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有馬記念は、ファン投票で出走馬が選定される中央競馬一年の総決算となる大レース。
2001年のこのレース、九月十一日にニューヨークで起きた鮮烈なテロ事件の舞台にちなむ馬名をもった二頭で決着、馬連馬券486倍の大荒れ。私は、優勝した馬から何点か高い配当の組み合わせを買っていたが、アメリカンボスという二着馬に私の競馬予想メソッドでは全く買い目がなく押さえていなかったため、歯噛みさせられた。
一年後の2002年の有馬記念も荒れた。本命馬が優勝したが、二着馬が無印だったので、馬連馬券148倍を超える配当になった。私は、この無印の馬から何点か買ったが、今度は、本命の馬をはずしたので、歯噛みさせられた。
無印だった二着の馬は、タップダンスシチー。競馬予想メソッドとは関係なく、ダンスという名前だけで選んだものだった。
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競馬予想は、馬の実績・調子体調・血統から推測する距離適性や潜在能力・レース展開・騎手のウデなどなど様々なファクターを総合して結論を導き出すのが思索のゲームとして楽しく、かつ、奥深いものがある。父から子へ、母から子へ、血が繋がっていくから、長く記憶に留めておくことで楽しみが倍加する。馬名は、記憶のキーである。
しかし、競争能力を左右するものでないので、予想のファクターとはならない。頭ではわかっていても、いろいろ検討した末にすべて御破算にして馬名だけで決めてしまうということもある。さらには、2001年の有馬記念のようにレース結果のウンチク話にもなる。
競馬法令で名付けのルールが定められ、商品広告を目的とするもの、悪ふざけとか認められないものもあるが、自由な発想でネーミングできるから、ユニークなものも多い。馬主の冠名(マイネル・サクラ・トーワ・ヤマニンなどなど)の後にチチ・ハハの名前の一部を使って命名するのも多い。人間でいえば、冠名は氏姓にあたる。
そんななかで、サラブレッドの名前がダンスに由来するものが、実はキリがない。
今年の桜花賞を楽勝したのはダンスインザムード。この馬のお姉さんはダンスパートナー、オークスを勝った。お兄さんはダンスインザダーク、菊花賞を勝った。これら三兄弟姉妹の母親は、ダンシングキイ。この家系、ダンスで繋がっている。
ダンシングキイの父親は、ニジンスキー。二十世紀初頭の偉大なバレエ・ダンサーの名前をパクった馬だが、この馬は、イギリスの三冠馬。競走馬として偉大で、かつ、種馬としても偉大。ダンサーである人間ニジンスキーよりも、歴史に残した足跡は、競争馬のニジンスキーの方が上かもしれない。
人間のニジンスキーは、ロシア出身のワスラフ・ニジンスキー(1890〜1950)。パリに出て、不世出の天才と謳われた。1912年「牧神の午後」のあまりに性的な振り付けで当時のヨーロッパでは不興を買い、次第にパトロンにも疎まれてしまったという。失意の彼を救った女性と結婚するが、これがパトロンの逆鱗に触れ、バレエ界から追放されてしまい、ニジンスキーは狂気の淵に落ちて行き、二度と回復しなかったと伝えられている。
「私は肉体に宿った神である」
その狂気の中で手記にしたためられた彼のキャッチ・コピーである。
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競馬をご存知ない方には、こんな話題、おもしろくないので、ここで、いったん停止。ダンサー、ニジンスキーがでてきたので次は、ダンスの話。
2001年夏に私はフィットネス・クラブに入会した。
押しもおされぬ「中年」である。さして太ってはいないが、若いときに胸についていた肉は、おへそのあたりにずり落ちていた。煙草プカプカのデスクワークばかりの二十数年、毎夜、酒かマージャン、毎週末はパチンコ・競馬。スポーツを何もしてない。そんな生活の積み重ねの末の生活習慣病罹患をきっかけにFC通いが始まった。
おそるおそる入門者むけエアロビクスなんぞに参加。「初めからできるわけないですから」「間違ったら笑ってごまかしましょう」とインストラクターさんのガイダンスに支えられて、継続して参加した。継続は力なり、半年も続けたころ、ふとももの筋肉にしっかりとしたハリとボリュームを実感できるようになった。
そんなおり「なんでもお試しだ」との気楽さからジャズダンスのレッスンに飛び込んだ。
流れるように体を動かす柔軟運動、更には延々と続く腹筋にフラフラ。肝心のダンスはいつになったら始まるやら、どうなっているのだろう。腕立て伏せして、さらに柔軟運動。自身の体の硬さを思い知らされる。まわりの方々の柔らかいこと。時間帯の最後の数分、なにやら振付けがあったが、チンプンカンプンで終了。
後頭部をガツンと打ちのめされたような感じでスタジオを出る。
これは、続けられるかな、中年のこの身では、もう取り返しはつかないか、ためらいはあったものの、チャーミングなインストラクターに惹かれたのが、ホンネの動機たる推進力となって、以後、日曜日午前中一時間のこのレッスンには、かかさず参加することになった。
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ジャズダンスといってもジャズという音楽と不即不離の関係にはない。ただし、アメリカ発祥のショービジネスの発展と深い関係がある。
初めて映画館で見た映画が、ウエストサイドストーリー。映画館を出ると、主人公のダンスを真似てスナップをきかせ指を鳴らし、足をふり挙げた。ウエストサイドストーリーなどのミュージカルの隆盛がバレエを土台とするダンスのバラエティを広げ、スキルを向上させた。
わが国でジャズダンスといえば、サラ金の武富士のコマーシャル、Won't you take my hand. For…で始まる曲に乗って十人ぐらいの女性ダンサーの肢体が「一糸乱れず」リズムを刻む振付けを思い浮かべる方が圧倒的である。エイトビートでワン、ツー、スリー、フォー、5、6、7、8。リズムを刻むのをカウントをとるという。テレビで流れているもので、ちょうど「フォー・エイト」32カウントたす余韻。
