同行ふたり   林 さぶろう


 奴が初めて我が家へやって来たのは、かれこれ十二年もまえのことになる。就職したばかりの娘が、初めての給料日に一匹の子猫を連れ帰った。牡猫でなんでも、十万いくらの価格であるのを、四万円もの値引きをして貰ったと得意げだ。
「馬鹿、猫ごときを、わざわざゼニまで払て買うてくる奴があるか」
 私は、即座に大変な剣幕で娘を叱りつけた。かたや娘も負けてはいず、この猫の親はコンクールで優勝したほどのいい血統だの、その昔クレオパトラも飼っていた種類の猫だとか御託をならべたてた。
 そのころの私には、猫にしろ、犬にしろ身銭を切ってまで買う代物という認識はなかった。飼い犬、飼い猫などというものは、すでに飼っている家から、子を産んだときに貰い受けるか、処置に困って捨てられているのを、憐憫の情をもって拾ってくるかなのだ。たまたまペットショップの店頭において、ゲージに入れられた彼らをみても、あれはカネのある連中を対象にしたもので、我らのように日々つましく暮らしている輩には、無縁のものだと承知していたのだ。
「お店のセンセイが、これ以上大きくなったら売れにくくなるから値下げをする、言いはったから、そんなら私に譲ってください言うたんや、もし売れ残ってしもたら可哀想やん」
 娘はだんだん涙声になって、猫を連れ帰ってきた言い訳をする。要するに、娘は体よく価値がさがる一方の、売れ残り商品を買わされてきたのだ。まったく酷い雇い主も居たもんだと、ますます腹が立った。
 娘は、春からペットショップに勤め出したところであった。大学を出たと思ったら、片親ではいい就職口がないからと、さらにトリマーの技術を習得するから学費を出してくれと言った。まだこのうえ学費かと溜息をつきながらも、親の負い目から要望を受け入れた。しかし、家にまで猫を連れ込むなど考えもしなかっただけに、ペットは飼わないと、念書でも書かせておけばよかったと悔やまれた。
 自分の子供のころには、家で飼っていた兎や鶏、山羊の世話を散々やらされたが、その時の辟易した思いがいまだにあって、身近に動物を飼育すること自体を嫌悪していた。ともすれば、犬猫を飼っている家を訪問するのも敬遠しがちで、やむを得ず訪問するときには、一種の決意が要った。家に入ったときのあの独特の匂いや、動物の毛が付着するのが嫌でたまらず、いつも早々に退散するのであった。
 そんな私に対して、娘は絶対に迷惑をかけないからと約束をした。私も世の父親らの例にもれず、娘に対してはことのほか弱い。しぶしぶ猫を飼うことを承諾した。但し娘の部屋から、できるかぎり外へ出さない事を付帯条件にした。大邸宅ならまだしも、マッチ箱のような我が家において、それは最大の嫌味でしかなかったが、私はあえて娘に情はかけなかった。それどころか、その昔、猫又といって尻尾の先が二つに分かれた化け猫がいたらしいとか、自分の若い頃には、怪猫鍋島騒動をはじめ、様々な化け猫映画が流行った。猫には魔性があるのだ、などと憎まれ口を散々たたいた。
 ともかく娘はそれ以来、嫁ぎ行くまでの十一年間、四畳半の自室において、もっぱら座敷牢なみの環境で奴を飼い続けた。一方の私はその間、奴を無視し続けた。アインというのが娘のつけた奴の名前だが、十一年間いちども私は、その名前をくちにしたことはなかった。尤も我が家へ来たときに、すぐに去勢をしたため、交尾期における悲惨なまでの状況を目にすることはなかったが、奴を叱るときも、悪さをして娘に苦言を呈する折りにも、単にネコで通した。
 ところが一昨年のこと、そんな我が家における私と奴との関係が、激変する出来事がおこった。娘が嫁にいってしまったのだ。しかも飼い主であるはずの娘は、奴を置いていってしまったのだ。理由は、亭主になる男が、大の猫嫌いだったからだ。親の猫嫌いにはごり押しで承伏させておきながら、惚れた男のまえには簡単に云うなりになる娘の身勝手さに、私は当然の如く激怒した。
 自分の女が飼う愛猫さへ手放さす、そんな思いやりのない男なら先が見えている、いまのうちに別れてしまえ。だいたいおまえも何だ、男の言いなりになりやがって。私は娘に散々の悪態をついた。
