奥穂高岳  上月 明


 七月下旬の登山は、一年中では雨の少ない最適の時期で、気持ちよいそよ風が頬をなでていく。真っ暗な空に、沢山の小さな電球を灯したように星が輝いている。腕時計に目をやると九時三十分を指していた。ガレージに置いてあるマイカーに乗り込みエンジンを掛ける。
 久しぶりの登山が緊張感を招き身体を包み込み、日本で三番目の高さを誇る北アルプスにある奥穂高岳が脳裏に浮かぶ。後部座席に置かれているリュックが大きく膨れ、十数キロの重さはあるようだ。並べて置いてある息子のリュックも膨らみ、小学校六年生には少し大きすぎる気もする。
 ブルーのジャンパーを着た和彦は、足取りも軽く山の恐ろしさなど微塵も感じていない様子で、助手席に乗り込んでいた。
 おふくろは家の中から心配顔で見送りに出てきた。
「ほんとうに大丈夫かね」
まだ割り切れないようだ。
「夏山は毎年何万という人が登っているのに、その中には女、子どもがいるはずだ」
私は突き放す言い方をした。
「和彦、怖かったら引き返しなさい。無理をしないでよ」
おふくろは助手席に座っている孫に言い聞かせていた。和彦は初めての登山だったが、遠足気分で、どれだけ伝わっているか疑問である。
「わかった。僕は大丈夫や」
元気よく返事をしている和彦を見て、この登山が気分転換になっているのは確かなようだ。
 和彦は小学校五年生の頃から不登校が表れだした。学校に問い合わせたが、「学校でいじめられているようなことはありません」と担任からは素っ気ない返事しか返ってこなかった。和彦は担任に対しては不信感があるらしく、「僕にできない事をさせる」とか、「約束を破った」といった言葉をもらした。
 息子を学校へやろうと、ラジコンカーやプラモデル、それに小遣いを与えたりもした。初めのうちは効果があり学校へ行く日もあったが、学校に行きたくない日は、自分の部屋に閉じこもってしまう。結局のところ五年生のときは七十日も欠席している。学校に行かないことが将来自分自身がマイナスになることを言い聞かせたり、学校へ行かそうと叱ったりもした。
「そんなに叱ってみたところで、和彦を追い詰めるだけじゃないか」
 圧力的な私の言動に、おふくろは怒りを表し批判的な言葉を投げかけた。その後は、かならず無口になり不機嫌な顔になる。
 六年はクラス替えなしで五年と同じクラスメートだった。ただ担任は替わっていた。六年生になってからは始業式に出席しただけで、それ以後欠席が続いている。
 おふくろに見送られ信州に向かって出発した。夜の中国自動車道から見える六甲山が、黒い影になり星空の一部を隠している。息子はリュックから、お菓子を取り出し食べるのに忙しい。名神高速道路、中央自動車道とマイカーは、軽快なエンジンの音を響かせながら、時速百キロで走り抜ける。息子は心が踊るのか、なかなか眠ろうとはしない。
「眠らなければ、山に登るときに疲れるで」
 息子にそう言っても、目を大きく開けて、進行方向に視線を向けたままである。
 途中トイレ休憩を入れながら計画通り走る。自動車の灯り以外、真っ暗で何も見えない。定期トラックが色とりどりの光を放ちながら追い抜いていく。
「あれ、トラック野郎や」
暗い室内から指をさしながら、はしゃいだ声をあげている。これでは向こうに着くまで眠りそうにない。
「どないや学校は、二学期から行く気になったか」
二人きりになることは少ない。息子の真意を聞きたくなった。
「なぜそんなこと聞くねん。学校のこと忘れていたのに……」
触れてほしくないものに、触れられたという愛想のない返事だった。
四月下旬に和彦のクラスを新しく受け持つようになった女の担任が訪ねてきた。五年生のときの担任に比べれば教師の経験が長いように思われる。年齢は四十歳くらいに見え、おかっぱカットにふくよかな顔の輪郭。化粧がされていない顔にそばかすが所々散り目立っている。目尻には横皺ができていた。
 六畳の居間に担任をとおした。おふくろは夕食の支度を中断し、お茶の準備をしている。
