縮する彼らを座敷に招じ入れた。そうこうするうちに、勤めを終えた蒼一郎が帰宅して時ならぬ酒宴になった。野田は蒼一郎と歳がおなじの二十九歳だと言い、話題は双方が趣味の囲碁の話で盛り上がった。普段は外での付き合いの少ない夫の楽しげな顔を、靖代は初めて目にする思いがした。
 このことがきっかけとなって、その後も野田は出張の帰りには度々立ち寄るようになり、待ちかまえていた蒼一郎と碁に興じていった。

 昭和十四年が明けてからまもなく、蒼一郎は死病と忌み嫌われた肺病を患い、病の床に伏してしまった。靖代が嫁いできて三ヶ月余りが過ぎたばかりの、春もまだ浅い三月のことであった。
 蒼一郎が伏す離れの軒には萩乃の手により、病避けとされた大蒜の球根がずらりと吊り下げられた。そこに出入りをするのは、看病を任された靖代以外は近寄る者もなく、たまに役場の同僚が見舞いにきても、世間話もそこそこに帰っていった。病の伝染を恐れた萩乃は、跡取り息子の病状をのぞきにくることさえ嫌がり、ほとんど顔を見せなかった。
 そんななかでも野田は出張の帰りのみならず、休日にもわざわざ舞鶴から蒼一郎の見舞いにやってきて、時間の許す限り病人の枕元で話し込んでいった。時には二人の談笑する声が、庭先で洗濯物を干している靖代にも聞こえた。そんなときの夫の笑い声は、とても寝たきりの病人とは思えぬほどの活気が感じられて、靖代もつい誘われて微笑むことがあった。
 昼時ともなれば、靖代手作りの山家料理の昼食を三人が共にした。そんなとき、枕元の両脇で箸を動かす野田と靖代を、日ごろから生真面目な蒼一郎が盛んに冗談を言って笑わせたりした。
 夕方近くともなり、名残を惜しむ蒼一郎の枕元を離れて帰路につく野田は、門脇で見送る靖代に「近いうちに、また寄せて頂きます」と言葉少なに別れを告げた。忙しい勤めの合間を割いてまで、わざわざ蒼一郎の見舞いに来てくれる野田に対して、靖代はその背中に心中で手を合わせるのだった。

 広大な久世屋敷の西の外れにある阿弥陀堂のしだれ桜の蕾も、そろそろふくらもうという三月も末のこと、娘婿の見舞いに草尾の里から父親の良覚が訪ねてきてくれた。久し振りに顔を見た父親だったが、母屋に居る萩乃には縁先から挨拶をしただけで、離れにとって返すと蒼一郎の枕元に座してその痩せ細った手を黙ってさすり続け、日の暮れ時にふたたび草尾へと戻っていった。
「しやないわいのう、おまえも疲れをだすな」
 別れ際に一言呟くように言い残して帰っていく父親の後ろ姿に、靖代は追っていき、すがって泣きたい衝動を懸命にこらえた。
 気を取り直した靖代は、いつものように母屋の台所でこしらえた蒼一郎の夕食を携えて離れへむかっていた。先ほどから両手で支え持つ布巾をかけた盆からの匂いが、なぜかこの日に限ってたまらなく不快に思った。この病は滋養をとるのが唯一の療法と、村人が届けてくれた焼いた鰻の匂いが堪らず、とうとう池の端にうずくまってしまった。
 激しく嘔吐をしたあとふと目を上げると、池の向こう側から白い影がこちらをじっと窺っている。大振りの体躯にピンとたった大きな両耳、全身を白毛に覆われた狐がいる。
「ギン……」靖代は思わず声に出して叫びそうになった。
 靖代とこの白狐の出会いは、六歳の幼児の頃だった。折しも村では鶏小屋が夜ごと狐に襲われる被害が続出していて、業を煮やした村人たちによる狐狩りがおこなわれていたときだった。ある日靖代の生家である寺の裏山で、子連れの雌狐が猟師に銃で撃たれた。親狐のそばに、生まれて間もない四匹の子狐がいた。息も絶え絶えの親狐に猟師がとどめの引き金を引こうとした時、泣きながら銃の筒先に立ちはだかって狐をかばったのが靖代だった。
 思いも寄らぬ事態に、引き金を引く意志を喪失した猟師に代わり、子狐は傷ついた親狐ともども居合わせた村人によって殺された。
 狐の死骸を担いで皆が引き上げたあと、ショックを受けて放心状態でいた靖代は、そこから少し離れた灌木の茂みの陰に、もう一匹の子狐がいるのに気付いた。この子狐は母親や兄弟が殺されるのを、ここから見ていたのか、危うく命拾いをした子狐を靖代は連れて帰り、育てることにした。毛並みが見た目に銀色がかっていたために、ギンと名付けて近くの農家から山羊の乳をわけて貰い、懸命に世話をした。その甲斐あって子狐は、半年後には立派な狐に成長していた。
 寺で狐を飼うていては、村の衆に言い訳がたたぬ、という父親の命令で、靖代は心を引き裂かれる思いで裏山にギンを放したのだった。「ギン、山の奥へいって暮らすんや、里へ近づいたらあかんよ」語りかける靖代にギンは見事な尾を振って応え、五メートルばかり歩いて振り返り、手を振る靖代にキュンとひと啼きすると木立の茂みに姿を消した。
 十年が経って京都の女学校で寄宿舎生活だった靖代が、月に一度は汽車の駅から三キロの道を歩いて実家へ戻った。たまに夜道を歩くこともあり、あるとき峠の登り口あたりまでやって来て、月明かりに映える白い影を目にしたとき、思わず「おまえギンかい」と問いかけていた。ギンは見事な尾を大きく振って応え、靖代は懐かしさのあまりに涙ぐんだものだ。それからは日が暮れてから峠を越す折りには、必ずギンが現れて靖代のあとを付かず離れずに家まで送ってくれたものだった。

 それにしても靖代の生まれた草尾庄の里からこの阿木集落までは大小五つの山を越えねばならず、汽車に乗れば二駅の距離がある。ギンはなんと五つの山を越えて阿木まで駆け抜けてきたというのか、そんなことがあるのだろうか、靖代が不思議な思いにかられて見つめるとギンはさっと身を翻して庭木の茂みに姿を消した。ギンが身を翻す折りの、大きく跳ねた真白い尾がいつまでも靖代の網膜に残った。
「どうも気分がすぐれんし、ひょっとして悪阻かもしれんわ」
 床のうえに起き上がった蒼一郎が夕食の膳にむかい、ちからなく持った箸をくちへ運び出すと、靖代は気になる症状をぼそっと打ち明けた。
「赤児ができたのか……」
 蒼一郎は箸を休め、頬骨が突き出た青白い顔を靖代にむけた。靖代がそうかも知れないと頷くと、京都に産婦人科医院をしている遠縁の親戚があるから、そこへいって診てもらってこいといった。
 このごろ衰弱が目立つ蒼一郎は大儀そうな動作で布団の縁をめくり、敷いていたがま口のなかから一円札で五円と五拾銭玉二枚を取り出して靖代の手に握らせた。萩乃にいっても、そんな費用どころか京などへいくことさえ許さないことを、蒼一郎もわかっているのだ。役場の給金はすべて母親に差し出しているなかで、こつこつと小遣いを貯め込んでいたのだろうか。
「銭が余ったら戻りがけに丸物へ寄って、バターを買うてきてくれ」
 妻が妊娠したと知るや、我が子の顔を見るまでは出来うる限り栄養を摂ることで生きていたいと願う夫の思いが、靖代には切なかった。
「おまえがここへくるちょっと前に、妙な夢をみた」
「へーぇ、どんな夢ですのやろ」
「なぜだかわからんが、僕が真っ白な狐の背中に乗っておるんだ。狐はもの凄い早さで駆けていて、僕もまた振り落とされまいと必死で狐にしがみついている、妙な夢だと思わんか」
「ほんまに、妙な夢を見やはりましたなあ、それでどこへいかはったんです」
「さあ、そこで目が覚めてしもたからなあ、あの世の極楽へでも連れていってくれるところやったかも知れん」
「まあ、あの世やなんてゲンの悪いことを……」
 夫の言葉を打ち消しながら目を落とした靖代は、数本の白い獣毛が枕元の敷き布団に付着しているのに気付いた。

 満開だった阿弥陀堂の桜が散り始めた四月十二日の朝、靖代は上りの二番列車に乗るために、朝露の人切り峠を殿田の駅へと急いでいた。姑は早朝のまだ暗い内から、集落の愛宕山詣での講の仲間ら数人と出かけていて、その留守を幸いに京都へいくことにしたのだ。病人を置いて出かけるのは気がかりだったが「この機を逃せば、もう京へはいかれないぞ」と言う蒼一郎の言葉に押され、いくことを決心したのだった。
 殿田から汽車で二時間近くかけて京都に着いた靖代は、女学生時代をこの地で過ごしたこともあって、迷うことなく目的の医院へむかった。府庁にほど近い堀川通りに面した、小さな洋館建ての婦人科医院で診てもらった結果は妊娠四ヶ月ということだった。夫が書いてくれた紹介状を一読した初老の医師は、蒼一郎が結核の療養中であることを知ると帰りに沢山な栄養剤を持たせてくれた。
 京都駅まで来て駅の時刻表を見ると、下りの福知山行に乗れば四時まえに殿田駅に着く、そこから人切り峠を一時間半をかけて越えても夕方の六時には帰れる。姑が戻る八時頃までには、充分に間に合った。いまからだと汽車の時刻までかなりの時間があり、靖代は駅前の丸物百貨店へいった。屋上遊園のベンチで持ってきた弁当の握り飯を食べたあと、地下の食品売り場でバターを買った。医院で診療代をまけてくれたため、その分で蒼一郎に食べさせようと、ついでに揚げたてのカツレツを買った。
 戻りの汽車にのってからの靖代は、久方ぶりの外出による疲れからか列車の振動に身を任せてうつらうつらとしていた。ふと目を覚ましてもうどの辺りかと窓の外に目をやれば、そそり立った谷間の駅に汽車は止まっていて、はるか下方で流れが白く泡だって岩を噛んでいる。隣に乗り合わせた乗客の言うには、もう二十分近くも保津峡の駅に止まったままらしい。そのとき車掌がやってきた。亀岡駅のポイントの故障により、列車の発着ができなくなっているとかで、いましばらく待つようにと言って次の車両へ移っていった。汽車の到着が遅れてあまり遅くなるようだと、日が暮れてしまってから峠を越さねばならなくなる、靖代は困ったことになったと思った。
 やっと汽車が動き出したのは、それから三十分もたってからで殿田の駅には一時間近くも遅れて着いた。あたりにはすでに暮色が漂うなか、靖代は人切り峠を目指して急いだ。暗がりの峠道も恐いが、姑の萩乃より遅く帰り着くことの方がより怖ろしいことだった。
 すでに駅まえの商店街には明かりが点き始めていて、蒼一郎がかかりつけの埴科医院のまえを通り過ぎると、あとは次第に濃くなる夕闇のなかを一人でいかねばならなかった。
 やがて村道から外れて田原川にかかる沈下橋を、足元に気をつけながら渡るころには日は完全に暮れきってしまった。沈下橋を渡るとそこからは峠の登り口であり、山に分け入るにしたがい頼りの星明かりも木立に遮られ踏み分ける道さえ闇に埋もれてしまう。埴科医院に立ち寄れば提灯ぐらい借りられたろうに、気持ちだけが焦るあまりに、そこまで気がまわらなかったことを、靖代はいまさらに悔やんだ。
 言い伝えによれば、かつて戦国のころ阿木谷を根城とする久世一族を探らんと入り込んだ間者や刺客が、その身分がばれて捕らわれると、この峠で斬首された。その故事から、いつしかそう呼ばれだしたという人斬り峠の闇は、暗夜の魔物のように靖代のまえに立ちはだかる。
 見当をつけながら暗闇のなかを、張り出た木の根に何度も躓き転びかけてどのくらい歩いたのか、そろそろ庚申塚のあたりまできているはずだ。庚申塚からは一段と道が険しくなり、いよいよ峠越えの難所にさしかかるのだ。息を切らしながら額の汗を拭ったとき、目の前を白い影がよぎった。ぎょっとして闇に目をこらすと、白い影は五メートルほど離れたところでじっとこちらを見ている。暗闇のなかに浮き出たように、そこだけがぼうっと白い。
「ギン……」
 思わず靖代の口をついて出た呼びかけに、相手はそれに答えるように白い尾をさっと振って木立の闇に身を翻す。弾かれたように靖代は、ギンの白い影を追って駆けだしていた。背後から覆い被さる闇のなかを、足を滑らせて谷底へ滑落でもしたらと注意を払いながらも、靖代は見え隠れする白い影を見失うまいと懸命に追った。先をいくギンは時々止まっては後ろを振り向き、靖代がついてきているのを確認してふたたび駆け出す。
 先導するギンが立ち止まると、突然に視界が開け星明かりに小さな堂が現れた。なんと久世家の位牌堂ではないか、さらに目を転じると眼下に隣家の家の藁葺き屋根があり、そのむこうに黒々として木立に囲まれた久世の屋敷がある。思わず安堵の涙が靖代の頬を濡らした。
「ギン、おっきに、おかげで助かったわ」
 靖代が振り向いて声をかけると、ギンは頷くような仕草で首を上下に振り、次の瞬間身を翻してふたたび木立の闇に吸い込まれていった。
 隣家の庭を通り抜けて勝手口の戸を開けると、幸いまだ姑は戻ってはいない様子だ。旅装も解かぬままに、急いで夕飯の米をとぎカマドへ柴をくべると火をつけた。帰りを待ちわびているに違いない夫のところへいくと、驚いたことに枕元の時計はまだ宵の口の七時まえではないか。
 靖代が亀岡駅の事故で遅れたことを詫びると「おかあはんより早う戻れてよかったのう」夫は蒼白い顔をほころばせた。さらに妊娠を告げると、膝においた両の掌を黙って見つめた。痩せ細った腕とは対照的に、骨格がもとのままで異様に大きくみえる夫の掌を靖代も傍らから見つめた。生まれくる我が子の顔を見るまで、生きていられるのか、そんな蒼一郎の思いが伝わるようで靖代は堪らなくなり「夕飯のこしらえをしてきます」と言い、いたたまれずに座を立った。
 ギンは靖代を導き峠道からそれて、獣道を一直線に駆け抜けて久世の屋敷の裏山まで連れてきてくれたのだ。そのために思いのほか早く戻れて、晩飯を炊くこともできた。これで姑が戻ってきても、なにげない顔をして迎えられる。ギンは今頃自らが棲む草尾谷にむけて、山中を駆けているにちがいない、母屋に向かいながら靖代は黒々と連なる山並みをふり仰いだ。

 田植えのころになると蒼一郎は体調の良い日には床から起きあがり、縁側に出て屋敷のまえに広がる早苗の緑に目を細めていることもあり、傍目には回復しつつあるような希望を持たせた。三度の飯にバターを塗って食べるなどと、努めて滋養を摂ったのがよかったらしい。ところが七月に入るとふたたび吐血をくり返して、床についたままの日をおくるようになった。
 姑の萩乃は靖代の妊娠を知ってからも「丈夫な赤児を産むには体を動かせるのが一番」と言い放ち、なんら気遣うこともなく毎日を畑仕事や山での薪作りに次から次へと仕事を言いつけた。
 その頃の靖代の唯一の楽しみは、月に幾度か訪れる郵便配達夫と庭で立ち話をすることであった。郵便配達夫は草尾庄から殿田駅前の郵便局へ通っていて、顔を合わせれば靖代の両親の様子や村の状況を話して聞かせてくれた。在所がおなじという気安さから、ときには長話で談笑することもあり、それがまた萩乃の逆鱗に触れた。
「郵便夫なんどと立ち話をするとは、はしたない、久世家の嫁だというのを忘れるな」と罵り、二言目には「久世は士族の家柄、腐っても鯛は鯛じゃ」と言うのが口癖だった。離れ座敷に伏す跡取り息子の吐血する血は、すでに腐臭を放っているというのに気位だけは高かった。
 明日は京の祇園祭という七月十六日の夜のこと、夕食の膳をまえに細い食事の箸を休めた蒼一郎は、靖代にむかって思い詰めたように語りかけた。
「生まれてくる赤児が女児やったら、久世の親戚へなと養女に出しておまえは草尾庄へ帰れ。もしも男の児やったら、おまえの手もとで育ててくれ」
「またいきなり何を言わはんの、まだ生まれてきもせん子をよそ様へやるやの、里へ帰れやのと妙なことを」
「自分が居らんようになったら、あのおかあはんのもとで子を育てるのは無理やろと思う。よい縁があったら再婚するのや、頼みとしては、男の子なら久世の姓をつがせてくれ」
 そう言い終わると蒼一郎は、困惑した面持ちの靖代を瞬きもせずに見つめた。
 翌日の昼過ぎ、蒼一郎は夥しい吐血のなかで死んだ。享年三十歳。朝方、縁先で洗濯物を干している靖代に向かって「今日は祇園さんやのう」と声をかけたのが最後の言葉だった。靖代が駆けつけたときには、自らの吐血に染まった蒼一郎の死に顔を、堰を切ったような蝉の鳴き声だけが取り巻いていた。
 夫の葬儀には、靖代もこれまで面識のなかった久世の遠縁の人々らが次々に訪れた。おかげでこれらの弔問客でごった返した久世の屋敷は、久々に往時を偲ばせる賑わいとなった。出張中で葬儀に間に合わなかった野田は、初七日の法要にかけつけた。
 葬儀がすむと慌ただしく日にちが経った。九月に入ると靖代はこの地方の習慣である、嫁の実家で出産をするために萩乃に暇を乞うた。萩乃は了承したものの、姑としてねぎらいの言葉一つもかけるでなかった。実家から八歳年下の弟浩介が迎えにやってきて、靖代は臨月の腹をかかえて草尾庄へ戻り、その月末に男児を出産した。
 靖代の父親は萩乃のもとへ手紙を出して、その旨を伝えたが萩乃からは何の返事もなかった。やむをえずに父親は、生まれた子の曾祖父にあたる、勤皇の志士であった久世叡佐武郎宗俊の名前から一字をとって叡一と名付けた。

 昭和十五年が明け正月を実家で迎えた靖代は、婚家に気をつかう父母の意向で年明け早々の一月十日に阿木集落の久世家に向かった。積雪のために峠を越すことは叶わず、遠回りの馬車道を歩いて戻ってきた。
「血は争えんのう、蒼一郎に似とるのは色白なとこだけで、顔立ちの卑しいところは靖代おまえの方の血が濃いんじゃあ」
 萩乃は喜んで靖代を迎え入れるどころか、百箇日にも足らない初孫の顔を下座敷の縁側から見下ろして言い放つと、ぴしゃりと障子をしめてしまった。萩乃にすれば靖代のことは、嫁というよりも働き手を一人迎えたぐらいの思いだったのだろう。息子が死んだいま、足手まといな幼子を抱えて戻ってきた靖代は、鬱陶しい存在でしかなかったのかもしれない。
 孫の誕生を喜ぶどころか、けんもほろろの萩乃の態度に、靖代は家に入ることも湯茶の一杯を所望することも叶わず、せっかく戻ってきた婚家をそのまま立ち去るしかなかった。
 途方にくれつつ村はずれにある阿木神社まできたとき、靖代は歩みを止めた。つかの間の思案のあと、境内に足を踏み入れると社殿に向かった。まだ正月の御神酒が供ぜられたままの社殿のまえで、背中の叡一をおろすと賽銭箱の脇にそっと寝かせた。久世家をあとにするとき携えてきた、門の傍に立て掛けてあった久世家の家名入りの唐傘を広げ赤児にさしかけるようにして置いた。
 眠っている子が目を覚まさしてはとの思いから、鈴は鳴らさずに手を合わせ、どうぞこの子をお守りください、と胸の内で念じた。寝んねこにくるまれた我が子の顔を今一度見つめた靖代は、思いを振り切って社殿をあとにした。
 境内を出ると靖代は一刻も早く阿木集落から遠ざかろうと、いままでと一転して早足で歩いた。集落から離れれば離れるほど久世家も遠くなるのだ。夫蒼一郎の遺言もあるが、叡一は自分の息子としてでなく、久世家のたった一人の跡取りとして生まれてきたのだ。さすれば自分の手で育てるより、萩乃のもとへ返すのが自然だろう。その方があの子にとっても幸せに違いない。
 あそこなら村へ帰る誰かが見つけて、萩乃のもとへ連れていってくれるに違いない。あの子は久世の血を継いだ子なのだ、靖代は歩きながら何度もそう自分に言い聞かせた。茅部尋常小学校のまえを過ぎると、築堤を走る山陰線の踏切にむけて上り坂の道を急いだ。
 鋭い汽笛を響かせ踏切の間際にあるトンネルから、いきなり黒い塊が飛び出してきた。考え事に気をとられ、警報機の音さえ耳に入らなかったのだ。機関車のドレーンから吐き出される蒸気を全身に浴びながら、靖代はうつろいだ目で通過していく列車を見つめた。
 ふたたび辺りに静寂が戻ったとき、靖代は耳の奥で赤児の泣く声を聞いた。付近を見まわしてもそれらしき人影はなく、気のせいかと踏切の向こう側に目をやるとすでに駅近くまで来ていて、民家にはすでに明かりが点りはじめている。まだ昼を過ぎたぐらいに思っていたが、そんなにも時間が経っているのか。一瞬置き去りにしてきた我が子の顔が浮かんだ。靖代はちらつき始めた雪のなかを夢中でもときた道を駆け出していた。
 大人三人が両手をまわしてやっという幹の太い杉の巨木をはじめ、栃や椋の古木に覆われ昼間さえ薄暗い阿木神社の境内は、すでに足元もおぼつかないほど宵闇がとりまいていた。必死で我が子の姿を求めて社殿の賽銭箱へ駆け寄れば、暗がりにぼんやり白い影がうづくまっていた。まるで忍び寄る冷気から守るかに、それは寝んねこの幼子に寄り添っている。
「ギン……」
 そう言ったまま絶句する靖代をじっと仰ぎ見た白い影は、のっそりと立ち上がると社殿裏の雪の斜面に跳ねて姿を消した。
 寝んねこにくるんだ叡一を抱き、久世家の門前に立ちつくしている靖代を見て屋敷のなかへ連れて入ったのは、小川で釣り上げた寒鮒を届けにやってきた芳蔵だった。芳蔵は久世の屋敷に一番近い隣家の主で、代々久世家の家僕であった。いまでも、すっかり男手が居なくなった久世家の雑用を、律儀に引き受けてくれているのだった。
「せっかく、こないして蒼一郎さんの忘れ形見のぼんちゃんを連れて戻りやしたのに、大奥さまこのわしからも頼みますで、何も言わんと若奥さまを家に入れてあげとくれやす」
 蒼一郎が死んだあと以前にもまして頑なになった萩乃も、芳蔵の言うことには黙って頷いた。靖代はその場に来合わせた芳蔵のとりなしで、ふたたび久世家の嫁として戻ることになった。
 靖代は戻ってからも母屋には住まわされず、蒼一郎が死ぬまで伏していた離れ座敷で寝起きをした。離れの軒下には蒼一郎の死後も変わらず大蒜の球根は下げられたままで、まだ肺病の菌が残っているやも知れぬと萩乃はそれらを取り去るのを禁じ、自身も離れには滅多に近づかなかった。
 疝気の持病を持つ萩乃は、十日に一度の薬を貰いに医院へいくのを、芳蔵には頼まずに靖代をいかせた。人切り峠を越え、往復三時間の道のりを靖代は殿田駅前の埴科医院へ通った。
 まだ辛うじて久世家の残照があった大正期あたりまでは、埴科の家とは親戚に等しいつき合いであったとか、そんなところから院長の埴科啓太郎は、靖代の顔をみると必ず背中の乳児の育ち具合も併せて診てくれたが、決して診療代をとらなかった。久世家の内情に通じる彼は姑の萩乃の性分をよく知っていて、靖代が薬代しか持たされて来ていないのを察していたのだ。