 実のところ婿は何でも娘の言いなりで、義父の私でさえも歯痒くなるくらいな、マスオさん現象の男なのだ。それなのに猫を飼う事だけは、頑として首をたてに振らなかったらしい。
「猫の方から人間の機嫌をとってきたりしないから、なつくまではこちらから合わせてやるんよ」
 娘は長年飼った愛猫を、一方的に私に押しつけて家を出ていった。翌日から、私と奴との何とも奇妙な暮らしが始まった。これまで無視しあってきたもの同士が、嫌でも顔を突き合わせ、互いの存在を認め合わねばならぬのだ。当初、それは何とも形容しがたい気まずさをともなった。それは奴もおなじであるらしく、昼間は娘の居た部屋に閉じこもったきり一度も顔を見せない。奴と顔を合わせないまま一週間が経った。それでも相手が生き物である以上、こちらは餌をやらないわけにはいかない。買い置きのキャットフードを、娘から言い付けられていた通りに、キッチンの床に水入れと一緒に置いておいた。しかし、奴が餌を食っているところを、目撃することはなかった。それでも、朝方みると餌は確実に食べ尽くされ、水も減っていた。ある真夜中、就寝中にふと目覚めて、キッチンで奴が餌を食っている気配がした。そーっと様子を見に忍び寄ると、暗がりに緑色の目がこちらをむいた。一瞬、奴は素早く身を翻して、娘の居た部屋へと姿を消した。
 そのうち、家中に異臭が鼻をつきだした。堪らずに奴のいる部屋の襖を開け、思わず顔をしかめた。中へ入ってみて悪臭のみなもとは、長きにわたり奴が使うトイレの始末を、放ったらかしにしていたのが原因だった。半分は腹を立てながら、それでもなんとか砂の入れ替えをした。そのあいだも、奴は布団に潜り込んだままで顔さえ見せなかった。
 十日余りが経ち、新婚旅行から戻った娘は、気がかりだったとみえ、家に来るなり「どう、仲良うやってる」と私の反応を確かめるように尋ねたが、返答のしようがなかった。元の飼い主に久し振りに会い、大喜びでじゃれつく奴を抱きあげ「意地はってんと、お父さんと仲良うせな、あんた生きていかれへんねんでぇ」娘は懇々と諭していた。
「こんど犬を飼うことにしてん。雑種やけど捨てられてた可哀想な子やねんて、日曜日にボランティアのひとが連れてくるんやけど、見にくるう」
 娘は帰り際に、思い出したように言った。よく言うよ、亭主に言われるままに奴を捨てていきやがったくせに、憮然とする私に娘は言い訳がましく「あのひと、猫は嫌いでも犬は好きやねんて」と付け加えた。なんちゅう勝手な理屈や。飼い主の都合で置き去りにされた奴に、心の内で少なからず同情した。
 そうこうするうちに、奴も観念したのか私の居る部屋にも、ひょこんと姿を現したりした。しかし、こちらが奴の好物である生クリームのケーキなどを持ち、これみよがしに奴の名を呼んでも、背中を丸めて警戒の眼差しをむけるだけで、決して寄って来ようとはしなかった。ところがまもなく、そんな互いのぎこちない間柄を、決定的に変える事件が起こった。
 それは、ある夜のことだった。鼻歌まじりで、自分の食う夕食の支度をしていた私は、先ほど焼いてテーブルのうえに置いたはずの、ホッケの干物が消えているのに気付いた。空っぽの皿を睨んで、咄嗟に私は奴の仕業だと思った。奴の立て籠もっている部屋の襖が、一〇センチばかり開いている。部屋のなかへ踏み込むと、案の定、奴は床に横たわる焼きたてのホッケを前足で押さえ、侵入者の私に対して毛を逆立て唸りを発して威嚇した。
「わかった、わかった、一緒に食おうやないか」とかなんとか言いながら、ホッケを取り上げるべく手を伸ばした途端だった。「ウギャァ」奴の左前足が私に向かって伸びた。思わぬ逆襲に一瞬こちらが怯んだ隙に、奴は素早くホッケをくわえて、ベッドの下へもぐり込んだ。
 こちらも負けずと、取り返そうとするが、ベッドと床との隙間は、十五センチほどしかない。掃除機の吸い込みパイプやら、孫の手やらそこいらの目につくモノを、手当たり次第に持ち奪還を試みるが、うまくいかない。くそっ、こんなベッド、娘がでていった時点で、さっさと大型ゴミに処分しておくべきだった、などと愚痴りながら腹がたつものの、奴に対する攻略は手詰まりの状態だ。気付くと、こちらの敗北の証でもあるように、こめかみのあたりから頬にかけて血が滴り伝った。
