編集後記

 最近の大学入試に小林秀雄が出題されない、という新聞記事が職場で話題になった。わたしが受験生であった頃は、「モーツアルト」「考えるヒント」など、こぞって読んだ気がする。小林秀雄は入試の定番だった。
「小林秀雄は印象批評やから、今は流行らんのやな」と先輩が言う。
 ん……? 印象批評って、批評のジャンルのひとつだったの……。わたしは、合評会で、きちんと作品が読み込めていないときの言い訳にしていたぞ。
 わたしの内心の焦りを看破してか、その先輩は、やおら文芸批評の歴史について語り始めた。前田愛「文学テクスト入門」とか、T・イーグルトン「文学とは何か」とか、聞いたこともない書物の名をすらすらと挙げてから、「でもこれはさっぱりわからん」と、のたまう。(なんや、わからんのか!)そして、文芸批評の入門書として、筒井康隆の「文学部唯野教授」を推薦してくれた。
「文学部唯野教授」は小説であるが、唯野教授の文芸批評論の講義の中味が、その半分を占めている。章立ても第一講「印象批評」に始まって、最終講「ポスト構造主義」で終わるといった具合だ。
 小説は面白く読めた。印象批評が、古今東西の書物に精通した、小林秀雄という人物にして、初めて可能ならしめる批評方法であるらしい、ということは、おぼろげにわかった。わたくしなんぞが、「印象批評」するのは、僭越なことであるようだ。
 が、しかし、「現象学」とは、「受容理論」とは、「記号論」とは、いったい何ぞや……?
 その先輩も結局は「なんや、ようわからん」と言うてはった……。批評はむつかしい。
 さて、今回、「印象批評ですが」の言い訳のできない、編集委員として参加した、「せる」66号。ベテラン、新人、常連の作品が出揃いました。
 石村さんは、長い沈黙を破って、実に四年目の「せる」デビューです。
「せる」にも次々と新人の加入がありました。新会員のみなさん、どうぞ早いうちにフレッシュな作品を引っさげて、「せる」に殴りこみをかけてください。
 しばらく書いておられない会員のみなさん、観客席で眠りこけていませんか? 起きてくださあーい!
 論より小説を。とにかく書こうと思う。書きつつ考えようと思う。あらゆる論をぶっ飛ばすほどの、力のこもった小説が、いつか書けたらなあ。(り)


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