 阿木谷に夏が訪れたある日、弟の浩介がやってきた。母親が古布で縫い上げた襁褓を届けにきたのだ。そのあと、海軍にいる長男の三郎の面会に、両親や靖代と一回り歳の離れた弟の泰三ら家族で、呉までいったことを報告した。
「お母ちゃんが、どうしても三郎兄ちゃんの面会にいきたいと、お父ちゃんを説き伏せたんや」
「あの子が家にいるときには、お母ちゃん顔を見ると小言を言うてたのになあ」
 そう言いながらも、そんな母親の気持ちが靖代にはよくわかる。
「これ三郎兄ちゃんからや、兄ちゃん俺らが面会に来るのを知って言付けようと買うていたらしいわ」
 浩介はそう言いながら、肩からかけた雑嚢から包みを取り出し靖代に渡した。包みを開けると、幼児の革靴と手袋が入っている。
「まだ生まれたばかりの赤ん坊に、気の早い子や」
 ほんまにあの子らしいわ、二十歳の徴兵検査がすんだばかりのこの春、海軍に入隊した一歳年下の弟三郎を靖代は思った。
「あ、それから、ギンが阿木の里にも現れたらしい、と言うたら、ギンは京の愛宕山に棲み、百五十年間も生き続けているという古狐白鬼丸の血筋を引く狐だから、常に草尾谷と愛宕山の間を往き来しているに違いない。阿木はその中間だから、途中でちょっと立ち寄ったのだろうだって」
「まあ、三郎にそんな事まで言うたん……」
「さすが小説家志望だけあって、三郎兄ちゃんが言えば、本当にそうかも知れんな、という気にさせるからなあ」
 浩介が感心したように言うのを聞いて、林不忘みたいな流行作家になってやる、と言っては小説を読みあさっていた三郎、海軍のなかでは小説も読めないやろに、あの子困ってるやろな、靖代は本好きだった弟に改めて思いを馳せた。

 肺病患者のいるうちは訪れる者も絶えていた久世家にも、今年になって度々村人が訪れるようになった。その殆どが拡大する一方の、大陸の戦線へ応召されていく若者だった。彼らの目的は倉に入り込み、多々ある骨董のなかから日本刀を見つけだすことだった。そして手頃な刀を見つけると、これを守り刀にして戦地へ携えていくのだ。萩乃はこうしたことを、お国のためになるならと容認していた。なかには見慣れぬ顔を伴い複数でやってきて、明らかに骨董商人と見紛う人物が倉のなかへ入って品定めをしていることもあった。
 たまたま萩乃の往診で久世家を訪れた、埴科医院の院長埴科啓太郎がこの様子を目の当たりにした。東京帝大医学部卒業の肩書きを持つ彼は医者としての信頼もあつかったが、一方で郷土史研究家としても名を知られていた。啓太郎はその場で、倉の中の骨董品を自らの自宅で保管することを申し出たのだった。
「ぼんちゃんが大きゅうならはったら、私が責任を持って久世家の歴史をじっくりと説明します」
 貴重な史料の流出を危惧した彼は、そう言って萩乃を説き伏せると、後日に倉の収蔵物の大半にあたる大八車三台分の骨董を、自宅の倉へ運び込むことになった。

「えらいことどす、二学期が始まったら、生徒が皆んなで勤皇烈士叡佐武郎さまのお墓へお参りすることになったらしいどすで」
 そう言って芳蔵が飛び込んできたのは、八月二十四日の盂蘭盆会の日の夕方だった。折しも久世家の屋敷内にある阿弥陀堂のまえで、萩乃を筆頭に靖代や近隣の女房子供らが敷かれたゴザに車座に座り、大きな数珠を回しながら御詠歌を唱和している最中であった。
「なんでも、これからは毎月一日を興亜日として、学校の生徒が神社に集団参拝することになったそうな。それで茅部村の学校では勤皇烈士叡佐武郎さまのお墓を、参拝清掃をすることになったらしいどす。ぼんちゃんもお生まれやしたし、これで久世家もまた再興の道が開かれますで」
「ほんに誉れなことじや」
 そう言って誇らしげに皆の顔を見渡した萩乃は、前にもまして御詠歌を唱える声を一段と張り上げるのだった。膝のうえに叡一を座らせた靖代は、蒼一郎の死後初めてみせる萩乃の晴れがましい表情に戸惑いながら皆について御詠歌を唱えた。
 やがて二学期が始まると、九月一日の始業式のあと小学校から二キロ以上も離れた久世家の墓地へ、教諭に引率された学童の参拝がおこなわれた。さらに靖代はこの日より、代用教員として村立尋常高等小学校に勤めに出ることになり俸給は二十八円であった。次々と兵役に招集されていく男性教員の欠員を補うために、村長や校長の意向でこの村では数少ない女学校を出た靖代に、白羽の矢が立ったのだった。
 靖代の受け持ちは一年生で児童数二十八人の学級だったが、農繁期には幼児を背負って登校してくる生徒もいて、靖代はそのオムツ替えなどの世話にも追われる日々だった。
 一方では靖代が勤めることになると、数え二歳になったばかりの叡一は、萩乃と芳蔵の女房であるコトメに託されることとなった。それまで叡一を一度も抱いたこともなかった萩乃が、これもお国へのご奉公じゃと孫の面倒をみることを引き受けたのだ。もっとも実際には、子守の殆どをコトメ任せであったらしいが、秋の農繁期ともなれば芳蔵の家とて猫の手も借りたいほどで、否応なしに萩乃がみるほかなかった。
 萩乃は叡一が幼児だからと、手加減はしなかった。粗相をした、障子を破ったといっては裸にして庭に引き出し、笹竹の鞭で泣きわめく子の尻を打ちすえた。あるときこれを目撃したコトメが「躾とはいえ、あれではぼんちゃんが可哀想どす」と靖代に言い付けた。さりとて靖代は萩乃に抗議することもできず、一方では叡一が不憫で埴科医院を訪れた折りに、ためらいつつもそのことを院長の啓太郎に打ち明けた。
 話を聞いた啓太郎は即座に、それなら昼間はうちへ連れてこいと言ってくれた。埴科家には啓太郎の妻智佳子と、一人娘の凌子がいた。凌子は叡一より三歳年長だが、叡一と遊ばすには恰好であろうという啓太郎の判断であったのだろう。
 それから間なくして靖代が学校へ勤めに出る日に限り、叡一を埴科家に預けることになった。靖代の勤める村立の尋常小学校は埴科医院とは一キロあまりの距離で、叡一を背負い朝露を含んだ人切り峠を越えて駅前商店街の一郭にある埴科医院に立ち寄り、子を預けるとそこから学校へ急いだ。

 埴科の家は啓太郎の父親の代まで郡長を勤めてきた家柄で、このあたりにおいては、かつての久世家に引けをとらない素封家でもあった。埴科家には平吉なる下男と、タミという年配の女中がいた。その広大な敷地には、通りに面した医院の建物とよく手入れの行き届いた中庭を挟んで奥まった一郭に、江戸期に建てられたという母屋や幾棟かの土蔵が整然と建ちならんでいた。
 久世の薄暗い屋敷に比べて人の出入りも多く、叡一を預けに訪れた靖代には、そこは別世界と思えるほど活気に満ちていた。母屋の勝手口から顔を出した靖代と叡一をみて、良家育ちの智佳子はちょっと驚いた顔をした。
「まあ、靖代さん、そんなところからおいやして。玄関へまわっておくれやすな、久世のぼんちゃんを勝手口からお入れしたりしたら、このわたしが叱られます」
 京都に生まれ育ち嫁いできた智佳子は、このあたりの訛りに染まることもなく、良家の妻女らしいおっとりした物言いで、靖代に玄関にまわるように言った。
「私がなにぶん山家育ちですもので、行儀の躾もよう教えんと……」
「何を言わはるのん、こない小さいのに躾もお行儀もありますかいな」
 改めて表玄関へとまわった叡一と靖代を、智佳子は快く迎え入れてくれた。墨痕鮮やかに漢詩の書かれた屏風の陰から顔を覗かせた娘の凌子を、智佳子は手招きして呼び寄せた。
「久世のぼんちゃんえ、今日から昼間のあいだお預かりするし、仲良うして遊んであげよし」
 母親の言葉にコクリと頷いた凌子は、緊張した面持ちで靖代の着物の袖口をしっかりとつかんだままの叡一のそばへつかつかと歩み寄り手を差しのべた。
「おいで、あっちへいって遊ぼう」
 戸惑い顔で靖代を見上げる叡一に、智佳子が話しかける。
「ぼんちゃん、ここはなにも気兼ねすることあらしまへんで、早うお上がりよし」
 その言葉をうけて微笑む靖代に促されて、叡一はやっと着物の袖口を離した。「おとなしゅうに、するのやで」靖代は脱がした叡一の靴を揃え、振り返りながら凌子に手をひかれていく我が子にむかって声をかけた。
「いちいち大人の顔色を気にしやはって可哀想に、萩乃さまはいまだに郷士の家風を重んじて、何かにつけて厳しいお方だと主人から伺っております」
「蒼一郎さんが亡くなられてからというもの、努めて気丈になさろうとされているのは分かるのですが……」
「靖代さん、あなたその若さで、これからずっと久世のお家を背負っていくおつもり?」
「えっ、ええ……」
「あら、余計なことを言うてしもて堪忍どすえ。ぼんちゃんのことはちゃんとお預かりしましたから安心して学校へいっとくれやす」
 返答につまり困惑する靖代の表情に気づいた智佳子は、慌てて話をそらせた。
「口が軽いのでいつも主人に叱られておりますのや。さっきのこと気にせんといておくれやすな」
 自らの失言を気にかけた智佳子は、通りに面した門まで送って出て、叡一のことを頼み頭をさげる靖代にふたたび詫びた。
 埴科の家から学校までは女の足で歩いても十五分少々だ。埴科家を去りがけに、玄関の大時計の指していた七時三十分を頭に浮かべて急ぎ足で歩く靖代の胸底に、智佳子の何気ない言葉が澱の様に沈んでいた。

 靖代が代用教員として勤めに出てから九ヶ月が経っていた。この間の昭和十六年三月には、茅部尋常高等小学校は国民学校と改称されていた。
 四月の新学期をむかえて、靖代は昨年からの持ち上がりの二年生の担任となっていたが、一方では高等科を卒業した弟の浩介が、この春から山陰線亀岡駅の駅員として勤め始めていた。
「一年経ったら梅小路機関区の、機関助手見習い試験を受ける推薦状を書いてやると、駅長さんから言われたんや」
 始めて給料を貰った日に、甥の叡一のために絵本と缶入りドロップを買い、わざわざ靖代のいる学校まで届けに来た浩介は、靖代に嬉しそうに報告をした。
「よかったなあ、浩介が機関士になったら、最初に乗務する汽車にお母ちゃんを乗せてやるわ」
「門司発東京行き急行、列車番号3京都駅で機関車付け替え、京都ー東京間牽引機関車は梅小路機関区所属流線型C55ー20号乗務機関士井原浩介、出発進行、ポー」
 浩介は機関車の汽笛弁を引く真似をして、おどけてみせた。

 浩介がやってきた翌日の四月二十七日のこと、その日の授業は午前中で終わった。大方の生徒が下校したあとも、靖代は教室に残って数人の児童たちの、衣服のつくろいやボタンのかがりなどをしてやっていた。農作業に忙しい親たちに代わって子供たちの身の回りに気を配ってやるのも、低学年を受け持つ教師にとってはかかせない事であった。
 やがて居残っていた生徒たちも帰って行くと、靖代は職員室へむかった。このところ晴天続きで湿度も低く、校舎から職員室のある本館への渡り廊下を歩く靖代の頬を撫でる風も爽やかだ。学校のまえを流れる田原川の鉄橋を渡る汽車の汽笛さえも、こころなし間延びをして聞こえる。なんとなく弾んだ気持ちになりかけたとき、向こうから黒川がきた。軽く頭をさげて通りすぎようする靖代に、足を止めた黒川が声をかけた。
「靖代さん、このあいだの話、よう考えてくれはりましたかいな」
「はあ……あれは教頭先生のおふざけかと……」
「困りましたな、こっちの真意がわかってもらってないようですな。私は本気で九百年のあいだ連綿と続いた久世家を、ここで絶やしてはいかんと思っておるのですよ」
 小柄な靖代は、背が高く大男の黒川に向き合われるだけでも威圧感を感じてしまう。
 思えば四月の新学期がはじまった二週間まえのこと、出征していく高等科の教師の歓送会が殿田駅前の料亭であった。黒川から靖代も参加を請われたが、幼い叡一をおいて夜間の宴席に出向くなど、萩乃の了解が到底得られるものではなかった。
 姑に気兼ねして返事を渋る靖代をみると、黒川はわざわざその日のうちに久世家までやってきた。そうして、本来なら全校生徒による叡佐武郎の墓参は毎月の一日であるにもかかわらず、特別に九月の命日にもお参りすることを萩乃に申し出た。
「いまこそ忠君報国の精神を子供たちに学ばせねばならん。それには勤皇烈士叡佐武郎宗俊さまのご偉業を知ることから始まります」
 黒川は萩乃をまえに熱っぽく語り「微力ながら私は久世家の再興のためにつくす覚悟であります」最後にはそう言って深々と頭をさげた。黒川の熱弁に気をよくした萩乃は、黒川が続けて許しを請うた靖代の歓送会出席を意外なほどあっさりと了解した。
 翌日に参加した歓送会では、靖代は同僚教師らによる激励の挨拶がひと通りすんだ頃合いを見計らって中座をした。遅くなっては埴科医院に預けてある叡一がぐずりだしたりして、先方に迷惑をかけてはと気をつかったのだ。ところが料亭の玄関を出て歩き始めた靖代のあとを黒川が追って来たのだ。驚く靖代に、黒川は夜道は暗いから送っていくと言う。夜道といっても、駅前通で民家が続いているので靖代は辞退したが黒川は取り合わずに肩を並べて歩き出した。
「あんたも大変だな、勤めと子育て、それに家にもどれば厳格なお姑に仕えなければならん」
「これも、自分の運命と思っていますから」
「どうです、その運命をこの僕に預けてみては」
 足を止めた黒川が、いきなり靖代の両肩に手をかけ顔をのぞきこむ。
「まあ、ご冗談ばっかり……」
 吹きかかる酒臭い息を避けて顔をそむけながら、靖代はそう答えるのがやっとだった。
「冗談ではない、不肖この黒川、故あって四十二歳のいまに至るまで独身を通してまいったが、後家の身でけなげにも久世家を一身で支えようとしているあなたに胸をうたれました。あなたさえよければ、僕は久世家の婿養子になってもいいと思っていますよ」
 折しも行く手の雑貨屋から人影が現れ、慌てて黒川が離れたのを幸いに靖代は必死で駆けた。やがて埴科医院の丸い門灯がみえたとき、ほっとした思いで振り返ると、もうそこに黒川の影はなかった。
 黒川はその時のことを言っているのだ。まさか教頭先生からあのようなことを……、靖代は困惑するばかりだった。
「あっ、久世先生ここにおってでしたか」
 物思いに沈む靖代が驚いて顔をむけると、学校に住み込んでいる初老の用務員が慌てた様子で、中庭の花壇のあいだを駆け込んできた。
「先生、駅前が火事どす。いま知らせがはいったところですが、商店街に燃えひろがったら、埴科医院も危ない。久世先生、すぐにぼんちゃんを迎えにいった方がよろしおすえ」
 用務員の話が済まないうちに、靖代は校門にむかって走り出していた。
「学校の自転車に乗っていきなはれや」
 あとから用務員が声をかけてくれるが、靖代は自転車には乗れなかった。校門を出たところへ、折りよく知らせを受け消火に出動する阿木集落の警防団がやってきた。埴科医院に子供を預けていることを告げると、馬がひくポンプ車に乗せて貰うことができた。
 火災現場近くでポンプ車を降ろされた靖代は、あたりに立ちこめる煙に咳き込みながら、人々でごったがえす通りを埴科医院を目指して走った。消火活動の妨げにならぬように、通りを通行止めにする巡査には「あのなかに子供がいる」と叫んで封鎖のロープをかいくぐり必死で駆けた。
 無我夢中で埴科家の近くまでくると、母屋のあたりの空に火柱がたつのがみえた。サイレンの音と半鐘が打ち鳴らされるなか、それぞれの地区の印法被を纏った幾人もの警防団の男たちが、ポンプ車とともに靖代の脇を追い抜いていく。
「叡一っ、叡一っ」
 騒然とした雰囲気のなか、靖代は我が子の名を叫び続けた。
 埴科医院の前あたりにいたポンプ車が、拡がる炎に靖代の近くまで後退してきた。燃えさかる埴科医院の方へ駆ける靖代を、警防団員の一人が気付いて制止した。
「あの家に子供がいるんです。助けてください」
 己の身の危険よりも我が子の安否を気遣い、駆け出そうとする靖代を警防団員が背後から抱きとめる。避難を呼びかける警防団のメガホンの叫びと右往左往する人々のなか、靖代は放心して道端にたたずむ智佳子と手をつなぐ凌子それにタミを見つけ駆け寄った。
「奥さまあ、うちの叡一は、叡一はどこにいるんです」
「それが、一緒に逃げたのですが、いつの間にか見失って、いま平吉を探しにやっていますのや」
 手提げひとつをもって震えている智佳子は、そう答えるのがやっとだった。そばからタミが代わって話を引き継いだ。
「ぼんちゃんはどこやかの男の人に背負われて、いち早くお逃げやしたわ」
「男の人て、どなたです」
「さあ、気が動転してましたさかいに、顔はよう覚えてないのやけど、あんまり見かけん顔どしたわ」
 タミの言うには、炎が埴科医院まで迫ってくるなか避難しようとして気付くとぼんちゃんの姿がみえない、慌ててふと先をみると逃げ出す埴科家の人たちの一足先を、見知らぬ男が叡一を背負って駆け出していたという。すぐに平吉がそのあとを追ったが、混乱して逃げまどう人々のあいだをすり抜けていく男の足は速く、途中で見失ったという。
 智佳子たちと別れた靖代は我が子の姿を求め、人々のあいだを誰彼なく尋ねて歩いたが、誰もが自分たちの避難するのが精一杯で取り合ってくれる者さえない。気が付くと駅近くの線路端まできていた。振り返ると駅から五百メートルほど離れた商店街は、すっかり炎に包まれていた。さらには、両側から商店街を挟むように迫る山裾にも飛び火による炎がみえた。火勢に阻まれて消火活動は困難を極めていて、ポンプ車の水源となる商店街に沿って流れる田原川の水辺にも近寄れないらしい。線路付近には、なすすべもなく見守る数十人もの警防団員らが、燃えさかる炎を眺め立ちつくしていた。
 その時だった「先生」と呼ぶ声に振り向けば、靖代の担任の玉井和子という子がぶつかるようにしがみついてきた。
「先生っウチの家が燃えとるっ」
 そう叫んで靖代を見上げる子の顔は怖ろしいほどに引きつり、目の前の恐怖から逃れようとするかに、なおも靖代にしがみついてくる。荒物屋であるこの子の家は埴科医院の真向かいにあり、すでに燃えさかる炎のなかにあって見極めもつかない。靖代はかけてやる言葉もなく、しゃがみ込んで抱きしめてやるしかなかった。
「先生、ぼんちゃんと会いなさったか、埴科医院はみな焼け落ちたと、ここえくる途中で警防団の人が話しとったけど」
 それまで気付かなかったが、話しかけられて顔をあげれば和子の母親だ。なかば放心した表情ながらも、靖代が埴科医院に託けている叡一のことを気遣ってくれている。かぶりを振ると「駅前にぎょうさんな人が避難していたし、見にいってみたら」と言う。
「お母さんと絶対に離れんことよ」靖代は和子に言い含めて、この親子と別れた。
 駅前までくると、焼け出された人々でごった返していた。駅前は乗り合い自動車がぐるりと方向転換できるほどの広場だが、大方の者が風呂敷包みひとつという有様で地面に座り込んでいた。そのなかを数人の巡査が、声高に身内の行方不明者の有無を尋ねて回っている。靖代は我が子の消息を求めて、必死で人々のあいだを縫って歩き尋ねたが誰もが首を横に振るばかりだった。途方にくれかけたときだった。「姉ちゃん!」声の方に顔をむけると浩介が駅から手を挙げて駆けてくる。浩介は勤務あけで帰りかけていたら、鉄道電話で殿田が大火事やと連絡が入った。慌てて園部までくると汽車の運行はそこで打ち切られていて、困ったことになったと思っているところ、ちょうど保線区員が殿田駅へ様子を見にいくところだったので、そのトロッコに便乗してきたと、ここにやってきた理由を一気に喋った。
「浩介、どないしょう、叡一が見つからんのや」
 靖代の言葉に、浩介の顔から血の気が引いた。「姉ちゃん、いこ」言うがはやいか、火災現場の方角を目指して駆け出し靖代もまた浩介の後を追った。
 ふたたび火災現場までくると焼け落ちた家屋の残骸が燻り、強い刺激臭が鼻孔をついた。まだ炎をあげて燃えさかっている家屋もある。張りめぐらせたロープをかいくぐり、なかへ入ろうとした途端に巡査に制止された。こどもを探していると訳を言っても頑として通してくれそうもなく、とても埴科医院のあたりにいくのは無理と思えた。
 途方にくれる二人の耳に、近くの男たちの話し声が聞こえた。
「犬の背に幼児がしがみついて走っとるやなんて、あんな事があるのんかいのう」
「あら犬やなかろう、あの見事な尾は狐じゃ」
「話に聞く、愛宕山の白鬼丸に違いないのう」
 靖代は思わず浩介の顔を見ると、浩介もまた靖代を見る。
「あのう、その話はほんまに見やはったことですやろか」
 近寄って問いかける浩介に男らは一瞬怪訝な顔をしたが、なかの一人が目撃したときの様子を得意げに語り始めた。
「火の勢いは、風にあおられて激しいなる一方で手がつけられん。一旦ここまでひきさがってきたときじゃ、幼児を背中に乗せた白い大きな狐が線路の犬走りを走ってるのを見たがその足の速いのなんの、見とるまに線路から離れて田畑の畦伝いに山裾を駆け抜けていき、あっというまに雑木林のなかへ奔り込みよったぜよ」
 男の話が終わらぬうちに、靖代は線路に沿って歩き出していた。
「姉ちゃん、いまから後を追っても無理や」
 浩介の声に靖代は立ち止まる。狐が奔り去ったという雑木林は蔓や熊笹が一面にはびこり、普段は入る人さえないところだ。さりとて人切り峠へむかうには、燃えさかる商店街のなかをいかねばならず、いまは線路沿いにトンネルを抜けたところの踏切から、馬車道に出るのが阿木谷へは近道だ。浩介はそこのところを考えているのだ。見かけた阿木集落の警防団員に、叡一の行方不明を伝えて捜査を頼んでいるところに学校の用務員がやってきた。
「久世先生、ぼんちゃんがおってどしたぜ」
 自転車を降りた用務員は、靖代をみると大声で叫んだ。
 用務員の話では、村人の一人が阿木神社の境内にそそり立つ大杉の根本で、泣いている叡一を見つけたとのことだった。
 知らせで駆けつけて我が子をひしと抱きしめた靖代は、叡一の衣服に付着している数本の白い獣毛に気づいた。それを指し示す靖代の指先を見た浩介は「あいつボウズを助けにきたんか……」と呟いて絶句した。
「ギン……おおきに」我が子を救ってくれたのはギンに間違いない、大粒の涙が靖代の目からあふれ出た。

