漬物部屋   なりた もとこ


 兵庫県は日本海側の過疎の町で、田舎ぐらしをはじめてすぐに気がついたのは、このあたりの家はみな大きいということだった。
 大阪や神戸では三十年近く集合住宅ぐらしだった。四十八平米の公団住宅に始まって、十年に一度ずつ、子供の大きさに合わせるように引越し、地上から離れた五階や四階にすんできた。地震でマンションから放り出され、地上に直接立つ家に仮住まいしたときは、雨に音や匂いがあることを、すっかり忘れていたと驚いたものだ。夫の故郷の近くで信じられないほど格安の町営分譲地に偶然出会い、百坪あまり求めて、延べ四十坪程の家を建てたとき、我が生涯最大の家だとほくそえんだ。庭も広く取って、憧れのガーデニングができる。しかし、ふと気がつくと周りの家は皆、むやみに大きい。
 田舎のことだから、周りには自然の緑がふんだんにある。田圃も畑もある。田畑の仕事に手を取られるせいか、家の周りはコンクリートでたたんで、できるだけ草が生えないようにしてある。せいぜい木を植え、石を据えた庭をしつらえてあるくらいで、芝生だのガーデニングだのという草取りに手のかかるようなことはしていない。できるだけ敷地一杯に大きく家を建てている。仏さんやお墓用の花は畑でたくさん作っているのだ。
 各集落に配り物を頼まれたことがあった。屋根の数を数えて、ここは十軒と思っても、実際は二、三軒くらいしかない。広い母屋のほかに離れだの、納屋だの、農機具小屋だのガレージにまで立派な瓦屋根も壁もついている。三世代、四世代同居が原則だが、息子達は都会に出て、そういう大きな家に老夫婦が二人きりで住んでいたりする。
 海水浴と蟹のほかに大きな産業のない、人口六千人足らずの我が町のタウンページをみると、最大の職業群は土木、大工、左官、屋根職、石工、コンクリートなどなどの建築業である。民宿でさえ、客の嗜好の変化や道路網の発達、不景気、なによりも高齢化が原因で最盛期の三分の一以下に減っている。それだけに建築業の占める割合が増えているのかもしれないが、需要もそれなりにあるようだ。お金がたまると家を広くする。それが生きがいになっている。我が家に遊びに来た親戚の老人がいった。
「ほう、庭が広いな。こりゃええ。部屋がまだまだ建てられる」
 駅前に住んでいた親戚の家が道路拡張工事で立ち退きとなり、代替地に家を建てた。「まあ、見にきてくんねえ」と誘われていくと、やはり敷地一杯に立ててある大きな家だ。亡くなった叔父は役場に勤めていたし、従弟も小学校の校長で、息子達も公務員、つまりはサラリーマン家庭である。さすがに農機具小屋はなかったが、「ここが漬物部屋、漬物や味噌をつくっておいておくのや」と一段床が低くなった六畳ほどの部屋を見せてくれた。玄関の横には納屋もあった。納屋の胸の高さから上には、全面三段の棚をつけてあり、自転車や手押し車もゆったり入って収納力は抜群のようだった。
 帰りに、夫と話した。
「漬物部屋だって! 新しい家を建てても漬物部屋をつくるんだねえ。やっぱり田舎だなあ」

 田舎ぐらしの楽しみはいろいろある。畑仕事、魚釣り、鮎取り、山菜取り。畑も一反を借りて四人で作っている。去年は胡瓜がいやというほどできた。大阪へ行くたびに息子たちの家や実家や親戚、友人に「え、こんなにたくさん……」といわれるほど、貰ってもらい、顔が緑色に染まるのではないかと思うほど胡瓜を食べても、なお処理しきれない。余った胡瓜を塩漬にしたら、二十リットル入りの漬物樽いっぱいになった。茄子も紫蘇の実も漬物にした。南瓜はその辺に転がしておけば冬まで持つといわれたが、邪魔で、台所では南瓜に蹴躓いてばかりいた。
 保存食作りも田舎の楽しみの一つだ。近所の小さなスーパーにはカマンベールチーズも生クリームも売っていないが、麹や漬物のもとはいろいろおいてある。味噌や甘酒用の麹、もろみ用の麹、たくあん漬のもと、白菜漬のもと、高菜漬のもとなど、都会のスーパーにはないものばかりだ。すべて、白菜二十`に一袋など、単位が大きいが、料理好きの私は興味しんしんで、片端から買って作ってみた。味噌は思ったより上手にできた。大豆を三升もしこむと一年中の味噌ができる。大好評なのはするめの麹漬で、お酒の肴に、熱いご飯にと、食べてもらった人からはリクエストが来て、今年は梅酒用の壜に二壜も漬けた。一壜は唐辛子を利かせてぴりりと辛く、一壜は子供でも食べられるよう唐辛子抜きにした。浜のほうでは売り物にならない小さな身の薄い烏賊を干して、麹漬用にするらしい。かつては海があれ、雪に閉ざされる越冬食であったそうだ。そのほか、昔から漬けているラッキョウや、梅酒も材料が格安で手に入るので、やはり漬ける。
 今は山菜のシーズンである。廃道になった旧国道に蕨取りに行くと、一時間ほどで手提げ袋一杯の蕨が取れる。イタドリも太いのがにょきにょき出ていて、ぽんと気持ちのよい音をたてて折り取る。家の真下を流れる竹野川の河原に行けば、芹や三つ葉や山葵まで自生している。今年は筍のあたり年で、近所の家や親戚から筍を次々と貰った。土曜日に開かれる朝市では太い筍が二本百円だった。これもゆでて大阪へ行くたびに配り歩いたり、送ったりした。畑の貸主のキムラさんが、
「筍がようけ出て、ほっとくと山が荒れるだで、いるだけ掘ってくんねえ」といいに来てくれたので、畑仲間と長靴で川を渡って堀りに行った。「もう、筍にもたんのしたで(たんのうした=飽きた)一本でええわ」などと話し合っていたのに、少し顔を出した筍をみつけては掘る楽しさに釣られて、とうとう五本ずつも掘ってしまった。
 これらもすべて保存食に加工する。山葵は粕漬に、蕨やイタドリは塩漬にした。山蕗は佃煮に、筍はゆでて酢につけ込む。正月の煮しめに酢出しして使うと、筍の風味がそのまま残っていて美味しい。筍の酢漬も梅酒用の壜一本と、ネスカフェの大瓶二本分できた。
「やっぱり、漬物部屋がいるねえ。作業小屋もあるといいんだけど」
 床下収納や流しの下、押入れにまで保存食をつっこんで、やがて収穫が迫るじゃが芋の置き場をどうしようかと頭を痛めている。

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