 そうか、それならばホッケはくれてやろう。そのかわり明日から、兵糧責めにしてやる。そう決めてホッケの奪還を諦め、キッチンまで引き返した。そこで何気なく奴の餌入れ容器を見て、ここ二日間ばかり何も与えていないことに、はたと気付いた。他の雑事に気を奪われていたのと、悪いことには一晩ばかり外泊をしたこともかさなり、奴に食わせることなどすっかり忘れてしまっていたのだ。
 おもえば外出から戻って来たとき、キッチンのテーブルの上が散らかっていたし、ゴミ袋も荒らしたあとがあった。奴が風呂場から出てきたのも、洗面器の底に残った水を飲みにいっていたのに違いない。空っぽの水入れを眺めて、奴がホッケを奪ったのも、私に対する抗議と、生き延びるためのせっぱ詰まった行動に他ならなかったかと気付いた。
 私は部屋の襖を開け放ち、テーブルの傍らに山盛りのキャットフードを置いて、これみよがしに食事を始めた。がさりと音がして、ホッケをくわえて奴が部屋へ入ってきた。もくろみは、まさに的中した。奴はそばへ寄って来て、くわえたホッケを床の上に置くと、次の瞬間に私の膝へ飛び乗った。これはまったく予期せぬ行動だった。なんだ、奴も結局は寂しかったのか。
「かんにんやでぇ、せやけど、おまえも我を張りすぎと違うか」
 私は語りかけ、初めて奴の頭を撫でながら、顔を覗き込んだ。大きく見開かれたビー玉みたいな瞳に滴がたまり、目尻の毛を濡らしている。それは明らかに涙だった。奴は生きるがために猫の誇りを捨てて、私に従順であろうとしたのだ。涙は、その不本意の証に違いない。
 それなのに私ときたら、心のどこかで、奴を屈服させようとしていたのだ。うっかりとはゆえ、奴を兵糧責めにまでしたのは何よりの証拠だ。なんという姑息で卑怯な人間なのか、私は自らの傲慢さを、大いに恥じ入った。
 そのあとはもう、言わずとも知れた場面展開となる。まず、奴が床上を引きずりまわしたために、ホッケに付着した埃と奴の抜け毛を、ガムテープで丹念に取り除き、仲良く分け合って食した。
 さらに私の飲むビールグラスに、奴はいきなり前足の片方を突っ込み、ビールで濡れた足を舐めだした。なんだ、おまえいけるくちなのか、そのグラスを奴にまわし、新たなグラスにビールを注ぐと改めて奴と乾杯をした。どちらも置き去りにされたもの同士、こうなれば気が合うのも早い。ひとりといっぴきの酒宴は盛り上がり、夜更けまで続いた。
 その夜から、私はかつて娘が寝ていたベッドで寝ることにした。奴は寝床を奪われても、別段怒りもせずに、足元の布団の上にまるまって寝ていた。
 それからというもの、自分の飯をあとにしても、私が奴の餌を与えるのを忘れたりすることは決してなかった。トイレ砂の交換もまめにしてやり、初めてペットショップへいって、奴のためにマタタビやジャーキーなど、好きそうなものを買ってきたりした。奴もまた、私をまんざら悪い奴でもなさそうだと認識したのか、次第に寄ってくるようになり、気がむけば膝上にひょいとのってくるまでになった。
 そうなると、これまで疎ましいだけの存在であった奴が、妙に可愛くなってくる。私が外出するときには、足元にまとわりついて見送り、戻ってくると、奴は待ちわびていたのか、玄関まで飛び出してくる。私が出かけるときの、奴の寂しげな表情に後ろ髪を引かれ、夜ごと飲みに出歩いていたのが、次第に外出を控えるようになった。
 ある晩、遅くなって家に戻ってくると、キッチンの床に吐瀉物があった。見ると部屋のあちこちに、嘔吐のあとがあった。いつもなら、玄関まで飛び出してくる奴の姿が見えない。寝室へいきベッドの布団をめくると、奴はわずかに頭をもたげて私を見上げ、かすかに啼いた。そこにも吐瀉物があり、一目みて私は奴の異変に気づいた。
 慌てて奴の名をいくどか呼んでみたものの、どうしてよいのか私は完全に狼狽えていた。そうだ、こうしている場合ではない。医者へ連れて行かねば、獣医はどこへ行けばよいのか。私は娘に電話をかけると奴の容態を話し、かかりつけの獣医はどこかと尋ねた。