 翌日の昭和十六年四月二十八日の新聞は、山陰線殿田駅前付近の火災を大々的に報じた。それによると焼失家屋二百二十六棟、ならびに飛び火による山林の火災五十町歩という大火であった。
 さらに記事は火災の原因にふれ、当日の昼下がり殿田駅を十二時三十八分に発車した京都行きの列車が、密集する民家の裏手を通過していったその十分後に、線路からほど近い郵便局付近から火の手があがったということで、原因は蒸気機関車の煤煙による引火が濃厚と報じた。
 村立国民学校に通う生徒の家も、多数が焼け出されていた。靖代の受け持ちする学級でも、和子を含めて三人の児童の家が罹災していた。焼け出された人々には一時的な避難場所として、殿田駅前に建ち並ぶ割烹旅館が供されていた。日ごろは付近の鉱山から産出する、マンガン鉱石の仲買人たちで賑わう割烹旅館が十数軒ばかり居並ぶこの一帯は、辛うじて延焼をまぬがれていた。靖代は他の教員たちとともに、罹災した生徒たちの様子をみにまわった。
 案内された部屋の襖を開けると、昨日のこと燃えさかる現場を、我が子を探し歩く最中に出会った和子の母親が、靖代をみて声をかけてきた。
「先ほど教頭先生がおみえになり、久世先生のぼんちゃんが無事でおられたとか、ほんまに良かったどすなあ」
 あわてて見舞いの言葉を述べようとする靖代に、母親は先に叡一が無事であったことを喜んでくれた。
「なんでも火の粉のなかを、小さな子が背中にしがみついた真っ白い狐が疾って行くのを見た人がおらはって、あれは愛宕山の白鬼丸に違いない、いうてえらい噂ですわ、ほんまにそんなこと、ありますのんやろか」
「さあ……、あ、それから罹災した生徒においては、学校の方でも、できる限りの便宜ははかると、校長先生のお言葉でした」
 ギンのことをあまり話したくないのと、言っても興味本位の妖怪話の種になるだけだと思い、靖代は見舞いの言葉を述べると早々に、まだ喋りたそうな母親のもとを辞した。
 別の旅館にいる他の二人の生徒を訪ね、見舞うと靖代は帰途についた。駅前までくると汽車から降りてきた浩介と会った。母親からの言づてを伝えに、途中下車したのだという。ところがその浩介のあとから、野田が歩いてくるではないか、右手にトランクをさげた野田は、靖代をみると片手を揚げて微笑んだ。
「今日は、ご無沙汰しとります、このたびは大変でしたねえ、ずいぶんと驚かれたことでしょう」
「まあ、野田さん、またどうなされたのです」
 驚く靖代より浩介の方が、二人の顔を見比べながら不審顔をしている。
「弟の浩介です、こちらは舞鶴海軍工廠にお勤めの野田さんよ」
 靖代は久方振りに会った野田に戸惑いながら、ふたりを互いに紹介した。野田は一昨日から出張だったとかで、新聞の報道で大火を知り帰途に靖代の様子を知りたくて降りたったと言った。
「お母ちゃんがな、叡一を預かってくれるとこがのうなったら、勤めも大変やろから、うちで預かってやってもええて」
 歩きながら浩介が母親の言づてを伝えると「そうか、お子さんを預けて勤めに出られてたのか、そりゃあ大変だな」と並んで歩く野田が感心した風に相槌をうった。
「久世のお義母さんは、いまだに武家の格式を重んじて生きてはる化石みたいな人やから、どだい子守は無理ですわ」
「浩介っ。あんた男の癖に何でも喋りすぎや」
 靖代に軽口を咎められて首を竦める浩介に、野田はアハハと笑った。
 学校へ戻らなければならない靖代は、無惨に焼け落ちた商店街のとっかかりに架かる殿田橋のところで別れることになった。二人はこれから焼け跡を見に行くらしい。別れ際に野田は靖代を呼び止め、路上でトランクを開けると、なかから羊羹を取り出し、お義母さまにと差し出した。
「あのこれ、靖代さんに……」
 礼をのべて羊羹を受け取った靖代に、野田は何やら別の紙包みを差し出す。
「まあ、私にまで……」
「お気に召すかどうか、わかりませんが……」
 受け取った包みを開けると、洗顔クリームだった。しかも同僚の女性教諭から借りた『婦人倶楽部』の広告にあった最近に発売されたばかりの新製品で、こんな田舎ではとても手に入らない品物だ。
「嬉しいけど私には勿体ないわ、こんな高価なもの」
「そんな大袈裟に言わないでください。ほんの挨拶代わりのつもりですから」
 そう言って屈み込み、トランクの蓋を閉めている野田の首もとまでが赤くなっているのを見て、この人は本当に生真面目なひとなんだわ、と靖代は思った。
「姉ちゃん、化粧品なんか買うこともないのやろ。遠慮せんと貰ろたらええのに」
 傍で二人のやり取りをみていた浩介が口をはさむ。もう、この子は、と浩介をにらむ靖代に「そうですよ、恥を掻かさないでください」腰をのばしトランクを手にさげた野田が微笑んだ。靖代は恐縮しつつも野田に礼を言い、紙包みを手提げのなかに収めた。
 先にたって浩介が橋をわたり始めると「それでは」と軽く会釈して野田も橋に向かって歩き出した。橋のなかほどまでいき、立ち止まって川面を指して野田に何かを話しかける浩介、おなじように橋の欄干から身を乗り出して水面を覗き込みむ野田の横顔。見知らぬ同士でも、男はすぐにうち解けられるものなんだ。二人ともまるで旧知の間柄みたいと、なかば羨む思いで眺めていると、野田が振り返って靖代に手を振った。慌てて靖代はもう一度丁寧なお辞儀を返し、二人が橋を渡って焼け落ちた建物のあいだに姿を隠すまで見送った。

 殿田駅前の火災があってから、一年近くが経っていた。あの火災の出火原因は山陰本線の線路と火元の建物の距離がわずか十一・五bという近さだったことから、後の検証で列車の煤煙による引火は疑いもない事実とされ、後日鉄道省から多額の見舞金が罹災者に支払われた。このために復興はめざましく、埴科家においても焼け落ちた家屋や医院の再建がほぼ完了していた。その一方で久世家より埴科の蔵へ運び込まれた多くの古文書など骨董の品々が、一瞬にして灰燼に帰してしまったのが悔やまれた。
 靖代は火災のあと、草尾村の実家の父母のもとに叡一を預けていたが、ふたたび我が子を埴科医院に預けることは考えていなかった。実家に戻った靖代は、当分のあいだ叡一を預かってくれるように両親のまえで懇願した。父母にすれば初孫でもあり、親の元で育てられない孫を不憫におもったのだろう、何も言わずに引き受けてくれた。
 その折りに父親から、三郎が航空母艦の飛龍に機関兵として配属になっていることを聞かされた。あの子が航空母艦の乗員に、と反芻してみたが、航空母艦を見たこともない靖代には想像もつかなかった。

「ごめんやす」
 休日で庭の草ひきをしていた靖代は、いきなり声をかけられて顔をあげた。にこやかな笑顔の黒川が、門をくぐってこちらへやってくる。黒川は最近になって、しばしば久世家を訪れるようになっていた。格別に所用があるわけでもなく、ただ萩乃の機嫌を伺いにくるにすぎず、靖代は内心では黒川が訪れてくることが嫌だった。
「靖代さん、牛肉です」
 黒川は右手に持った紙包みを、靖代にかざして得意げに言った。もう片方の手には根元を新聞紙にくるんだ木の苗を握っていて、立ち上がり腰をのばした靖代に牛肉の紙包みを持たせると「お義母さんはおられるか」と問いかけながら母屋に向かった。
「こんにちは、黒川でございます。このたびは栗の苗木をお持ちしました」
 黒川が母屋の縁側にむかって声をかけると、座敷の障子があいて萩乃が顔を出した。
「いまごろ栗の苗木て、また何んどすやろ」
「これは大東亜戦争勝ち栗いうて縁起がよろしいので、お屋敷の庭にお植えしようかと……」
 前年の暮れに始まった、新たな戦の勝利を祈念した苗木であることを、黒川はもっともらしく説明した。
「そんなら、しだれ桜の横あたりに植えておくれやすな」
 そう言って縁側から見下ろした萩乃は、こんどは靖代の持つ紙包みに目をやり「手に何を持っているのえ」と問いただした。
「あ、いや、たまたま牛肉が手に入りましたのでお持ちしました」
 靖代が口を開く前に黒川が答えた。
「それはまた貴重なものを、教頭先生にはいつもながら、お世話になって有り難う御座います」
 言葉の丁重さとはうらはらに、萩乃の黒川を見る目は冷めている。久世家の家柄からすれば、教頭といえども黒川など何ほどの者かという思いあがりが萩乃の表情からうかがえた。
「さあ、それでは栗の木を植えにいきます」
 黒川は靖代を振り向いて言うと先に立って歩き出した。途中裏の物置へ寄り、勝手知った仕草でツルハシとスコップを持ちだしてくると阿弥陀堂にむかった。黒川は持参した牛肉で、すき焼きなどをつくらせ夕飯を食べていくつもりなのだろう。靖代はあとについて歩きながら、その事を思っただけで気が重かった。
 阿弥陀堂までくると黒川は萩乃から言われた通りに、もう葉桜となっているしだれ桜の真向かいあたりの地面に鍬をうち下ろした。そこへ隣家の芳蔵が何事かと様子を窺いにやってきた。
「やあ芳蔵さん、これは大東亜戦争勝ち栗です」
 近づいてきた芳蔵を目敏くみて黒川は、萩乃に言ったのとおなじことを自慢げに繰り返して言った。
「ぼんちゃんも大きいなって出征おしやしたら、戦地で手柄をたてて電送写真が新聞に載りますわい、そしたら若奥さまのところにも新聞記者がきて、勇士の母御語る、なんて新聞が書きよりますぜ」
 芳蔵は大きな声で言い終わると声高に笑い「アホなことばっかし」靖代もまたつられて笑い声をたてた。黒川はそんな二人の会話をまえに「この栗の実が実るころには日本が勝利を収めて、戦争は終わっていますよ」と胸を張った。

 その年の秋口に三郎戦死の公報がはいった。知らせを受けて実家へ戻った靖代は、遺骨の入った白木の箱と大日本帝国海軍と記された水兵帽を被った三郎の遺影をまえに突っ立ったままで凝視した。昭和十七年六月六日戦死場所は南太平洋海域とあるだけだった。享年二十三歳。添付された書き付けを読んでも、傍で啜り上げる浩介や一番下の弟泰三のようには不思議と涙がわかなかった。遺体のない葬儀は現実のように思えず、セルの着物に兵児帯をしめた三郎があの人懐っこい笑いをうかべた顔で、いまでも玄関からヌウッと現れそうな気がした。
 我が子の叡一は、近所の主婦が守をしているとかで、母親は遺骨が還ってからは、ずっと寝所で臥せたままらしい。枕元にきて声をかけた靖代に「三郎が死んでしもた」とつぶやき布団を引き上げて顔を隠してしまった。弔問に訪れる近隣の人々の応対にかかりきりの父親は、靖代をみて「戻ったか」と声をかけてきたものの、疲れきった様子だった。靖代もまた父親を手伝うかたちで、弔問客の接待に追われた。
 弔問の客も途絶えて一息ついた頃には、つるべ落としの陽は山陰に入り薄闇が漂っていた。母親のところへいって顔をみるのも辛くて、靖代は娘の頃に使っていた部屋へやってきた。
 心の中の何かが抜け落ちた思いでいると、ふと部屋の隅にある座敷机に目がいった。家を出るまで三郎がずっと使っていたものだった。靖代はにじり寄ると、机の上に置かれた本立てから一冊の小説本を抜き取った。手垢で汚れた表紙を繰ると、それぞれの頁の端に鉛筆の書き込みがしてある。あの子は本気で小説書きになるつもりだったのや、三郎の筆跡を目でなぞりながら、不意に三郎の思い出がよみがえった。
 貧乏寺ゆえに、身を休める暇もなく働く母親に代わり、一歳しか歳が違わないのに、小さい頃からいつも面倒をみさせられた三郎。畑仕事を言いつけられながら、畑の隅で時の経つのも忘れて小説を読みふけり、鍬を振り上げた母親に追いかけられて畑のなかを逃げまわっていた三郎。京都に出てくると必ず丸善により、戻りの汽車賃までも本代に使ってしまい、よく女学校の寄宿舎まで汽車賃の無心にやってきた。靖代が奥丹波あたりでは、しっかりしろと叱咤激励を意味する方言で「どしがんだっ」と叱ると、首を竦めてきまり悪げなあの時の三郎の顔。それらが昨日の出来事のように、靖代の脳裏に浮かぶ。
 何気なく縁側に目をやると、枯山水を模した庭の置き石の傍らから白い影がじっとこちらを見つめている。靖代の目から、一度に涙があふれ出た。ギン……、肉親を失った時のおまえの悲しみが、恥ずかしいけど私にはいまになって本当にわかったわ……。ひときわ髭の濃いかった三郎、機関兵として巨大な航空母艦の艦底で伸び放題の髭面のまま死んでいったに違いない。手にした小説本の表紙を、靖代の頬を伝い落ちる涙が濡らす。ギン、おまえは強いなあ、私にはこんな悲しみは耐えられようもない、心のなかで語りかけるも、白い影はこちらをみつめて身じろぎもしなかった。

 三郎の葬儀をすませて、靖代は慌ただしく久世屋敷に戻ってきた。それは十月の始めに行われる、運動会の準備に追われていたからだった。運動会は国民学校の単独行事というよりも、村中の老若男女総出の村民運動会であった。しかし今年の運動会は例年と違って、生徒も教師も特別な思いがあった。
 それというのも、運動会などの中心的な担い手である青年団員の殆どが出征していくなかで、残った者もこのあたりに良質のマンガン鉱脈があることから、幾つかの採掘場に徴用されていき村内に若者や働き盛りの男たちの姿は次第に見かけなくなっていた。
 一方では茅部村立国民学校においても、校長に教頭の黒川を除けば若い男性教師たちは出征していき、七人いる教員は靖代ら代用教員をふくめてすべてが女性で、もはや学校と村民との合同運動会は、これが最後というのが誰しもの思いであったのだ。
 さらには非常時に花を植えるとは何事と、校内にある花壇や芝生が壊されてカボチャなどの野菜を栽培することを奨励される昨今、いつ運動場が畑にされるともわからなかった。
 夏休み前の職員会議における黒川の提案で、今年の運動会から武道の教練の演技をおこなうことが決められたのだ。靖代はこの提案にひどく驚いたが「教頭が言わなくても、すでに上からの命令で運動会を軍事教練の昂揚の場とせよと指示がある」と他の教員から耳打ちされた。
 運動会を半月あまりあとに控えた日の夕方、靖代が学校から戻って門をくぐるなり、庭先に立つ萩乃の異様ないでたちに思わず目を見張り立ち竦んだ。なんと稽古着袴姿の萩のは薙刀を携え、唖然とする靖代を見据えている。
「お義母さま、また何ですの、えらい物々しいこと」
「明日から、薙刀の指導にいくことになったでな。それで長いあいだ放ってあった稽古着をだしてみたところ、虫にも蝕われておらんようじゃわ」
 萩乃は黒の小倉の袴の裾を、つまんで引っ張って見せながら言う。
「今日の昼どしたなあ、国民学校の用務員が、校長先生の親書を持って訪ねておいでたらしいですわ」
 そこへひょっこりと顔を出した芳蔵が、靖代に萩乃のいでたちの事情を話しかけた。
「校長先生から……」
「へい、運動会で女子生徒の薙刀の訓練を見せるらしおす。それで大奥さまに教練の指導にきてくれとかの要請やったらしおすわ」
「運動会までに、もう十日しかないのに……」
「そうどすさかい、慌てて薙刀師範の資格をお持ちの、大奥さまのところへ頼んできたということらしおすわ」
「お義母さま、そんな急なことお引き受けして大事おませんか」
「明日から毎日、人力車を迎えにこさせるいうことや」
 芳蔵のはなしを聞きいても、まだ半信半疑の表情の靖代に、萩乃はまんざらでもなさそうに言った。

 翌日のこと、一時間目の授業を終えて職員室に戻った靖代は、居合わせた教頭の黒川に、萩乃に急な薙刀の指導を依頼した訳を問うてみた。
「教頭先生、私どものお義母さまに、薙刀の指導を頼まれたのは本当ですか」
「ああ、女子の薙刀教練をいまだやっておらんのは、周囲の国民学校では本校だけです。理由は適切な指導者がみつからないまま、今日まできたということです。しかし運動会に男子の銃剣術の集団訓練があるのに、女子の薙刀がないでは恰好がつかん。そこで萩乃さまに依頼をしたという次第です」
 黒川はそう言いながら始業の鐘が鳴らされると、思い出したように「人力車を頼んでおかねば」と言い用務員室の方へいってしまった。
「大方、在郷軍人会あたりから、つつかれたんやわ」
 二人の会話を聞いていた女教師のなかでは一番年長の教員が、靖代の顔もみずに呟きながら教科書を小脇に抱えて出ていった。
 その日の午後の授業の折りであった。生徒の一人に国語の教科書を読ませながら、靖代は机のあいだを歩いていてふと窓外の運動場に目をやると、五年生以上の女子生徒が青竹を手にして整列している。稽古用の薙刀が間に合わなかったため、急ぎ各自に家より青だけを持参させたということだった。壇上には白鉢巻きに稽古着姿の萩乃が、大まじめに薙刀の作法を実演しているのがみえた。生徒の読むのに合わせて目で教科書の字面を追っていても、つい窓外に目がいってしまう。薙刀教練を受ける生徒たちは、恐らく初めてであろう薙刀の型の説明に、物珍しげに見入る子もあれば、興味なさげにキョロキョロとあたりを見回し、落ち着かない様子の子もいる。
 そのうち生徒らを地面に座らせて、実技が始まった。「エイッ、イャッー」と萩乃の甲高い叫びに近い気合いが聞こえ、あんぐりと口をあけたまま唖然としてみとれる生徒たち、その何とも場違いなような滑稽さに、靖代は思わずクスッと笑った。途端にまわりから生徒たちの笑い声がおこった。気が付いてみると靖代自身がいつの間にか窓辺に寄っていて、生徒たちも全員が窓に近寄り運動場の光景を眺めているのだ。慌てて生徒たちに席に戻るように声をかけているときだった。運動場から軍服姿の男が走り寄ってきた。
「こらっ、おまえら何を笑っとるのかっ」
 男子の木銃による、銃剣術の指導にきている鮫島という在郷軍人の男だった。男はこの日、初めておこなわれる薙刀の教練をみにきていたのだ。怯える児童を席につかせて、靖代は懸命に謝るしかなかった。
 しかし、それだけではすまなかった。放課後に校長に呼ばれた靖代が校長室へいくと、あの鮫島がいた。一礼をする靖代に校長が慇懃に口をひらいた。
「教室の窓から生徒たちと、薙刀の教練をみて笑うたらしいですな、一体どういうことです」
「申し訳ありません。薙刀の代わりに青竹だったものですから、つい……」
「ついだとっ、まったく時局の重大さがわかっとらん。武術の教練をみて笑うなど、ここは、そのような非国民が教員をやっとるのか」
「私の方から厳重注意をいたしますので……」
 校長は大声で靖代を怒鳴りあげる鮫島をしきりになだめて、この場を収めようとしている。軍服の胸に略章を幾つも飾るこの人物は、如何ほどの権力者なのか、校長のへりくだった態度をまえに、靖代は頭を垂れながらもそんなことを思っていた。
 校長のとりなしにもかかわらず、執拗に罵声をあびせられるのに耐え抜いた靖代は、帰宅しても気持ちが落ち込んでいた。なによりも非国民呼ばわりされたのがショックであった。しかし一人くさっているわけにはいかず、いつものように夕餉の支度に母屋の台所へむかった。すると、居間に隣家の芳蔵がきていて、座布団をならべたうえに臥せている萩乃の体を揉んでいた。靖代は教練をみて笑ったことを、ここでもまた怒鳴られるのかと腹をくくった。
「まあ、お義母さま大丈夫ですか」
「なに、薙刀を教えにいかはったんはよろしけど、とっぱしからきばり過ぎですわいな」
 靖代の問いかけに、芳蔵が萩乃の腰のあたりを体重をかけるように押さえ揉みながら言った。
「痛いなあ、揉みかかたがきついがな、もう」
 萩乃が頭を持ち上げ、顔をしかめて叱ると「あ、悪うおした」芳蔵が慌てて手のちからを抜いて謝っている。それを機に台所へ行こうとする靖代を萩乃が呼び止めた。
「靖代、おまえ私の教練を窓から眺めて、生徒と一緒になって笑うたんやて」
「それが、お義母さまが懸命に教えようとなさっているのに、生徒たちの持っているのは薙刀の代わりに竹竿ではありませんか。あれでは、せっかくの薙刀の教練がまるで野兎の追い出しみたいで、みていて何か滑稽に思えてきて……、申し訳ありません」
「芳蔵、聞いたか、靖代は野兎の追い出しや言いよる、誰かてそう思うわな、ほんまに馬鹿にしおって」
 萩乃は生徒たちが練習用の薙刀を持たされずに、竹竿で代用したことが余程腹が立ったらしくて、怒りはもっぱら校長と教頭の黒川にむけられているようだった。
 それにしても野兎の追い出しとは、我ながら巧い例えを言ったものだ。靖代は米をとぎながら、萩乃の怒りのとばっちりを受けることを避けられたことに安堵した。このあたりの習わしで、農作物を荒らす野兎を退治するのに、特に春さきに数人の子供らが集まって竹竿で灌木や草むらを叩いて野兎を平地に追い出して捕まえる、野兎の追い出しは言い得て妙だったのだ。
 翌日になっても萩乃の機嫌はなおらず、靖代が出かけようとすると校長に渡してくれと封書を託した。学校では職員朝礼がおこなわれた際に、靖代は校長に萩乃からことづけられた封書を手渡した。
「相変わらずの達筆ですな」
 校長は封書のなかみに目を通しつつ、つぶやいた。萩乃はなにかにつけて変体仮名を用いたが、じっさい靖代には変体仮名は苦手なものであった。
「じつは、あれでは生徒もやる気になるまいし、萩乃はんにも失礼やと、黒川先生が郡立女学校にかけあいにいってくれはりましてな、なんとか薙刀を揃えることができましたから」
 書き付けを読み終えた校長は、メガネ越しに靖代の顔を見つめて言い「さっそくこのことを、萩乃はんに知らせにやらしますわ」とつけくわえた。
 郡立女学校から薙刀を借り出してきた黒川の努力で、なんとか機嫌をなおした萩乃だったが、六年生から高等科まで五十人ほどの女性徒に、初めて薙刀の持ち方を教えるだけでも難儀なことだ。とても運動会までには無理というのを、初歩的な形を整わせてくれるだけでもよい、と校長から頼み込まれてふたたび引き受けたのだった。
 運動会当日は例年のごとく村民総出のありさまだったが、運動場が開墾されて畑になるということが噂になっていて、日ごろは顔を出さない老人までがやってきた。さらには郡長や警察署長に在郷軍人会代表と、来賓の多さもまた近年にないものだった。

