先だって新聞の告知欄で、懐かしの活動大写真上映会という催しを知り出かけた。私は活動写真の時代は知らないから、機会があれば一度観てみたいと思っていた。
余談だが、私は趣味として一時SPレコードを集めたりしていた。
それもクラシックの名盤とかではなく、もっぱら大衆芸能を専門に蒐集した。戦前の流行歌から漫才浪曲に義太夫ありで、活弁も何枚か含まれていた。なかでも尾崎紅葉の(金色夜叉)などは何度も聞いて楽しんだものだが、阪神大震災の折に収納棚が倒れて大半が破損した。それ以来蒐集意欲を失ってしまい、辛うじて無傷で残っていたレコードも、最近になって置場に困り処分してしまった。
そんなわけで記事を見て、活弁が活動写真の説明であるからには、やはりスクリーンを観ながら実際に体験してみなければと大いに興味をそそられたのだ。
当日上映会の会場へ行くと、観客の大半が六十歳以上と思える人々であるのに僅かに失望した。時代の進化とともに消えていった大衆文化を、いまの若い人たちにも体験して貰いたい気がしたからだ。そんなことを考えている私の隣席に遅れてついたのは、三十歳前後とも思える若いカップルであった。改めて周囲を見渡すと、若年層も結構いるのに気をよくした。
上映が始まる頃には、席数三百の会場もほとんど埋まり、いよいよ活動写真の映写が始まった。スクリーンの脇には効果音を担当する和洋楽団が陣取っていて、意外なことにその楽士たちの若さにも驚いた。どうみても二十歳代くらいにしか見えないメンバーの容貌に、単に年配者好みのレトロな趣味だけではない雰囲気を感じた。
モノクロスタンダードの画面を説明する弁士による、大正から昭和初期の無声映画全盛時代を、そのままに再現してみせる催しである。
上映作品は、大河内傳次郎主演『血煙荒神山』と片岡千恵蔵の『赤垣源蔵、徳利の別れ』ともに一九三〇年前後の日活作品の二本立てだ。
七十五年もまえに製作されたフイルムはニュープリントとはいえ、無数の細かい傷による雨降り画面と、フイルム劣化によるチラツキの酷さはかなりのものだった。にもかかわらず上映が始まると、画面に合わせた和洋楽団の演奏と弁士の名調子、やがて剣戟場面に合わせた三味線と鳴り物によるチャンバラ伴奏とともに期せずして起こる拍手、私ばかりか場内は瞬く間に七十五年の昔にタイムスリップしていた。
そのうちに異変を感じたのは、休憩をはさんでの千恵蔵の『赤垣源蔵、徳利の別れ』のときであった。おりしも画面は、源蔵が討ち入りを前にして兄宅を訪ねてくるが、訪ねた兄は留守であった。普段の素行から腰抜け侍などの謗りを受けているのが禍して、兄嫁にも会って貰えず、さらにはその子供や下女からも疎んじられながら、せめても兄の羽織をまえにして今生最後の酒を献じるお馴染みの場面だ。
トランペットにピアノが奏でる哀調の調べ、忍び泣くサックスの音色、今宵の討ち入りを胸に秘めたる源蔵の涙のように、間合いをとって爪弾く三味の音、低くさざ波の如く打ち鳴らされる太鼓に弁士の語りは一段と冴え渡る。
そのうち、場内のあちこちで啜り上げる気配に気づいた。傍らの若いカップルはと、そっと窺えば青年の頬に涙の筋が光っている。そのうち彼女の方でも、さかんに目許にハンカチをあてている。あちこちで嗚咽が漏れ始めるのに誘発されて、こちらもこらえ切れずについには涙ボロボロ鼻水ズルズルの体たらくであった。
そして昔日の活動小屋も、きっとこのようなものであったろうと想像した。
私は毎月三回から四回は映画館へ足を運ぶ映画好きだが、近年このような状況にでくわしたことはない。ましてや観客一体となっての総泣きなど皆無だ。
上映が終わって明るくなった場内で、観客は涙のあとを隠そうともせず、退場する弁士と楽士に割れるような拍手をおくったのである。
知られすぎた筋書き、これまでに幾度となく演じられ、また映像化された場面。昭和の初期に手回しの撮影機で撮られ、狭いスクリーンに写し出される傷だらけの映像、それなのに、かくも観客を引き込んでしまうこの理由は何なのか。
忠臣蔵は日本のロマンである、だけではないだろう。明らかにこれは語りの魔術に違いない。文語体に詠嘆調まじりの決め文句、日本における映画の草創期に存在した活弁という大衆文化は、最新の技術を駆使した映像に馴らされた我々をも魅了してやまない。
またの機会があれば、こんどは是非とも新派で大悲恋ものを観たいものだ。和洋合奏団の演奏と弁士の名調子に誘われ、大いに涙するのも悪くはない。
|