トラベル雑感   奥野 忠昭


 
 先日、アテネ経由で、エーゲ海のサントリーニ島とミコノス島に行ってきた。
 行った理由は二つあって、ひとつは二年前にカメラ教室に通い始めたころ、教室から、ギリシャ・エーゲ海への撮影旅行への誘いがあった。何しろ始めたばっかりなので行ってもしかたがないと思い断念した。だが、その後で、参加者が撮ってきた写真の展示があって、それがすばらしく、次に、そういう機会があればぜひ参加したいものだと思っていたが、いっこうに撮影会は催されない。そこで、しびれを切らし、一人で行くことにした。
 もうひとつの理由は、かなり以前、トルコに旅行したとき、日向は暑いが、日陰に入ると涼しく、その時のすがすがしさが忘れられず、あの気分をもう一度味わいたいと常々思っていたのだが、アテネやエーゲ海はそのような気候だと知って、ぜひ行きたくなった。
 ちょうど、飛行機の切符の手配、ホテルとそれへの送迎のみのツアーがあったのでそれに申し込んだ。
 なにしろ、撮影のために行くのだからと撮影機材一式をスーツケースに詰めこんだので、かなりの重さになった。三脚、ボディー二つ、望遠を含めてレンズ三つ、ストロボ、電池の予備、その他付属機具いろいろと。また、ポジフイルムは七〇本、約五万円程度(フィルムはスーツケースには入れられない。X線セフティーケースに入れて手荷物で持ち運ばなければならない)を持っていき、そのうち五〇本を使った。
 まあ、撮れた写真の善し悪しは別にして、二つの目的の達成度はほぼ満足のいくものであった。もちろんいくつかの失敗があったが。
 ただ、目的以外にも、いろいろ考えさせられたり、発見したりすることがあったので、それらをここに記しておきたい。
 まず、このエッセイのタイトルだが「旅雑記」とも「旅行雑記」とも書けず、「トラベル雑記」としか書けなかった。理由は外国へ行ったからではない。つまり、最近のこの類のものは「旅や旅行」という概念が示すものとはいささか意味を異にしていると思ったからだ。
 その、一番の違いは、昔の旅は一人でするものであった。一人でするからこそ旅と言えたのではないか。それ以外は、旅や旅行の例外で、例えば、新婚旅行、家族旅行、団体旅行など、例外だからこそ名付けがあったのだと思う。しかも、それらは旅とは言われていない。
 ところは現在は旅は二人でするものだとされているようだ。カップルで来ているものが圧倒的に多い。八割に近いのではないか。しかも、夫婦のカップルもいるがほとんどが若いカップルである。下司な勘ぐりをすれば、旅はHの前戯にまで成り下がってしまった。
 ホテルにしたって、二人を原則としてつくられている。パック旅行にしたって二人を原則にし、一人だと割り増し料金まで取られる始末である。(昔のパック旅行は一人を原則とし、見も知らない他人が二人部屋で泊まったものだ)
 それに、旅は、行く先がそれほどはっきりとはせず、また、スケジュールも、ある程度の計画性があるだろうがしばしば変更され、それが許されるというイメージがある。しかし、今はそれはない。スケジュール通りに動かなければならない。
 私の今度の旅行は、一人旅で、比較的自由ではあったが、それでも、基本的なところではスケジュール通りに動かなければならず、旅とは言えず、旅行と言うにも恥ずかしいものであった。やはり、「トラベル」であった。