「いじめについては、わたしなりに調べてみます。でもホームルームなどでみんなに聞くことは控えます。なぜなら『和彦君をいじめなかった?』と尋ねると本人が登校したときに、クラスメートに妙な目で見られる可能性が強いからです。わたしから和彦君に理由を尋ねるよりも、ここはお父さんから時間をかけてじっくり聞いてやったらどうでしょう。ご家族で励ましてやって、がんばれるようだったら登校させてください」
自信ありげな言い方だった。お茶を出したおふくろも部屋の隅に座り言葉に耳を傾けている。担任は居間に和彦を呼び寄せ、「始業式以来ね」と笑みをたたえ声をかけている。
「どう? 登校するのちょっとしんどいかな。体調が悪いんだから仕方ないよね。学校に来られるにこしたことはないけれど、まだ気持ちの整理がついていないなら、無理をしない方がいいよ。勉強については、多少休んでいても大丈夫だから……先生に協力できることがあったら言ってね」
和彦は顔を横に向けたまま無表情を押し通している。「わざわざ先生が来てくれているというのに、『ありがとうございます』の一言もいえないのか」と私はいらいらして声を出してしまった。
「今まで先生と話し合ったことないものね。急に話しにくいよね」
私の心境を察した言い方をした。和彦の顔が少し緩んだ表情を見せたとき、担任のキャリアを感じた。
「わたしに言えない事もあるかもわかりませんから、お父さんに学校のことを話したら、教えてください」
 担任は帰りがけに玄関先で私を呼びとめ声をかけてきた。スーツを着こなし背筋を伸ばした姿から、私にも努力を諭しているように思えた。
長野自動車道に入りしばらく走ると、前方に松本インターチェンジが見えてきた。四百キロあまりの道のりを飛ばしてきたことになる。睡眠不足を補うためか、顎の骨をはずしそうな大きなあくびが、腹の底から湧き出てきた。
 料金所のところで車を止め外に出る。肌寒さが眠気覚ましに丁度よい。全身の疲労感を払い除けようと、親子そろって背伸びをする。首から肩に掛けての凝りを取り除くために、首を二回ほど回し肩を上下に動かした。室内灯をつけ、地図を確認すると、目的地まであと五十キロほどだった。
「もうちょっとで着くなあ」
そう言って和彦は、坊ちゃん刈りの頭を地図に近づけてきた。
和彦はクラスでいちばん小さい。小柄がいじめの対象になり不登校を起こした原因になっているかもしれない。
 妻は八年前に家を飛び出してしまった。見合い結婚だった。色白の肌に目が丸く好みのタイプだったし、何回かのデートでも遠慮がちの態度が奥ゆかしさを感じさせた。それでもおふくろと、うまくやれる人だろうかと迷った。「良さそうな感じの娘さんじゃない」と言ったおふくろの一言で決心した。
 一緒になってみると自分が望んでいた人柄とは違っていた。結婚してしばらくはよかったのだが、和彦を生んでからは些細なことでも、私に反発した。妻が育児疲れでいらいらしているのだろうと大目にみていた。横で見ていたおふくろは我慢できなかったのだろう。妻に小言をいって衝突することが多くなった。
「あなたは、おかあさんには何も言えないのね。いつまでもおかあさんの言いなりで生きていけばいいのよ。わたしは、まっぴらよ。おかあさんに小言を言われながら暮らすなんて……あなたはおかあさんにべったりだし、わたしのことなんか、何にも考えてくれないし……もうこんな生活なんていや。おかあさんを取るかわたしを取るか、あなたが決めて下さい……しばらくは実家にいますから」
 妻が家を出ていく直前の言葉である。私が間に立ってうまくやればよかったのに、おふくろに言われるままの私に失望したのだろう。私は妻に何も言い返せなかったし、迎えにも行かなかった。優柔不断な自分自身に涙がこぼれた。
 離婚が決定的になると、妻の両親が来て和彦を引き取ると言ったが、おふくろは「跡取り息子を渡すわけにはいかない」と言い張った。親父とおふくろの横に座って、意見ひとつ言えない自分が情けなかった。
 六年前に親父が脳溢血であっけなくこの世を去ってからは、おふくろと和彦の三人暮らしである。私が離婚したことによって、おふくろに家事一切をまかせなければならないことに責任を感じた。だからといって問題児と姑のいる男のところに、来てくれる女性が簡単に見つかるとは思えない。