 運動会が終わって一週間が過ぎた日の放課後のこと、受け持ちの生徒の一人が職員室にいた靖代を呼びにきた。校門までいくと外に物珍しげな生徒たちに取り囲まれて小型の貨物自動車が止まっていた。
「やあ」そばに立っていた野田が手を挙げて微笑んだ。
「まあ、野田さん、今日はまたどうなさったのですか」
「ははは、不意に押しかけてきて申し訳ありません、驚かすつもりはなかったのですが、京都まで行っての帰りに近くを通ったものですから」
 頭のうしろに手をやり、少し照れたような仕草で野田はそばの男の子の頭を撫でた。
「野田さんがわざわざ俺の職場に寄って、いまから姉さんのところへ行くけど一緒にどうや、と誘うてくれはってな」
 こんどは助手席から浩介が顔をだして言った。この二人いつの間にか心やすうなって、と靖代はちょっと呆れた顔をしてみせた。
「ちょうど俺も勤務あけやったし、この時間やったらまだ学校にいるはずとご案内してまいりやした」
 こんどは浩介が、ちょっとおどけて首をすくめてみせる。野田は工廠の監督将校から、出張の際特別にこのダットサンを使う許可を得たからと、迷彩色に塗られたボンネットを叩いてみせた。
 野田の自動車に便乗してともに帰宅することになった靖代が、助手席に乗り込むのを待ち、運転席に座った野田が「これを」と言って肩から掛けている雑嚢から包みを取り出して靖代の膝に置いた。また何かしら、と開けてみれば石鹸ではないか。このところ雑貨屋の店頭でも、滅多にお目にかかれなくなっている石鹸に「わあ、うれしい」靖代は(戦勝)とレッテルに書かれた石鹸を鼻先に持っていき、匂いを嗅いで目を細めた。
 うしろでは浩介と阿木集落へ帰る数人の生徒たちが、喧しく喋りながら荷台へ乗り込んでいる。
「これガソリン車やで、木炭を焚くカマがついとらん、さすが海軍工廠の自動車やなあ」
 走り出すと自動車など滅多に乗る機会のない、子供たちの弾んだ話し声が聞こえた。さらに浩介までが喜々として、荷台のうえではしゃいでいるのをみて靖代は苦笑した。
 ハンドルを握りながら野田は、実はサロメチールの軟膏が手に入ったから、それを届けるために立ち寄ったことを打ち明けた。
 というのも萩乃は薙刀の指導がよほど堪えたのか、運動会がおわると薙刀教練の指導を断った。しかし足腰の痛みはおさまらないようで、あいかわらず芳蔵が萩乃の腕や足腰を揉みに日参しているのだった。実をいえば靖代はその様子を、ちょっとばかり可笑しみをこめて野田への手紙に書き記しておいたのだった。だから萩乃のために、サロメチール軟膏をわざわざ届けてくれたに違いない。靖代はあんなことを書いたばかりに、野田に気をつかわせたとすまない気がした。
 阿木川に架かる久世家の専用橋、称して久世橋のところで生徒たちを降ろすと「みんな、また乗せてやるからな」浩介が荷台から叫んでいる。それを聞いて野田は笑いながら靖代にどこに止めましょうと問いかけた。靖代はそのまま橋を渡って門の脇にある、かつての馬繋ぎ場の址へ止めるように言った。
 車を降りた三人が母屋にいくと、萩乃は靖代のうしろにいる野田に浩介をみて驚いた顔をした。だが、わざわざサロメチール軟膏を届けにきてくれたことを知るとたいそう喜び、押し戴くようにして受け取ったのには靖代もちょっと驚いた。さらに馬繋ぎ場に自動車を止めていることを告げるとあそこなら道を行く者からも、よく見えると機嫌のよい顔をした。野田に夕飯を食べて貰うようにと、さっそく靖代に支度をいいつけ、浩介には芳蔵のところへいって庭になっている柿をもいで貰ってくるように、あそこの柿は甘いからと頼んだ。茶菓子の代わりに供するつもりなのだ。
 野田は恐縮して構わないで欲しいと言ってから、阿弥陀堂へお参りしたいと申し出た。それは特殊なお心がけだと、萩乃はますます機嫌がよかった。
 靖代は野田を案内して、広大な庭の一隅に建つ阿弥陀堂へむかった。野田は途中の池に架かる石造りの太鼓橋を渡りながら「立派な庭だ、たいしたものだ」と感嘆したように言った。
「その昔は二十三棟もの建物が並ぶ、豪壮な屋敷だったとか聞いております」
 靖代が答えると、萩乃の使いで隣家へ柿を貰いに行った浩介が、いつの間にか戻ってきて話に加わった。
「強者どもの夢の跡いうところや、なあ姉ちゃん」
 あたりをはばからない浩介の声に、もしも萩乃にでも聞かれたらと、睨み付ける靖代に、浩介はペロリと舌を出し首をすくめた。野田はそんな二人のやりとりを見て、ハハハと小声で笑った。
 阿弥陀堂では野田に従い、浩介も神妙な顔で線香をあげた。
「ほう、大東亜戦争勝ち栗か」
 野田がそばの栗の木の根元に添えられた、板の文字を声を出して読んだ。今年の春に黒川が植えた当時に、すでに一メートルほどあった栗の木はさらに伸びて、いまは靖代の背丈を凌ぐほどになっている。
「じつは、作戦に参加していまドック入りしている駆逐艦の乗員からそれとなく聞いた話ですが、三郎さんの乗艦、『飛龍』の最期がわかりました」
「えっ、本当ですか……」
 靖代と浩介が口を揃えて答え、野田のもとに寄る。
「大きな声で言えないが、彼らの話によるとミッドウエーの作戦では、我が方の連合艦隊は只ならぬ被害を被ったらしい」
「三郎兄ちゃんの乗っていた『飛龍』もそのときに……」
「六月五日に始まった戦闘では、その日のうちに我が方の三隻もの空母が撃沈されたとのことです」
 野田の話す声は次第に低くなり、靖代と浩介はさらに野田の傍に寄り互いに顔を見合わせて耳をそばだてる。
「被弾した『飛龍』は火災を起こしたそうですが、他の空母が沈んだあとも艦体が傾きつつあるなかでも戦闘を続行し、明くる六月六日満身創痍の状況のなか火災による大爆発が起きたとのことです。近くにいた駆逐艦では、総員最敬礼でもって沈みゆく飛龍の最期を葬送ったということです」
「くっそう……」
 そう呟いて唇を噛んだ浩介が、傍のしだれ桜の幹を拳で何度も叩き、その目からは大粒の涙が頬を伝った。
「でもな浩介君、敵空母ヨークタウンを撃沈したのは、『飛龍』から飛び立った艦上機であったそうだ」
「あの、ミッドウエーはどのあたりになるんでしょう」
「日本から四千キロばかり離れた、南太平洋上と聞いております」
「三郎はそんなに遠くまで行って死んだのですね……」
「すみません、僕の余計な喋りで、浩介君や靖代さんをふたたび悲しませてしまったようだ」
 野田は自らの言葉により、二人を酷く悲しませる結果になったことに困惑の表情を隠さなかった。
「野田さん、謝ることはありませんよ、三郎兄ちゃんの乗った『飛龍』は敵の航空母艦を撃沈する手柄をたてたんや、それに三郎兄ちゃんの戦死の場所がわかってよかった、なあ姉ちゃん」
 浩介は掌の甲で涙をぬぐい、野田と靖代に話しかける。
「気にかけないでくださいね」靖代は小さく野田に詫びた。
「若奥さまあ」
 声のする方をみると、納戸の横合いから芳蔵がこちらへ歩いてくる。
「先ほど大奥さまの使いで弟さんが柿を取りにまいられたんで、お持ちしました。久世橋を自動車が渡りよるのを見て、もしや野田さまがおみえかと思いましたが、やっぱりそうでしたかい」
 言いながら芳蔵が手に持った籠に山盛り入ったくぼ柿を差し出せば、浩介が手を差し伸べて受け取った。芳蔵は続けて、自動車でくるようなお客は他におりませんでな、と言って笑った。
「さっそくコトメに芋餡の蒸し饅頭でもこさえさせますで、野田さまはお飲みにならんで丁度よろしいかと」
「有り難う御座います、でもお気遣いなさらんでください」
 野田はしきりに恐縮していたが、芳蔵は「なんの、なんの」と笑って、ふたたび自宅へ戻っていった。
 母屋に戻ると、野田は靖代にお仏壇に線香を手向けたいと請い、仏間へ案内するとすでに萩乃がいたが、彼は一礼をして仏壇にむかい正座して線香をあげたあと、蒼一郎の位牌に長いあいだ瞑目して手を合わせていた。さらにそのあとも、久世家の家系について長々と述べ立てる萩乃のなかば自慢話にも熱心に耳を傾けている。どこまでも礼儀をつくすそんな野田に、靖代は改めて気真面目な人だなと思った。
 一時間ばかりが経ったころ、芳蔵が大きな風呂敷包みをさげてやってきた。風呂敷をとると盆の上に敷き詰めた檜葉のうえには、まだうっすらと湯気のたつ蒸し上がったばかりの饅頭が十個ばかりならんでいる。
「わあ、ちょうど腹ぺこやったところや」
 傍にいる浩介の野田をさしおいて饅頭に手を出そうとする様子に、靖代は思わず睨み付けて頭をこづくいた。浩介は首をすくめてペロリと舌を出す。その様子をみて野田は笑いながらまず浩介に勧め、自分も一つを手に取って旨そうに食べたが、最後に五つばかり残った饅頭を竹の皮に包んで渡すと、下宿のおばさんが喜ぶだろうと言って、大事そうに雑曩のなかにしまい込んだ。

 昭和十八年の正月は降雪のなかに明けた。断続的に降り続く雪は松の内に入っても止まず、例年にない大雪になった。このために荷馬車の通行ができずに採掘場からのマンガン鉱石の搬出にも差し障りがおきていた。役場からの依頼で五年生以上の生徒たちが、朝から道路の雪かきの勤労奉仕に出ていったあと、靖代の受け持つ四年生は五年生と合同で学校内の雪かき作業をおこなっていた。
 生徒たちとともに、中庭の渡り廊下に吹き込み積もった雪をかきだした。学校の表玄関から校門にむけて、奉安殿から二宮金次郎像まわりの積雪を除きながら、ふと校門の方をみると浩介の姿があった。靖代の姿をみつけると右手をあげ合図をする浩介に、この雪の中をどうしたのだろうかと、靖代は怪訝な思いで傍へ寄っていった。
「浩介、こんな時間に、またどうしたん」
「姉ちゃん、ちょっとだけ話できへんか」
 寒さで耳たぶから頬を真っ赤にし、外套の肩に雪をこびり付かせた浩介は、足元の積雪を長靴で踏み固めながら、ちょっと申し訳なさそうに言って靖代の顔を窺う。
 校門での立ち話もなんだと用務員室へ連れていこうとすると、浩介は時間がないからここでいいと言う。
「姉ちゃん、いままで黙っていたけど、おれ海軍に志願したんや」
「浩介、何を言うてるの、あんたまだ十六になったとこやんか、そんな急がんでも、兵隊にいくのは二十歳になってからでええのと違うの。それに機関士助手見習い試験も三月なんやろ、駅長さんが推薦してくださる事になったと、このまえそう言って喜んでいたばっかりやないの」
 あまりに思いがけない浩介の言葉に、靖代はおもわず声高になって問いたださずにはいられない。
「俺どうしても三郎兄ちゃんの仇をとりたいんや、お父ちゃんやお母ちゃんに言うたら反対されるのは分かっているし、茶箪笥の引き出しから黙って印鑑を持ち出して役場へ行ったんや」
「そんな……」
 そのとき生徒らの喚声があがりその方へ顔をむけると、奉安殿のまえあたりで男子生徒らが雪合戦を始めている。天皇のご真影が奉られている奉安殿の周囲は、清掃時以外は普段近づく事を禁じられている。
「これっ、雪かきがすんだら、奉安殿のそばから離れなさいっ」
 靖代は生徒たちを一喝しておいて、ふたたび浩介に向き直る。
「あんた機関士になるのが志望やったんと違うの、それで鉄道に入ったんやろな、東海道線の急行列車を牽く流線型C55形機関車に乗務するのが夢やて、耳にタコができるほど聞かされてきたのに」
「姉ちゃん、いつまでも昔の話せんと、いまは新型のC57が急行列車を牽いてるのや、省営鉄道きっての高性能機関車いうことや」
「そんな事どうでもええのや、私は、あんたが機関士になるのを止めて、なぜ志願してまで兵隊にいかなあかんのか聞いてるのや」
 この子は何を考えているのや、横っ面を張りとばしてやりたいほどの衝動を抑えて靖代は浩介を睨みつけた。
「わかっている、けどおれ三郎兄ちゃんの仇とらな気がすまんのや、海軍にいって敵の航空母艦何隻も撃沈してルーズベルトの鼻っ柱をへし折ってやるつもりや」
「三郎の仇をとるいう気持ちは立派やけど、二十歳になってからではあかんの、思い止まられへんの」
「もう決めたことや、一月二十日に舞鶴海兵団に入隊が決まってる、見てみい、姉ちゃんがえらい剣幕で話すから、子供ら何ごとかと寄ってきてるがな」
 気が付くと雪かき作業に飽きた生徒らが、物珍しげに二人を取り巻いて見上げている。
「姉ちゃん、たまにボウズの様子も見に帰ったれな、俺行くわ」
 浩介はそう言うと、くるりと背をむけて歩き出した。
「浩介、ちょっと待ちやっ」
 あとを追いかけようとした靖代は、取り囲んだ生徒らに阻まれてその場で見送るしかない。いっときやんでいたのに、ふたたび激しく降りだした雪のなか、浩介の後ろ姿はその灰色の景色のなかにかき消されていった。

 阿弥陀堂そばのしだれ桜がそろそろ葉桜になりかけたころ、舞鶴海兵団にいる浩介から葉書が届いた。公休外出日に野田さんと渓流釣りにいった、次の外出日も釣りにいく予定だ、野田さんは釣りが趣味で、以前にも殿田へこられた折りに田原川の魚影の濃いのに驚き、いつか二人であのあたりの渓流へ釣りにいこうと約束していた、などと書かれてあった。
 実をいうと、そのまえに届いた浩介の手紙で、公休外出日は退屈で困る、一日活動ばかり観ているわけにもいかない、などと書いてあったのを、靖代は野田に手紙を出して伝えていたのだった。外出日を待ちかねて遊郭に通う年長の兵隊と違い、遊びを知らない浩介にしてみれば見知らぬ土地ではいくところもなく、活動写真ばかり観ているわけにもいかなかったのだろう。野田が忙しい時間を割いてまで、浩介の相手をしてやってくれているのが嬉しかった。
 靖代は学校へくる郵便の午後の集配に間に合わせるため、生徒たちが屋外に出ている昼休みのあいだに、担任の教室でさっそく礼状を書いた。封筒に宛名を書き終え筆を置いた途端、横から手が伸びてそれを取り上げられた。驚いて振り仰げば、いつのまに入ってきたのか黒川が取り上げた封筒をしげしげと眺めている。
「教頭先生、何をなさるんですか」
「海軍工廠の職工ごときに関わり合うのは、どうしたものですかな」
「教頭先生、いきなり、どういう事でしょうか」
「いや、くれぐれも由緒ある久世家の名を汚されることのないように、色んな噂がたつと学校としても不名誉なことですからな、ま、老婆心ながらの忠告です」
 黒川はそう言うと、封筒をポイと靖代の机のうえに投げ返した。
「教頭先生、野田さんのことを言っておられるのなら誤解です。あの方はそんなお方ではありません」
「そうであることを僕は祈りたい」
 靖代の抗議に、黒川はそう言い残して教室から出ていった。油断していた自分も悪いが、黒川の言葉に何か嫌味なものを感じた靖代は、腹が立つと同時に情けなくて思わず涙が出た。ハンカチを目にあてながら窓辺に立つと、ひょろりと伸びたトマトの陰に麦わら帽子が動いている。
「久世先生、気にかけはらん方がよろしいで、あれは教頭はんの妬きもちや、まえにも工廠のお方が自動車で訪ねてきやはったときがおありでしたやろ、あのときも学校をなんと心得ておる、女を誘い出しにくるとはけしからん、いうてえらい剣幕で怒ってはりましたさかいなあ」
 窓の外側から顔をのぞかせた用務員は、校舎に沿って植えられている、夏野菜の手入れをしながら一部始終をみていたらしい。以前に野田が工廠の自動車で立ち寄った折りのことだろうが、そのことを黒川が怒っていたなどと聞くのは初めてであった。
「教頭はんマメどすさかいな、いままでにも若い女の先生がおこしになるたびに何やかやとありましたわ」
「いくら何でも、教頭先生が私のような者を相手には、なさらないと思いますけど」
「教頭はんは女にマメ過ぎて、あの歳でいまだにお独りなんやと、もっぱらの噂ですわ」
 用務員は目を腫らしている靖代を慰めようとしてか、普段はおくびにもださない黒川の陰口をたたいた。

 そんなことがあってから三ヶ月が経ち、学校は夏休みに入っていた。もっとも勤労奉仕で田の草取りなどの農作業に動員される上級生はべつにして、靖代の受け持つ三年生ら低学年の生徒は、学校で飼育している兎や山羊の餌にする草刈りと、鶏の世話に交代で登校していた。これらの動物は観察用というよりも、乳を搾る山羊を除いては、学校内外において何事かがあるたびに、食用として供されるのであった。
 靖代はそれら作業につく生徒らのために登校することもあったが、普段の日は芳蔵やコトメらとともに、冬のあいだに焚く薪を切り出す山仕事に出かけることも多かった。
 そんななか、たまたま登校していた八月十三日のこと、実家の父親から電話がかかってきた。休暇で戻ってきた浩介が、野田を連れてきたというのだ。二人は早速ヤマメ釣りに出かけているそうで、靖代にも戻ってこんかというものだった。浩介は野田のことを、靖代もよく知っている方だと紹介したらしい。いきなり見知らぬ人物を連れてこられ、両親の困惑ぶりが目に浮かぶ。
 夏休みだから大方は学校には出とらんと思とったが、役場まで電話をかけにきた甲斐があったと、父親は言い「汽車の時間がわかりゃ、駅まで迎えにいくがのう」と言って電話を切った。
 浩介はまた何だって野田をともなって帰省したのだろう、三郎の初盆でもあり、靖代は墓参りをかねて草尾へ戻ってみることにした。