 もうこの時間では普通の診療を終えているから、夜間診療の獣医院を、タウンページで探せと言う。娘の突き放した言い方に、腹が立つより泣き出しそうだった。
 時計を見ると十時過ぎだ。奴を膝掛け毛布でくるんで抱きかかえ、タクシー無線で知り合いの乗務するタクシーを指名をして待った。知らないドライバーだと、ペットを連れての乗車を断られはしないかと危惧したのだ。
 Sペットクリニックと書かれた表の電光看板がやたら眩い獣医院に着くと、犬を連れた先客が二組いた。容体が異常だからすぐに診てくれ、と言うと、受付の若い女が「わかりました、すぐにお呼びしますから」と、おろおろする私に笑顔で応対した。相手の気持ちを考えんかい、こんなときに、笑顔はいらんのじゃ。気は焦るが、待合室でベンチにかけて待つほかない。五分ばかりして呼ばれ、奴を連れて診察室へ入ると、顔写真を撮るからいい顔してと、くだんの女がデジカメを構えた。冗談いうな、一刻も急を要するのに、なにがいい顔をしてだ。怒鳴りつけたいのを堪えて、奴の顔を無理矢理支えて撮らせた。奴は苦し紛れに、私の腕に爪を立てて低く呻った。
 写真を撮ると、ふたたび診察室を出て待てと言われた。早く診てくれるのと違うのか、奴にもしものことがあったら、どうしてくれる。苛々がつのった。
 さらに待つこと二〇分、診察の結果は点滴と入院が必要となった。
「老猫ですから、塩分を含んだものや人とおなじ食い物を、絶対に与えないようにしてください。上手に飼えば、いまは十五、六年ぐらいは生きられますから」
 獣医は奴の頭を撫でながら、飼い主の私に対して忠告した。ビールも駄目ですかとは、切り出せなかった。
 ペットの診療代は、いうまでもなく全額患者側負担だし、そのうえ医院によっては治療代金もまちまちらしい。が、例えいくらかかろうとも、奴を死なせるわけにはいかない。
 結局初診料込みで四万七千円也を払ったが、これで奴が元気になるならばと納得をした。帰りぎわ受付で渡された診察券に、先ほど撮った奴の顔写真が焼き付けられていた。奴の苦悶の表情を見て、このために瀕死の患者にポーズまでとらせようとしたのかと、改めて腹立ちを覚えた。同時に奴が、アビシニアンという種類の洋猫だとも知った。
「アビシニアンは性格が荒っぽいんだけど、この子はおとなしいわねぇ」
 愛想のつもりなのか女の言葉に、入院するほど衰弱しているというのに、元気がなくて当然だろう。そのとぼけ具合に、怒る気もしなかった。

 それから三日のあいだ、奴は入院をした。私はその間ずっと、奴と面会をするためにペットクリニックへ通った。病室へ入れば奴の居るケージのまえに、時間の許す限り何時間でも居て「おい、はやくようなれよ、退院したらパーッと祝いをしょうな」てな調子で延々と奴に語りかけた。
「退院日はこちらからお知らせしますから、もうお引き取りください」
 例の受付嬢が顔を出し、うんざりした顔をして言った。けれども、こちらにはそうしないではおれないわけがあった。
 慌てふためいてペットクリニックへ駆け込んだあの夜のこと、入院をすることになった奴を残して、私はひとりで帰宅した。そこで改めて部屋の中を見まわして、キッチンのテーブルの下からカワハギの薫製が入っていた空袋を見つけた。前夜の夕食時に、ビールのつまみとして封を切ったものだった。たしか一枚を奴と分け合って食べ、あとはそのまま放置したままだったのだ。奴は私の留守中に、カワハギの薫製を残らず食い尽くしてしまったのだ。酒宴の後片づけをつい忘れたうかつさに、私は後悔をした。勿論、このことは獣医にも、娘にも黙っていた。
 その騒動があってから、私と奴の食い物をハッキリと区別した。間違ってもホッケや鰺の開きを、分け合って食うなどはしなくなった。奴には出来る限り長生きをして貰わねばと、心を鬼にして獣医の忠告を実践した。
 奴が退院して来た夜、ふたりで祝宴を開いた。祝い酒に酔いしれたあと、ベッドへ倒れ込むようにしてウトウトしかけていると、顔のあたりがもぞもぞとこそばゆい。こ煩く思い薄目をあけると、緑色に光る目玉が私の目のなかに飛び込むほどの至近距離にあった。鼻の頭にざらりとした感触がした。奴が舐めたのだ。奴はそれからも盛んに喉を鳴らし、こちらの頬やくちもとに鼻を押しつけては、さらに顔中を舐めまくった。わかった、もういい、とばかりにかけ布団を少しもたげると、奴はすかさず潜り込んできて、私の懐に抱かれるような状態で寝そべった。
