『復活』を聴いて  益池 成和


 マーラーの交響曲第二番『復活』の楽譜には、作曲家の指示として「一楽章のあと少なくとも五分の休憩をとること」という一文が添えられてあるという。
 たしかに祭礼の音楽として意図されただけあって、重々しく、時に狂騒に満ちた内容だけに、著名な指揮者でもあったマーラーがそのような指示を書き込んだのも分からないではないが、同じ大阪フィルハーモニーによる八年ぶりの『復活』を聴いて、はからずも真っ先に思い浮かべたのは、この交響楽団の前の音楽監督であった朝比奈隆が、作曲者の意図通りに一楽章のタクトを置いたあと、指揮台の横の椅子に腰掛け、聴衆に背を向けたまましばらくじっとしていた姿であった。それが五分のながきに渡ったかどうかはあやしげだが、いかにも愚直なまでに楽譜第一主義を貫き通した朝比奈らしい態度だと言えよう。手元にあるこの曲のCDの解説文によると、問題の「五分の休憩」は、現在どちらかというと無視される傾向にあるらしい。
 その朝比奈隆から大阪フィルを受け継いだかたちの大植英次は、通常の短い間を取っただけで次の楽章に向かったものであった。
 新しい音楽監督を迎えてのはじめての演奏会で取りあげるには、マーラーの大曲『復活』はあまりにも出来過ぎた選曲であろう。が、肝腎の演奏そのものは、お披露目にふさわしいなかなかの出来映えであった。朝比奈の『復活』よりよかったのではないだろうか。
 二年前に死んだ朝比奈隆は、今の大阪フィルの前身である関西交響楽団を自ら創設し、死の一月前までその指揮台に立ち続けた希有の人である。ひとつの交響楽団とひとりの指揮者の関係としては、半世紀以上の長きに渡るという世界的にも前例のないもので、おそらくギネスにも掲載されているはずだ。
 指揮者朝比奈の音楽家としてのモットーは、「出来るだけ長く生きて、最後まで指揮台に立ち続ける」と言うことであった。まさしくこの人は、恩師のロシア人の指揮者から聴かされたというその言葉を実践して天寿を全うした。
 私は十年ほど前から朝比奈の振る大阪フィルの演奏会に足繁く通うようになった。当初は特別ファンという訳でもなかった。どちらかというと、今のうちに聴いておかなければ、という思いからであった。その時朝比奈はすでに八十を越えていた。
 朝比奈の指揮ぶりは無骨そのもので、高齢のせいもむろんあっただろうが、前を向きただ両手を上げ下げしているだけと言っていいもので、そこには派手さなどみじんも見られない。
 また手兵の大阪フィルの音も、無骨な指揮者にあわせたかのように、派手さもきらびやかさも感じ取れないものだった。外国のメジャーオーケストラにくらべればその差は歴然で、音の美しさもなければ鮮明さにも欠けていて、その演奏はいつもどこか重たげでさえあった。 
 ところがこのコンビで聴くベートーベンやブラームス、とりわけブルックナーの大曲となると、まさしく絶品と言いたくなるほどの満足感を与えてくれるのである。
 私はブルックナーの交響曲第八番が大好きで、大阪でこの曲の演奏会があると今も何をおいても駆けつける。ロリン・マゼール指揮のバイエルン放響も聴いたし、ゲルト・アルグレヒトとチェコ・フィルのコンビ、さらにはあのダニエル・バレンボイムとシカゴ交響楽団の演奏も、チケットの高さに悩まされながらも聴きに行った。
 だが、マゼールのものはむろんのこと、ウィーン・フィルに並び称される世界の名器シカゴのブル八でさえ、朝比奈の演奏には勝てなかった。私の記憶に残るブル八の演奏で、朝比奈隆より印象が強いのは、独特の音楽解釈と独自の演奏スタイルで知られた、チェルビルダッケの指揮したミュンフェン・フィルのブルックナーだけであった。
 さて、のっけからすばらしい演奏を見せつけた、まだ四十六歳の大植英次のほうである。この人の指揮ぶりはそんな前任者とはまったく異なっていた。
 私は今「見せつけた」という言葉をあえて使ったが、まさしく視覚にも訴えることの出来る指揮者であった。狂騒の場面では肩も抜けんばかりにせわしく両手を上げ下げし、優美なアンダンテ・モデラートの音楽に入ると、まるでひとりでダンスを踊っているかのように指揮台の上で全身を波打たせる。身体の向きもめまぐるしく変わり、時折かいま見えるその表情も、音楽にあわせて時に笑顔を覗かせているかと思うと、次の瞬間追いつめるような厳しさを見せつけ指示を与えているというような有様であった。
 気のせいか、大阪フィルの音色もかなり鮮明さをまし美しく響いていた印象で、居合わせた聴衆の歓迎ぶりは、かつての朝比奈隆に送ったものと決して見劣りするものではなかった。
 着任したばかりのこの新音楽監督は、報道によると、二年後のバイロイト音楽祭で、日本人ではじめて楽劇『トリスタンとイゾルデ』の指揮を任されるという。たしか、朝比奈隆は日本人ではじめてベルリン・フィルを振った指揮者のはずで、その意味では、大植も前任者の築いた道を歩いている、と言えなくもない。
 はたして天国の朝比奈隆は、大植英次の『復活』をどのような思いで聴いたのだろうか。 

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