 その日のうちに靖代が草尾村の実家に戻り着いたときは、長い夏の日がすでに暮れかけていた。釣りから戻った浩介と野田はすでに一風呂浴びて汗をながしたのか、開け放たれた本堂の縁側から浴衣姿で靖代を迎えた。あぐらをかいた野田の膝には、なんと叡一がちょこんと座ってこちらをみている、まあ、あの子人見知りもしないで、意外に思い近づくと、
「ボウズ、やっとお母さんが現れたぞ」
 浩介の言葉に野田が「どうも、お邪魔しています」と背中を屈めて挨拶をした。久し振りに会った母親に飛びついてくるかと思った叡一は、靖代が手を差し伸べても野田の胸にしがみつき、視線をそらせてしまう。
「無理もないわ、預けっぱなしの、ほったらかしやもんなあ」
「そんな言い方して……、私かて精一杯やってるつもりなんよ」
 姉弟のちょっとした諍いに、野田が「ハハハ、浩介君に誘われてヤマメ釣りにきました。いいところですねえ、この上流には山椒魚もいて驚いたなあ」と話題をかえて場をとりなす。
「すみません」靖代は野田に詫びながら浩介を横目で睨むと、彼ははペロリと舌を出して首をすくめた。
 台所へいくと母親がぼた餅をつくっていて、靖代をみると「よう戻ったなあ」と嬉しげに言った。
「これ、三郎に供えてやり、あの子はぼた餅好きやったさけえ」
 そう言って母親は大きなぼた餅を皿に二つのせ、靖代に手渡した。ぼた餅の皿を持ち奥座敷へいくと、仏壇には野田の手土産と思える干しバナナが供えてある。その傍らにぼた餅の皿をならべ、蝋燭に火を灯すと線香をあげて三郎の真新しい位牌に鈴を鳴らして手を合わせた。
 三郎、あんたが亡くなってから、はや一年が過ぎてしもうたわ。浩介はあんたの仇を討ついうて、海軍に志願して兵隊にいってしもたんよ。三郎、お父ちゃんやお母ちゃんの為にも浩介を守ってやってや……。静かに微笑む遺影に、靖代は胸のうちで語りかけた。
 浩介が部屋に入ってきて、靖代の傍らに正座するとおなじように鈴を鳴らして合掌する。
「浩介いきなり野田さんをお連れして、お父ちゃんやお母ちゃん吃驚してたんと違うの」
「まえから草尾谷へ、釣りに案内しますと約束してたんや、丁度外泊許可が出たから誘い申した、ちゅうわけや」
「あんたには、あきれるわ」
「姉ちゃんは野田さんのこと、どう思っているのや」
 立ち上がろうとする靖代に、浩介がぽつりと言った。
「ええお方やと思っているけど、それがどうかしたんか」
「姉ちゃん、これからずうっと久世の家を背負っていく気なんか」
「急に何を言い出すのん……」
 この子は何を言うつもりや、靖代は浩介の顔をみつめた。
「姉ちゃん、野田さんと再婚したらええのに、叡一もこれからは父親が必要になってくるやろ」
「浩介、いつから、そんな一人前なことを言うようになったん。そんな心配してくれんでもええわ」
 何を言い出すのやこの子は、靖代はまだ何か言いたげな浩介を睨み付けると、そのまま座を立った。日の暮れともなると、裏山からの風が冷んやりと吹き抜ける本堂では、野田が根気よく叡一の相手をして遊んでくれていた。
 やがて檀家まわりを終えて父親が戻ってくると、皆が夕食の膳についた。工廠での特配だという手土産のビールを野田に注がれながら、父親は頭を何度もさげて目を細めている。
「靖代さんも一杯どうです」
「まあ、私が先に注がせて戴きます」
 野田の手からビールの瓶を受け取り、逆に野田のコップに注いでやる。浩介は泰三と一緒になって、久し振りのご馳走であるぼた餅を頬張っている。昼間に二人が釣ってきたヤマメの塩焼きと芋と菜の煮物だけのささやかな総菜が並び、両親や姉弟が顔を合わせて囲む食卓は、靖代には忘れかけていた家族の団欒だった。
 翌日は昼過ぎには発つという浩介と野田を伴い、靖代は寺の裏山にある三郎の墓参りに出かけた。父親は昨日に続けて棚行に出かけており、一緒にいくという母親は庭先の鶏頭の花を手折って束ねた。墓へと続く急な斜面の道を、水兵服姿の浩介を先に皆が一列になって登っていった。
「いい眺めだなあ、靖代さんはこんないいところで、生まれたのですねえ」
 墓地からは真下に広がる集落を見おろせ、そこから朝霧の合間に見え隠れする家々や白く光る渓流の流れに、野田はさも感嘆したように声をあげた。
「山家生まれを、そんなふうに言って戴くと気恥ずかしいですわ」
「僕も岡山県と鳥取県のほぼ境になる山奥の生まれですから、こんな風景は妙に懐かしい」
「野田さんは岡山の出身なのですか」
「ええ、もっともほとんど帰ることはありません。徴兵検査の折りには帰省したついでに同級会をしましたが、その時の仲間のうち三人が戦死しました。工廠に勤めていて兵役免除になった僕は、なんだか彼らに申し訳のない思いです」
 次第に霧が晴れてきて、眼下に広がる箱庭のような風景を望みながら、野田はしんみりとして言った。
「姉ちゃん、ギンの棲はこのずっとうえの方やなあ」
 母親とともに、墓のまわりに繁る灌木の枝を払っていた浩介が背後から声をかけた。井原家の墓地からさらに登ると寺代々の住職の墓石が並ぶ墓地がある。その奥にむかって、僅かに獣道らしいものが鬱蒼と繁る樹木のなかに紛れている。その先には稲荷社に秋葉権現を祀った小さな祠があるはずだ。
「ギンというのはこの山に棲む白い狐で、なんでも殺されかけていた子狐を、まだ小さかった姉ちゃんが助けて育てたんですが、山へかえってからもそれを恩にきていて、殿田の大火のときにはボウズを火のなかから救い出してくれたんです」
「ほう、面白そうな話だな」
 浩介に言われて、茂みの奥に目をやりながら野田が頷く。
「野田さんは技術者だから、そんな非科学的な話は信じはらへんよ」
「いや、僕の郷里にもそれに劣らず狐や狸にまつわる妖怪話は、いっぱいありますから」
 もう、浩介は何でも喋ってからに、靖代は何となく気恥ずかしくなって野田の傍を離れて、三郎の墓前に供え物を並べている母親のそばへ寄っていった。泰三が近くを流れる沢水を手桶に汲んできて、それを受け取った浩介が墓石にかけ始めたときだった。
「浩介、三郎に水はかけてやらんでくれ」
 それまで黙々と、花を飾る竹筒の水を入れ替え、携えてきた鶏頭の花を新しく挿し換えていた母親の声高な言葉に、浩介は吃驚したように柄杓を持ったまま母親をみている。靖代もまた、いつにない母親の強い語調に驚いた。
「のう三郎、深い海の底に沈んどるのに、もう水はよいのう」
 母親は今年の春に建立した三郎の真新しい墓石を抱えるようにして語りかけ、被っていた手拭いをとりそれで墓石を拭い始めた。
「三郎兄ちゃんみてくれ、俺も海軍に入ったんや、敵の航空母艦を何隻も沈めて兄ちゃんの仇をとってやるからな、みててくれよな」
 浩介が水兵服姿で誇らしげに墓石に語りかける傍で、泰三も線香を手向けて神妙に手を合わせている。靖代も手を合わせながら、漂う線香の煙が染みたかにみせかけ、手の甲でそっと目頭を拭い振り返れば、背後で野田が静かに合掌をしていた。

 今年は二学期が始まっても、例年のように秋の運動会の予定は組まれなかった。校舎や校庭のまわりの空き地を利用して作られ始めた菜園が次第に広げられ、いまでは、ほんの僅かな空き地さえも耕され、生徒たちの手によって甘藷や南瓜畑などが植えられていた。校庭の片隅には堆肥にする藁や落ち葉などが堆くつまれていて、もはや運動場そのものが畑になりつつあった。
 そんななかで、校舎のすぐ裏手に迫る山の斜面を開墾してヒマという植物を植えることになった。なんでもこの植物の実から、飛行機用の油が搾れるとのことだった。職員会議において、校長が上からの通達として「大々的にヒマを植える運動を促進することになった」と報告したのは、非常時に祭りなどと浮かれている場合ではないと、鎮守の秋祭りも取り止めとなった十月半ばのことだった。
「すでに校庭には植えるだけの余地がない、裏の山裾でも開墾するか」
 この校長の発案を受けて、雪の降らないうちに開墾しておいて、来春の種蒔きに間に合わせようと、積極的に計画を押し進めたのは教頭の黒川だった。
 そうして十一月になると、いよいよ生徒たちが開墾作業に駆り出される日がやってきた。
 高等科の生徒たちは、冬場に備えて教室で焚く薪ストーブの薪を作りに村所有の山に出かけた。そのために六年生以下が開墾作業に動員されることになり、靖代の受け持つ四年生も、朝の一時限目から参加するように指示をされた。
 職員会議を終えて教室に向かいながら、靖代の気持ちは焦りに似た物思いにとらわれていた。このところ課外の勤労奉仕活動に授業時間が削られて、思うように学習が進められないのに悩んでいた。
 今日のように朝から生徒たちが労働奉仕活動に動員されるなかで、授業がどんどん遅れていくことになる。午前中に奉仕活動を終えて教室に戻ってきた生徒たちは、慣れない労働に疲れ切っていて、午後からの授業は勉強どころではなかった。年が明けて三学期に入れば、こんどは雪かき作業などにより、教室での授業時間が削られることが予想されるだけに、靖代の思いは深刻だった。
 それでも一時限目からの奉仕活動はないだろうと、特に算数などは午前中に、それも一時限か二時限あたりの授業に時間割を組んであったのだが、こうなるとは予想外だった。
 靖代は黒板に掛け算の式を書くと、一人ずつ教壇に立たせ黒板に向かって問題を解かせた。難なく問題を解けた者は、そのまま開墾に向かわせた。何問か残して解けた者には、解けなかった問題を復習して翌日の宿題とした。ほとんどの問題が解けない数人の者はそのまま教室に残して靖代は授業を続けた。
 窓の外を、校舎裏の灌木の茂る斜面へ開墾に向かう生徒たちの列が続いて、生徒らは落ち着かない様子だ。
「窓の外は気にかけんと、これがちゃんと解けるようになっとかな、あんたら大人になってから困ることになるんよ」
 生徒を叱咤していると、廊下を摺るスリッパの音が近づいてき、教室の戸が乱暴に開けられ黒川が入ってきた。
「授業をしているところがあると聞いてくれば、これはどういうことです」
「教頭先生、三十分だけ猶予をお願いします。いま掛け算の基礎を覚えておかないと五年生に上がれば、なおのこと授業が省かれて取り残されてしまいます」
「学校はあなたにそのようなことは頼んでいませんよ、すぐに生徒全員を連れて開墾作業に加わってください」
「ですが、せめて学級の全員が、掛け算の基礎を覚えて進級させてやりたいのです」
 降雪の時期までに裏山の裾を開墾するとなれば、当分このように朝から勤労奉仕作業が続くだろう。靖代はすがるような思いで、教頭の黒川に訴えた。
「困った人だ、あなたがそんなことを考えなくていい、職員会議で申し合わせたことをちゃんと実行してくれればよいのだ」
 黒川はそう言い終えると、生徒たちに向かって「おまえたち、すぐに教室を出て作業にいきなさい」厳しい口調で命令をした。
 教頭と靖代のやり取りをみていた生徒たちは、黒川の一喝にあわてて教科書や帳面を机にしまい込み一斉に教室から出始めた。
「教頭先生……」
「いまは非常時なのです。この戦争に勝てば、いくらでも勉強はできますよ」
 黒川はそう言残して教室を出ていった。遠ざかるスリッパの音に靖代は気持のふっきれないまま黒板を拭いていると、外で生徒たちの騒ぐ声がする。やがて廊下を駆けてくる足音がして、五年生の男子生徒が飛び込んできた。靖代の受け持ちの、男子生徒が怪我をしたと知らせにきたのだった。驚いてその生徒のあとについて教室を出た靖代は、用務員室のまえで数人の生徒に囲まれている生徒のところに駆け寄った。手拭いを巻き付けた右手を支えている子は、一番に黒板に書いた問題を解いて開墾作業に加わるべく最初に教室を出ていった生徒だった。
「草刈り鎌でちょっと人差し指を切っただけらしいおすで、血止めをしておきましたし、いまから埴科医院へ連れていきますわ」
 地面に点々とある血痕をみて色を失う靖代に、用務員は声をかけると、怪我をした生徒を自転車の荷台に乗せて校門を出ていった。
 気をとりなおした靖代は、裏山の開墾地へいってみて驚いた。生徒たちが耕そうとしている場所は、熊笹や茅が密生しているうえに、生徒らの背丈ほどの灌木がいたるところに茂っていて、想像はしていたが見る限り、とても低学年の生徒らの手に負えそうにもなかった。
「先生、足元に気をつけなや、ムカデがおるでな」
 ナタで灌木を切り払っていた生徒が、靖代にむかって叫ぶ。
「ムカデも吃驚してるんやわ、蝮がおるかも知れんし、皆も気をつけるんよ」
 口元に両手をあて大きな声で生徒らに注意を促していると、少し離れたところで六年生が作業をしていて、それを監督していた鮫島が靖代をみて近づいてきた。
「怪我をした生徒の担任は、おまえか」
 いつものことながら居丈高にものを言う鮫島に、靖代は萎縮して「はい」と小さくうなずく。
「生徒が怪我をしたときに、おまえは教室におったそうだな、それで、教師としての勤めをはたしている気かっ」
 鮫島の怒鳴り声に、黒川までが寄ってきた。鮫島とおなじにゲートルを巻いた足元は地下足袋で固めている。
「生徒は右人差し指を怪我したのだぞ、人差し指は銃の引き金を引く大事な指だ。この負傷がもとで、将来この生徒が兵隊として御国にご奉公できんようになったらどうするつもりか、教師として万死に値することだぞっ」
「今後こういう事故のないように、厳しく申し渡しますので」
 まくしたてる鮫島をまえに、ただうなだれて聞き入る靖代、そのあいだに黒川が割って入る。
「ええか、おまえのような者に、国の将来を担う小国民を任せて置くのは問題だ。だいたい教師の柄でもない、せいぜい家の台所に這いつくばって、カマドの火の番でもしておればよいのだ」
 鮫島は黒川の取りなしなど、構うことなく靖代を罵倒した。
「皆なにをしとる、作業にもどらんか」
 いつの間にか、まわりを囲んでいる生徒たちを黒川が睨み付けて一喝した。靖代もまた泣きたい思いを懸命にこらえながら、二人に一礼をすると、生徒らのあとを追ってその場を離れた。

 その日の夕方のこと、靖代は学校の帰りに埴科医院を訪れた。待合室には十人ほどの客がいたが、受付にいた智佳子が靖代をみると気を利かせて予約客を装って先に呼び入れてくれた。
 診察室に入った靖代は、机に向かってカルテの記入をしていた院長の啓太郎が顔をあげるなり、生徒の怪我のことを訊ねた。心配顔の靖代に、啓太郎は「化膿さえしなければ、十日もすれば治る」とことも無げに言った。
「傷が治っても、鉄砲の引き金を引くのに、指はちゃんと動くでしょうか」
「鉄砲の引き金だと……、誰がそんな馬鹿げたことを言っとるのか」
「将来あの子の指が動かぬために、兵隊に行けなくなるようなことがあれば、担任教師の私は万死に値すると叱られました」
「くだらんことを言うものだ。朝から生徒を教室から追い出し、開墾作業などをさせることの方がどうにかしとる。学問をおろそかにして、国が栄えるわけがないのだ」
 啓太郎の憤慨した声が次第に大きくなり、智佳子が診察室に顔をのぞかせてたしなめた。
 生徒の怪我が大事に至らなかったことに、胸をなでおろした靖代は久方振りに人斬り峠を越そうと道を急いだ。

 翌日からは靖代の危惧したとおりに、生徒らは朝から開墾作業に動員されて、教室で受ける授業は極端に削られる日々が続いた。
 そんなある日の放課後のこと、靖代は朝から少し風邪気味なのを押して、職員室に居残り校長から命じられたガリ版の原紙切りをしていた。そこへ用務員が、電話がかかっていると知らせにきた。電話は野田からで、いま殿田駅前の郵便局から電話をかけていると言う。久し振りに聞く野田の声に、風邪で重たかった気分が弾んだ。急にまた何かしら、そや、駅前にいくついでに埴科医院によって風邪薬を頼もう、靖代は急いで駅に向かうことにした。
 校門を出たところで、折りよく顔見知りの村の男が自転車で通りかかり、その荷台に乗せて貰った。村役場へいくという男の自転車に便乗したおかげで、殿田駅には思ったよりかなり早く着いた。
 駅ではがらんとして人気のない待合室で、野田が一人所在なげにベンチに座っていた。「やあ」野田は靖代をみると笑顔で立ち上がり、靖代の手をぎゅっと握った。それがあまりにも自然であったため、少しの間をおいて靖代は野田の手の感触を確かめた。
 野田は出張の帰りに寄ったと言い、雑嚢から新聞紙の包みを取り出すとベンチのうえに置いた。包みを指して石鹸だと言い、さらに化粧水の瓶を取り出して靖代の手に握らせた。
「まあ、石鹸だけでも嬉しいのに、こんな贅沢なものを」
「いや、大阪で雑貨屋の前を通りかかりふと見ると、石鹸が置いてあるのが目に入ったんです。もう反射的に飛び込んで買い込みました」
「こないだなど、購買組合で石鹸が八銭で出ているというから慌てていったら、とうに売り切れてましたんよ」
 野田は靖代の話に笑いながら、小さな紙包みをそっと手渡した。
「これは出張先で茶菓子に出た金平糖です。残りを頂戴してきました」
 野田はそう言って照れ笑いをしたあと、急に真面目くさった顔になって、あたりを憚るように声を潜めて話しかけた。
「じつは、このまえの日曜日に浩介君がきました。ろ号型潜水艦の機関兵として配属が決まったとのことです」
「浩介が……潜水艦に……」
 野田はそのことを靖代に知らせるために、立ち寄ったのだと言った。靖代には潜水艦のことなど皆目わからないが、いよいよ浩介も三郎のように遠い海の戦地へ行く日がくるのだろうかと思った。
「下りがくるまで、あと一時間もあるのか、腹がへったな、向かいの料亭でなにか食わせてくれないかなあ、やっぱり駄目だろうな」
 待合室の窓越しに向かいの料理旅館を眺め、野田が独り言めいて呟いた。田舎町にしては珍しい、料理屋や割烹旅館に飲み屋などが建ち並ぶ駅前の一郭は、この戦争が始まるまではマンガン鉱脈目当ての山師や採掘夫、鉱石仲買人らで昼間から賑わっていたところだった。
 野田の呟きに外に視線をむけた靖代は、一軒の割烹料理屋から出てくる数人の男たちのなかに、教頭の黒川の姿を見つけて反射的に身をひいて隠れた。相手側から気付かれるはずもないのだが、野田といるところを黒川に知られたくないと思う意識がそうさせたのだ。
「成りからみて、あの連中はマンガン鉱石の仲買人あたりだな」
 野田も彼らに目がいったらしく、ぼそっと呟いた。なぜ黒川がそのような人らといるのか、靖代はもう一度窓越しによくみると在郷軍人の鮫島の姿もある。昼間から酒席の接待を受けたのか、彼らはそれとわかる赤い顔で談笑しながら駅前の広場を横切り、マンガン鉱石を積み出す引き込み線の方へ歩いていく。
「この時節に料亭で酒が飲めるのは、ああいった軍需景気の恩恵にあずかっている連中なんだ」
 野田は靖代の耳元で囁いた。頷きながら靖代は、ふと昼の弁当を食べないまま持ち歩いていることに気づいて、手提げ袋のなかから弁当の包みを取り出すと野田に差し出した。
「あの、よろしかったら、これ食べてくださいませんか」
「えっ、構わないのですか、よかったあ、それじゃ遠慮なく頂戴して汽車のなかで戴くことにします」
「菜っ葉入りの麦ご飯とお漬け物だけで、恥ずかしいんですが」
「このところ外食券食堂で雑炊ばかり食ってる僕には、飛び切りのご馳走ですよ」
 野田は弁当の包みを受け取ると、雑嚢のなかへしまいながら嬉しそうに言った。
 世間話をして過ごすうちに、やがて下り列車が到着した。野田を見送ったあと、靖代はもう一度学校へもどろうか、それともついでに埴科医院へ寄り風邪薬の処方をしてもらおうかなどと思案をしながら歩いていると「靖代さん、学校へいきなさるんか」と声をかけられた。駅まで鉱石を運びおえ、ふたたび採掘場へむかう空の牛車を引く顔見知りの男だった。男は阿木集落の者で、学校まで乗せてやるというので、埴科医院へはこの次にすることにして乗っていくことにした。
「カマス十五俵が限度じゃに、二十俵に増やして積めだとぬかしおる。仲買の奴ら、ようけ儲けを出そうと、おさえた貨車に出来るだけ積み込むつもりじゃ」
 牛を操りながら、男は前をむいたままで喋りはじめた。
「無理だす、牛がもたんと言うと、戦地では兵隊が命を賭して戦っている、もっと底力を出せだと、これを言われると何も言えん。在郷軍人会の鮫島はんなどは、御国の為だ、荷が増えたぶん学校の生徒に車の後押しをさせたらよいだと、鮫島はんも教頭の黒川はんも仲買の奴らにキンタマ握られてしもとるからなあ……」
 愚痴話をしながら、男は思い出したように牛の尻に軽く鞭をあてた。

 数日後、登校した靖代は、校門のところで来合わせた年配の女教師と会った。互いに挨拶を交わしたあと、相手は歩きながら靖代に、埴科啓太郎が警察に捕まったと耳打ちをした。
 驚く靖代の問いかけにも、殿田の街はその話で持ちきりだと言い、相手はそれ以上は知らないのか口を噤んでしまった。校舎に入ると靖代は廊下を行き交う生徒らに挨拶を返しながら、まっすぐ用務員室へむかった。何かというと学校の使いで殿田へ出かけている用務員なら、詳しい事を知っているかも知れないと思ったからだ。
「何でも院長先生が、学校の勤労奉仕活動を非難なされたとか、それが非国民的言動とかで園部警察の特高課の刑事がきて連行されていかはったらしおすわ」
 用務員は喋りながら、大火鉢の薬缶から盆にのせた急須に湯を注いだ。
「あ、それ私が持っていきますから」
 それが校長室へ持っていくものであることを知る靖代は、急須に湯飲みがのった盆を受け取ると校長室へ向かった。
 校長室へいくと登校してくる生徒を眺めているのか、校長は入り口に背をむけて後ろ手を組んだまま窓辺に立っていた。
「お早う御座います」
 靖代の挨拶に振り向いた校長は、ゆっくりとした動作で机にむかい椅子に腰をおろした。靖代が茶を入れながら埴科啓太郎が特高に連行されたことを持ち出すと、校長は途端に苦々しい顔をした。
「そのことは一切話すな、学校とは関係ないことじゃ」
「校長先生、私は埴科医院の先生には、随分とお世話になっております。奥さまにも会って、お慰めの言葉の一つもかけたく思います。すぐにでも伺いたく思いますが、許可をもらえませんか」
「ならん、それは絶対にならんことじゃ、わしとて院長とは友人のなかじゃが、非国民となった者に関わることはできん。ええか、おまはんを代用教員に推したのは村長とこのわしじゃ、軽率なことをしおったら村長やわしの立場がどうなるんじゃ」
 校長は靖代の顔を見据え一気にまくし立てた。校長の予想外の剣幕に靖代は一瞬言葉を失ったものの、それで引き下がるわけにはいかなかった。
「ですが、このたびは怪我をした生徒を連れていった事からです。そのとき院長先生は、こんな低学年の生徒まで朝から開墾作業に出させてと、お怒りになった、ただそれだけのことです。それも、もとはといえばこの私の不注意からです」
「わからんひとじゃ、非国民と烙印を押された者の家に出入りすると、おまはんが関わりを持っていると疑われるだけではすまん、そんな人間を教員にしておったのかと学校の責任になる」
「………」
「ええか、今後埴科医院には近寄るな、医者にかかるなら園部の郡立病院へいくことじゃ、わかったなっ」
 校長はそう言って靖代の淹れた湯飲みの茶をひとくち啜り、湯飲み茶碗をもったまま席を立ち、ふたたび背をむけ窓辺に立った。

