大阪城を背景に手毬さんとお花見をする。コンビニで買ったワンカップ大関で、まずは乾杯、とベンチに座った。桜宮からぼんやりした夕暮れが大川の川沿いに迫り、錆色の手毬さんのコートの裾がじゃれるように風にはためく。いったい手毬さんはどこでこんな服を手に入れるのだろう。それともこれも手毬さんが作ったのだろうか。 コートの下のオフホワイトのネットのTシャツ。その下から見え隠れするパステルカラーの花柄のシャツ。ぞろりと長いスカートはピンクや黄緑の華やかな色合で、腰に巻いた荒い編み目の生成のショールに押さえられ動くたびに絶妙なコントラストになる。まるで西洋の魔女か占い師だ。 ……今日の手毬さんは魔法使いみたいね。 「き、よ、う」今日、と発音し、手毬さんのところは、指でさし箒に乗る真似をする。 あはは。と手毬さんは笑う。笑いながら四角のトートーバッグから手品のようにお握りや袋入りの漬け物、お菓子を取り出す。 「そっちこそセーラームーンみたいなブーツじゃないの」 ピンクと白のウエスタンブーツは、なるほど、月に代わって征伐する正義の使者のようだ。違うのは胸のペンダントがメモホルダーでは、正義をふりかざす少女のように残酷にはなれない、ということか。 風が吹いて小花を散りばめたピンクのスカートが五十年のわたしの月日と一緒にふわりと広がる。
手毬さんに逢ったのは五年前、勤務先の図書館が主催した詩の朗読会で、わたしはそこの掃除婦だ。 いつもの手順通り男性トイレの便器を磨き上げ、底の方に水を貯めた純白のオブジェにする。透き通った水が、尚一層、便器を清浄無垢な陶器に見せる。小部屋の扉を順に閉め、仕上げに水道の蛇口も指紋すら残らないように乾いた雑巾で丁寧にふき取る。 『せんきょう』という耳慣れない言葉を聴いたのはその時だった。憑かれるように、公開講座が催されている隣の部屋のドアを開け、顔だけ覗き込むと、中に入って、ドアを閉めるように促された。 マイクの前に背の高い女の人が目を伏せるように立っていた。裾の長い黒いドレスで全身を覆った人だ。「あの人、昔、女優だったのよ、結婚して引退したんだけど……あら、もう四十五歳よ」とパンフレットを見ながら囁く受講生の声を制し、春の少女の声で手毬さんは粕谷栄市の『仙境』を朗読した。緊張感が快く伝わってきた。 「桃の実る島に行くには、誰もが、一度は死ななければならない。死ぬのが厭だったら、長く、死んだ真似をしなければならない。 桃の実る島の渚に、そうしたら、あなたは目覚めることができるだろう。永遠の六月、虫歯のように、杖をついた老人たちが笑って立っている白い渚に。………」 粕谷栄市の詩はあの世とこの世を自由に行き来して、会場は重苦しい永遠の六月の空気に包まれたけど、窓から射し込む光は手毬さんの回りでキラキラと輝いた。 読み終えた詩集を閉じると手毬さんがわたしを見た。手毬さんは微笑みながら教室の隅にたたずむわたしを見た。そうして、わたしひとりに話しかけるように、静かに言った。 「……長い間詩が書けませんでした。詩が書けないから、死にたい、と思いました。今少しずつ詩が書けるようになりました。生きていて良かったと思います」 三十人収容の会議室、着飾る人の中で、塩酸の匂いがする制服姿のわたしは人目をひいたに違いない。 みんなが帰った会場の床にモップをかけ、覚えたばかりの詩『仙境』を口ずさんでみる。 ……桃は愛。桃は力。娘たちの乳房のように、それは純粋だ。桃の実る実りどの家にも……。 躰が軽くなっていく気がした。図書館の小さな窓から覗く町並みが緑色に光ってどこまでも続いて見えた。空が明るい色を持ち、気持ちのいい匂いが窓から部屋いっぱいにたちこもった。腕を伸ばし窓を閉める。サッシの窓枠に鍵をかける。カーテンを閉め灯りを消す。それからずるずると崩れるように壁にもたれしゃがむ。 ……桃は愛。桃は力。娘たちの乳房のように…… もう一度『仙境』を口ずさむと、今度は、考えまいとしていたことや、ココロの奥底に秘めていたことが浮上し、躰が内から揺さぶられた。言葉にならない声が喉元から溢れ、顔がかぁと熱くなった。見るもの全てが今にも踊り歌い出しそうだった。机、椅子、黒板、チョーク、そして壁に立てかけたモップもだ。薄暗い部屋に考えなければならない言葉が有形の文字として現れ、わたしを押しつぶそうとする。腹と太股、胸と膝小僧、腕と腕、密着する皮膚と皮膚。両手で膝を抱く。