 私はゆっくりと、奴を抱きしめた。この広い世間の片隅で、私と奴がこうして暮らしていることを思うだけで、なぜか涙がとめどもなく溢れた。

「アインも、歳とったなぁ」
 週に一度は里帰りする娘が、奴を膝において呟いたとき、正直いって私はドキリとした。近ごろ、日なたぼっこをしている奴の後ろ姿を何気なく見るにつけ、まるみをおびてしなやかだった体形に、骨の出っ張りが目につきだした。ひところからすれば艶やかさの失われつつある褐色の毛並みに、奴の老いを確実に見てとっていたからだ。
 獣医の言葉通り、猫の寿命が一五、六年だとすると、奴はあと四、五年でこの世を去ることになる。となると、その時のことを考えておかねばなるまい。奴の遺骸を保健所に引き取らせるなど、言語道断だ。ペット専門の火葬の出前があるらしいが、あまりにも情緒がなさすぎる。できることなら、ちゃんとしたところで埋葬してやりたい。
 このころ、私は動物霊園のパンフを取り寄せるだけでは飽きたらず、現地へ足を運んだりした。明るくて景色がよく、かつ、いつでも出向くことが可能なように、利便にかなったところがよい。ペット対象といえども、それは人様相手のモノを凌ぐ高価な買い物だったが、躊躇することなく、自分の老後資金のなかから、いくらかの購入費を捻出することにしていた。
 そうこうするうちに、私は死後も奴と共にありたいと思うようになった。奴の遺骨を、郷里にある父祖伝来の墓地に埋葬しようと思いたち、娘に相談をしたところ、先祖の墓に飼い猫を埋葬するなど、まず菩提寺が認めるわけがないと、にべもない返事だった。それならばと、別に墓地を購入するから、自分が死んだら奴の遺骨と一緒に納めてくれと、改めて娘に申し立てた。
「人間と動物を一緒のお墓に入れるなんて、聞いたことないわ。どうかしてるのと違う」
 もと愛猫家の娘は、呆れを通り越して私の精神状態を疑った。
 かねてから私は、ひとつの思いがあった。それは将来において、自分が同人誌の集まりに出かけるのさえも体力的に困難になったそのときには、多少なりとも文学にかかわった証として、作品集の一冊ぐらいは残しておいても悪くはなかろう。そう考え、そのための経費もいくらかプールしていた。しかし、ここにきて考えが変わった。我が子ですら、読んでくれそうにもない作品集など、残すことに何の意味もなさそうに思えてきた。そこで資金の用途変更を思い立った。自費出版の為の資金を、奴と共に葬られんがための墓地購入に当てようというわけだ。
 さらに具体的な実行段階においては、協力者が要る。そこで、播州に居る友人のK君に話を持ちかけ頼むつもりだ。文学学校に通うなかで懇意になったK君は、私の数少ない友人のなかでも、親友と呼ぶに足りる信実な男だ。私よりひとまわり以上年若の彼ならきっと、この思いを叶えてくれるに違いない。
 手筈としては、予め購入しておいた墓地へ、まず奴の遺骨を納めておく。それからのち私の死後、遺骨をK君の手で奴が先に眠る墓に納めて貰う寸法だ。それに伴う経費一切を、生前に前もって彼に託しておけばいい。
 我ながら完璧だと思ったが、難題に気づいた。私の遺骨を、どうやってK君の手に渡すかだ。父親の親友とはいっても、娘や息子にすれば相手はアカの他人だ。何の疑念も抱かずに、おいそれとは遺骨を渡すわけがありそうもない。火葬の折りに分骨をする方法があるにしても、それを依頼できる者はいまのところ居ない。K君にこちらの遺族と諍いあってまで、約束を実行してくれと期待するのは酷というものだろう。
 だが、諦めるわけにはいかない。死後、奴と引き離されて、落ち葉に埋もれた昼なお薄暗い墓地で、ご先祖様の末席に葬られるのは、考えるだけでも鬱陶しくて我慢のならんことだ。私は思案を巡らせた。
 数日たって例のペットクリニックから、老犬猫介護の講習会開催の案内状が届いた。そこで私は指定された日に、出かけてみることにした。
