去年の秋、アオ(シャムネコ 十二歳)とそっくりの子猫が庭に迷い込んできた。はじめはアオが庭で遊んでいるのかと思ったが、サイズが小さい。色柄はアオの小さいときとそっくりのシャムネコで、どこかの飼い猫に違いないと思ったのだが、人なれしていない。家の角から顔を出してこちらを伺っているのを見ると、本当にアオそっくりだ。
「アオの従弟がきょうもきてるよ」とアオにいうと、アオはいやそうにしていた。遊びにきた息子が、アオの従弟ならミドリだろうといったので、ミドリとよぶようになった。
餌を与えて見ると、用心深く様子をうかがって、近くに人のいないのを見すまして食べる。仕事をすっかり止めてしまった夫が退屈凌ぎに毎日餌をやっていると、そのうちに夫には安心して近づくようになった。長年飼っているアオは夫にはあまりなついていない。夫にだけなついてくるミドリを夫は猫かわいがりするようになった。
アオは違う猫が家に入ると嫉妬して、あちこちにおしっこをしたり、壁を引っかいてぼろぼろにしたりする。家にいれないで外猫にして飼おうということで私も妥協した。この地方はやがて雪の季節である。小さな猫小屋を木切れとプラスチックの波板でベランダに作った。猫小屋の周りは風が入らないように毛布で囲った。毎朝、毎晩、猫小屋にポケット懐炉を入れてやる。雪が積もると、ベランダの下と床下がミドリの運動場になった。アオが外に出ると、ミドリが飛び掛かって家の中に追い払う。ミドリが家に入るとアオが威嚇して追い出す。家の内外で二匹は住み分けていた。
三月、夜な夜な、近所の野良猫がやってくるようになった。ミドリの鳴き声が長く尾を引くように変ってきた。まずい。恋の季節になったのだ。夫はこんな子猫、妊娠なんかせえへんと言って、動物病院に連れていくのをためらっていたが、ミドリは気が荒くなり、家の中に我が物顔に入りこんで、アオを二階に追い上げる。ついにアオはトイレにも降りてこられなくなってしまった。二階の私の寝室にアオのトイレを作ってやると、アオはふてくされて、一日中私のベッドで寝ている。
「アオちゃん、かわいそうにねえ。お父さんはほんとに薄情なんだから」
私はアオだけを可愛がってやることにした。餌もアオには三百五十グラム二百九十五円の上等の餌を一・五キロ六00円のに混ぜてやる。ミドリには三キログラム四百五十円の餌にした。
心なしか、ミドリのお腹が膨れてきたような気がする。動物病院に電話して聞いて見ると、まず95%は妊娠していますという返事が返ってきた。猫屋敷にはしたくなかったから半信半疑の夫を説得して動物病院に連れていった。
「やっぱり妊娠してますねえ」
中絶手術と避妊手術を依頼して、二日間入院させた。引き取りに行くと獣医さんは鶉の卵より少し大きい、白い卵形の胎胞が四つ、真中でつながったものをガーゼにのせて見せてくれた。
「四匹いましたよ。あと一週間で生まれてましたね。猫は妊娠後四週間で生まれるんです。多い子は年四回妊娠しますよ。あっという間に猫屋敷ですね」
「ミドちゃん、かわいそうだったけど、間に合ってよかったね」私はまだぐったりしているミドリを抱いていった。ミドリもしんどいのか、いやがらずに抱かれていた。
ぐったりしたミドリをまだ寒い戸外に出すのはかわいそうで、二、三日は家の中においてやることにしたが、そのままミドリは家の中にいついてしまった。アオは二階の寝室の中、ミドリはそのほかの部屋を全部我が物顔に飛び回っていた。ときどき、アオはそうっと部屋を出て、足音を忍ばせて降りてくる。ミドリも妊娠していたときほど、果敢にアオを追い払わなくなった。
ミドリはもともと野良出身だから、外からもいろいろな獲物を持って帰る。蝶々、バッタ、トカゲ、カエル、野ネズミ、それに、どこからともなく手袋や靴下の片方を持ってくる。夫が脱ぎ捨てた靴下や軍手も片方ずつどこかへもって行かれた。ミドリが持って帰った小さな野ネズミに出会ったアオが血相を変えて二階に逃げ帰ったこともあった。
「アオ、あんたも猫やろ。こんな小さなネズミを怖がってどないすんの。ほんとに情けない子やね」