息子が毎日学校へ行かずに、自分の部屋に閉じこもっているかと思うと気が滅入る。ただ救いといえば、和彦が口答えをせずに、おとなしくおふくろが作った料理を食べ、たまにはおふくろと話をしてくれることだ。私は年老いたおふくろの負担を軽くするため、市役所勤務が終わるとなるべく早く帰るようにしていた。
 職場では体力の衰えを補うため山岳部に所属している。山岳部は毎月一回県内にある山を登り、毎年夏には二、三千メートル級の山に挑戦をすることになっていた。登る苦しさを克服して山頂に立ったときの気分は最高である。不登校に陥っている和彦にも経験させてやりたいと山登りのたびに思っていた。
 車を発進させ国道百五十八号線を西の方向に向かって走る。高速道路の感覚がなかなか抜けきらない。スピードメーターは八十キロを指している。
 午前四時、暗闇の中、上高地から五キロほど手前の駐車場に着く。マイカーはここまでである。百台駐車可能のスペースは、すでに満車に近い状態になっていた。穂高連峰の人気の高さがわかる気がする。
 四時半頃、空全体に白い明かりが差し込んできた。車から出ると肌寒さが忍び寄ってくる。タクシーが駐車場の入り口に並んでいる。運転手に上高地までの料金を聞くと五千円だという。バスは一人千円である。まだ三十分待たなければバスは来ない。タクシーに乗ることにした。その方が身体も楽だし時間的にも早く着ける。
 早朝の沈みきった白樺の中をタクシーで走る。左手に大正池が見えてきた。水面の中から枯木が突きでている。その後方に焼岳が頂上に朝焼けを受け紅く染まり、大正池にかぶさるようにしてそびえていた。和彦は窓から頭を出し辺りの風景を見ている。
 和彦のために何かをしなければと、毎日じわじわと気持ちの中に焦りみたいなものが滲み出ていた。息子が部屋に閉じこもり、テレビゲームをしているとき、部屋に踏み込んでゲーム機を取り上げてやろうかとも思ったが、親の権限を嵩に力ずくでやっても結果は、うまくいかないのはわかっていた。
五年の不登校が始まった頃、学校に行かずに部屋でラジコンカー遊びをしていたのを見て、急に怒りが込み上げ、その場でラジコンカーを取り上げ、床にたたきつけ足で踏み潰したのが思い出される。和彦は泣かなかったが、私を見る目には冷たいものがあった。
 タクシーは上高地の管理事務所前に着いた。まだ早朝だというのに五十人くらいの人々が、色とりどりのリュックを背負って集まっている。入山届を書き込み管理事務所に出した。息子は目の前に、そびえる西穂高岳を見上げていた。
「すごい高い山やなあ。雪が見えてるわ」
他人事のような言い方をしている。和彦の横顔を見ていると、「大丈夫かいな」と言いたくなる。しかし、家を出るときの遠足気分に比べたら、落ち着いてきていた。荷物を点検し軽く屈伸運動をする。いよいよスタートである。腕時計を見ると五時三十分を指していた。
 車の中でほとんど眠っていないが、和彦は登山靴を点検してから元気よく歩き出した。息子の姿は、ほとんど毎日部屋に閉じこもり、不登校を起こしているようには見えない。山に連れてきたことが正解であったことに胸をなでおろした。
おふくろに和彦との登山計画を切り出したとき、なかなか承知しなかった。何十年か前に、亡くなった親父と上高地から穂高連峰を望んでいる。あんな高い山を登ることは考えられないようだ。登山計画を説明していくうちに、おふくろの顔が強張るのがわかる。
「和彦はまだ小学生や、連れて登るのは無理じゃないか。事故でもあったらどうするの」
強い口調が居間に響いた。
「登山が危険だといっても、夏山に行くのだから、危ない場所は梯子や鎖が備え付けられている。それに登山用地図でコースを研究しているし、持っていく物も入念に準備をしていけば、無謀な計画ではない。和彦を鍛えるために行くのや」
「一回くらい山に登ったからといって、急に鍛えられるもんでもないやろ。そんなに行きたいのなら、おまえひとりで行ってきたらいい。そんな危険なところへ孫を連れていくのは、やめておくれ」
睨みつける顔が目の前にあった。
「和彦と一緒でなかったら、行く意味がない。たくましい男に育てるためには、登山の経験も必要なんや」
「だったら、もっと低い山に行っておくれ。あの子はひとり息子や、万一のことがあればどうするの」
 悲痛な顔で訴えてくる。
(だれがモヤシのように育ててしまったんだ!)