薄い衣服から伝わる背中の壁。尻に触れる冷ややかな床が、体温を奪い、わたしの躰は部屋の一部になる。 ノブがカチッと回る。その小さな音は、嵐のように駆けめぐる甘美な狂騒をたちまち静まりかえさせた。細く開けたドアの隙間から灯りにスイッチを入れる男の手が伸びる。わたしの神経は研ぎ澄まされた槍のように細くなる。部屋に蛍光灯の灯りが次々とついてドアが大きく開く。顔見知りの職員が入ってきた。わたしは慌てて立ちあがり一礼する。 「いや、今日はお疲れさん」 と職員は言い、それから、楽しそうに話しかける。 「盛況でほっとしたよ。現代詩の朗読、なんて上司には反対されたんだけどね。……しかし、アンタにも詩がわかるのだね。……掃除のオバサンがね」 怒りが突然沸き上がった。のっぺりした職員の顔を打ちのめしたい。拳にギリギリと力が入った。けれど、怒りは幾重もの薄い膜で覆い、愛想笑いさえ、わたしは浮かべている。そんなわたしの習性のような偽善を、他人のように見つめるもうひとりのわたしは憎悪に似た感情だった。 「今日来てもらった人達はボクより頭が悪かったんだけどね、あちこちの大学で詩論を講義したり、劇団を創設して演劇やったり……、好きなことを職業にして偉くなった奴ばかりだ。いや。ホントだよ。ボクの方が頭は良かったんだけどね」 しかし、それも一瞬のことで、またもや、職員とにこやかにわたしは話をする。それを冷ややかに見るわたしがいる。何かを話すたびにわたしが増殖していく。 「……そうだ。詩の教室を紹介してあげよう。梅田の廃校になった小学校で月に一度集まっているんだけど。連中は変わった奴が多いから、詩を書く掃除のオバサンって重宝がられるかもしれないよ」 ふつふつ往来する激しい感情を他人のように眺める自分とは無縁のもうひとりのわたし。職員の息の継ぎ目に相槌を打つ。職員の輪郭がぼやけて古ぼけたセピア色の写真になる。 「仕事の結果と自己をアイデンティファイできるって文学と芸術しかない、そう思わないかい。仕事に関してはプロが当たり前。ところが文学と芸術に限れば素人も可、言い換えれば一握りのプロを支える為に名もない大勢の人の必死の労働がある。才能ある個人に、群がる何十人、何百人、何千人の思いこみ、名誉欲、出世欲、それを全て引き受けて作品ができる。文学とか芸術といってもどこかで世間と折り合いをつけなければなりたたない。掃除のオバサンが詩を書けば、アイデンティファイはもはや大衆化するという訳だ」 はっはっと記号のような笑い声を残し職員が去る時には幾人ものわたしが横に整列していた。 トイレに駆け込んで吐く。吐く度にひとりずつわたしが消える。便器の中に生臭い黄色の胃液が浮かぶ。便器を柄付き棒で擦る。底の方に少しばかりの透明な水を貯める。蛍光灯の影を映して水は芯があるように見えた。コックをひねり流しても芯が見える。 この便器の中の透明な水のことを、水の芯のことを手毬さんに伝えたい、粕谷栄市が描く向こうの世界の話を手毬さんとしたいと思った。 手毬さんの仲間が運営する詩の教室に入れてもらい、話すのを辞める。そうでもしないと収まりがつかなかった。会話するたびにわたしが増殖し、話すたびにわたしが分裂するからだ。 手紙も日記も億劫だったわたしの手が勝手に動き、百枚の小説を書く。けれど、わたしにとっての仙境を描いた最初の作品『この地に麦』は、ありきたりだと不評だった。 『躰の底に貯まる透明の水の長い話』千枚を書き上げ、同時に出来上がった三十篇の詩を自費出版する。A賞の候補に挙がった詩集は段ボール箱に入れたまま部屋の片隅に積み重ねられ、応募することも仲間に読んでもらうことにもためらいながら書くことだけは止められなかった。まるで自分の創った膨大な言葉のゴミと紙クズに埋もれる生活だった。
