「どつぼ」と「アイロン」  阿井 フミオ



「何かあるんでっか?」と、竹ちゃんがまた言った。
 視線が定まっていない。普段は一重の目蓋が、左側だけ二重になり、キョトンとしている。ほぼ、完全な酔っぱらい状態に入りつつある。こうなると、いつもはタラコ気味の唇から吐き出される言葉たちは、だんだんワンフレーズに近づいていく。そして、やたらと感嘆符的な繰り返しが多くなる。お得意の科白は、「どつぼですわ!」または「ボロボロですわ!」あるいは「最低ですわ!」である。
 ところが今夜の竹ちゃんは、どうした訳か、雄弁であった。
「人生においてでっせ、真に自分の意志で選択したことがあるか、ないか……。それが問題なんや?」まるでハムレットだ。居酒屋「金魚ばち」は、にわかにどさ芝居の小屋へ、舞台は廻り、頭も回る。
 僕は一瞬躊躇した。――人生における主体的な選択の有無――はじめ、それが自分に対して発せられた詰問だと思ったからだ。なぜなら、竹ちゃんは、まるでプロポーズでもするかのような熱い視線で、僕の目をじっと見つめてそう言ったのである。が、それは立派な誤解に過ぎなかった。竹ちゃんは僕の戸惑いなど一切構わず、ギヤーをトップにいれ、ヘアピンカーブでもシフトダウンすることもなく、暴走をつづけた。禿げ上がったおでこが、アルコールのせいもあり、精悍に黒光りしている。四十歳を少し過ぎたばかりだが、近頃とみに真夏の太平洋高気圧のように、おでこと頭の境界線は急速に上昇を続けていた。咆哮するその様は、ふと、「シャイニング」のジャック・ニコルソンを連想させた。竹ちゃんは、焼酎とニンニクが入り交じった暑い息を吐き出しながら、満月に向かって吠える。「ガオー!」
「頭を使え、汗を出せ、会議でそう言えば仕事をしていると思っている会議好きの天下り連中、うちでは幹部でも本社では平、前例が大好き、既得権が命! 身内のはずなのに、社内交渉の方が、外部交渉よりもしんどい、ちょっと新しいことをしようとすると、必ず誰か足をひっぱる奴がいる、一部の忙しい人間だけがどんどん忙しくなり、暇な人間はますます暇になる、そして不満はどちら側にも、デフレスパイラル状態で増殖、何か間違ってまっせ、人材の有効活用、適材適所の配属、ジョブローテーションもよろしいが、デザイナーに営業させてどないしまんねん、デッサンやったら負けへんけど、勘定は指の数以上はできまへん、自分はアーチストなんや、早期退職者制度の実施、グット・ガイが辞めて、カスが残っただけやのにリストラの実行、改革促進、ちゅーことになり、株価が上がるのであります、アホちゃうかいな……最低ですわ! 早よ、クリエーションに帰してちょんまげ、身も心もボロボロ! どつぼですわ! ほんまに!」
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「人から強いられた訳でもないのに自主的に選び、そして、自分のために持続しつづけているもの、自分にとって何事にも代え難い、そのようなものがあるのか。それは何か」(彼が言いたかった趣旨を勝手に解釈すると、こうなるのだと思う……たぶん)
その後、竹ちゃんのご神託――何かあるんでっか?――が、度々、幻聴のように聞こえてきた。
 休日の午睡のまどろみの中や、最終電車の硬いシートでのストレスからの半開放状態の意識の中、収益対策委員会の資料をチェックしているミーティングの最中にも、竹ちゃんの声霊は、お構いなしに出現した。――ボロボロですわ!
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今年のゴールデンウィークは、休日が延べで8日あった。当初の予定では、エッセイを一本と、企画書を一本、仕事関係で二冊、プライベートで二冊の本を読み、内一冊については、レジュメをまとめ、ついでに風呂場の壁の塗り替えをする予定だった。
五月の連休最後の日、僕は、壁の二面が本箱に占領された変形の四畳半の自室で、ベッドに寝転び、トラバーチン模様の天井板の穴ボコを見つめながら溜め息をついていた。
子ども時代の夏休みの計画が、そうであったように、予定の大半は虫食い様相を呈したままであった。二日は仕事がらみで外出し、一日は熱をだして寝込み、後の日々は何をしたのやら……。
その時、ふと思った。いったい何冊あるんやろうと。目測で数える。この部屋だけで文庫をいれると千冊はある。あと二階に同じぐらい、半分ぐらいは読んでいるだろうか。つまり、僕がたどり着いた竹ちゃんの質問への回答のひとつは、「本を読むこと」だった。
結局、それしか思い付かなかったとは、悲しいことである。やれやれ。
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村上春樹の短編小説集『神の子どもたちはみな踊る』が、三月に新潮文庫として出版されたので、GWに再読しようと購入していた。
その中の一編に『アイロンのある風景』という作品がある。
1995年1月阪神大震災が発生し、3月にオウムによる地下鉄サリン事件が起こる。そして2月、流木がたくさん漂着する冬の海岸の浜辺がこの短編の舞台である。
順子は、高校三年のときに家出をし、茨城県の鹿島灘沿いの小さなこの町にたどり着く。今はコンビニの店員をしており、ふたつ年上の啓介と同棲している。
三宅さんという、関西弁をしゃべる絵描きらしい中年男と知り合いになる。三宅さんは夜中に流木を集めて焚火をするのが趣味? で、順子も次第に焚火につきあうようになっていた。
実は二人には、もう一つの共通する「たき火」体験があった。
それは、ジャック・ロンドン作品、『たき火』であった。
アラスカの奥地の雪の中で、一人で旅する男が火をおこそうとする話だ。火がつかなければ、彼は確実に凍死してしまう。
順子は高校1年のときの「読書感想文」で基本的にはその男は死を求めている、と書く。そのことにより教師やクラス中の笑い者になる。しかし、順子にはわかっていた。間違っているのはみんなの方なのだと。
三宅さんはジャック・ロンドンの死に方に惹かれる。
三宅さん焚火をしながら順子にジャック・ロンドンの死について語る。ジャックは自分が海に落ちて溺死するという妄想に取り憑かれて生きていた。実際はアルコール中毒になり、絶望を身体の芯までしみこませて、もがきながら死んでいった。しかし、ある意味では彼は間違っていなかった。予感というのは、ある場合には一種の身代わりなんや。彼はアルコールの真っ黒な夜の海で、ひとりぼっちで溺れて死んだんや。
 三宅さんには、神戸の東灘区に妻子がいるが、震災のニュースを耳にしても安否を調べようとはしない。そして彼は「冷蔵庫」の中に閉じ込められて死ぬ悪夢を毎夜見て叫ぶ。
「ガオー!」