 息子を過保護に育てたおふくろに、そう言い返してやりたかった。
「和彦の将来については、親に責任があるんや。黙って見ていてほしい」
おふくろは何事にも口を挟み、自分の思い通りにならなければ納得しないところがある。私は小さい頃から口やかましい、おふくろの性格を受け入れてきたお陰で、自然に顔色を伺うようになってしまった。
 世帯主である私が、すべて家庭内のことを取り仕切っていると、頭では思い込みながら、腹の底では、おふくろに頼らなければ、自分で決められないことを、うっとうしく思ってきた。
 うまく事が運ばないときは、すべておふくろのせいにした。再婚の相手ができないのもおふくろがいるせいだと思ったし、和彦の不登校だって、おふくろが甘やかせて育てたせいにしてきた。
 少し歩くと左手に河童橋が見えてきた。近くにいた登山者に頼んで息子と一緒の記念写真を撮ってもらう。橋の上から梓川を覗き込むと、流れの中で川底に拳くらいの石が揺れ動いている。川縁で透き通った雪解け水に手をつけると、しびれる冷たさが指先から伝わってきた。思い切って川の水で顔を洗うと、あまりの冷たさに顔面の皮がひきつり全身を硬直させた。しかし、気持ちは引き締まり早朝のさわやかさが身体を包んだ。
「おまえも顔を洗え、気持ちがスカッとする」
 横で手のひらだけ浸けている和彦に言った。
「僕はいいわ、冷たい水で顔を洗うの苦手や」
温水器の湯で顔を洗っている息子には、梓川の水は想像以上の冷たさに感じているようだった。頭をあげると穂高連峰の雄大な広がりから、自然の美しさを存分に味わうことができた。この景色が上高地を引き立てている。目の前に広がる山の山頂に立つために、写真もそこそこに前へ進む。
 早朝の森林浴を楽しみながら足取りも軽く、明神館、徳沢ロッジ、そして横尾山荘へと十一キロの道のりを歩く。途中おふくろが昨夜つくってくれたおにぎりを、明神岳を正面に見上げながら食べた。周囲の鮮やかな緑と澄み切った青空、それに汚れを知らない空気が食欲を倍増させた。
 横尾山荘に着いたのが九時三十分。太陽が頭上から照りつけだした。和彦も朝の元気が少し薄れ疲れてきているようだ。ここで休憩を兼ねておふくろに電話をかけることにした。これからは山の中を歩く。次は宿泊するところまで行かなければ電話機がない。
「おばあちゃんに電話して、元気な声を聞かせたり」
和彦はうなずくと、ジャンパーを脱ぎリュックに押し込め、かわりにテレホンカードを取り出していた。私は近くにあった木のベンチに腰を下ろし、リュックからお茶を取り出し、身体に水分を補給した。
しばらくして、横尾山荘から和彦が出てきた。
「お母さんに似ている」
突然の言葉にどきっとした。息子は斜め後ろの方を指さしていた。三十前後の女性が座っている。どことなしか似ている。迷った。関心があるような返事もできないし、無視するわけにもいかない。
「ああ、似ているなあ。でも指で示さない方がいい。相手が驚くから」
 和彦はうなずき隣に座ったが、二回ほど振り向き女性に視線を送っていた。
 妻が家を出ていったのは和彦が四歳のときである。母親のことを覚えていることは疑わしいと思うが、家に残っている写真で顔を覚えているのかもしれない。
見合いをしたとき、両親は妻との結婚をすすめた。付き合っている女性もいないし、特別好きな女もいなかった。さりとて自分で探す自信もない。結婚したのは、妻が好きであったとかじゃなくて、おふくろと仲良く生活ができる女性を求めていた。