「鰹節が好きだったわね?」 手毬さんから手渡されたお握りのシールをはがし海苔を巻いていく。途中でいつも引っかかり、ちぎれるので、今日こそは、と丁寧に巻く。それでもやっぱり海苔の端がギザギザに破れる。セロファンシールはシワひとつなくきれいなのに。シールを二つ折りにして四つ折りにきっちり畳む。手毬さんもこぼれないように注意深くお酒の蓋を取る。 手毬さんが栗山次郎の話しを始める。教室でも講文舎文芸賞の受賞が決まった次郎の噂で持ちきりだった。栗山次郎のことはとても気にかかる。 ……書き続ける為に身銭を切れ。肉を剥がせ。感傷だろうが恨みだろうが記録だろうが書いていくうちに、それらがプツプツ音をたてて詩になる。自分の血や肉、自分の言葉になる。その言葉で刺激を受けた者が新しいもう一篇の詩を創る。…… 次郎はいつも激しい口調でものを言う。何かに追い立てられるように吃音で話す。 詩の教室に入った時から次郎はわたしに親切だった。 次郎自身も言語障害を自負するから、『話さないことに決めた』といくらわたしが言っても信用しない。話せないのは不便だろう、と古いパソコンをわたしの部屋の窓際の机に設置し、メールや一太郎の使い方を教えにきた。時には電車代や本代を借りに来る。夜食を食べさせ、風呂に入れ、新しい下着に着替えさせ、一緒に寝る。寝床の中で本や詩、自分たちの作品を読む。わたしの書いた最初の小説『この地に麦』も次郎だけは誉めてくれる。 次郎との関係を何と呼べばいいのか解らない。一回りも年下の次郎はやんちゃな弟にもなったし、気むずかしい父親にも、ただ優しいだけの兄にも、わからずやの師にも、傷口を広げあう同士にもなった。わたしは次郎の奥底に潜むものを知っている。だから次郎の名前を口にするだけで胸がきりりと痛む。けれど手毬さんが切り捨てるように批判すれば拍手もしたくなる。 「次郎はまた仕事辞めさせられたらしいわよ」 小説を書いていると、夢中になって時間を忘れてしまうそうだ。今度も、遅刻、欠勤が度重なり、退職に追い込まれたのだろう。 「イブと結婚するつもりらしいの。次郎は甘ったれだからイブの収入をあてにして、作家生活するのよ」 次郎がイブさんと……まさか……。会計事務所に勤め、一度も結婚したことのない四十歳のイブさんと次郎が結婚するというのか。いったいいつの間に。毎日のように交換したメールが一年前からゆるやかに途絶え、逢っても、苛立ちが隠せなかった次郎。 イブさんとつきあっていたからなのか……。そういうことだったのか。 「ほら、この笑顔。三十八歳の報われた春なんて、くだらないタイトル付けられてマスコミの玩具よ」 手毬さんは次郎の写真にまで憤慨する。 レンアイ至上主義の手毬さんは彼一筋の手放し感が心許ない、と言う。イブさんが手渡した新聞の切り抜きを読み上げ、批判は栗山次郎の作品に移る。 「えーと……講文舎児童文芸賞を受賞した三十八歳の栗山次郎の『ジロウ畑で麦を』はひらがなの美しさを駆使し大人も充分楽しめる……。栗山次郎の魅力は少年の好奇心旺盛なキラキラ光る視線なのに今度の作品は大人の死生観を童話の世界に取り入れただけ」 ……賞貰ったのよ。 わたしは貰っていない。胸もとのメモホルダーに素早く書き込んで反論する。 「アンタはいつもそう。他人の評価を当てにする。肩書きとかブランドとか。それが正しいことのように思う。まず無名であれ。永遠に無名であれ」 手毬さんはコップをもてあそびながら言う。 「でもイブの決心が羨ましいわね……。いまさら誰かと暮らすなんて、わたしなら面倒だと思うけど」 手毬さんが誰かと暮らせない、と言う時は暮らしたい誰かがいるのだ。そういえば、今日の服だっていつもの手毬さんにしては妙に華やかだ。絵描き、植木屋、建築家、教師、手毬さんの今度の相手は誰だろう。 ひょいと桜の枝をすくい上げるような風が吹いて、蓋を開けたままのコップに花びらがひらひらと落ちた。手毬さんはまたぐいっと飲む。伸びた首、薄い胸、細い肩、お酒が回った手毬さんの躰は薄桃色のベールに包まれ、コップを持つ手に青い血管が走る。 夕暮れが満開の桜並木にゆっくり降りてきた。お城の北から西に流れる大川、その川沿いの桜並木をわたしたちは眺めている。ビルが建ち並ぶ高層建築の一角に大阪城がある。城内の広い公園も、桜、桜、満開の桜に彩られ、ひっきりなしに行き交う車の音もここには届かない。こんな切り取られたような空間にいると、話さないと決心したことが、取り返しのつかない選択だったのかと不安な思いにかられる。 わたしは水茄子の袋を歯で噛みきろうとする。 「止めなさいよ。歯が折れるわよ」と手毬さんがごそごそと袋の中からハサミを取り出す。鈴のついた小さな握りバサミで袋を丁寧に切っていく。 手先が器用な手毬さんは一間にも満たない小さなお店で古着に埋もれ、異形の人形を作り、詩を書く。 子供が巣立った後、夫と別れ、破格の値段で借りられた長屋の一軒にミシンを置き、ミシンをかけながら、ひょいと浮かんだ言葉を手元の紙に書きつけ、まち針で窓枠に止める。言葉霊が宿るとき、その紙がふわっと動くのだといった。 