「三宅さんって、どんな絵を描いているの?」
「それを説明するのはすごくむずかしい」
 順子は質問を変えた。「じゃあ、いちばん最近はどんな絵を描いた?」
「『アイロンのある風景』、三日前に描き終えた。部屋の中にアイロンが置いてある」
「それがどうして説明するのがむずかしいの?」
「それが実はアイロンではないからや」
 順子は男の顔を見上げた。「アイロンがアイロンじゃない、ということ?」
「そのとおり」
「つまり、それは何かの身代 わりなのね?」
「たぶんな」
「そしてそれは何かを身代わりにしてしか描けないことなのね?」
 三宅さんは黙ってうなずいた。
(73〜74頁)
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例えば木炭デッサンが上手いことと、良いデザイナーであることは、イコールではない。ましてや絵を描くことが好きであることと、プロとして通用するかとは、別次元の話である。
一流の評論家が、三流の小説家だったり、NHKのど自慢のチャンピョンが、どさ廻りの歌手にもなれなかったり、そこで重要なことは、つまり才能の問題なのだ。
竹ちゃんにも、悲しいことにその才能がなかった。少なくとも彼の上司は、人事考課でそのように彼を評した。(そんなもの、余り当てにならないが……)

 村上春樹は『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』という本の中で次のように告白している。
『コミットメント(かかわり)ということについて最近よく考えるのです。たとえば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。以前はデタッチメント(かかわりのなさ)というのがぼくにとって大事なことだったんですが』
 デタッチメント(離脱)からコミットメント(関与)への転換表明……
苦しい状況で役立つ判断の拠り所が、いつの間にかなくなってしまっている。コミットメントしようにも、何にすればいいのか、どうすればいいのかわからない。『神の子どもたちはみな踊る』では、それを求めて彷徨う人々の姿が真摯に描かれている。もちろん、そこにも安直な答えは提示されてはいない。それは各自が自分で探せ、というわけである。(なに、それだったら、どこかのトップと同じではないか?)

「アイロンをアイロンとして描けない時代なんて」確かに、糞食らえだ。何かを身代わりにしてしか表現できない時代なんて、「どつぼ」に違いない。
僕たちも大声で叫ばなければいけないのかもしれない。
 竹ちゃんのように、月に向かって。
「最低で、ボロボロで、どつぼな世の中に、ガオー!」と。

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