三十九度の発熱に見舞われた。ふらふらして我慢できなかったので仕事帰りに近くの病院へ駆け込んだ。相当あるだろうなと思っていたら三十九度。看護師からは、ああかわいそうと同情されてしまった。喉が真っ赤になっていてすぐに点滴を受けた。生まれて初めての点滴だったので何か劇的な変化が起こるんじゃないかと期待したが何もなかった。三日分の薬をもらったが、咳が止まらなかったのでさらに三日間薬を飲んだ。生まれて初めてといえば、デジタルの体温計を使ったのも初めてだった。家には未だに水銀入りの古いタイプのものしかなく、青い線がどこまで伸びるんだろうと心配しながら計っていたものだから、39.0Cというデジタル表示を見たときはあっけない気がした。計り終えた後、体温計を振って水銀を下げておくのがめんどうで、しかもけっこう力が要るのだが、そんなことをする必要はもうとっくになくなっていたのだ。今回は坐薬も処方された。冷蔵庫に入れておけば一年間は大丈夫、鎮痛剤としても使えますと説明を受けたが、やはり坐薬は使いにくい薬の代表格だろう。
熱が出ると当然頭の働きが鈍る。頭の働きが鈍るととたんに文字が読めなくなる。どんなにやさしい文章、たとえば子供の書いた詩や童謡の歌詞でも頭に入らない。小学校一年生の国語の教科書もだめだろう。無理に読んでみたところで意味が理解できず、ああそうですかと思うだけで感想も何もない。それでは読んだことにはならない。熱が出た時はやはりテレビがいい。普段ならくだらないと思う番組でも喜んで見ることができる。腹を立てたり情けなくなったりいらついたりせずに我慢強く見ることができる。逆にいつも楽しく見ている番組が見られない。まるでおもしろくないのだ。感覚が見事に逆転している。
どれだけ熱が出ていても読める小説。そんな小説があればすばらしいではないかと熱の体で考えていた。同人誌の仲間の小説はそれに近いかもしれない。たとえ三十九度の熱を押して読んだとしてもそれなりに感想は出てくるだろう。もっともその時は感覚が逆転しているから普段なら考えつかないようなユニークな感想が出てくるはずだ。
さて今回の三作品。それぞれに熱を帯びている。かなりの知恵熱の中で書かれたのかもしれない。そう、この知恵熱こそが創作の源なのだ。さすがに三十九度もいらないけれど。
(W)
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