艶やかな紫色の茄子を口に頬張って、手毬さんのカリコリ、水茄子を噛む音も言葉霊の呪文に聞こえる。コトバダマコトバダマ。 わたしは子供はいないが一度結婚したことがある。会社勤めをしているどこにでもいそうな平凡な人だった。とげ抜き観音さんや庚申さん、神社や仏閣が迷路のように立ち並ぶ古い奈良町でタバコ屋を営むギボと三人で暮らしていた。 江戸時代の末期から明治時代の町屋の面影が残る奈良町の細い曲がりくねった道の行き止まりに、ギボの店がある。狭い間口に広い奥行き、瓦葺きの屋根に白壁。格子とむしご窓、桟のひとつひとつに雑巾掛けをし、通りに打ち水をするのが毎朝の日課だった。 家の戸口には身代わり猿のかわいい縫いぐるみが吊られ、路地を曲っても曲がってもギボの家と同じような清潔な家並みが続く町。 母を頼む、と言い残して、夫が死んだのはわたしが四十歳の誕生日を迎えてすぐだった。けれど、夕暮れになってもなかなか電灯をつけない吝嗇家のギボと、古びた衣服や物に囲まれての生活は喧嘩が絶えず、わたしは東梅田のハローワークで清掃業の仕事を見つけ家を出た。 黙々と決められた場所を決められた方法で磨くことに慣れてくれば、ギボをひとりであの町に置き去りにしたような悔いが残る。お昼時には、モップを動かしながら、ちゃんとごはん食べているのか、タバコの釣り銭を間違えてないかと気になる。 心配のあまり休みを利用して急いで家に帰ると、『オマエなんかの世話にはならない、どうせ財産狙いのくせに』と、そっぽを向かれ、噛み合わない諍いをまた、始めることになる。 帰らないと、『オマエは薄情だ。年寄りをひとりにさせて心配じゃないのか。どうしてここで一緒に住めない』と、責め立てる電話がある。夫が死んでも続くわたしとギボの歯切れの悪さが一人暮らしの狭いマンションの一室に澱のように溜まっていた頃、『仙境』を朗読する手毬さんの声を聴いた。だから、もう、わたしは、あの静かな町の住民にはなれない。詩が書けないと生きていてもしかたない、と手毬さんは言った。今ならわたしもそう言う。詩を書いてさえいれば、仙境を見つけられるだろう。仙境に辿り着けるだろう。 魂のように桃を剥いて、あなたも、そして、そこで生きることができるだろう、はだかの娘達とそれを食べる日を。
話さないと決意したわたしの最初の変化に気付いたのはギボだった。始めは言い争いにならないのをいいことに、もっと口汚く罵り、次に話を聞いていないと怒り、それが度重なると、ぼんやりと遠くを眺めるわたしの視線を薄気味悪がり国立病院に連れて行った。 病院では、それぞれの科をたらい回しのように行ったり来たりして、聞こえているのか、理解しているのか、あらゆる方法で確認させられた。 幼稚園児のようにカードを並べさせられ、医師の指示どおりに取る。脳波を調べ目や耳の検査をする。精神科のカウンセラーは猫なで声で、ギボとの暮らしを、亡くなった夫のことを、大変だったのでしょう、苦労されたのでしょう、と訳知り顔で聞き出そうとする。 軽い失語症だ、と医師の成果のあがらぬ結論を、聞かされたギボは激しく泣きじゃくりわたしを抱いた。ギボの涙はわたしの薄いブラウスを濡らしわたしの肌を温める。それは今までわたしが知らなかったギボのぬくもりだ。銀のメモホルダーをわたしに買い与え、ギボは逢うたびに老いて優しくなる。 あそこが痛い、ここが痛いと、めっきり弱くなった躰をさすり乾いていくギボ。古い町でギボは哀しい目で春を待つただの老人になった。 暗い店には埃が溜まって古びた着物がしっとり湿気を帯びていく。親や祖父母の想い出と貼り付いた帯、着物、長襦袢、それらを晴れた日に、一枚一枚広げて、ギボの昔話が始まる。大正、昭和、平成、長い歴史と春の青空の一日を、一緒に挟んで畳む。 『息子が死んだのはオマエのせいだ』と泣いて訴えた銀の恨みも、ギボは自分ばかり忘れた遠い目をして、『わたしが死んだら好きにしていいよ。オマエがその気なら今すぐでも譲ってもいいんだよ』と古い着物を撫でながら猫なで声で言う。 『土地も家も、エンもユカリもない、この女にみんなくれてやらなきゃいけないのかい』と病床の夫にこぼしたギボの醜い顔を、わたしはまだ忘れていない。それなのに、ふたり並んでひなたぼっこする影法師だけは寄り添うように仲良しに見えるから、わたしは慌てて少しだけギボから離れる。