 その日放課後になると早々と靖代は学校をあとにした。ただ阿木集落とは反対の殿田駅にむけて、縫い上げたばかりの防空頭巾を被って人目をはばかりながら急いだ。校長からはきつく言い渡されたものの、智佳子や娘の凌子のことを思うと、靖代はどうしても放っておくことはできず、様子だけでも見にいくことにしたのだった。
 殿田駅の場内信号が見えてくるところで右に折れて橋を渡ると、そこから五百メートルばかり田原川にそって商店街が建ち並ぶ。さきの大火で焼け落ちた民家は新しく建て変わっていて、靖代にはそのぶん街の雰囲気も何となくよそよそしくなったように思えた。行く手に埴科医院の建物がみえてくると、このまま表からいけばいいものか、智佳子にあったらまずどんな言葉をかけようか、などと思案をしてつい足運びが鈍くなる。
「久世先生やないですかい」
 呼び止められて振り向くと、荒物屋の店先から和子の母親が手招きをしている。靖代が傍へ寄っていくと、相手は我が子が世話になっている礼を述べたあと、埴科医院へいくのか、と訊ねた。そうだと答えると、とんでもないという顔をして、行ってはいかんと言う。埴科医院の女中までが里から迎えがきて、あたふたと帰っていったらしい。
「朝から非国民やのアカの手先やのと、ようけの人が押しかけてきやはって、えらいことどすわ。なかには石を投げつけたりする人もあって、表のガラス戸も診察室の窓ガラスもみな割られてますわ」
「そんな酷いことを……」
「わたいは院長先生のお人柄からして、こないな目に遭わなあかんほど、悪いこと言わはったと思わしまへん。けど誰どが警察に告げにいかはったんどすなあ」
「お世話になっている院長先生を、わざわざ通報しにいく人があるなんて……」
「ついこないだも防諜団の事が回覧板に載っておましたやろ、まわりに非国民的な言動をするものがいたら通報するようにと、それにあの日は待合室も、混んどったいいますでなあ……」
 店の前を男が通りがかり、こちらにむけた目の鋭さに和子の母親は慌てて口を噤んだ。そのあと靖代に「早くお帰りになった方がよろしおす」と言い、何かに怯えるように店の奥へ引っ込んでしまった。
 結局のところ、靖代は埴科医院を訪ねることも、智佳子に会うことも叶わずに立ち去るしかなかった。医院の前を通るとき、なかの様子を窺ったが人の気配はない。きっと屋敷の奥で身を寄せ合い、じっと耐えているに違いない智佳子や娘の凌子のことを思うと、靖代の胸はいいようのない自責の念にかられた。
 生徒の母親の言ったとおりに、割られたガラス戸の破片がまだ散らばったままで、壁には非国民や国賊とかの文字が白墨で殴り書きされていた。靖代は埴科医院のまえを通り過ぎると、そこから逃れるように足を速めた。
 駅前の集落がはるかに遠ざかると馬車道を外れて田原川に架かる沈下橋を渡れば人斬り峠の登り口はすぐだ。やがて雪の季節がくれば、この峠道は春まで人を寄せ付けなくなる。落ち葉に埋まる急坂を庚申塚のところまで登ってきて、靖代は立ち止まって一息ついた。
 今回の出来事はすべてが自分の責任だ、そんな思いを胸底に沈めてここまで歩いてきた。自分のあまりに軽率な行動により、院長先生ばかりかその家族までを不幸のどん底に突き落としてしまったのだ。あのとき、教室に残らず自分も開墾作業に参加していれば、生徒に怪我などさせなかったかも知れない。怪我のことを訊ねに、あとから埴科医院へかけつけたりしていなかったら、何事もなかっただろうに……。
 私には生徒を教える資格はおろか、人の幸福な家庭までを奪い取ってしまったのだ。
 庚申塚のまえから数歩崖の淵に歩み寄って足元を見おろせば、はるか下方に岩石の間を縫って水流が白く筋を引いている。水量の少ないこの時期には、川底の奇岩がそそり立つ光景は、仏画にみる地獄界を思わせて思わず身が竦む。一瞬目眩がして体がまえにのめりかけたとき、襟首をつかまれてぐいと引き戻された。
「姉貴のどしがんだっ」
 叱咤する大声に我に戻って振り返れば、そこに人影はない。いまの声は三郎の、いやたしかに三郎の声がした、ように思えた。庚申塚のあたりからか、風が吹くと吹雪のように落ち葉が舞うクヌギの大木のあたりからか。目を走らせて見るが人の気配などなく、木々の枝を鳴らせて渡る風の音ばかりだ。
 予想もしない事柄に気が落ち込んでしまっていたとは云え、あんな弱気になるやなんて、どうかしとったわ。きっと三郎がアホなことをするなと叱りにきたんやわ。靖代は自分に言い聞かせながら、目を森の奥に向けると、木立の合間を縫って白い影が見え隠れして駆けていく。あれはギン……走り去る白い影を目で追って、靖代はいつまでも立ちつくした。

 園部警察署に拘留されていた埴科啓太郎が、約一ヶ月経って釈放されたことを、靖代は隣家の芳蔵から聞かされた。芳蔵は萩乃の使いで野菜や薪などを、人目を避けて運んでいたのだ。
「よっぽどきつい取り調べをお受けどしたんやなあ、あないな立派な方が顔中もう痣だらけになってお帰りどした。それで表の落書きをみて、派手にやりおるのう、と笑うておいやしたとか。肝の据わったお人どすなあ」
 芳蔵はそう言い「このたびは大奥さまのお心遣いに、院長先生も奥さまも、どえろう感謝されておしたわ」と付け加えた。こんどの件で萩乃は靖代には何も語らず、埴科の家に対して芳蔵に気遣いの品物を届けさせていたなどと知り、さすが明治の女だと靖代は妙な感心をしたのだった。
 啓太郎釈放の知らせに靖代は、校長や黒川には内緒で埴科家を訪れた。智佳子へは手土産に、野田からもらって使わないでいた化粧水の、へちまコロンを持参した。
 おずおずと訪れた靖代の顔をみて、啓太郎は「元気でやっとったか」と逆に問いかけるのだった。
「先生、このたびは私の軽率さをお詫びに参りました……」
「なあに、これしきのこと、叡佐武郎さまが倒幕活動の折りには、園部藩の岡っ引きに何度も捕らわれなさった。あるときは妻子から家の子郎党までしょっ引かれて、屋敷内にいるのは馬と飼い犬のみじゃったとか、こんなもので騒いでいては叡佐武郎さまがさどや嘆かれるわな」
 啓太郎はそう言って豪快に笑った。それが靖代を安心させるためのものであると分かっていても、靖代は気が晴れる思いがした。

 昭和十九年の年が明けて三学期が始まると、校舎裏山の開墾作業は積雪を理由に春になるまで一時中断された。かわりに高等科生は近郷に点在するマンガン鉱山へ、男子は選鉱や鉱石をカマスに詰める作業に、女子は選鉱とカマスを編む作業の補助に動員された。一方で靖代の受け持つ三年生など低学年は、鉱石搬送の牛車(といっても大八車を牛に引かす)のために道路の雪かき作業や、坂道での牛車の後押しに動員されることとなり、毎日が勤労奉仕日となって靖代の危惧は現実となった。
 二月になると政府は「国民学校令等戦時特例」を公布し、義務教育年齢が十二歳に引き下げられた。こうなるとますます、日常に必要な計算や文字すら修得しないままに、社会へ出ていく生徒があるやも知れない。しかし、学校に認められない授業や補習をすれば、学校の方針に逆らうと厳しく咎められることになり、靖代は大いに悩んだ。同僚教師に相談を持ちかけても、あなたは代用教員なんだから、そこまで考える事はない、とにべもなかった。
 腹を決めた靖代は、補習を必要とする生徒たちに毎朝十分早く登校するように呼びかけた。黒川や鮫島の目を盗みながら、労働奉仕に生徒を送り出すまえの、僅かな時間に授業をやろうと試みたのだ。日によって毎朝漢字の書き取りや、掛け算の九九を覚えきっていない者には、すらすらと全部言えるまで何度も言わせた。さらには割り算などの問題を何問か謄写版で刷っておいてやらせたりした。
 このままでいくと五年生になればさらに奉仕活動が増えて、教室での授業がほとんど出来ないかも知れない。覚えきらないままで進級した生徒は、ずっと取り残されたままになってしまう。それだけは何としても避けなければならない。という思いが靖代をそうした行動に駆り立てた。
 ところが十日も過ぎたころ、いつものように十分早い登校を促した生徒だけで補習をしていたところ、いきなり戦闘帽を被った鮫島が入ってきた。これまでにも鮫島は、しょっちゅう学校に顔を出していたが、三学期になってからは校舎内を我がもの顔で闊歩するようになっていた。
「おい、おまえ、ここで何をしとるんかっ」
 男はつかつかと教壇に立つ靖代に近寄り、睨み据えると半ば怒鳴るように言った。
「はい、ここは学校ですから、授業をしております」
 靖代は言い返しながら、相手の顔をみつめた。鮫島は何か言いかけたが、もの凄い形相で靖代を睨み付け顔を引きつらせて教室から出ていった。廊下をドンドンと踏み鳴らす音が遠ざかり、靖代はほっとしながらも、鮫島の横柄な態度に毅然として応じられたことが自分でも意外に思えた。
 しばらくたって入れ替わりに黒川がやってきた。
「まだそんなことをやっているのか、何を考えているんです」
 黒川は教室に入るなり、靖代に向かって吼えた。
「教頭先生お願いします。あと十日、いえ一週間のあいだ目をつむっていただけませんか。そうすればあの子たちもそれぞれ不得手な教科を何とか理解させられると思います」
「何んど言ったらわかるのかなあ、我々はあんたにそんな事を頼んでいない。先生ごっこは大概にしてもらわな、校長も僕も身が細る思いだ」
「先生ごっこだなんて、あんまりです……、そら私は師範学校を出たわけではないし、難しいことは分かりません。でも、せめて全員が掛け算の九九や割り算の基礎を覚えて進級するようにと、それが代用教員としての私が、精一杯あの子らにしてやれることだと思っています。それが先生ごっこをしているとおっしゃるんですか」
 腹立たしさと口惜しさとが、逆に靖代を反論に駆り立てた。
「こうしている間にも、戦地では激しい戦闘が行われているんだ。ええですか、この聖戦を勝ち抜くために我々一人一人が血の汗を流さねばならない時に、そんな理屈はもうよろしい。それとも靖代さん、あんた久世の家名を非国民呼ばわりされて汚すつもりか」
「非国民やなんて、そんな……」
「この非常時に、牛でさえ普段より積み荷を増やして頑張っている。わかったら、すぐに生徒を奉仕活動に参加させるんですな」
 黒川の口から出た非国民という言葉に怯んだ靖代は、もう何を言っても無駄なんだと諦めるしかなかった。
 牛車の後押しには、三年生以上六年生までの男子生徒たちが動員された。牛車は何台かが連なって来ることもあれば、間合いをおいてやって来ることもある。一台の牛車を三人が後押しするのだが、四年生は学校のまえから殿田駅の貨物集荷場まで二キロ余りの道のりを担当することになった。距離は短いがこの間は迂曲が多く、二度も踏切を越さねばならないうえに、線路が築堤の上に敷かれているために踏切が勾配の頂点になる。通常の積み荷でも、牛は涎を垂らしながら息を荒げる難所でもあった。
 当然にして積雪があれば雪かき作業が先行して行われ、なかには着衣を濡らせて冷たさに半べそをかいている子もいた。胸を痛めた靖代は用務員室へ連れていき、大火鉢で衣服を乾かせ暖をとらせたりした。しかし運悪く鮫島などに見つかれば「おまえのようなのが小国民を軟弱にするのだ」と怒鳴りあげられる始末だった。
 一方の女子生徒らは、講堂の隅に陣取って、わら靴を編む作業に取り組んだ。ゴム長靴などを履いてくる生徒は数えるほどもいなくて、ほとんどの生徒が藁靴だったから、牛車の後押しを始めてからというものは藁靴はいくらあっても足りないくらいだった。ただし教員らのなかで藁靴を編むのを習熟した者がいないので、村の主婦らが交代で編み方の指導にやってきた。
 芳蔵の女房コトメも請われてやってきて、母親に教わった藁草履ぐらいなら何とか編むことができるが、と話す靖代に「わしらみたいなんが、学校へものを教えにくるて、もう恥ずかしいわいなあ」と大いに照れるのだった。

 四月になり新学期が始まると、靖代はそのまま五年生の担任に持ち上がりとなり、同時に高等科の女子の裁縫を担当することとなった。もはや国民学校における教員不足は、茅部国民学校だけの問題ではなかった。
 靖代が驚いたのは鮫島が教員として、我がもの顔で学校に出入りし始めたことだった。
「東の鉱山では飯場の賄いを探しとる、おまえなら似合いだ。どうだ、いくか」
 鮫島は靖代と顔を会わせるたびに、このような嫌味を言っては大仰に笑った。校長は鮫島の太々しい態度にも一切を黙認し、黒川にいたってはペコペコとする様が傍目にも見苦しくて、靖代ら女教員たちの憤懣をつのらせていた。

 五月なかばになったある勤労奉仕日の朝、一時限目から男子生徒は鮫島の指示のもと牛車の後押しにいき、靖代は三年生以上の女子生徒たちとともに校舎裏の開墾畑にいた。当初の計画の半分しか開墾できなかった傾斜地の畑には、それでも先月に種蒔きをしたヒマが若緑の芽を出していた。唐胡麻とも呼ばれるヒマは、もともと当地になかったものであり、村内にも栽培経験者がおらず当初は校長の頼みで隣町の農林学校から指導にきてもらったりした。
 学年ごとに区分けがされた畑の畝に沿って、生徒たちに混じって雑草取りをしていたときだった。用務員が息を切らせて、傾斜地の畑の合間を駆け上ってきた。
「久世先生、舞鶴の野田といわれるお方から電話がかかっておりますで、早ういっておくれやすな」
 そう言い終わるなり、息づかいも荒くその場にへたり込んでしまった用務員に礼を言い、靖代は畝を踏み付けぬように足元に気を配りながら、急斜面の畑の間を校舎へと急いだ。
 急にまた何事なのか、或いは出張の帰りに立ち寄ったのか。野田が朝のこんな時間に電話をかけてくるのは初めてで、靖代はあれこれ思いをめぐらせた。電話機が設置してある校長室の前までくると、なかで鮫島の話す声がした。嫌なヤツがいると一瞬躊躇したが、野田が電話口で靖代が出るのを待っていると思うと意を決して戸を開けた。
 同時に顔をむけた校長と鮫島に、靖代は小さな声で「すみません」と断り、壁の電話機の傍へいき受話器をとって耳にあてた。
 野田は靖代の声を聞くと、いまからすぐに舞鶴へきてくれ、と靖代の都合など無視をしたように言った。野田の話では、浩介が特別上陸許可が出て野田のところへいっているらしい。浩介なら、これまでのように、次に実家へ戻ってきたら会いにゆくから、と言うとそれでは駄目だ、浩介君は帰艦するまでの時間がないから、いまから来て欲しい、という。どうしても今日いかなければならないのかと訊ねると、こなければきっと後悔することになると言った。
 なにか野田の話しぶりに切迫感を感じて、一応早退の許可を願うてみますと答えた。野田は「必ずきてください。きっとですよ」と念押しをして電話を切った。
 受話器をかけて振り向くと、電話での会話を聞いていたらしい校長と鮫島が靖代をみつめている。靖代は校長に野田からの話をかいつまんで話して、遠慮がちに早退の許可を申し出た。
「校長、そういうことなら許可を出してやるべきですな」
 意外なことに、校長より先に鮫島が口をひらいた。
「弟君もいよいよ御国に奉公するときがきたわけだ、行って心おきなく会ってくるんだな」
「あの、それはどういうことですのやろか」
「俺は陸軍だからな、海軍のことは詳しくはないが、特別上陸許可が出るのはいよいよ戦地へむかうからだ。短時間なのは緊急出撃なのだろう」
 あの子が、浩介が戦地へいく、靖代と校長に交互に視線をむけながら話す鮫島の話に、靖代は言葉を失ったように無言で立ちつくす。
「了解した、靖代さん、いまから舞鶴へ行きなさい。切符を売ってくれるようにわしから駅に頼んでおく」
 最近の旅行制限で、切符を売ってくれないこともあると聞いてはいたが、鮫島の話に校長はそんな気配りまでをしてくれた。
「おい、弟君のことは他では絶対に喋るな、どこに諜報がおるかわからんからのう」
 礼を述べて部屋から出ていこうとする靖代に、鮫島は厳しい口調で言い添えた。

 靖代の乗った汽車は、新舞鶴の駅に正午前に着いた。汽車から降りて、改札口の向こうで手をふる野田の顔をみたときは正直いってほっとした気持ちだった。野田は電話をかけてから、くるならきっとこの汽車でくるだろうと、予測をして迎えにきた、と言って微笑んだ。
「じつは、ここからどうして野田さんのところへいこうかと、案じておりました」
 野田に話しかけていると、いきなり後ろから手で目隠しをされて靖代は一瞬声もでない。
「ハハハ、姉ちゃん暫くぶりやなあ」
 手を離されて振り向くと、そこに浩介の笑い顔があった。
「浩介っ、もう、ふざけてからにっ、あんた、ちょっと見んあいだに背が伸びたなあ、私よりだいぶん高うなってるやないの」
 靖代は目のまえに立つ水兵服の浩介を、ちょっと驚きをこめて見つめた。
 野田は二人を駅からバスに乗せ、町はずれの停留所で下りた。表通りから逸れて裏道へ入ったところの、二階建てのしもた屋に案内して、その家の二階を野田は下宿をしているといった。浩介は何度か訪問しているようで、物怖じせぬ様子で玄関を入っていく。
 割烹着で応対にでた初老の婦人は、上品な感じがした。初対面の靖代をみると愛想良く迎え入れ、野田に部屋に鍋料理の準備ができていると言った。あとから聞いた野田の話では、家主であるこの婦人は、職業軍人だった夫を満州事変で亡くされてからは、一人でこの家を守っておられるのだそうだ。
「昨日特別に鰯の配給があったので、おばさんに頼んで鰯団子を作ってもらったんだ。ま、そういうわけで、ここのおばさんに準備一切を頼んでおいたというわけさ」
 ちゃぶ台の真ん中に置いた七輪のうえにかけられた土鍋に野菜が煮えていて、野田は菜箸でつまんだ大皿の鰯団子を放り込み「何もないけど、まあやってくださいよ」と靖代と浩介に座るように勧める。しばらくして、どこから手に入れたのか酒の五合ビンまで持ち出してきた。靖代が乗り換えの綾部駅で、珍しく鮎鮨を売っているのを見て買ってきたのを取り出すと、二人は「おおっ」と声を揃えて驚いてみせた。
「野田さんと一度、田原川で鮎釣りを競いたかったなあ」
 米飯の代わりに、おからの上に鮎をのせた鮨を口へ運びながら、浩介がなぜかしみじみとした口調で言う。
「行こう、きっと行こう、言っておくが、僕の勝ちはわかっているんだけどな」
「姉ちゃん聞いたか、この自信過剰さえなかったら、野田さんは人物的に文句ないのに」
 真面目くさった顔で話す浩介に、靖代と野田は顔を見合わせて爆笑し、浩介もつられて笑いのなかに入った。階下から婦人の声がして、野田が返事を返すと何か呼んでいるふうだ。「俺が行く」と浩介が身軽に座を立って、とんとんと階段を踏みならして下りていった。
「あの、浩介は戦地へいくのですか。特別上陸許可というのはその前ぶれだと聞いたのですが」
「五日ばかりまえに、点検と整備のために浩介君の乗艦がドック入りしたのです。この場合は通常の点検ではなかったものですから、外航へ出ていくのだと直感しました」
 浩介が座を立った隙をみて、ここへくるまでずっと抱いてきた思いを問いかける靖代に、野田は言葉を選びながら淡々と話す。
「けさがた浩介君の上陸を知り、無理を承知で、来てもらったわけですが……」
 再び階段を踏みならせて浩介が戻ってきた。
「おばさんが、わざわざうどんをこしらえてくれたんだ、こいつは旨そうだなあ、今日はバンバン食うぞ」
 浩介は手に持った大鉢に盛ったうどんを、さっそく土鍋に入れ始めた。この子ったらいつの間にか、大人びて……、海軍訛りがいたにつき、いっぱしに男の雰囲気を匂わせる浩介を、靖代は手にする箸を止めて見入る。
「お母ちゃんにも、会ってやればよかったのに……」
「やむをえんよ、半舷上陸だからな、汽車の往復に三時間もかかるし、駅に着いてから草尾まで峠を越え、速足で歩いても四十分だ。たった四時間の外出ではとてもじゃないよ」
「浩介が戻ったらぼた餅をつくってやらねばと、お母ちゃん小豆を特別に作っていたみたいやよ」
「ぼた餅か、おふくろの作ったぼた餅は天下一品だからな」
 まあ、おふくろだなんて、母親がいたらさぞかし照れるに違いないと、靖代はまたも浩介を見る。
「姉ちゃん、頼みがあるんだけどな……、やっぱりやめとこう……」
「なんやの、言いかけて……おかしな子やなあ、」
「浩介君、この際だ、あとで心残りにならんように言っといた方がいいぞ」
 それまで黙って姉弟の会話を聞いていた野田が、笑いながら浩介をけしかけた。
「姉ちゃん、ほんまに怒らへんか」
「なんで私が怒らなあかんの、男らしくはっきり言うたらどうなん」
「姉ちゃん、オッパイを見せてくれへんか」
「えっ……」
 この子ったら、いきなりなにを言い出すのや、靖代は返事に窮してただ弟の顔を見返すしかない。
「このごろ、なんや無性におふくろのオッパイを思うのや、泰三が赤ん坊のころに、おふくろがオッパイを飲ませているのをみて、俺もあのオッパイをしゃぶったんやなあと思ったことがあったけど、いままた妙に思うんや。姉ちゃんのオッパイなら、おふくろのオッパイと一緒やと思たけど、やっぱりあかんわなあ……」
 浩介の真剣な眼差しに、靖代は戸惑いながらも彼の願いを無視すれば、後々の心残りになるかもしれないという気もした。傍でその様子をみていた野田が、静かに座を立ち部屋から出て行った。その背中が階下に消えたとき、靖代はもんぺの上に着た筒袖の襟元を両手で開いた。
 一人の子供を産んだとはいえ、まだまだ弾みのある乳房が襟元からこぼれでた。
「姉ちゃん……ええのか……」
 姉弟とはいえ始めてみせる靖代の乳房を、眩しそうに見入っていた浩介はそっと鼻先を乳房に近づける。
「ええ匂いや、おふくろの匂いがするわ、姉ちゃん、ちょっと触ってもええか」
 靖代が頷くと、浩介は恐る恐る右手を乳房に近づけ、触れた途端に電気にでもあてられたように手を引っ込めた。「ちゃんと触り」靖代に促されて今一度浩介の手が乳房に触れる。
「温うて、つきたての餅みたいに柔らかいわ。そや、おふくろ今年の餅つきどないするやろ、去年は俺が休暇で帰ってついたけど、親父はあの通りお経あげる他は何もせん人間や、泰三ではまだ無理やしなあ……」
 アホ、この子は何を言うてんのや。異性に想いをかけることも、その肌を知ることもなく、戦地へいく弟が靖代には不憫だった。靖代はとっさに浩介の頭を両手で抱き寄せ、自分の乳房に押しあてた。
「浩介、お母ちゃんのオッパイや、吸い」
 いきなり顔を乳房に押しつけられ、浩介は面食らいながらも乳首を口に含む。
「姉ちゃん有り難う、オッパイの味て、やっぱりええもんやなあ」
 口に含んだ乳首を離した浩介は、顔を紅潮させて呟く。そんな浩介の顔を、靖代はもう片方の乳房に引き寄せ乳首を含ませた。
「こっちのオッパイも吸い、お母ちゃんのオッパイや思うていっぱい吸い」
 もう片方の乳首を含ませた靖代は、強く吸われる乳首に鈍い痛みを感じながら浩介の頭を撫でるうち、姉として何もしてやれないことが無性に悲しかった。いたたまれずに、ふたたび浩介の坊主頭を抱きかかえ、乳房に強く押しつけた。
「浩介必ず還っておいでや、還ってこなんだら、ねえちゃん承知せえへんで」
 乳房に押しあてられて息を塞がれた浩介が「わかった、わかったよ姉ちゃん」と顔をねじりながら懸命に答えていた。
 浩介との時間は、アッという間に過ぎていった。靖代は野田とともに、帰隊する浩介を営門のまえまで見送った。別れ際に浩介は野田に深々と頭を下げて、これまで世話になった礼を述べたあと「ふつつかな姉ですがお願いします」と言って、横目で靖代を盗み見てニヤリとした。
「まあ、浩介っ」この子は何を言いだすの「すみません、失礼なことを」戸惑いながら詫びる靖代を野田は笑って受け流す。
「姉ちゃん、親父とおふくろを頼むわな」
 浩介が急に靖代に向き直り、真面目な顔になって言った。
「ボウズをおふくろばっかりに任せておかんと、会いに行ってやれよ、母親がいてやらな可哀想や」
「浩介、おまえにそんなこと心配されんかて、私も考えているわ」
 つい姉弟喧嘩の口調になるのも久し振りながら、浩介、絶対に死ぬな、生きて還っておいでや、靖代は口にはだせない言葉を、胸の内で何度も叫んでいた。
 浩介は野田と靖代に右手をかざして敬礼をし、そのまま営門に向かって歩いていった。衛兵に直立で敬礼をすると、浩介はそのまま振り返ることもなく歩いていき、やがて何人かの水兵服に混じって建物の陰に隠れてしまった。
「僕のところへ来ると、よく叡一ちゃんのことを言っていたなあ。あれで浩介君はなかなか優しいから」
 野田は新舞鶴駅まで靖代を送ってくれる道すがら、靖代が実家の母親のもとに預けている叡一を、浩介が気にかけていたと話した。