 以前、ベネチヤに行ったときにも感じたのであるが、今回もそれを感じた。
 ベネチヤではイタリヤ語、アテネやエーゲ海の島々ではギリシャ語が母国語であるが、ほとんどのところで英語が通じる。多くの国はバイリンガルであると言われているが、それを実感した。途中、アムステルダムの街にも寄ってみたが同じであった。
 英語帝国主義という言葉が思い浮かんできた。現在、英語国が世界に覇権を伸ばしている。それがいいことか悪いことかは別にして、事実としてそうだ。英語ができなければ話にならない、という分野が確実に広がっている。英語ができなければ世界から取り残されるだろう。現に、学問の世界では、多くは、英語で論文を書かなければならないし、英語で学会発表をしなければ認められない。(カメラの学校の先生だって、多くがアメリカ留学の体験を持っている。英語が自由にしゃべれ、外国へ撮影旅行に行く)
 アテネやエーゲ海の島々では、ホテルの従業員はもちろん、スーパー、コンビニ、レストランの店員、タクシーやバスの運転手、子どもがやっているバスの切符売りまで英語が話せる。
 アテネの街やレストランで、通行人や客たちから、「オー、ユー、アー、ジャパニーズ。キャン、ユー、スピーク、イングリッシュ?」と言って声をかけられた。
 片言しか話せない私は「ノー、アイ、キャン、ノット」と言って立ち去るより他、手はなかった。残念で仕方がない。
 アジアの国々を見ても、フィリピン、インド、シンガポール、香港などはすでにバイリンガルである。以前、中国を旅行したとき、漢方を研究して売っているところに連れて行かれたことがあるが、そこの漢方を調合している人は日本語が上手であった。彼らに聞くと、ここの研究員はすべて二カ国語を自由に話さなければ研究員になれないと言っていた。外国語の指導や習得の上手な中国ではその気になれば英語の話せる国民をつくることなど簡単であろう。
 例えば大阪駅の改札係に外人が英語で行き先を尋ねたら、上手に英語で答えられるだろうか。町中で外人から英語で道を聞かれたら多くの日本人は英語で説明できるであろうか。
 英語が上達する秘訣は同じ国民同士が英語で話し合うことだと、以前、アグネス・チャンさんが言っていた。香港ではそうしているらしい。
 最近、中学校や高校の英語教育の改善が叫ばれている。また、NOVAなどの英語学校が繁盛している。しかし、それだけでは駄目だろう。もし、本気で日本の英語教育を改善したいのなら、小学校で英語の基礎教育、中学校では英語の授業の他、他教科でも少しは英語で授業、高校では教科の半分、大学では、三分の二ぐらいは英語で授業。或いは、インドのように、英語で授業をする学校と日本語で授業をする学校とに分けるとか、もっと、抜本的な方策を講じる必要があるだろう。
 自衛隊を派遣して英語国の機嫌をとって、その一員に入れてもらおうとするより、日本人を英語ができる国民にしたほうがよほど彼らの一員として受け入れられるのではないか。今のままでは確実に世界から取り残されて行くだろうと心配する。
(最近、インドが、コンピューターを駆使して、アメリカの事務的な仕事を引き受けているという話をよく聞く。インドのコンピュータ産業が日本などよりもはるかに発達しているらしい。これは、インドの人件費が安いと言うだけではなく、やはり、英語が自由に操れるということが影響しているのではないか)

 楽しむためには日常を脱出しなければならないという考えがある。だから、海外旅行などがはやる。そういった楽しみ方も確かにある。特に、主婦の人たちには、日常の煩わしさから解放されて、のびのびしたいという思いが起こるのは無理がない。
 しかし、アテネの街をさまよいながら、本当に楽しんでいるのは、日常の中にいる人たちではないかと思った。
 夏の街は、広場や道路にはみ出しているレストランが大にぎわいだ。軽い飲み物を飲みながら人々は談笑している。彼らの多くは、おそらく現地の人たちだろう。彼らの表情を見ていると、実に楽しそうで生き生きしている。
 少し、格式のありそうなレストランやホテルのレストランを覗いてみると外国からの観光客らしき人たちが集っている。しかし、彼らの表情のどこかに硬さがある。心底リラックスしているという雰囲気がない。
 見知らぬ土地に来ると、確かに、見るもの聞くものが新鮮であり、驚きであり、感動がある。しかし、リラックスするという訳にはいかない。絶えず緊張が強いられる。100パーセント楽しむことだけに集中できない。
 日常のよさを日常の中にいると忘れている。健康な状態にいると健康のよさを忘れると同じように。気心の知れた仲間と行きつけの店で気楽に話し合うことのよさをわれわれはもっと自覚しなければならない。