『ほかに仕事はないのかね』とギボに嘆かせるわたしの仕事は、高年齢、低学歴、技術資格なし。おまけに各種保険付きで、わたしは便器磨きの名人だ。どんなに褐色に汚れた便器も新品同様にできる。 三十棟ある大学のキャンパスを二十人が自転車で駆けめぐり散乱するチラシやゴミを片づけ、机、椅子、床を拭き、二メートルある黒板を拭く。トイレを定期的に掃除する。 二月半ば新年度の請負清掃業者を決める入札があり、約二割安い金額での落札になり、時給が九百五十円から八百円に下がった。大阪市の市庁舎清掃業務の請負金額は九十五年の一億六千万をピークに下がり続けている。九割以上が人件費の清掃業、一人当たりの労働時間か、時給を減らすか、誰かを辞めさすか、しわ寄せを受けるのはわたしたちだ。 クリーム色のツナギに黄緑のエプロン、帽子、ギボや夫が見たらぎょっとするような制服に着替える。制服が派手なのは年寄りを辞めさす意図もある。 わたしは四階建ての図書館の担当だ。 会社で一番の年長の六十八歳のヤマダさんは脳梗塞の後遺症が残る夫と暮らしている。六十歳のフルカワさんも長患いで入院中の夫を抱えている。どの人も時給百五十円の減給は死活問題に繋がる。けれど文句や愚痴を言っていれば時間内に仕事は終わらない。だからみんな黙って掃除をする。 会合に使う部屋から始める。次はトイレ。机の上、床。書庫の棚を拭いていると本の隙間から言葉がこぼれて、埃と一緒に舞い上がっている気がする。こんなにたくさんある本の一冊くらいは、ヤマダさんやフルカワさんの夫を病気から直し、わたしの夫を生き返らす方法が載っていればいいのに。ギボとわたしが仲良く暮らせる方法が書いてあればいいのに。 換気扇のブーンという小さな音に吸い寄せられるのは、わたしたちの怒りだ。 失業しなかっただけまし、と小石を蹴っ飛ばしながら、上六から近鉄線に乗って、その日も奈良のギボの顔を見に行く。 ギボは震える手でタバコを売っていた。観光に訪れた外人相手に、柱に躰を支えるようにして、身振り手振りで道案内もしていた。 ギボと連れだってスーパー銭湯に行く。いつもは家にお風呂があるからもったいない(その湯でさえ三日は変えない)と断るのに、どうした気紛れか、ついてくる。物珍しそうに湯船を見回し感心ばかりしている。 ギボの薄い背中を泡だらけにする。紙みたいに乾いた皮膚は散っていく桜の花びらに似ている。けれど、明るすぎる蛍光灯の光りに照らされた青白い花びらは、石鹸の泡に包まれてこれから自由な命が始まるみたいに柔らかに輝いた。 年を取ったら子供が産めないと、誰が決めたのだろう。わたしのせいで夫が死んだというのなら、子供が産めなかったわたしを責めるなら、ギボが、もう一度夫を産めばいいのに。この小さな躰は満開の桜を何回抱え、何回春を迎えたのだろうか。 ギボもわたしも老いていく。八十三のギボは去年と同じ服、十年前と同じ服、同じ所で同じ物を食べて同じ愚痴を言って……。死んでいくのだ。 わたしの生活は全て詩の教室に通う為に回っている。月に一度手毬さんに会うのが楽しみだ。本当は殆ど毎日手毬さんの家の回りをうろついて、窓辺に新しい詩の言葉が張り出されていないか確かめに行っている。 桃は毒。桃は刀。誰もが死ぬことのないその島に、在るのは、桃の樹ばかりだから、たわわに実る桃ばかりだから。
手提げのカゴから手毬さんの真似をして手品のように竹輪をだす。一緒に週刊誌を見せ、付箋紙のうまいものめぐりの所を開けるように促す。 手毬さんは、学歴とか肩書きに用心しなければいけないというのに、食べ物のブランド志向には弱い。だから、今も、へぇー、金沢名物か、と大袈裟に感心してくれる。手毬さんは昔の駄菓子が好きだ。ソフトクリームの形をした砂糖菓子とか、麦チョコとかだ。麦チョコはもちろん上を向いて一気に口に入れなければいけない。これは手毬さんとわたしのふたりだけの約束事だ。 もし手毬さんが望むなら、駄菓子屋の麦チョコを全部買い占めてもいい。減給になったといえ、今日のわたしはお金持ちだ。真新しい一万円札を十枚持っている。 犬を連れて散歩に来た人がわたしたちの目の前の桜の幹におしっこをさせた。ひょいと片足をあげれば水道の蛇口をひねったように勢いよく流れる液体は土に吸い込まれていく。 ……匂う? 首を振りながら手毬さんはもう立ちあがっていた。 「ここにじっと座っているのも間抜けだよ」 わたしも飲みかけのお酒、食べかけの竹輪をカゴにしまって立ちあがる。 