スクーバダイビングを始めて、かれこれ十年になる。最初のうちは自分の肺で浮力を調整することができず、水中移動もままならなかったが、だんだんコツが飲み込めてくると、自在に自分の体をコントロールできるようになる。そうなると水中にいるのが楽しくなって、魚やサンゴなどをじっくり見る余裕も生まれてくる。
水中写真を撮り始めたのは、魚の名前を覚えたいと思ったのがきっかけだった。水中でガイドがボードに名前を書いて教えてくれたりするが、海から上がるとすぐに忘れてしまう。後でガイドに名前を訊こうと思っても、どういう魚だったか形や色などを説明するのに窮することが多い。水中ではダイビングをしているという緊張感が絶えずあるため、陸上よりも意識を集中することができない。そのため覚えたつもりでも、あまり覚えていないのだ。 それで最初は、使い切りカメラをポリカーボネイト製のハウジングに入れて撮っていたが、フィルムの枠の中に魚がうまく収まらない。頭が切れたり、尾ひれが切れたりする。ピントも合っているような、いないような。やはり安い道具ではそれなりの写真しか撮れない。 そこでニコノスXという水中写真専用機を買った。ちきんと枠の中に収まるようになったし、シャープに撮れる。そうなると、魚の名前を覚えるだけでは物足らなくなり、カッコイイ写真を撮りたくなってくる。ワイドレンズを買い、水中景観を被写体にし出した。それで何年か精を出したが、水中景観というのは透明度がよくないと、きれいではない。透明度が悪くてもそこそこ見られる写真となると、小さいものを狙うしかない。小さいものを近づいて撮ると、透明度は大して影響しなくなる。 というわけで、最近はマクロレンズをつけた一眼レフカメラをハウジングに入れて、もっぱら一センチから二十センチくらいの生物を撮っている。 プロの撮った写真を見ると、一見何でもないようなものでも感心することがある。撮る側から見ているのだ。優れた写真には、被写体を超えてそこに表現したいものがある。海の荒々しさとか、生命の躍動感とか、環境破壊の深刻さとか。写真とは、真を写すのではなく、光と被写体を使って何かを表現することだ、と言われているが、それを意図してできるようになると、プロと呼ばれるのだろう。私のようなアマチュアは偶然を期待して、数多く撮るしかない。 さて、今号は区切りの号なので、全員参加をお願いした。バラエティに富んだエッセイは、作者の顔が浮かんできてそれぞれ面白く、読み応えもある。 (洋)
|