この程度のカウントのダンスができるようになるまでフィットネスクラブの一時間のレッスンの中で教えてくれる。回を数えるごとに、振付けが繋がるようになって、ダンスらしくなっていく。
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ダンスをかっこよく見せるには、カラダが柔らかいこと、そして軸がしっかりしていることである。さらにはインナーマッスルと呼ばれる、体幹部の筋肉が神経指令にコントロールされることが肝心なことで、六十分のレッスンの大半をストレッチすなわち筋伸ばしと腹筋・背筋の強化に費やしていることがわかり、その半端でないメソッドにカラダが満足していく日曜日となった。
そして一年あまりして、センセイが主宰するダンスグループの発表会にFCのチームで出場するに至った。2003年一月のことである、観客のいる舞台に立った。
それから一年あまりして、そして、また、発表会が企画された。チームが結成され、振付け特訓がスタート。
二週めの特訓が終了後、T子さんだけ部屋の外。フリの覚えのいいT子さんは、メンバーの中では小柄な方なので、前列でポジション取りすることが多く、フリ覚えの悪い私は、後ろの位置から彼女のフリを真似させてもらっていた。
残ったメンバー相手にセンセイが語りかける。
「皆さん、うすうす感じているでしょうが、T子さん、ココロの調子が崩れているので、あいさつをしないとかで皆さんを不愉快にさせるときがあるかもしれないけど、踊っていることで、いいほうに向かうかもしれないと思うので、皆さんの理解をお願いします」
言われて見ると、T子さんの表情は、面識ができた頃に比べると、確かに硬かった。私には、わからなかった事情ながら、女性相互では、かなりあつれきがあることを推察させられた。
センセイは、部屋の中に彼女を招き入れた。もどってきた彼女は、笑顔を作っていた。
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その日の京都競馬メーンレースは、きさらぎ賞。ダービーなどのクラシック・レースへの登竜門となるレース。すでに二勝・三勝している実績馬にまじって、新馬戦一戦一勝しただけの馬が出走していた。ハーツクライ号。「心の叫び」という名前にシンパシーを抱く。このレース三着に終るが、ゴール前の直線では一頭抜けた伸び足を示した。
「●きさらぎ賞回顧
テレビ観戦。パドックでは、本命ブラックタイドを観察。ほんとスペシャルウィークによく似た体型。薄手で手足が長くて、一頭規格が違うという見栄え。
通ごのみは、マイネルブルック。ブルードメアがムーンマッドネス。いかにもステイヤーでござい、という冷静な歩きさま。成績も常に上位争い。こういったタイプは、大崩れがない。
応援ハーツクライ。新馬勝ち直後の格上挑戦ながら そんなタメライを感じさせることなく堂々としている。
てな三頭で買った。勝ったのはマイネル二着ブラックタイド三着ハーツクライ。取った取った。が、ハーツクライを買いすぎて、ちょっと損。
皐月賞・ダービーは、マイネルブルック軸で安心。ブラックタイドは、秋、菊花賞期待と思われる。いずれにしろ、今年のクラシックは、ハーツクライと心中だ」(2004年2月15日
の日記)
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クラシックレース皐月賞は、外国人騎手が騎乗した伏兵馬が勝利した。ハーツクライは、きさらぎ賞のあと皐月賞優先出走権をかけたレースで狙いすましたように一勝を積み上げて皐月賞に駒を進めたが、レースの流れが先行馬有利の流れのせいもあり十四着に終る。
「●デムーロにしてやられた
皐月賞もちろんハーツクライからどっと買う。レースはダンスの練習で見なかった。デムーロ騎手、皐月賞二連覇の快挙」(2004年4月18日 の日記)
この頃発表会用の振付けが一通り伝授される。センセイ不在で、チームの自主練習が加わるようになる。
T子さんは、皆と関係なく、マイペース。チームワークという面では悪影響はなはだしいはずだが、覚えがいいので、全員で踊る分には、迷惑をかけることもない。振りに遅れたり、ステップを間違ったりしてチームに迷惑なのは、私を筆頭とする運動神経が「鈍い」方のメンバーである。鈍さを研ぐのに鍛錬が必要になる。
踊ることがココロの病の改善に繋がっていくのだろうか。
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皐月賞を惨敗したハーツクライは、五月八日京都競馬場のメーンレース京都新聞杯を制し、五月三十日のダービーに挑戦する資格を得た。
ジャズダンスの発表会は六月十二日。
ハーツクライが仮にダービーを制したとしても、T子さんのココロの病の改善と因果関係はないが、私のアタマでは、起承転結ができあがっている。
ココロの拘束から舞台の上でカラダが解放されるのである。
ダービーまであと十日。
ジャズダンスの発表会まであと二十三日。
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ハーツクライの血統。
父 サンデーサイレンス
母 アイリッシュダンス
アイリッシュダンスは、現役時代中央競馬で九勝を上げた。調べてみると、1995年の有馬記念に出走していた。十二番人気の十一着。これが引退レースとなっている。この馬の有馬記念の舞台でのレースぶりは、なぜか私の記憶にない。
アイリッシュダンス、アイルランド発祥のダンス。
映画タイタニックの中で、仕事を求めてアメリカ大陸に移民する二等船客たちによる船底での夜のパーティで踊られていたものである。
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