大きな歌声が聞こえてきた。船に乗った人達が何か楽しそうに躰を揺すりながら歌っている。わたしたちもそれに合わせて、左右の桜を見ながらゆっくりと川沿いを登った。 故郷の宮川の堤の花見は、賑やかな笛や太鼓の音に合わせて、ひょっとこや獅子舞が踊る。黒砂糖の甘辛い匂い、みたらし団子が売られている。ぺったんこに潰した丸い団子を十個、長い串に刺し、団子もその上に絡めた黒い蜜も一緒に焼く。濃密な匂いは桜の白い花びらと一緒に辺り一面に舞い上がる。 みたらし団子を欲しがるわたしに年老いた両親は、屋台で売っている食べ物を不衛生だ、と決めつけ叱った。その両親も遠い昔に死んだ。 蓋付きのガラスコップのお酒がちゃぽちゃぽ揺れる。甘い芳醇な匂いが漂い、さっきの犬が鼻を鳴らす。 大きなビニールシートを張り巡らし、スーツを着た会社帰りの人達があっちでもこっちでもお酒を飲んでいる。赤い提灯の屋台が並び、たこ焼きやお好み焼き、おでんを売ってる。焼き鳥のちりちりお醤油の焦げる匂いにそそられ、立ち止まると手毬さんが、わたしの袖を引く。あとできちんとしたお店で何か食べよう、という。まるで遠い日に諭した母の声みたいだったから、わたしも素直にうなずく。 オータニ、テーコク、そびえ立つ巨大なビル、今日はその最上階のレストランで大阪の夜景を見ながら食事だってできる。ナイフを入れれば血がしたたる柔らかな肉も注文できる。カゴを抱えるように持ち直す。白い封筒の真新しい一万円札、汚いお金。何にも使い道の決まらないお金。立ち止まって封筒がきちんとカゴの中に入っていることを確かめる。 どうしたの、というふうに手毬さんも立ち止まる。 ううん、カゴを抱え直して急いで歩く。 「わたしねえ」と手毬さんは息子と別れた夫と日曜日に自宅付近の公園で花見をしたことを話しだした。 『どや、仕事うまくやっとんのか』と元夫は、百八十センチを超す息子に尋ね、『オレの家にこいや。みんなで飲もう』と誘い、元夫の家で、剥いたリンゴをあてに三人がぽつねんと座ってお酒を飲んだらしい。相変わらず息子は一言も話さない。黙って手毬さんが剥くリンゴを食べる。サクサク、健康な白い歯でリンゴを食べる音は、冬の道を霜柱を踏みながら歩く音に似ている。リンゴを食べ終わると、息子は本町にひとりで借りているマンションに帰った。『夕飯も食べていけや』と、元夫は台所で野菜炒めを作り始める。キャベツを刻む音、水道から水の流れる音、フライパンの油の跳ねる音、懐かしいそれらの音が聞こえてくると、手毬さんは堪らなくなって帰ってきたそうだ。 「死ねばいいと、お互い、思ったことがあったのよ。いがみ合うわたしたちを見て育ったから、息子は小学校の時から一言も話さない子になったのよ。あの子の人生を取り返しができない程、壊してどうしてわたしたちだけ仲良くごはん食べられるの」 手毬さんは野菜炒めの冷めない距離に元夫がいて一日の生活圏内に息子がいる。だけど、みんなひとりで住んでいる。手毬さんも元夫も息子も桜を見ながらまだ来ない春を待っている。どうして毎年桜は咲くのにいつまでたっても春はやってこないのだろう。
桜の枝が少し揺れて、花がまた少しこぼれるように散った。夜の桜は白々して物悲しい。こんな桜を見ていれば永遠に春はやって来ない気がする。 空いているベンチに腰掛け、残り少なくなったお酒を全部飲む。忘れないうちにと、手毬さんに頼まれたギボの着物を渡す。手毬さんの手が古い着物を撫でる。 「わぁ。きれいね」 手毬さんの喜ぶ顔にギボのシワで縮んだ顔が重なる。 『……それを持っていくのかい。』 媚びるようにわたしを見上げたギボだった。おどおどした薄い光りの目だった。 ……欲しいっていう人がいるの。 着物を膝にのせギボを見る。ギボも名残惜しそうにわたしの膝の着物を撫でる。錦糸の御所車はギボを若い時代に戻していく。一面に描かれた桜はギボにどんな春を見せたのだろう。 『……戦争があったから、みんな失ってしまってね。あの時は毎日お腹いっぱい食べてたらどんなにいいだろうってそればかり考えてね。……。当たり前のように爆弾を抱えた戦闘機が空を飛んで、家も学校も職場も一瞬で瓦礫になって、毎日毎日誰かが死んで……おじいさんは優しい人だったよ。生き残ったことを誰かに詫びていなさる、そんな気持ちもあったのかね。欲のない真っ直ぐなお人でね。そう、そう、これはおじいさんがねえ、買ってくれたんだよ。