妻のことを思い出すことなど久しぶりである。和彦が不登校になりかけた頃、帰ってきてほしいと弱気になったことがある。迎えに行ってもう一度やり直したい気持ちもあったが、おふくろとの板挟みを思うと踏み切れなかった。
妻に似ている女性は立ち上がると、リュックを背負い槍ヶ岳の方向へ出発していった。
 私たちは横尾山荘から横道に入り、今日の宿泊地である涸沢小屋に向かって、約五キロの山道を歩いた。沢に沿って細い道が走る。沿って流れる川の水が山の景色を映し出していた。前に進むごとに道の勾配が少しずつ大きくなっていく。背中のリュックが肩にくいこんでくる。
(こんなことだったら、もっと荷を軽くしてきたのに……)
 そんな思いが何回も頭の中をよぎる。腕時計は一時を指していた。七時間も歩いたことになる。山登りの道程は苦しいが、この経験が必ず和彦の人生に役立つだろうと、歯を食いしばった。後ろを振り向くと少し遅れ気味だが、息子は息を切らせ前かがみになりながらも、遅れまいと必死についてきていた。
 家から持ってきたペットボトルから、お茶を飲む機会が増えた。水分の取り過ぎはわかっていたが、頭上から遠慮なしに照りつけてくる太陽が水分を要求する。身体から吹き出す汗。虫刺されの予防のために着てきた長袖のシャツは、汗に濡れて身体に密着し、肌との透き間をなくしてしまっている。息子の背中も私と同じように汗で濡れていた。
 日陰を探して残りのおにぎりを食べる。腹は減っているはずなのに、朝とは逆に水分の取り過ぎと、疲労感で食欲は湧いてこない。
 行けども行けども、ゴツゴツした岩の突き出たゆるい登り道が続く。足の裏にできた水ぶくれが大きく膨らんでいくのがわかる。
 片足ごとに体重を乗せるたびに足裏の水ぶくれを圧迫し、針で細かく刺す痛みが足裏から伝わってくる。しかし、のどの乾きと身体のだるさに比べると、気にするほどのことではない。
(水ぶくれなんか、つぶれたって、しれている)
 そう自分に言い聞かせた。口を半開きにし速い呼吸を静め、ゆっくり前方をにらみ歩いた。和彦も息遣いが荒く、肩を上下に動かし疲労感をにじませている。歩いているときは、お互いエネルギーの消耗を少なくするため会話は途絶えていた。
「お父さん、休もう」
顎を突き出し必要最小限の言葉が、後ろから追っかけてくる。
「じゃ、少し休もうか」
野球帽が横向きになり、太陽に照りつけられて赤くなった放心した顔に声をかけた。道端に日陰を求め腰を落ち着かせる。その合間も追い抜いていく登山者や下山者が、「こんにちは」と声をかけてくる。こちらも言葉を返す。目の前を頭の上まで突き出ている大きなテント用具を背負い、登ってくる大学生風の男がいた。
 ランニングシャツからはみ出た肩と腕に、汗が噴き出し茶褐色に光っている。短パンから伸びている黒く焼けた足の筋肉が、一歩一歩力強く地面を蹴るたびに膨らみ、血管が浮き出た。黒い肉体から若いエネルギーが吹き出している。おそらく背中の荷物は二十キロ以上はあるだろう。
「和彦も大きくなったら、あんなお兄ちゃんみたいに、たくましくなれよ」
横でお茶を、がぶ飲みしている息子に声をかけた。
「わかったけど、もう疲れたわ」
疲れた表情を全身に表し、弱々しい声だった。