 浩介戦死の公報がもたらされたのは、夏も終わりに近い盂蘭盆会の日の午後だった。実家からの電報で弟の戦死を知った靖代は、慌ただしくその日の夕刻の汽車に乗り実家にむかった。
 駅から草尾の集落をめざして峠を越える頃には、すでに夕闇が迫っていた。いつだったか今日のように一人で峠を急いでいるときだった、後ろから浩介が自転車でやってきて、飛び乗れと言うから、追いかけて飛び乗ったものの、飛び乗りそこねて二人とも派手に転んで道の真ん中で喧嘩になったことがった。ちょうど道が曲がっている、このあたりだった。電報を受け取ったときには、なぜか涙をこぼさなかったのに、浩介とのさまざまなことが思い出されて、歩きながら靖代は頬を伝う涙をぬぐおうともしなかった。
 突然に激しく込み上げ、靖代はその場にしゃがみ激しく嗚咽した。ふと顔をあげると前方に白い影がある。涙でかすむ目をハンカチで拭い、よくみると白い影は三メートルばかり先にいて、靖代をじっとみつめている。ギン……私は二人の弟を失ってしまったんよ。おまえも兄妹を失った悲しみはようわかるはず。私はこの悲しみをどうしたらよいのか、ギン……教えておくれ……。
 靖代の訴えに、白い影はじっとこちらを見つめていたが、そのうちサッと白い尾が宙を舞ったかと思うと、草尾谷を目指して歩き始めた。ギン待って……。呼びかけに振り返り、靖代が立ち上がってあるき出すと、ふたたび三メートルばかりの距離をとって先をいく。
 実家に戻ると葬儀の準備で慌ただしい雰囲気だったが、母親は三郎のときのように寝込んでしまってはいなかったが、遺骨の傍に座り込んでいた。弟の泰三にきくと、遺骨が還ってからはずっとそうしているらしい。
「浩介は潜水艦で海の底に沈んでいるというに、なしてここにお骨があんのや」
 靖代の顔をみていきなりそう言って、ふたたび黙り込んでしまった。靖代は祭壇の白木の箱を手に取り、そっと揺すってみるとカラカラと小さく乾いた音がした。
 井原浩介二等機関兵曹、昭和十九年七月十二日中部太平洋にて戦死享年十八歳、書き添えられた紙片の文字を見つめ、峠道で思い切り泣いたぶんだけ、不思議と涸れたように涙は出なかった。

 浩介の葬儀から一ヶ月あまりが経った十月の始め、茅部国民学校においては教師のあいだで、ちょっとした騒動がおこっていた。この年の夏に始まった都市部から農村への国民学校の学童疎開が、いよいよこの学校へもやってくるというのだ。校長は情報を求めて連日のように村役場へ出かけ、職員会議もこれまた毎日のようにもたれた。
 疎開児童がやって来るのはいつなのか。都会の学校の生徒と山国の学校の生徒と、うまく一緒にやっていけるのか、学級は合同にするのか別々になるのか、別にすれば教室が足りない。付き添って赴任してくる教員は何名くるのか、疎開学童たちの宿舎はどこになるのか、などと、靖代は学校が当面する問題を考えるだけでも溜息が出た。
 その日も朝の職員会議は、所定の時間を三十分過ぎても終わろうとしなかった。いつもは発言など滅多にしない者までが、教頭の黒川にむけて不安な気持ちや疑問をぶつけていた。いつものことながら、どこまでいっても堂々巡りの質問と、校長や黒川の要領を得ない返答に辟易とした靖代は、所用のある振りをしてそっと座をたった。
 一時間目から裏山の開墾畑に女子の生徒をいかせていて、靖代は様子を見に畑へ向かう斜面の道をのぼっていった。
 この春に種を蒔いたヒマは、生徒たちの背丈ほどにもなっていて、親指大くらいな実をたわわにつけている。生徒たちも成長したヒマに、これといってする作業もなく、あちこちにひとかたまりとなって草むしりをしていた。
「こんな実から採った油で、ほんまに飛行機が飛ぶのやろか」
 背後の声に振り向くと、あとを追ってきたのか教員のなかでは最も年長で古くからいる女教員が、まだ青いヒマの実を手で触れながら呟いている。「先生……」生徒たちに聞こえてはと気を配る靖代に、相手は強度の近視メガネ越しに目玉をむいて肩をすくめた。
「久世先生、都会では勤労奉仕するいうても、山も畑も田圃もないところで何をしますか、ここでは生徒は教室におるより労働奉仕に動員されてる時間の方が多いのに、都会から来た疎開学童とでは学力の差が大分あると思いませんか」
 靖代が彼女から、先生と呼ばれるのは始めてのことだ。よほど気持ちが、動揺しているに違いなかった。今朝の会議で黒川が、疎開学童を本校の学級に編入すると言ったことを、憤慨しているらしい。
「そら私も学力の差はあると思いますが、都会でも校庭やちょっとした空き地に、南瓜や芋を植えていると聞きましたさかいに、勤労奉仕日もそらありますやろ」
 靖代は答えながら、自分でも納得しがたい事を言っていると思った。
「それにくるのは学童ばかりやない、虱や蚤も仰山なこと一緒についてくるて聞きましたけど、一体どうなりますんやろか」
「さあ……」
 一段と声をひそめて囁かれても、靖代には返事のしようもない。
「この実を、これからどうしますのんや」
「もうちょっと実ってから、実だけを採って農学校へ持っていくと聞いておりますけど」
 話題を変えた相手に、靖代は少しホッとして答えたが、思い悩むことはおなじだった。

 学校関係者ばかりか、村民皆が気を揉みに揉んだ疎開学童は昭和二十年が明けてもやってこなかった。靖代は持ち上がりで、六年生の担任になっていた。
 疎開学童は、いつこられてもいいように村内二カ所の寺院が学童の宿泊所にあてられ、それなりに受け入れ準備はなされてはいたのだった。そんななか、四月の新学期が始まると、高等科の生徒は女子も含めて鉄道保線区や各地の工場へ労働奉仕の動員が始まったのだ。教員たちも動員先への付き添いや、引率に学校を留守にすることが多くなり、最早まともに授業ができる状況ではなくなっていた。
 裏山の開墾畑には今年もヒマの種を蒔いたが、ある日の職員会議において黒川から校庭に炭焼き窯を設ける提案がなされた。
「すでに決戦教育措置要綱により、国民学校初等科以外は一年間の学業停止が発令された。本校においては、これまでにも多々学童の労働奉仕をおこなってきたが、戦局の重大さに応えるべくさらなる労働奉仕に取り組みたい」
 黒川はそう前置きをしてから、校庭の広場に炭焼き窯をこしらえ、生徒に炭焼きをさせる考えであると言った。真っ先に鮫島が賛意を表明し、さらに「異論はないか」と一同をみわたした。その威圧的な態度に、校長も黙って頷くばかりで誰も異論など言える雰囲気ではない。
 低学年においても、授業を受けているのは新入学の一年生から三年生までで、それ以上の学年の生徒たちは、新学期が始まってからは、ほとんど毎日が労働奉仕日となっていた。いくらなんでも授業を放棄して生徒に炭焼きをさせるなど、靖代にはそんなことが御国のために奉仕することとは、どうしても解せなかった。他の教師たちはみなくちを固く結んで、異議や質問などする様子もない。靖代はこれだけは言っておかねばと、意を決して席から立った。
「教頭先生、炭焼きはそれなりの経験がいるのではありませんか。生徒に炭焼きをさせるなど、到底無理だと思います。それでなくともマンガン鉱石を運ぶ牛車の後押しで、生徒たちは疲れてしまい勉強どころではありません」
「何を言うとるのか、おまえはっ」
 横合いから鮫島が靖代を睨み付けて怒鳴ると、黒川が慌てて座をたって補足をした。
「当然、炭焼きにおいては、本職の指導を願うつもりです」
「教頭先生、私の言っていることは、そういうこととは違います」
「いい加減にせんかっ、黒川はんよ、あんたの責任やでよ。いつまでこの女をおいておくのか、いっそ鉱山の飯場女郎にでもなれ」
 椅子を蹴って立ち上がった鮫島の剣幕に、他の女教員たちは首をすくめて石のように身じろぎもしない。鮫島の度を超した暴言に、まずい、と思ったのかいままで黙っていた校長がやっと口をひらいた。
「それぞれ意見もあると思うが、先に申したように、学校としても戦争勝利の日まで、万難を乗り越えて取り組んでいきたい」
 ちらりと鮫島の顔を窺い、校長はふたたび着席した。黒川は苦虫を噛みつぶしたような顔で腕を組み、口をへの字にむすんだままだ。
「一億火の玉になって勝利にむかって突撃しなきゃあならぬ時に、おまえの言うように、のんびりと授業をやっている場合かっ」
 鮫島はなおも靖代に毒づいたが、靖代は発言を諦めて黙って聞きながすことでその場を耐えるしかなかった。

 この職員会議での一件は、数日経ってから萩乃の知るところとなった。鮫島が靖代に対して暴言を吐いたことに、久世家を愚弄したと萩乃は激怒した。萩乃は「おめおめと黙って言われてたもんや」と、靖代にも当たり散らした。
 萩乃はただちに村長と校長に書簡を送りつけ、鮫島を茅部国民学校から追放せよと迫ったらしい。没落してはいても、この地においての久世家九百年にわたる勃興の歴史は、人々のなかに隠然とした影響を持ち続けていて、その誇りこそが萩乃のすべてであったのだ。
 思わぬ萩乃の怒りに驚いた黒川がやってきて、自分の責任だと土下座せんばかりにひれ伏して詫びをいれた。萩乃も体面を保ったと思ったのか、この一件は落着したのだった。
 その間にも黒川の提案による炭焼き窯が、ほとんど畑に耕された運動場の僅かに残されていた広場に造られた。村内の炭焼きを業にしている男が、窯造りからの指導に呼ばれた。「こんなんで炭が焼けるんやろか」疑問を呈する教員たちに相手も「さあな」と首を傾げて生返事をするばかりだった。
 五月の初めの職員会議において、このたび公布された戦時教育令について校長より説明がなされた。それを受けて教頭の黒川が立ち、こんどは何がはじまるのかと不安げな面持ちの教員たちをまえに話し始めた。
「戦局の重大さをふまえて、火の玉となって聖戦遂行の任務をまっとうすべく、当局の要請に応えて本校においても早急に学徒隊の結成が急がれます。学徒隊は各産業現場へ戦力として学童を動員することが目的であります」
 すでに炭焼きや校庭菜園に加えてマンガン輸送牛車の後押しなど、生徒を無償の労力として動員しているではないか。靖代は強い反発を感じながらも、これで生徒らが授業を受ける時間はまったくなくなってしまったと、諦めの心境で聞き入っていた。

 その日は日曜日で、朝から真夏を思わせる陽気だった。実家の父親から浩介の墓石を建てたので、その法要をおこなうとの葉書が届いていて靖代は草尾谷へ出かけた。
 実家では久し振りに母親の顔をみた息子の叡一が、さぞや甘えてくると思いきや、傍にも寄ってこないのに靖代は失望した。母親に預けっぱなしだから、お祖母さん子になるのは仕方のないことだが、そう言えばあの子、ボウズボウズといって叡一のことを気にかけてくれていたなあ、いまさらに浩介の優しさが偲ばれて思わず涙した。
 靖代より一足遅れて野田がやってきた。舞鶴海兵団にいた浩介が何かと世話になっていたこともあって父親が知らせていたらしい。やがて隣村からきた、同宗派の僧侶により法要が執り行われた。浩介の真新しい墓石は、三郎の墓石と並んで建てられていた。母親はなけなしの小豆と餅米でこしらえたぼた餅を墓前に供えて、ながいあいだ手を合わせていた。
 墓参を終えての帰途、先をいく皆よりずっと遅れて歩きながら靖代は肩を並べて歩く野田に、いま学校で進められている学徒動員のことを話しかけた。
「こんど高等科の生徒を、工廠へ動員することになると聞きましたけど、高等科といってもまだ子供です。危険な仕事もさせられるのでしょうか」
「いろんな現場があるからなあ、しかし挺身隊の連中を見ていても、実際に戦力と呼べるのか疑問に思うなあ」
 野田はそう言ってから、一段と声を潜めて話し始めた。
「ここだけの話だが、この戦争はそう長くはない気がする」
「戦争が終わる……のですか……」
「いまドック入りしている艦の将校から聞いた話しなんだけど、大和が沈んだと、海軍のなかではもっぱらの噂らしい」
「でも大和は、簡単には沈まないと聞いておりますが……」
「造船屋としてはそう思いたいさ、けど近頃ドック入りする艦のやられかたが酷すぎる、よくも沈まずにここまで還ってきたと思うくらいなんだ。それに東京を始め地方都市までが、敵機の大編隊による空襲を受けたと聞くと、すでに日本の空は敵の手中にあるとしか思えない」
 始めて聞く野田の話に、靖代は言葉が出ない。学校の指導要領で黒川から指示された通りを、生徒たちに話したことを思い出す。
 大和は世界最大にして無敵の不沈戦艦です。一旦大和の主砲が火を噴けば、数十機の敵機が木の葉みたいに吹き飛ぶんだと語ったとき「大きいなったら海軍に行って、絶対に大和の乗組員になって敵をいっぱいやっつけてやる」と言って目を輝かせた男の子がいた。その目の色が、兄ちゃんの仇をとってやると言ったときの浩介にあまりに似ていて、靖代は以来その話を生徒にはしなかった。
「もし戦争が終わると、日本はどうなります」
「この戦争が終わるということは、つまり日本が負けることを意味する。そうすれば当然に敵国の軍隊がやってくる、そんなこと、これまで日本人の誰もが経験したことのないことだからな、どうなるのか想像もつかないよ」
 野田はそう言い、手を伸ばして小さな木の葉っぱをちぎって丸め、器用に唇に挟むと小学校唱歌の(故郷の廃家)を奏でた。このごろ国民学校では唄わなくなった旋律を久々に聴きながら、野田が言った戦争が終わることは日本が戦争に負けることなのか、日本が戦争に負ける……、もはやそれは靖代の理解を越えていて、漠然とした期待のようなものと不安とが胸の中で交差するばかりだった。

 六月になって、茅部国民学校学徒隊が結成されて、靖代は教室での授業より、生徒をどの労働現場に参加させるかに頭を悩ませることになった。
 炭焼きの原木を切り出しに、高等科の上級生に混じって、四年生以上の男子が動員された。夜間の窯の番は、黒川や鮫島の監督のもとで、高等科の男子が交代でおこなっていた。出来上がった炭は、指導にきた男に言わせると、とても出荷できる代物ではなかったが、炭の良し悪しは問題ではないと、黒川は強弁していた。
 一方の女子生徒は鉄道の線路わきや、道路ばたなどの空き地に大豆を植えることになった。もはや教師の誰もが自らの思考をとめたかに、次々と命令される事柄に黙々と従った。靖代とて、受け持ちの生徒が怪我をせずに無事に学校に戻ってくるのを、ただ願う毎日だった。

 七月に入って疎開学童がやってきた。村内数カ所の寺院を男女別に宿舎にした疎開学童たちは、田舎にいけば腹いっぱいの食い物にありつけるだろうと期待していたに違いないが、兵役のために働き盛りの男手がいなくなった村内には、彼らの旺盛な食欲を満たすだけの余裕はすでになかった。
 寺の池の鯉が一夜にしていなくなっただの、畑の種胡瓜までもがれただの、そんな事件はあっても表だった苦情はなかった。村人誰もが、幼くして親と別れてきた疎開学童を不憫と思っていたからだ。
 それに教員たちが心配した都会の学童との学力の差は、それほど問題になることもなかった。すでに低学年を除いて、授業などないのに等しい状態であったからだ。
 そんななかで教員たちの発案により、学校の玄関わきに大きなカマドが造られ、昨年に校庭などの菜園で収穫した甘藷を蒸して生徒に食べさせることになった。カマドに据える大鍋は久世家の台所に据えられていたものを、学校が萩乃に頼み込んで持ち込まれたものだ。
 女教員らは毎日のように炎天下の大釜による芋蒸しで、すっかり日焼けした顔を笑いあったが、疎開学童らは芋が蒸し上がるまで大釜のまわりを取り囲んで動こうともしなかった。
 そんなある日のこと、疎開でやってきた三年生の女の子が、急に苦しみだしたと一緒にいた生徒が知らせてきた。生徒とともに赴任してきた担任の女教員と靖代が駆けつけると、腹が痛いと地面を転げ回って泣いている。「ひょっとしたらチフスやないやろか」などと先輩女教員らが囁くなか、すぐに医者へ連れていくことになり、用務員に頼んでリヤカーに乗せた。
 靖代が職員室にいた黒川にそのことを伝え、いまから埴科医院へ連れて行くといったところ、黒川は途端に厳しい顔をした。
「あそこはいかん。園部の郡立病院へ連れて行ってくれ」
「郡立病院だと汽車の時間もいれて一時間以上はかかります。子供が苦しんでいるのにそんな余裕はありません。埴科医院へ行かせてください」
「埴科は非国民だ、そんなところへ生徒を連れていくことはならん」
 黒川ははだけた胸元に団扇で風を送りながら、靖代を睨み付けた。生徒が苦しんでいるのに、こんな問答をしている間はないと、靖代は頷きもせずに職員室をあとにした。
 患者とともに靖代も乗ったリヤカーを、用務員が自転車で牽いて出発し、付き添いの教員も別の自転車でついてきた。靖代が埴科医院へいくように頼むと、あそこへは行くなと言われているとみえ、用務員は躊躇している様子だ。そのうち苦しんでいた生徒の泣き声がやみ、目を剥いている。担任の女教員はただおろおろするなか、学校の指示に背いた責任は自分が負うからと、靖代は埴科医院へ行くことを主張した。用務員もただごとではないと思ったか、靖代の意見を聞き入れて埴科医院へ自転車を走らせた。
 埴科医院の表までくると、表戸は閉められたままで、客が出入りしているようにみえない。
「先生、どうなされたん」
 振り向くと、荒物屋の店先から和子の母親が顔をのぞかせている。大まかな事情を話すと、母親は「みんな表を避けて裏から入ってはるでな」と言って裏口へ先に立って案内してくれた。
 すぐに診察室へ運び入れてから、待つこと三十分ほどして院長がなかへ入れといった。指し示す洗面器には何匹もの白いミミズのような回虫が蠢いている。腸に回虫がいっぱい詰まっていたということだった。
「これは口からでたものだ。薬を飲ませてあるから暫くしたら肛門から仰山なこと出よるから吃驚せんように」
 院長はクレゾール液の洗面器に手を浸しながら、もう少し遅ければ腸が破れて手遅れになるところだったと言った。靖代はホッとすると同時に、生徒が助かってよかったとこの時は心底から思った。付き添いの教員は安心からか泣いている。表向きは非国民と敬遠されながらも、こっそり裏口から診てもらいにくる者が結構いることを知ったのも靖代には嬉しかった。
 学校に戻った靖代は黒川に、埴科医院で診てもらい、もう少しで手遅れになるところだったと言われたことを報告した。黒川は黙って聞いていたが、指示に従わずに埴科医院へいったことは、生徒の命が助かったこともあってか、特別に咎めることもなかった。
 それから数日が経った日のこと、靖代は女子生徒の頭をみて気になり、何だろうとよく見ると髪の毛にびっしりと、胡麻粒みたいなのが付着している。付き添いの女教員は、虱の卵だと言ったが、靖代は見るのも始めてであった。
 それからは女子生徒らは十人が一組で一列に並ばされ、すき櫛でもって互いに相手の髪の毛をすくことで、虱の卵の除去をするのが毎日の日課になった。靖代は村の女子生徒個々に持たせるすき櫛を求めて、駅前商店街のみならず園部にまで出かけて取りそろえた。
 虱についで蚤はアッという間に村全体に広まった。誰しもが蚤に悩まされたが、靖代が購買組合で四十銭も出して購入した蚤取り粉は、まったく効き目がなかった。
 七月も末の日の夕方のこと、靖代が学校から戻ってくると、久世橋の上に萩乃がいた。
「靖代、おまえが学校から蚤をもろてくるから、こんな不様なことをせなならん」
 萩乃は靖代をみるとそう言うなり、着物を脱ぎ腰巻き姿で、脱いだ着物を川面に向けて派手に叩いた。見栄や外聞を人一倍気にする萩乃にしてこの恰好は、よほどの我慢の末であったに違いない。
「靖代、おまえもここで蚤を払い落とさな、家には入ることはならんで」
「大奥さまあ、若奥さまを責めたら気の毒だす。疎開さんが泊まっとる寺へ行ってみなされや、山門にまで蚤が跳ねてますでなあ」
 萩乃に言われて靖代が困惑していると、十メートルばかり離れた隣家の橋のうえから、褌ひとつになった芳蔵が着物を叩きながら叫んだ。「靖代、はよう蚤を払いやっ」萩乃の一喝に靖代も仕方なく、もんぺを脱ぎ下穿き姿で着衣を叩いた。いきなり水音がして振り向くと、いつの間にかやってきたコトメが、靖代の下穿き姿に見とれていた芳蔵を橋の上から突き落としたらしい。これには萩乃も大笑いをしたが、靖代も我がことながら、あられもない恰好に恥ずかしいやら可笑しいやらでつい笑ってしまった。

 これといった蚤退治の妙案はなく、体に寄生した蚤を払い落とすしか手だてはなかった。ある日のこと靖代は生徒を引率して、学校のまえを流れる川原に連れてきた。ここで生徒を流れに沿って並ばせ、着衣を脱いで川面に向かって振り払い、次には裏返して縫い目にいる蚤を手で潰さす。いまやこれは毎日の日課で、雨の日以外は行った。
 その日も疎開児童も含めて生徒を流れに沿って並ばせながら、靖代は男子生徒の頭が白っぽい斑になっているのに気付いた。それはまるで黒板消しを頭に当てたように、頭皮が白っぽい斑になっているのだった。疎開児童とともに赴任してきた女教師は、白癬だと言う。話には聞いていたがこれが白癬なのかと、靖代は新たな難題に直面して溜息をついた。
 そこで靖代は学校に備えてあった手動バリカンで、男児の伸び放題に近い頭髪を刈ることから始めた。丸刈りにした頭を山から引いている流水で洗ってやり、毎日五分間だけ頭の日光浴をさせた。埴科医院の院長から、白癬は黴だから紫外線にあてるのがよいと聞いていたのを実践したのだ。
 ところが受け持ちの生徒だけでなく、一年生から六年生の男児の頭を刈ることになり、日に二十人もの頭を刈ると右手が腫れて指が動かなくなった。別の教員に代わると、握力が弱くバリカンの刃が毛髪を刈り切らないために生徒が痛がった。農作業で鍛えた腕っ節を買われた靖代は、一日五人と限定して刈ることにした。
 ありゃあ教員より床屋の女房が似うとる、などと鮫島などの陰口をよそに、靖代は数日間かけて高等科以下の男子生徒の頭をせっせと刈った。

