私のおばあちゃんがおばあちゃんになる前、おじいちゃんと結婚するずっと前は、小学校の教師をしていたらしい。ピアノが得意で、昼間は学校で音楽を教え、夜はダンスホールに繰り出したという。アメリカ兵がたむろする店で、踊りの上手だったおばあちゃんは「お蝶婦人」と呼ばれていたと、本人が言っている。華やかなことが好きで、周囲にはいつも人がいたそうだ。なんの不自由もなかったので、おじいちゃんと結婚する五十四歳まで、独身だった。 「おばあちゃんの足はきれいやなあって、アメリカ兵が誉めたもんや」 以前そう言って、ぺろりとスカートをめくり見せてくれたことがあった。現在母が五十過ぎで、おばあちゃんが九十二歳なのには、育ての親だとかなんとかという理由がある。おばあちゃんは結婚が遅かったので、実の子供はいない。保育園を開いたおじいちゃんのところに嫁いできて、たった七年後に他界したおじいちゃんの跡を継ぎ、おばあちゃんは園長になった。十年前にデパートで転んで足を折るまで、ずっと現役だった。新聞を毎日欠かさず読み、世の中の動きに詳しかった。海外旅行と、肩書きのある人と、フランス料理をこよなく愛する人だった。そういう女性は、今考えるとうらやましい気もするが、私は小さいころ、厳しくてだっこもしてくれないおばあちゃんと、話をするのさえ緊張した。 先日久し振りに、一人暮らしのおばあちゃん宅を訪ねた。園長の職を引退してからは隠居生活を送っている。このところもの忘れがひどくなり、心配して私の父母が毎週訪ねているのだが、その日は母の具合が悪かったので代わりに私が行くことになった。 インターホンの前に立つと、家の中から大きな音が聞こえてくる。ゆっくりと扉を開けてくれるおばあちゃんは、またひと回り小さくなっていた。その背中から、津波のようにテレビの音が押し寄せてくる。そのボリュームに負けないように、こおんにちわおばああちゃーん、と挨拶をする。 おばあちゃんの好きなちらし寿司とプリンを手土産に買ってきていた。おばあちゃんは私を部屋に通すと、ゆっくりと、体を小刻みに震わしながら椅子に座る。もう九十二歳で、見た目は立派なお年寄りだ。が、私には昔のえらぶって怖かったころの印象が拭えなくて、うまく話題が浮かばない。隣の部屋からは相変わらずテレビのものすごい音が聞こえてくるが、おばあちゃんにはまるで聞こえないかのようだった。 「まあそんなに急がんと、座りいな」 そそくさとお吸い物のお湯を沸かし始める私におばあちゃんは言った。私は、不思議な感じがしておばあちゃんの顔を見る。涙のたまったふたつの目は垂れていて、優しく見える。ふと、こんな目で見られたことがあったろうか、と考えた。 園長時代は、それまでよりまた一段と取り巻きが増えた。優雅なマダムたちとの海外旅行にパーティ。おばあちゃんのクローゼットにはサテン地のドレスが並んでいたのを憶えている。おばあちゃんはいつも忙しかった。だから、ゆっくりと優しい目で見られたことなどなかったような気がする。 お吸い物の用意をして、ちらし寿司の封を開ける。わあ、私これ好きやねん。おばあちゃんはオーバーに喜ぶ。人と一緒に食べるご飯はおいしいわ。食べる前からそう言うが、自分でもわざとらしいと思うのか、伏し目がちになっている。こんな言葉も、昔は言わなかった。おばあちゃんとの食事はいつも静かなレストランだった。うちの家族にとってはたまの外食でもおばあちゃんにとっては日常だったから、私たちのように料理をじろじろ見回すことも、もったいぶってちょっとずつ食べることもしなかった。 「最近足の具合はどお?」 ご飯の上に乗っているイカを一切れ口に入れたが、切れないらしく長いあいだ噛みつづけている。私が話しかけると、ええ、おかげ、さ、んで、と途切れ途切れに返事をする。イカに気を取られているのか、持った箸が宙に浮いたままだ。総入れ歯では、イカは無理のようだった。 「思うように出えへんのよ」 とうとうあきらめて、口から出し皿の隅に置く。 「何が?」 「便が」 突然の、食事中のことだったので、私は耳を疑った。あんなに優雅でえらそうだった女性が、便、である。 「おしっこは夜中も目が覚めて何べんも行くねんけど、大きいのが、出んのよ」 あいまいに相槌を打つのが精一杯だった。おばあちゃんは堰を切ったように、夜眠れないこと、お風呂に入るのがおっくうなこと、皮膚が痒いこと、テレビの内容が理解できないこと、新聞の字が小さすぎること、鍵をかけてもなんども点検しないと不安なことを喋りつづけた。