それで、あの子の入学式に着たんだよ……』 ギボはまたわたしの知らない小さい夫の話をする。 ……でも、もうおかあさんは着られない。 錦糸の御所車の着物は解かれ切り刻まれ五十pの異形の者の着物になる。想い出は引き裂いて捨てるのだ。 わたしはギボの手を撫でる。シワだらけの乾ついた手。わたしももうすぐこうなる。 ……おかあさん。今度はおはぎ持ってくるわ。あんこがいっぱい入っているの。 わたしはちらしの裏に大きな字で書く。 ギボは言う。慌てて言う。隣の猫が子猫を産んだこと。公園の鹿が鹿煎餅を食べなくなったこと、お寺の屋根に住み着いた鳩が太りすぎて飛べなくなったこと、むささびを五重塔あたりで見かけたこと、猿沢池の亀が甲羅を干していたこと。次から次へと話し出す。それからもう何にも話すことがなくなったら、タンスを開け、通帳をひらひらさせながら言う。 ……お金はあるのかい。ほら、もう少ししたら定期も満期になるのだよ。 夕暮れになっても灯りをつけないギボの家は丸めた背中のギボがひとつ年を取ったことを忘れさせない為かもしれない。まるで絵のような夕焼けがむしご窓から射し込んで小さい背中のギボは影ばかり長く伸びていく。
太陽は照らす、三日月と一緒に、その数知れぬ空の穴のようなものを。鶏は啼く、銭とまじりあって、そのどこにもない谷のどこかで。
何も知らない手毬さんは、錦糸の色鮮やかな御所車の着物に剃刀を当て糸を解いていくのだろう。身ごろも袖もバラバラにして、異形の者の小さな着物を作る。着物の襟元と袖口にレースを着けるといっていた。 そうだ。ヨーロッパの古い時代の溜息がでるような繊細なレース、図鑑で見たようなレースを買えばいい。封筒の十万全部使って一番高いレースを買おう。 人形は、大きな尻、広い肩幅、くびれた腰、むきだした白い乳房。ネズミのように尖った顔をして、ピンとたった尻尾を得意そうに口にくわえさせるのだという。手毬さんは、金の細い糸で、腕を、足を、首を、頭を、おがくずを詰め込んだ胴体に縫いつけ、銀の糸で、見ることのできない目を、物言わぬ口を、作る。 白い封筒のお金はわたしの物言わぬ口だった。
一週間前のことだ。 『ジロウ畑で麦を』が受賞したことを朝の新聞で知り次郎のケータイに電話する。次郎が部屋に来なくなってから一年が経つ。メールも届かなくなった。いつの間にか始まった次郎との関係はいつの間にか終わるのかもしれない。 けれど『ジロウ畑で麦を』が活字になる。永遠に広がる田畑、そこに生きる人々、あの美しい村が活字になって存在する。次郎とわたしの描いた世界。『ジロウ畑で麦を』はわたしの『この地に麦』が原作だ。若い夫婦が年老いていくまでの物語を一粒の麦と平行して語り、一面の花が咲きちぎり、黄金の麦が風に揺れる、美しい田園風景を描いた作品だった。次郎は、その田園風景を他人には見えない幻の風景だと、だから永遠の場所だと書き直し、講文舎児童文芸賞を勝ち取った。 配達されたばかりの朝刊を何度眺めても、インクの匂いと一緒に輝かしい文字が飛び込んでくる。紙面に玄関の扉からこぼれた朝の光が射し込め、丸く切り抜かれた小さな写真、次郎の笑顔も誇らしい。 六階のこの部屋は電波の調子が悪いので電話がかかりづらい。入り口の鉄の扉を全開にしてついでに部屋の空気を入れ換える。サンダルを履いてベランダに出る。ケータイの向きを変え三本のアンテナが立っていることを確認する。空がどんどん明るくなってビルの上のカラスが黄金色に輝いて見えた。目もくらむような朝日がビルとビルの間からのぞき、数羽の鳥が南の方に飛んでいく。 何回かの呼び出し音のあと、まだ半分眠っているような懐かしい次郎の声に、おめでとうを言う。何度も練習したから割とすらすらと言葉がでた。逢いたいというわたしに、電話の嫌いな次郎は、あー、うー、と気のない声で天王寺の古ぼけた大きな喫茶店を夕方六時に指定した。 「じゃあ」と、わたしの高揚する声が受話器の小さな穴を通り程良い湿りを帯びてまた自分の耳に届く。久しぶりに聞くわたしの声が弾んでいる。話しても分裂することはなかった。次郎になら伝えられる。自分の言葉で、自分の声で。わたしたちは年齢も性も越えた間柄なのだ。 その日は一日中夕方の六時が待ち遠しかった。図書館を凄い勢いで掃除した。つるつる光った便器に顔を映す。楕円に伸びた目、横に広がる大きな耳、便器の形にわたしの顔が歪んでいる。乾いた雑巾で便器に映る顔を撫でる。