「ところかわれば品かわる」とはよくいったものだ。日本にいるとめったにお目にかかれないようなものにお目にかかった。今回のトラベルで見たり、体験したりしたことを書きとめておきたい。
 ミコノス島では街の中心からホテルまではかなり距離があったのでバスに乗らなければならなかった。しかし、夕食を食べた後、帰ろうとして乗ったバスが、いく先の読みちがえから、別のところに行ってしまった。それに気づいて慌てて降りたところが、郊外で人家もほとんどない淋しい所だった。いったい如何にしたものかと迷っているところへタクシーがやって来た。手を挙げると近づいてきて、ドアを開けてくれた。ほっとしたが、そこにはすでに客が乗っている。しかし、お構いなしにわたしを乗せ、行き先も聞かずに走り出した。黙っていると、もとのバスのターミナルへ連れていってくれた。料金は別に折半するのではなく、二人から徴収する。乗る人がおれば運転手が得するという仕掛けである。少ないタクシーを有効利用するためか、安い運賃を確保しておくための方法か。しかし、人間の信頼関係に基づいた極めて合理的な方法だとつくづく感心した。
 同じく交通に関することで驚いたことがもう一つあった。それは、飛行機の乗り継ぎ場所であったオランダのスキーポール空港で六時間も待ち時間があったので、時間つぶしに近くにあるアムステルダム中央駅に行ってみることにした。七ユーロを使って往復切符を買い、十五分ほど乗ってセンター駅に着いた。豪壮な駅である。大きな寺院を思わせるような造りである。大きさは、天王寺の駅よりも大きいほどである。ただし、何処を眺めても改札などない。まったく巨大な店のようで、道路といけいけである。せっかく買った切符を見せる人はいない。第一、駅には駅員がいない。ところどころに掃除夫のおじさんがいるだけである。もちろん、切符売り場には数人の売り子がいるがそれだけである。駅の名前の連呼などもない。日曜日ということもあってか、乗客も少ない。まるで巨大な廃墟に来ているようであった。
 おそらく、切符は電車の中で車掌が見て回るのだろう。それに会わなければ、誰にも見せなくて済む。しかし、検札がやって来たとき切符を持っていなければ高額の罰金を払わされるのだろう。駐車違反みたいなものだ。しかし、これも、人件費の節約のためには合理的である。
 ミコノス島ではヌーディストビーチとして名高いスーパーパラダイスというところへ行ってきた。ボートに乗って行くのであるが、ボートはいくつかのビーチに立ち寄って行く。だから、ヌーディストビーチ以外のビーチの様子も分かったが、日本の海水浴場とは大きな違いがある。
 日本の海水浴場での主役は子どもや若者である。中年や老人の姿などほとんど見かけられない。中年が来ていると思うと、それは家族連れである。しかし、エーゲ海のビーチの主役は、若者と中年である。中には初老の人たちもいる。中年の比率は若者とほぼ拮抗する。
 子どももほんの少しはいるが少ない。きっと、子どもはプールへ行っているのだろう。しかも、彼らは泳ぎに来ているというより、海辺に寝そべりに来ている。多くはパラソルの下の長椅子に寝そべり本を読んだり雑誌をめくったりしている。ときどき、水浴びのように海に入り、また、寝そべる。リラックスするのが目的らしい。
 日本の海岸のようにうだるような暑さではない。日陰に入ればすがすがしい気分になれる。そういった気候も影響しているのだろうが、中年の人生の楽しみ方が違うのではないか。
 いくつかあるビーチの中でも最も人気があり、多くの人を集めているのはヌーディストビーチである。ヌーディストビーチといってもみんなが全裸でいるわけではない。多くは、パンツは付けている。しかし、ブラジャーをはずしている女性が多い。若い女の子も何の臆面もなくブラジャーをはずし寝そべっている。最初は「オー」っと思ったが、しばらくすると、そういう感覚がなくなった。不思議なものだ。街で半ば隠されている乳房を見るほうがよほどエロチックで、肌と同じようにこんがりと焼かれた健康的な乳房を見ていると、女性の滑らかな曲線の美しさは感じられるが、それ以上は何も感じなくなる。それもそうだ、われわれは女性の耳たぶを見たって何も感じない。乳房もそれと同じではないか。

 

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