おばあちゃんのちらし寿司はほとんど残ったまま箸が置かれている。もう食欲もないらしかった。 「おばあちゃんって海外旅行によう行ってたよなあ」 楽しい話のほうがいいんじゃないかと、強引に切り出してみる。 「パリとかカナダとか、行ってたって聞いたことある」 「……忘れた」 「ほら、あれどこやったっけ、夕暮れ時に霧が出てめっちゃきれかったって」 「忘れたんや」 おばあちゃんの機嫌がいっぺんに悪くなった。 「おばあちゃん昔みたいに猫飼うたらええのに」 「猫なんて、飼うとったかいな」 「おったよ、名前なんやったかな」 「分からん」 会話が止まった。おばあちゃんが空の湯飲みをすするので、急須でお茶を足す。猫の名前も、海外旅行の思い出も、ほんとに忘れてしまったのだろうか。 私はすっかり食べ終わってしまっていたので、コーヒーの準備をした。昔レストランで、食後すぐにコーヒーが出てこないと、決まっておばあちゃんは小言を言っていた。だから気を利かせたつもりで湯気の立つコーヒーカップとプリンを差し出したが、えらい早いなあ、とおばあちゃんは困ったような顔をした。 園長になったおばあちゃんは、おじいちゃんの建てた保育園をさらに拡大し、建替えもした。肩書きのある人との付き合いを大事にして、毎日のように高価なプレゼントを誰かに贈っていた。骨折で入院していた病室には、肩書きだらけの花束がたくさん飾られていた。けれど、年金生活者になったとたん、取り巻きの人たちはみんなきれいにいなくなった。食事のお誘いも、お中元も、電話すらぴたりと止んだ。そんなおばあちゃんのカレンダーには、私の両親の訪問と通院のほかは何も書き込まれていない。毎日、一言も言葉を発しない日もあるのだと呟く。母が老人会のようなものを勧めてみても、話が合わないと言って行きたがらない。本当は、園長だったプライドが傷つくのだろうと母は言う。 「目が覚めるやろ、まだ二時や。また覚めても、まだ五時や。まだ死なしてくれへん」 夜中ベッドの上で、ぼんやりと座っているそうだ。足が思うように動かないので、好きだったデパートにも行けない。動かないので眠れない。テレビの内容もわからなくて新聞の小さい字も読めない毎日が、息が詰まるほどゆっくりと流れていくのだろう。思い出も思い出せず、便が出ないことを一日中気にしているのだろうか。 「あんな、おばあちゃんは女学校でピアノを習ったんや」 「前に聞いたよ」 「ほんでな、毎朝誰よりも早くに登校して練習してたら、先生も早よ来て教えてくれはってなあ」 忘れる記憶と、そうでない記憶。どうなっているんだろうか。 「男の先生でなあ。おばあちゃんの初恋の人やってん」 驚いた。おばあちゃんはしっかり憶えていた。朝の音楽室でピアノを指導してくれた初恋の人のことを。大人になって会いに行ったら、奥さんと子供がいた。おばあちゃんはショックで、声もかけずに引き返してきたという。 「悲しかった?」 「忘れてしもた」 危うく不倫になるところやったね、と私が言ったら、フリン? なんや知らんわ、と垂れた目で笑った。 おばあちゃんが顔を上げて時計を見た。夜の七時だ。昔、おばあちゃんが時計を見るときには、早く帰ってくれ、という合図だった。私は、さてと、と自分のリュックに手をかける。 「もう帰るんかいな」 おばあちゃんは、びっくりしたように急に大きな声を出した。また来るから、そう私は返事をして、気持ちいっぱいの笑顔をつくる。 「眠るまで時間があるのに、話し相手が帰ってしもたらつまらん」 こんな言葉を今までおばあちゃんの口から聞いたことがない。おばあちゃんは引き止める文句を繰り返しながら、痩せほそってしまった手を机について弱々しく立ち上がろうとしたが、よろけてすとんとまた座った。
私はこのたび「せる」に入会させてもらうことになった。実はもう長いこと作品が書けなくなっている。それでもここに入れていただいたのは、書きたい思い、だけだ。生きていく希望、といえばかっこ悪すぎるだろうか。この思いがじっくり実っていくよう大切にしたい。そしてその先のずっとずっと先、おばあちゃんの歳になった私に残っているものは、なんなのだろう。
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