スクワット   森田 薫


 二年ほど前の朝、起きて床に足を置いたとき、両の足裏に奇妙な違和感があった。固めの綿を踏んでいるような感じだった。変だなと思ったが、痛みもないのでそのまま放置していると、二、三日後には足全体がドラえもんの足のように腫れて、靴が履けなくなった。その頃には脚全体のだるさも加わり、おまけに手首まで腫れだしたので、医者嫌いの私も、さすがに不安になって病院に行った。
 病院で診察を受けるのは久しぶりだった。丁寧な問診や触診があって、尿検査・血液検査などもして、一週間後に聞きに行くと、医者は原因が分からないと言う。私はあっけにとられた。医学は進歩しているはずなのに、なぜこんなに単純明快な症状の原因が分からないんだろう、と思った。私より若そうな医者は薬もくれずにこう言った。
「検査結果を見る限り、内臓の病気から来ているのではないですね。まあ、強いて言えば老化現象でしょうな」
「ええっ、これが老化現象なんですか?」
「足の筋肉が衰えて血流が悪くなっているんでしょう。血液を送るのは、筋肉の力なんですよ。スクワットをしてください。そうだな、一日二十回」
「スクワットって?」
「スクワット、知りませんか」と言って、医者は立ち上がって、やって見せてくれる。蛙が立ち泳ぎしているみたいな、何とも不格好ないただけない体操だった。
「こうするとね、足の筋肉が鍛えられますよ」
「歩くのではダメなんですか」
「歩くだけでは筋肉は鍛えられませんよ」
 医者は、治療方法はもうスクワットしかないと言わんばかりの口振りだった。
 私はその日から毎日二十回のスクワットに励むこととなった。その後で枕の上に脚を置いて寝た。この間の不安な思いは今も忘れられない。原因不明なのが気味悪かった。医者が平然と言い放った「老化現象」という言葉もショックだった。そうこうするうち、一ヶ月くらい経つと、手足の腫れも次第におさまっていった。スクワットが功を奏したのかどうかは分からなかったが、二度とあんな目に遭いたくないと思うと、スクワットはやめられなかった。
 ある日、テレビの芸能ニュースを何気なく見ていたら、「放浪記」の何百回めかの公演の紹介で、森光子が舞台上でくるりと前転して立ち上がる場面を映していた。森光子は確かもう八十歳くらいのはず、すごいなと思って見ていると、画面が切り替わって、「若さの秘訣は何ですか」というインタビュアの質問に、森光子が「毎日百五十回、スクワットをしています」と答えていたのである。翌日から私もスクワットを百五十回に増やすことにした。百五十回に何の根拠があるのかも分からなかった。ひょっとすると、松雪泰子の「欽ちゃん走り」みたいなものかもしれなかったが。
 それでもスクワットを続けていると、だんだん体が軽くなってきたように感じる。私も八十歳くらいで前転できるかもしれないという気がしてきた。体育が専門の友人にその話をすると、「スクワットだけやったら、それは無理。ないよりましって程度。それに、毎日車通勤なんでしょ」と痛いところをつかれた。「そうか、車通勤で運動不足の上に、仕事に追われて余裕のない毎日やし、おまけに更年期の年齢やし。あちこちガタがきているのかもね」と、とたんに弱気になってしまった。同年配の友人は、毎日運動しているだけあって、開脚したまま床に体が付く。「私もね、運動することにする」と私はその場で一念発起した。「ふーん、運動音痴だったのにね。でも、いいことだよ。ジャズダンスとか、水泳とか、一緒に行ってみる?」友人はエグザスに通っているのだ。「私はああいう激しいのはダメ。まったく運動神経ないしね。難しい技術を要求されるのもダメ」と言いつつ、エグザスやティップネスやウィスコにその友人と一緒に行ってみたが、自分に合いそうな運動は見つけられなかった。とりあえずスクワットとNHKのラジオ体操でお茶を濁す毎日が続いた。
 ゆっくりしていて簡単な、私にもできそうな運動を、その後やっと見つけた。太極拳なのだが、今のところ気に入って、もう一年程続けている。最初は、激しい動きもなくて簡単そうだと思っていたが、結構内に秘めた力も必要で、難しい運動だと感じる。上手な人の演技を見ていると、無数の動きが次々に連なって繰り出され、流れが美しくてすばらしい。不思議なことに、太極拳にはスクワットに似た姿勢がいくつも出てくる。あの医者って、やぶ医者ぽかったけど、案外良いことを教えてくれたのかもしれない、と思っている。 

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