職場に一つの美談が残っている。
隣の学校でのことだが、ある先生が職員会議の司会を務めていると、目の前の電話が鳴った。二、三の事務的な受け答えをした後、彼は何事もなかったように会議を続けた。次の日、FAXで流れてきた連絡事項には、彼のご母堂の葬儀日程が記されていた。あの平然とした対応が、肉親の訃音に接した者のそれだったとは、その場にいた誰一人気づかなかったのである。
これがなぜ美談なのかよくわからないが、その話を最初に聞いたときは、確かにある感動に包まれた。感情を殺すという、古色蒼然たる美意識が我々に残っていたのだろうか。しかし、自分が感心したのにはわけがあった。古い話だが、吉報を受け、諸手を突き上げながら職員室を走り回ったという前科が、私にはある。はっきりしているのは先の彼との器の差である。
先日、久しぶりに己が器の成長具合を試す機会があった。
昼休み、職員室でふと机の引き出しの奥をのぞくと、いろんな物が落ちこんでいた。取ろうとしたが、隙間がせまくて腕が入らない。子どもの腕ならばなんとかなるだろうと思っていると、たまたまA君が通りがかった。A君は学校の名物男でマスコット的な存在だった。私が頼むと気前よく床に膝をつき、その細い腕を引き出しの奥へと伸ばした。
彼が手探りで取り出すものは、例えば賞味期限の切れたサプリメントであったり、まだ髪がふさふさしていた頃の私の写真だったりして、その一つ一つが周囲の笑いを誘った。のどかな時間が、職場の片隅で流れていた。私は礼を言い、彼自身が取り出した古いハンコを、「誰にも言うなよ」ともったいつけながら与えた。万一えこひいきにとられては面倒だと、小心に恐れたからだ。
その時、職場の電話が鳴った。取り次がれて出ると、妻からだった。妻は電話越しにもそれとわかる呆然とした声で、
「シンオンが聞こえないって言われた」
とだけつぶやいた。それが、お腹の子の死を意味することに気づくまで、私はずいぶん直立していなければならなかった。そのあと、何と言って電話を切ったのかは今でも思い出せない。
振り返ると喧噪があり、A君はまだハンコを見つめていた。彼は担任の先生が通りかかるのを認めると、「石村先生にもらった」と、嬉しそうに報告していた。私はそれを聞かなかったことにして、A君の前に立った。
「さっきも言うたけど、くれぐれもハンコもろたて、ひとに言うたらあかんで」
得意満面だったA君は、視線をそむけた。
「あれは、のろいのハンコなんや」
さっと顔色を失うA君の肩越しに、笑いをかみ殺す同僚達の顔が見えた。みんなは彼が私との約束を瞬時に破ってしまったことを知っているのである。
「ひとに言うたら、おそろしい罰が下るからなあ。ほんまに、誰にも言うてないよな。石村先生にもろたなんて、言うてないよな」
A君は目をそらしたまま、言うてない、とかぶりを振ると、
「もし、言うたらどないなるん」
と、小声で尋ねた。さっきから二人のやりとりを面白そうに聞いている同僚は、皆中年女性である。そのことを意識しつつ私は、
「ちんちんが緑色になるんや」
と答えた。A君は気の毒なくらい狼狽し、あわててズボンを下げようとした。
「あほ、こんなとこでソーセージ出すな」
周りはもはや大爆笑である。
電話を受けた瞬間は、確かに腰の力が抜けて、その場にくずおれそうになった。その一方で、私は先の美談を思い出し、自分を大きく取り繕おうとしていた。いや本当は、トーマス=マンいうところの「認識の嘔吐」ではないが、この衝撃を作品に生かせないだろうかと、そんな思いまでちらつかせたのである。
その夜、私と妻は手を握りながら哭いた。流産の可能性は考えないでもなかったが、腹部に留まりながら逝く稽留流産などという事態は、予想もしていなかった。その子は、私達の間で確実に存在していたのである。私達は、ふくらみかけたお腹に手をやりながら、その「もの」に男の子とも女の子ともつかない名前をつけた。一度も会うことの無かったわが子は、名前だけの存在になって、今も私のそばを離れない。
次の日学校に行くと、私への挨拶が心なしか丁寧に聞こえた。机の上は誰かが拭いてくれている形跡があった。私にはなじみのない、つややかな感触だったのだ。休み時間にはコーヒーは出てくるし、クッキーも差し入れられた。電話の内容がもれるはずはなかったが、私のただならぬ気配は皆の知るところとなっていたようだ。
温かいコーヒーをすすりながら、これで前科二犯だと思った。
|