五月晴れのある朝、気持ちよく目を覚まして階下に下りてきた私は、ギャアーっと大声をあげた。血まみれの小さなネズミが部屋の中に転がっていた。よくみると鼻がとがっている。ネズミとは顔が全く違う。身長は十センチにも満たない。「アァー、モグラー」また大声をあげた。夫も「なんや、朝っぱらから大きな声で、うるさいな」と言いながら降りてきた。「捨ててー、捨ててー」こんなときぐらいは夫に頼るものだ。夫はモグラをベランダから川に向かって放り投げた。ピッチングがうまく決まって川まで飛んでいったのか、庭のラベンダーの茂みに落ちたのか、確かめに行く気もしなかった。
その日の昼下がり、ミドリは又、モグラを捕まえてきた。瀕死のモグラでしばらく遊んだ後、ミドリは外へ遊びに行ってしまった。又、夫はモグラを川に向かって放り投げた。翌日もまた、ミドリはモグラを生きたまま捕まえてきた。モグラはすばしっこくて、走りまわる。ふすまに駆け登ったのには驚いた。ソファーでも、カーテンでも縦横自由自在に駆けまわる。よほどすばしっこい、運動神経の発達したモグラなのだ。さすがのミドリもしばらく追い掛け回していたが、やがてあきらめてあそびに出かけた。モグラは食品棚の隅にもぐりこんだようだった。
「お父さん! モグラ捕まえてよ。家の中でモグラなんか飼ってられへんよ!」私はわめいたが、夫は「ミドリが捕まえられへんもん、ぼくに捕まえられるか」と知らん顔をしている。私は棒を持ってあちこち突っついて追い出そうとしたが、どこにいるのか、さっぱりわからない。しばらく無駄な努力をした後、「知らん間に外に逃げていったのかもしれへんね」と納得してあきらめることにした。
しかし、その日から、どこからともしれず、ごそごそと音がする。まだ、モグラが住みついてるんやと思ったが、音をたよりに棒でつついても出てこない。何となくけものくさい匂いもする。ときどき気になってあちこち探しまくるが、やはり見つからない。探し始めると音はやんでしまう。
六月に入って、夫の友人の亀ちゃんが夫婦で遊びにきた。吹田に住んでいた頃近所だったので、私も奥さんと親しくなっていた。夕ご飯の支度を二人でしながらモグラの話をした。すると、奥さんが「アッ、モグラーッ」と叫ぶ。冗談で驚かそうとしたのだと思ったが、冷蔵庫の下を指差して、「そこからモグラが出てきた」と言う。「モグラが出てきて、猫の餌を一つ抱えて冷蔵庫の下に潜ったんやでーッ」冷蔵庫の横は猫の餌場になっていて、ミドリの餌や、水が置いてある。ミルク用の小さなお皿も置いてある。二人でそのまま息を殺してしばらくみていた。やがて、また、小さなとがった顔が見えた。すばやく猫の餌を一つとって冷蔵庫の下に消えた。
「いたねえ」なんだか嬉しくなった。「かわいいやんか」二人で顔を見合わせた。
夫たちに報告すると、亀ちゃんはちょっと興味を示した。
「アオとミドリがおって、モグラの名前はなんや。チャイロか」
「はよ、飯にせいや」と無関心なのは私の夫。
亀ちゃん夫妻が帰ったあと、何度もモグラ追い出し作戦を実施したが、どうしてもモグラは出ていかない。モグラはときどき姿を見せて、両手をボウルに掛けてよじ登り、水を飲んでいたり、ミルクの容器にとがった口を突っ込んで飲んでいるのも見た。しかし、すばしっこくて、捕まらない。困った私は、ついにパソコンでどうすればモグラを捕まえられるか、調べて見ることにした。いつも利用しているニフティのフォーラムを調べて、自然観察フォーラムの哺乳動物の部屋を利用することにした。書きこむとすぐに返事があった。
とらねこさん、こんにちは。(とらねこは私のハンドルネーム)
ご質問の答えとは全く関係ないのですが、モグラではなくてトガリネズミの仲間かと思います。モグラは大きな手をしていて、手が外側を向いてますので、襖を登るとは思えませんので。
オオコウモリ
また、こういうレスポンスもあった。
私は十年ぐらい前に、印旛沼近くの自宅の庭でトガリネズミを見ました。やはり、当時飼っていた猫が捕まえたものだったと思います。手元の本で見てみると、トガリネズミは北海道や北方領土にはいろんな種類がいますが、それ以外では種類は少ないようですね。手元の本によれば、兵庫県の北で見かける可能性のある種類は、バイカルトガリネズミだそうです。お住まいが、豊岡や城崎でなく、もっと西なら、ここ数年間あるいは十年程度の間に、分布が西に広がったと言えそうです。
