傘   尼子 一昭


 最近、雨がよく降る。季節のうえでは梅雨に近いかもしれない。
 雨というと、必要になってくるのが傘である。家を出る時に、雨が降っていれば当然、ささなければいけないし、空を見上げて降りそうであれば携行する。だが、傘を持つのもかなりめんどうなので、「ええい、たぶん今日はだいじょうぶだ」と持たずに外出してしまうこともたびたびある。予想があたり、雨が降らないこともあるが、天気予報通りに降り出して困ることも多い。
 友人達と飲みに行って、店を出ようとすると雨にあうことがある。傘を持っていればいいのだが持っていない。なじみの店ならば、マスターに「悪い、傘持って来ていないので貸してくれない」と言うと「わかりました。これ持って行って下さい」とビニール傘を差し出してくれる。どうやら私のような人の為に、何本かのビニール傘を置いてくれているようだ。非常に助かるが、そうした店ばかりではなく、ズブ濡れにならなければならないこともある。
 傘を持たない私が悪いのだが、これとは逆の腹立たしいケースもある。傘を持って来ていたのだが、それがなくなってしまうことだ。
 朝から雨が降っているか、あるいは途中から降り出した。傘をさしていて、飲食や買い物の為に店に入る。濡れたままの傘を店内に入れてくれるところはない。傘立てに入れることになるが、それは店の入り口付近に置かれている。鍵付きのものなどほとんどない。
 飲食や買い物が済んで出ようとすると傘がなくなっている。傘立てに幾本かの傘があるが、私のものはかきわけて探しても見あたらない。
 盗まれたか、あるいは同じような傘が多いので間違って持って行かれたかである。店の従業員に言っても「店が終りまして、残っているものがあれば」と気の毒そうな顔をされるだけである。友人は「朝から雨が降っていれば、ほとんどの人が傘をさしているから、間違って持って行ったのだろう。店に入る前くらいからの雨ならば盗まれたのだろう」と言う。高価な傘でないので、惜しくはないが、雨に濡れることがつらい。
「傘は天下のまわりもの」とまるで「金は天下のまわりもの」というようなことを言う人もいる。確かに使い捨てと言われているビニール傘など、ほとんど同じものばかりなので、ぐるぐる回っていることもあるかもしれない。しかし持って行かれた者にとっては非常に迷惑である。
 辞書で傘のことを調べてみたら、色々な使い方があったが、その中に「傘一本」という言葉があった。意味は僧侶が破戒の罪で寺から追放される時には、傘一本は携えることを許されることから、僧侶の追放をいうとのことである。雨から身を守るものとして、追放の時にも携行を許される傘は、あらためて日常生活の必需品なのだと思った。
 昔から生活の中に入り込んでいる傘も色々と種類がある。割竹の骨に油紙を貼った日本に昔からある「からかさ」や金属製の骨に布を貼った「蝙蝠傘」がその代表である。今は、ほとんど「蝙蝠傘」という洋傘が主流で、布のかわりにビニールも使われている。大きさも大小さまざまで、透明なものから、色もカラフルになり、模様入りもある。
 これらの傘を集めてみるのも楽しいかもしれない。もしかして、すでにコレクションとして集めている人がいるかもしれない。私はそこまでするつもりはないが、今ほとんど見かけなくなった、昔なつかしい「からかさ」を探し出してみたいと思った。

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