曲線の頂点に蛍光灯の光が当たって、便器に映ったわたしの目が宝石のように輝いた。 仕事が終わり大急ぎで部屋に帰って着替えをする。制帽で潰れた髪を洗いムースをつける。ハイネックの黒いレースのブラウス、首のボタンを下から順にはめていく。太股まである長いガードルで躰を締め付けマーメードのロングスカートを穿く。貰ったばかりの給料十五万八千二百三十円。これを今日は一日で次郎と全部使ってもいい。それくらいのお祝いを次郎にしてあげたい。 けれど、次郎は苦虫を噛みつぶしたような顔で待ち合わせた喫茶店に現れ、それから黙って白い封筒を差し出した。有無を言わさない目で封を開けるよう促す。お金が入っていた。 次郎は汚い者を見るような目つきでわたしを見る。一重の目尻はビリビリと痙攣している。瞳の奥から炎が見える。眼球が盛り上がり、青ざめた瞼に血管が脹れあがる。頬の肉が石のように堅くなるのがわかった。 何を怯え、何を見つめるのか。『ジロウ畑で麦を』は栗山次郎の作品だ。けれども、ひとつの言葉を、作品を、分かち合えた戦友でないのか、わたしたちは。 今日は、わたしたちが産んだ作品の祝杯を久しぶりに一緒にあげるつもりだったではないのか。 わたしは次郎を見つめ返した。次郎のわたしを見つめる目は黒い塊になり、これ以上醜いものはないという蔑みの目になった。わたしは苦しくなって息ができないほど苦しくなってコップの水を一気に飲む。口の両端からだらしなく水がこぼれた。次郎はそんなわたしに今度は哀れみの目を向け、頼んだコーヒーも飲まずに出ていこうとした。 ……待って。わたしは……。 けれど喉から絞り出した声は喘ぎ声だった。次郎はびくんと肩を震わして立ち止まった。立ち止まっただけで、振り返らない。次郎の華奢な肩は知り合った時と同じで、色あせた紺のシャツ、薄汚れたクリーム色のズボンは、華々しい春を手に入れたというのに、知り合った時より頼りなく見える。 わたしは大きく深呼吸した。ざわついていた店内がわたしたちふたりに注目しているように静まりかえる。 わたしは走り寄り大急ぎでメモを書く。 『どうしたの』『何を怒っているの』 次郎のことを一番理解しているのはわたしだ。それを伝えねばならない。言葉が赤や黄色や青やいろんな色を帯びてわたしの口から飛び出そうとするのに、わたしは無彩色の器だった。躰の底の方に透明の水が溜まっている。この水が次郎に伝える言葉だった。けれど、次郎は、わたしの言い出そうとする言葉を握り潰し、拳に尚一層の力を入れる。わたしへの憎しみで躰中が煮えたぎっているようだった。 「も、も、うい、い。あれはボクの作品だからな。いい気になるなよ。嘘つきはキミの方だ。おまけに失語症なんて騙して」 次郎はわたしを押しのける。わたしの首から、ぶら下げていたメモホルダーの鎖が切れ、白い紙がぱらぱらと落ち、くすんだ銀メッキのホルダーも鈍い音をたて床に落ちた。 うずくまって拾い集めながら、ひどく馬鹿げた事実に気付いた。次郎はねじ曲げようとしている。問題をすり替えている。そしてまたわたしも次郎となんらかの関係が言葉で築き合えたと錯覚している。 次郎は出ていった。店内はまた元のざわめきを取り戻した。わたしは集めたメモを手にして席に戻る。スカートの埃をはらって、メモホルダーの鎖を丁重に繋ぎあわす。テーブルの封筒をぼんやり眺めた。 ……桃の実る島の渚に、そうしたら目覚めることができるだろう。……桃は愛。桃は力。 『仙境』をおまじないのように口ずさみ、ぬるいコーヒーをがぶりと飲む。考えなければいけない多くの言葉を、喉に、落としこむ。 さっきから手毬さんは展覧会で会った五十八歳の独身の人形師の話ばかりしている。ぽっと頬を赤らめて、手毬さんのことを見つめたそうだ。 手毬さんの肩に一枚の桜の花びらが停まった。指先でそっと弾いてみる。ひらひら桜の花びらが舞う。柔らかな風も桜の木をなでるように通り過ぎていく。わたしは立ち上がり舌をだらりと伸ばして花びらを追いかける。外灯にわたしのピンクのスカートが目の醒めるような色に輝いた。手毬さんも空を仰いで口を開ける。わたしたちはサカリのついたネコのように熱っぽい目で桜の花びらを追いかける。 春はまだまだうーんと遠い。
註 作中の詩の一節は「思潮社・現代詩文庫・粕谷栄市詩集・仙境」から引用しました。
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