トガリネズミ! そんな動物がいるということも知らなかった。しかし、トガリネズミの捕まえ方はわからない。ところが、思いがけず、トガリネズミが自分で解決してくれた。空き缶を入れてある箱に自分から入りこんで出られなくなったのだ。私はホッとして、箱を庭に持ち出してひっくり返した。トガリネズミはすばやく草むらに消えていった。
やれやれとホッとすると急にトガリネズミに対する興味が涌いてきて、Yahooで検索してみた。
1.トガリネズミは食虫目トガリネズミ科 日本にはホンシュウトガリネズミ、エゾトガリネズミ、シコクトガリネズミなどがいる。氷河期の生き残り種。絶滅危惧種。
2.生態はよくわかっていないが、一度に五、六匹の子供を生み、母トガリネズミが巣の外に出てくるとき、子供たちはそれぞれが一匹前にいる兄弟のしっぽを噛みながら母親の後ろに並ぶ。(キャラバン行動)
3.頭胴長6p、尾長4〜5p、体重8〜9g程度の極小サイズである。
4.地表の落葉層、蘚苔類層中やモグラのトンネルなどを利用して行動し、2〜3時間おきに採食と休眠を繰り返している。おもな餌はミミズや小昆虫である。
写真を見ると、間違いなく我が家のモグラだ。絶滅危惧種だったのだ。それだのに、ミドリは二匹も殺してしまった。しまった。箱の中にいるときに捕まえて写真を撮っておけばよかった。しかし、あれは、レスポンスにあるバイカルトガリネズミなのだろうか。それともホンシュウトガリネズミなのだろうか。
七月にはいって、「広報たけの」を見ていると、本庄四郎さんがシュノーケルセンターの所長になられたと出ていた。本庄さんは、朝日新聞の但馬版などに但馬の生物について書いておられる、この地方でちょっと有名なナチュラリストだ。早速メールで問い合わせて見た。
興味深いトガリネズミの情報を およせくださり、ありがとうございます。
さて、お宅の優秀な狩猟猫ミドリちゃんの獲物、すごいですね。
ひょっとして黒猫?ぼくんちにも昔、チャリオという黒猫がいまして、いろんな獲物を狩って帰ってはこれみよがしに置いていきました。
これは猫の「認めてほしい」行為なのだそうです。
さて、バイカルトガリネズミはいまのところ択捉、国後、北海道のみでそれ以外では未記録です。
ただ遺伝子レベルでの論争があり、本州のものもバイカルトガリネズミに扱う外国の学者もいますが、私の手もとの文献(食 虫類の自然史のなかの子安和弘 著の日本産トガリネズミ亜科の 自然史(1998)では別種とされています。
竹野町でのトガリネズミの記録は我が家の猫が生前捕獲してきた記録があるにはあるのですが 標本が残っていないのでなんともいえません。
もしミドリちゃんが今後いろんな動物を捕獲してきたら80%エチルアルコールに保存しておいていただけませんか?
ジャムびんかインスタントコーヒーの空き瓶で十分です。アルコールは薬局の消毒用アルコール(800円?)がおすすめです。
ネズミ類は頭部だけでも同定可能ですので、よろしくお願いします。
翌日、手回しよく薬局に行って、消毒用アルコールを買ってきた。生きたまま捕獲したときのために、虫かごも飼った。ミドリにはよくよくいって聞かせた。「殺したらあかんよ。そうっとくわえて連れておいで」
しかしミドリは知らん顔をしている。興味がなくなったのだろうか。暑くて狩猟をする気分になれないのだろうか。
夏休みは息子達や友人たちが家族連れでつぎつぎと我が家に滞在した。野良出身のミドリは他人が家にいると外に出かけて家に帰ってこない。アオは家猫なので、人間を少しも怖がらない。ミドリの留守に階下にも平気で下りてくるようになった。二匹は顔を会わせるとフーッと威嚇しあっているが、夜は私のベッドにアオが、夫のベッドにミドリが並んで平和に寝ている。ミドリは二階のアオの餌ばかり食べている。
アオは嫌いなやつを連れてきた夫をいまだに許していない。夫の布のバッグが床に置いてあるのをみつけると、オシッコを引っ掛ける。そのたびに私はバッグを洗い、床を拭いて消毒する。
「アオちゃん、お父さんのバッグを目の敵にしても、掃除するのはお母さんやねんで。ええかげんにしいや」
「ミドちゃん、トガリネズミはどないしたん? はよ、さがしてこんかいな」
アオもミドリも「そんなん知らんわ」という顔をしている。
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