 断っておくが、奴の場合は老猫といえども、天袋をもっぱら昼間の居場所とし、一メートルくらいの高さなら楽々と飛び上がれる跳躍力と、タンスの上から三メートルばかり離れたベッドの上まで、滑空するムササビなみの芸当までやってのけられる体力を、いまだ有してはいる。とはいえ、今日に元気であってもいきなりガクリとくるのが、老境期における彼らの特徴だなどと、獣医から半ば脅かされ気味に聞かされていたことなどが、私に出席を決意させた。
 出かけてみると参加者の顔ぶれは、言わずもがな老いる犬猫を飼っている輩で、このクリニックでの顔なじみも何人かいる。長年癒されてきた愛するペットの老いと、さらには介護という現実に、挨拶を交わしながらも、一様に不安と戸惑いの表情を隠さない。
 講習はクリニックの獣医と、ペット介護用品販売会社の営業マンらしき人物が交代で講師をつとめ、実際にモデルの犬を、寝たきり犬に見立てておこなわれた。流動食の食べさせかたから、おむつの取り替え方、床ずれ防止の寝返りのうたせ方等々、それは人様のそれと、あまり遜色のないものと思われた。講師の説明によれば、近年はペットの犬や猫も人の場合とおなじで、寿命は延びたが反面寝たきりや、痴呆状態のままで、長期間を生きながらえる例が多いとのことだ。
 講習のあいま休憩時での会話で、どこそこの猫は二十年も生きたとか、二十二年も生きて大往生を遂げた猫の話が出た。聞いていて、なんとなく希望の持てる話に思えた。奴もなんとか二十年くらい生きてくれたら、こちらも七十歳になんなんとするが、そのときは奴の介護に明け暮れてもいいではないか。
 気持ちとしては、なんとなくやり残したことがあるみたいで、七十歳くらいまでは生きていたいと思っている。しかし、それ以上の寿命には、そう執着はない。何かの弾みでこちらの寿命も尽きるなら、奴と連れ合ってあの世へ旅立つのも悪くはなかろう。
 そう考えると、気持ちがだいぶ軽くなった。このままでは奴が先に一生を終えたとき、残されたこちらが、精神的に耐えられそうにもない。
 いまや奴は、この歳になって私がやっと巡り会えた、伴侶ともいうべき存在なのだ。先立って逝く奴との別れは、覚悟はしていても、それは想像するに余りある。こういう心理状況を、世にペットロス症候群というんだそうナ。それはともかく、悲嘆に明けくれたあとは、精神を病んで自分は恐らく廃人にちかい日々を送るであろう。そんな生に何の価値があるというのか。そこで、この世もあの世も、奴と同行ふたりと決めた。
 私が七十歳になるまでには、奴にあと八年はどうしても生きていて貰わねばならない。今後は酒宴も程々にして、奴を摂生に努めさせよう。「俺がとことん介護してやるからな、安心して老いろよ」膝にのっかり居眠りする奴の頭を撫でながら、私は何度も語りかけるのだった。

 希望的推測で奴がいまから八年近く生きていてくれるとして、その間に奴との終の栖として相応しい場所を、探しておかなければならない。死んでしまえば、そんなものは無意味に思えるかもしれないが、やはり死後のことは、生きているうちに拘っておくべきだろう。
 その理想の場所としては、陰気さを排する意味からも、気候温暖にして風光明媚、ロケーションのよいところでなければならない。できれば海などが望見できる高台で、季節を通じて四季とりどりの花が咲き乱れていなければならない。花など手向けに、訪れる者などはいないからだ。
 だが、私的な墓の美学からすれば、場所はどこか僻地の野末がいい。野面を渡る風にススキの穂が一斉に波打つなか、奴と私が眠る漬け物石くらいな墓碑が、忘れ去られたようにひっそりと埋もれているのがいい。
 たわいなくも、ひとりであれこれ空想を巡らせるのが、昨今における私の密かな楽しみでもある。ところが突然の電話に、そんな忘我の境地にあっても、中断を余儀なくされたりもする。そういえば明日は同人誌の集まりであったな、などと何となく予感めいて受話器をとりあげると、案に違わずK君からだ。
「明日どないしまぁ、やっぱり梅田で落ち合いまっかぁ」
 その声はあっけらかんとして、私を妄想から醒めさせるのに充分であった。
   

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