 八月十五日は阿木集落では、盆の施餓鬼供養の日であった。日中照りつける日射しは田面を焦がし、澱んだ風のなかで狂ったような蝉の声だけが集落の全てを支配していた。
 久世屋敷の阿弥陀堂では、正午を期して萩乃と区長の吾佐衛門を筆頭に、年寄りから子供まで集落の者たちが寄り合って、施餓鬼供養の読経会が執り行われていた。皆に混じって黒川の顔があるが、四年前に阿弥陀堂の傍に栗の苗木を植え、自ら大東亜戦争勝ち栗と命名してからは、必勝祈念と称して毎年この日になるとやってくるのだ。
 ほどなく読経の唱和がすみ、吾佐衛門の畑でとれた西瓜が皆に振る舞われているときだった。学校の用務員が慌ただしく駆け込んできた。
「教頭先生、戦争が終わったらしおすで。役場へ所用でいったら、昼にラジオで天皇陛下のお声で放送があったとえらい騒ぎどした、教頭先生はまだお知りやないと思い、知らせに参じました」
 一気に喋ると用務員は、その場にへたり込んでしまった。誰かが茶碗に水を入れて渡すと一気に飲み干したあと、腰の手拭いを抜き取り汗で水を浴びたような顔を拭っている。
「滅多なことをぬかすな、特高の耳に入ったらこの座におる者みながどうなる、阿木の連中はアカの手先やいうて、皆が非国民にされるぞ」
 誰かの声に、我に返ったように男たちが用務員を取り囲んだ。なかには胸ぐらを掴みかからんばかりの者もいる。「ラジオのある家はないのか」いきり立つ連中を制して黒川が叫ぶ。吾佐衛門が口を開き「家にあるにはあるが、真空管が切れていてウンともスンとも言わんのじゃ……、今日び真空管は京へいっても売っとらん」と言い返す。
「嘘やおません。役場で言うとりましたさかい」
 用務員は懸命になって訴えるが、冷静に耳を貸そうとする者はいず、諦めたのか目のまえの西瓜の一切れを手にとってかぶりついた。靖代はその騒ぎをみながら、とうとう日本が負けたんや、これからどうなるのやろか、野田の言っていたことを思い、言いようのない不安に包まれた。
 数時間が過ぎても、皆はまだ阿弥陀堂に放心したように座り込んで動こうともしないなか、観音経を唱える萩乃の声を消すように飛行機の爆音が響いてきた。「空襲ぞ」誰かの声に皆は総立ちになって空を見上げる。低空を飛行する機体からキラキラと何かが無数に光ながら宙を舞っている。「伝単を撒きよる」誰かが叫んだが、機影はアッという間に集落の上空を跳び去った。
 門のあたりが騒がしくなったかと思うと、一人の子供が駆け込んできて一枚の紙切れをヒラヒラと振ってみせた。「こら、そんなもん拾うやない、警察に連れていかれるぞ」子供の親が大声で叱った。
「いやまて、こりゃ敵の伝単やない」子供の手からビラを受け取った男が叫び、おもむろに声をあげて読みだした。
「国民に告ぐ、海軍は降伏しても、陸軍は本土決戦に持ち込み徹底抗戦をする」読み上げると男は印刷された文面を皆の方にむけてみせた。
「やっぱり放送は嘘じゃ」誰かが言うと、皆一斉にどうするかと吾佐衛門に注目する。
「陸軍がこないな伝単を撒くちゅうことは、陛下は陸軍の側にあらせられるということじゃろ。我が久世一族にとっては平治の乱以来の重大事じゃ、ここは一つ決断を誤れば朝敵の誹りを受け叡佐武郎さまのご偉功に泥を塗ることにもなる」
 吾佐衛門はそう言って空を見上げてしばし絶句したあと、皆を見渡して叫んだ。
「我ら一族の取るべき道は、天皇陛下とともにあることなり、この伝単に応えて徹底抗戦の準備をするのじゃ」
 指揮官となった吾佐衛門の言葉に、皆は本土決戦に応ずべく戦闘の準備を始めた。吾佐衛門の陣取った阿弥陀堂は参謀本部となり、庭には竹槍の束が持ち込まれた。日露戦争では乃木大将率いる第三軍の狙撃兵として武勲をたてた猟師の老人は、戦死した息子の仇を討たんと、愛用の村田銃を手に駆けつけた。左官屋の男は「敵のタンクがきたらこれを投げつけて目つぶしにする。すでに大阪は焼け野原になっとるらしいで、奴らは上陸したらここまでじきに来よる」言いながら壁土を練り始めた。
 集落の入りくちに位置する阿木神社のあたりは、革袋の口のように狭く馬車道を挟んで片側は山が迫り反対側は阿木川の流れだ。タンクも一両づつしか通れんから、敵の侵攻をくい止めるにはここしかないと、敵軍を迎え撃つ拠点としてそこに陣地を築くことになった。
 芳蔵は家宝ともいえる槍を手に引っさげているし、黒川は久世の蔵から持ち出したらしい猟銃を肩から斜めにかけ、なぜか首から双眼鏡をぶらさげている。男たちはそれぞれが、久世屋敷の蔵の長持ちの底から日本刀や、槍を探し出しては手に持ち集まった。そのうち女たちも、竹槍の束のなかから自分に合った頃合いのやつを選んで手に持ち始めた。
 皆の武装が整ったのを見計らい吾佐衛門が阿弥陀堂のうえから指示をくだした。左官屋の練った壁土をまるめておき、敵のタンクがやってきたら覗き窓めがけてそれを投げつける。さらに立ち往生したタンクの、ハッチを開けて敵兵が顔を出したところを竹槍で襲う。大人は目立つから、泥団子を投げつける役は子供を使えと言った。
「子供に、そんな危ないことをさせるわけにはいかんちゃ」口々に叫ぶ女たちに「本土決戦は年寄りから女も子供も、皆が戦闘員じゃ」誰かが言うと「そうだ、撃ちてし止まむの意気じゃ」男たちは熱に浮かされたように一様に頷く。子供を持つ母親は、大人に混じって走り回る子らに「危ないから早く家へ戻れ」と、まわりに悟られぬように我が子を家に追いやり始めた。
 この騒然とした久世屋敷へ、村長が駐在所の巡査をともなってやってきたのは、夏の陽がまだ高い夕方の四時ごろだった。異様な興奮状態のなかで、巡査は腰のサーベルをガチャガチャ鳴らし、村長は「皆静まれ、静まらんか」と連呼しながら阿弥陀堂のまえにやってきた。
 村長は取り巻く皆に、集落の様子を聞いて駆けつけてきたと言い、日本の無条件降伏を、天皇陛下自らのお言葉により放送があったことを改めて伝えた。誰もが言葉を失い嘘のような静けさのなか、村長は「戦争は今日で終わったんじゃ」とふたたび皆を見渡して言った。
 僅か三時間たらずで阿木集落の騒動は終わりをつげ、その場で武装解除がなされた。竹槍は庭の隅に積まれ、刀や槍はふたたび蔵の長持ちの奥底に投げ込まれた。

 新学期が始まる、めどもたたないまま九月になった。そんななかで、人々のあいだに新たな噂がながれてきた。いよいよ日本に上陸した、敵の軍隊がやってくるというのだ。吾佐衛門の呼びかけで、阿弥陀堂には集落の者が集まっていた。寺に宿泊する疎開児童の対策として、やって来た黒川の顔もあった。
「米軍は日本民族を根絶やしにせんがため、男は生まれたばっかりの赤児までキンを抜くそうだす。また米兵が上陸しそうなところでは、若い女は奴らの餌食にならんがために男の恰好をさせとるそうだす」
 勤めていた大阪の工場が焼けて戻ってきたという男が、吾佐衛門にむかって真剣な顔で進言をした。
「米兵のやつらは毎日肉を喰らうてて獰猛ですで、女とみると見境のうとっ捕まえて陵辱するそうじゃ」
 誰かが口走ると、不安な思いが一挙に噴き出したかに、皆が思いに思いに喋りだして騒然となった。そこで吾佐衛門の提案によって、いざという事態に備えての女子供の隠れ場所を、かつて戦国のころ久世一族の山城があったという山の頂の城跡に決められた。
 ところが、ここに問題がおきた、寺の本堂に宿泊する三十名の疎開児童らのことだ。飲み水や食料のことまで考えると、とても面倒をみきれるものではない、というのが一同の思いだった。
 靖代は久世屋敷の裏山なら、なんとか三十名くらいの子供が隠れられる場所があるかも知れないと思った。自ら申し出て下見に出かける靖代を、黒川が後を追ってきた。
 集落が見下ろせる台地にでたとき、ここなら雨露をしのぐ仮小屋を建てれば最適の場所だと黒川が言った。
「教頭先生、米兵はそんな酷いことを本当にするとお思いですか」
 靖代は女学校時代に級友と密かに観にいった米国映画『オーケストラの少女』を思い出し、あんな素晴らしい活動写真をつくる国の兵隊が、噂のような怖ろしい事をするのかと疑問に思う。
「仕方がない、勝てば官軍負ければ賊軍ですからな」
「まあ賊軍だなんて……教頭先生は以前、この戦争は聖戦だとおっしゃったではありませんか」
「靖代さん、あなたは何もわかっていないんだ。鮫島は女房子供から親戚の女子供までを、どこかの山奥に隠したと聞きます。敵国の軍隊に占領されるのは、どのようなものなのか、大陸の戦場を経験してきたあいつらが一番知っているからです」
「………」
「戦争は勝たなければ意味がない。日本が初めて賊軍となったのです」
「………」
 三郎……浩介……あんたらは賊軍の兵として戦地で若い命を無駄にしたというの。靖代はいたたまれずに、二人の弟の名を叫んでいた。
 どこからか靖代の耳に汽車の汽笛が聞こえた、レールの響きがだんだんと近づき、京都駅を発った東京行きの急行列車が東山トンネルを抜け出てくる。白煙を噴き上げ加速しながら、山科の大築堤の緩やかなカーブを登ってくる黒い機関車。目前を通過していく機関車のキャブから、身を乗り出して靖代に手を振るのは浩介ではないか。帽子の顎紐をかけた笑顔も凛々しく、白い手袋が一際目にしみる。
 浩介、あんた機関士になって念願の急行列車に乗務できたんやね、よかったなあ、おめでとう。機関車の次に連結された一等客車の窓からこちらを向いて微笑むのは三郎やないの、あの子一等車に乗ったりして、売れっ子の小説家になったというの、みるからに作家の風貌になって、それに偉そうに口髭まで生やして……。
 あっというまに列車が木立のなかへかき消えて、ふたたび何事もなかったような激しい蝉しぐれが靖代と黒川を取り巻いている。
「教頭先生、いまの汽車をご覧になりましたか」靖代の言葉に、黒川は怪訝な顔をして靖代をみた。
「何を惚けたことを言うのです、この付近に鉄道など通ってはおらん」
 いまのは幻、それとも私は夢でもみていたのか、戸惑う靖代の肩に黒川の手がかかる。
「靖代さん、米兵が進駐してきたら、久世家は軍国主義の残滓としてやり玉にあげられ、どうなるかわかりません。靖代さん、いまのうちに僕と結婚して久世家と縁を切るのです」
「なぜそのような事をおっしゃるのですか、それに私のような者に結婚などと……」
「茅部村音頭の出だしの一節は、むかし叡佐武郎帝を守りとある、もっともこの部分は、もう唄われることはないと思いますが、それに学校の生徒が毎月集団で叡佐武郎の墓に参拝した、どちらも軍国主義です。いまこそ僕は、久世家の呪縛からあんたを解き放ちたい」
 いきなり後ろから抱きしめられ、身動きできない靖代の筒袖の胸元を割って黒川の手が侵入する。そのとき突然に大木が倒れ灌木が押し潰されるような音がした。驚いて靖代から離れた黒川はチェッと舌打ちをした。みると、十メートルばかり離れた木立のなかに人がいる。頬被りをしていて横向きだから人相まではわからない。
「炭焼きか、こんな時に呑気なもんだ」
 黒川の声を背後に聞きながら、靖代は必死で獣道を駆け下りた。
 山から戻ってくると阿弥陀堂にはまだ数人の者がいた。すぐに靖代のあとを追って黒川も戻ってきた。黒川は何食わぬ顔で、裏山の炭焼きをしているあたりがよいと吾佐衛門に報告をした。
「教頭はんの言うあたりに炭焼き窯はないわい、あそこはハゼの木が多て炭を焼くにはむかん所じゃ」
 黒川の話を聞いていた男が、怪訝な顔で首を傾げた。
「人斬り峠の頂上あたりまできたときじゃ、目の前の雑木林のなかをえらい勢いで走っていったんじゃが、あの見事な尾をした白狐は話に聞く白鬼丸に違いないわ」
 傍に座り込んでいる男たちの何気ない会話が靖代の耳に入った。そうだったのか、言い寄る黒川から逃してくれたのも、浩介や三郎の幻もギンだったのか。靖代はギンが駆け抜けていっただろう、日が沈みかけた向かいの山の稜線を見つめた。

 九月の半ばを過ぎても、丹波地域に占領軍は現れなかった。茅部国民学校では、生徒らは校庭菜園での芋掘りや、秋野菜の収穫に精を出していた。勤労動員されていた高等科の生徒たちも戻ってき、すでに低学年生徒らの鉱石移送牛車の後押しも終戦の日を境に中止されていた。しかし授業らしきものはなく、この日も収穫したばかりの甘藷を蒸して昼に生徒ら全員に食べさせた。
 その日の夕方のこと、靖代が家に戻ると野田から手紙が届いていた。手紙は封書の下部が開封されていて、検閲したことを記す英文字の印刷されたセロハンが貼り付けてあった。靖代は始めて占領軍を、間近に知ることになった。
 手紙には、海軍工廠は解体されるだろう、身の振り方を考えるよりも、毎日の空腹をどうして満たすかの方が差し迫った問題だ。などと半ば冗談めいて書かれていた。
 一体どう返事を書けばいいのかと、思案をしているところに黒川がやってきた。黒川は四年前に、自分が阿弥陀堂の脇に植樹した栗の木を伐採すると言うのだ。大東亜戦争勝ち栗と、自ら記した木片を引き抜いて足でへし折っている。いまでは栗の木も二メートルを超える高さになって、初めて大きなイガを沢山なことつけていて、なかには弾けかけたイガから褐色の栗の実がのぞいているのもあった。
「教頭先生、今年に初めてようけなこと実をつけましたのに、なぜ切られるのですか」
「この栗は軍国主義のもとに植えたものですから、当然に切り倒さねばなりません」
「そんな……、人が勝手にそう呼んでいるだけで、切るなどと栗が可哀想です。こんなにようけイガをつけているのに」
「大東亜戦争勝ち栗などと、占領軍がやってきてこの事を知れば、栗の木を植えた自分は軍国主義者として捕らえられ、どんな処罰を受けるやも知れん」
 黒川はどうしても切ると言い張り、手に持った鋸を栗の幹に当てた。二人のやり取りが喧しかったのか、萩乃が出てきた。彼岸で墓参したおりに、ひときわ大きい維新の烈士叡佐武郎の墓石が何者かに倒されていて、ここのところ萩乃の機嫌は最悪だった。
「黒川はん、この屋敷のうちにあるものは、草一本でも勝手に切ることはならん。大の男が栗の木一本でビクビクして見苦しいおす」
 萩乃の一喝に黒川は栗の木の伐採を諦め、もし占領軍がやってきても自分が植えたことを黙っていてほしい、と靖代と萩乃に何度も念を押して帰っていった。「教頭ともあろう者が、肝が小さすぎるのう」門を出ていく黒川の後ろ姿に、萩乃が独り言のように呟いた。

 十月半ばには茅部国民学校にきていた疎開学童らが引き上げていった。校門を去るとき、何人かの男子生徒が列を離れて見送る靖代の傍に駆け寄り「先生また頭を刈ってもらいにくるし」ともんぺの裾をつかんで叫んだ。靖代はシラクモや蚤と格闘した日々を顧みて、込み上げるものを押さえながら坊主頭を撫でた。
 そのころ学校の教職員のあいだである噂が囁かれだした。久世は軍国主義の象徴であるから、靖代がいると占領軍がやってきた折りに、学校がまだ軍国主義を続けていると思われ、どんな咎めをうけるかわからない、といった内容だった。
 代用教員として奉職してから五年余り、靖代は自分が去るときがきたことを思った。一人の男性教師が復員してきた十一月の始めに、校長に辞表を提出してその日のうちに学校をあとにした。それでも校門を出るとき見送って出てきた年配の女教師がそっと耳元で囁いた。
「いまだから言うけど」と前置きして彼女は、二学期が始まると鮫島が、久世は軍国主義の象徴だから、あの女を早く辞めさせろ、占領軍がきたら学校がやられる、などと再三校長に進言していたと告げられた。いまの靖代には、彼らが何を言おうとも、もはやどうでもよいことであった。
 振り返って眺めると、校舎の裏山には収穫される事もなくなり、伸び放題のヒマが風に揺れていた。ほんの少しまえまでの事柄が、靖代には嘘のように思えた。

 その日は午後の三時ごろに帰宅した靖代は、かねてから考えていた、野田のもとへいく決心を固めた。一月まえに手紙がきたときには、月並みな返事を書いて出したが、その時から野田となら苦労をしてみたいと思った。ただ、子持ちの女を野田が受け入れてくれるかと、多少の不安があったが、先日会った埴科医院の院長から「これからは新しい世の中になる、あんたも幸せにむかって突っ走れ」と励まされたのを思い出して、いまの心の支えにした。
 手早く身の回りの品をまとめると、おひつの底をさらえて麦飯の握り飯をつくり、萩乃に別れの挨拶などしようものなら、引き止められるのはわかっているので、悪いと思ったが黙っていくことにした。出がけに軒に干してあった切り干し大根の束を、肩からかけた雑嚢に押し込み、田畑に出ている村人らと顔を合わさぬように人斬り峠を越えることにした。
 隣家の庭先を通り抜けようとしたとき、芳蔵が顔を出した。
「若奥さま、里へお戻りですかい。そしたらぼんちゃんをお連れやして、戻ってきておくれやすな、わしからもお願いしますで」
「それまで大奥さまのことは、わしらでお世話しますで、どうかお体に気いてつけて行っておいでやすな」
 あとから出てきたコトメが、そう言って空豆を入れた包みを靖代に差し出した。
 なんということなのか、すでに自分の行動を察知されていたとは、予期せぬ事にこの場を取り繕うべき言葉も出てこない。第一これでは家出にならないではないか。包みを受け取り、「あ、はい」と言ってから、何とも間の抜けた返事だと思った。
 最近は汽車の混みようが酷いと聞いていたので、もし乗れなくとも次の列車のある七時ごろまでには駅に着くつもりで急いだ。頂上を過ぎて庚申塚までくると、いきなり人影が現れて道をふさいだ。どうもここで寝ていたらしい。着古した国民服にゲートルを巻き、戦闘帽を被った男は、ここらでは見かけない顔だった。
「ねえさん、食い物を持っていたらめぐんでくれんか」
 男のぶしつけな言い方に、恐怖を感じた靖代は雑嚢から握り飯を出して差し出した。男はよほど空腹だったのか、ひったくるようにして握り飯を受け取るとその場で頬張り始めた。靖代はそのままいこうとしたが、男が道を塞いでいて通れない。
「朝から何も食ってなかったんだ。おかげで命拾いしたわい」
 喉に押し込むように一つ目を食い終わった男は、じろりと靖代に視線を走らせて話しかけた。男は自ら南方からの復員兵であると言い、闇の買い出し部隊として小浜から塩鯖を仕入れて帰る途中で取り締まりに遭って鯖を没収されてしまったと憤懣やるかたない様子だ。
「俺は骨と皮だけになって密林を彷徨い、やっと戻ってきたんだ、見逃してくれと頼みこんだ。巡査のやつは、ここで見逃しても京都で捕まったらこれだとぬかしやがった」
 男は靖代に交差させた両手首を突きだして言った。
「腹は減るはカネはない、駅で降りて、何か食い物をと百姓屋の戸を叩いてまわった、三年まえには歓呼の声に送られた御国の勇士がいまじゃ物乞いだ、ところがよう、どの家も居留守を使うか、交換するものがないなら食い物は出せねえだとよ」
 男は一気に喋り、二つ目の握り飯にかぶりついた。
「ねえさん、あんた亭主は」
「………」
「そうかい、俺も死んだ戦友を何人も葬ったよ。ポケットにはあんたのように若い女房やガキの写真が必ず入ってるんだな」
 靖代は男と目を合わせるのを避けて、俯き加減で早く男が道をあけてくれるのを待った。
「ワニにやられて死んだ奴がいたな、川を見つけて水を飲もうと川辺に寄ったらよう、いきなりワニの尾の一撃を食らったもんだ、ワニは痩せこけた兵隊など見向きもしねえ、悠然と泳いでいきやがった。ぷかぷかと流されていく遺体を見て、俺は絶対に生きて還ってやる、祖国へ還って腹一杯飯を食うまでは、こんなところで死んでなるものかと決めたんだ。密林のなかで、一年ものあいだ女の顔も拝まずによう、命からがらどうにか戻って来たんだ。ここであんたを抱いても罰はあたるまいで」
 そう言うと男は、靖代が怯むまもなく飛びかかり、筒袖の胸元を両手で割った。剥き出しの乳房に男の髭面が近づいたとき、弾き飛ばされるように男がうしろへ引き倒された。二人の若者が靖代のまえに立っている。「三郎、浩介」靖代が叫んだとき、立ち上がった男が三郎と浩介に飛びかかり、もつれ込んだまま三人の姿は崖下に消えた。
 かすかな悲鳴が聞こえて靖代が我に返ると、目の前に白い影がある。「ギン、ありがとう」靖代の話しかけに、ギンは大きな尾をサッと一振りして歩き出す。崖下は険しい岩場で、男は絶命したと思われる。いつしか宵闇が迫っていて、靖代は先を行く二つの白い影を追って足を速めた。
 峠を下りきったところで谷川にかかる丸木橋を渡り、田圃のあぜ道を抜けて田原川にかかる沈下橋まできたところで靖代は立ち止まった。
「ギン、もう大丈夫や、おまえもいつまでも達者でおるんよ……」
 靖代は手を伸ばしてそっとギンの頭を撫でると、ふたたび歩き出した。沈下橋を渡り終え振り向いて手を振ると、橋の向こうで見送る白い影はサッと尾を翻して夕闇の森へと駆けていく。
 馬車道を急ぐほどに、やがて駅前の集落の灯りが見えてきた。靖代はいきなり現れた自分を見て驚く野田の顔を想いながら足どりを速めた。


 

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