 あと一週間で夏休みになろうとしていたとき、和彦のことで学校から呼び出しをうけた。家から徒歩で十分くらいのところに小学校がある。二十年前に建てられた校舎の白い壁はくすみ、風雨にさらされ所々塗料がはげ落ちていた。
 校舎が建てられた当時は、神戸や大阪へ通勤するサラリーマンのベッドタウンとして、急増する生徒を収容できず運動場にプレハブの教室を建て急場をしのいでいた。しかし、ピーク時が過ぎると新興住宅街だけに生徒数が減少するのも早い。年々人影が消え、今は空き教室が目立ってきている。
 何回か訪れた校舎なのに今回は威圧感を覚える。今から校長や担任と顔を合わせなければならないかと思うと気が沈んだ。玄関脇の事務室には女の事務員が座っていた。学校から呼び出しを受けたことを告げると、私が来ることを知らされていたらしく、ペンを置き事務室から出てきた。
「校長室で校長と担任が待っております」
 ほとんど年齢の変わらない事務員と顔が合うと、私は視線をそらせた。先に立って校長室まで案内する事務員の後ろ姿が、悠然とした態度に映り私の心を縮みこませた。
 校長室のドアが開けられ、部屋の中に重い身体を一歩押し込んだ。中央に置かれているソファに座っていた校長と担任は、私の姿を見つけると待ちかねていたのか笑顔を向けた。外の明るさにならされていた目は部屋内を薄暗く感じさせる。正面の白く塗られた壁の上段には、歴代校長の優越感に浸った顔写真が部屋の中を見下ろしていた。
 ドアのそばで頭を下げ立ちつくしていると、担任がかけより校長の向かいの席をすすめた。腰を降ろすと校長は待ちかねたように話を切り出してきた。
「和彦君は六年生になってからほとんど登校していませんね。もうすぐ一学期も終わろうとしておりますが、このままでは中学校への進学に、いろいろ影響がでてくると思います」
 事務員が出してくれた湯飲みに視線を落とし、返す言葉もなく神妙に聞いていた。校長の言葉は学校から呼び出しがあったときから予想していたことである。脳裏を悩まし続けてきたことが、校長の口から簡単に流れ出たことに脱力感を覚えた。
「そこで先生方とも相談したんですが、和彦君に児童相談所のカウンセリングを受けさせてはどうでしょうか」
 校長は私の心理状態を察してか、やさしく話しかけてくる。担任はそばかすが目立つ顔を軽く上下に動かし、私に視線を向けた。後ろの机に置かれている時計の音が耳の中に差し込んでくる。和彦の状態を考えると思案する余地は残されていないことはわかっていた。
 校長は立ち上がると静寂な空気を破るように窓を開けた。クーラーのきいている校長室に、炎天下の運動場で遊んでいる生徒の声が、生温い風と一緒に吹き込んできた。
 私は重い腰をあげ、和彦に出発をうながした。進行方向を見たが、もう大学生風の姿が視界から消えていた。
 時間が経過するほど歩く速度は落ちてくる。休憩の回数も午前中の二倍に増えた。体力を保つために、ゆっくり一歩一歩噛みしめて歩いた。
「もう少し行ったら、山小屋が見えてくるやろ。がんばれ!」
 前方に綿のような雪渓が目に映る。はやる気持ちを抑え、徐々に近づいていく。真夏日に雪の上を歩けるなんて夢のようである。雪の下を溶けた水が沢に流れていた。河童橋で手がしびれる冷たさを感じた梓川の上流である。和彦は雪を手でつかみ、はしゃいでいた。雪渓をバックに記念写真を撮った。
 山裾に涸沢小屋の屋根が見えてきた。しかし、なかなか近づかない。踏み出す足が重く感じる。限界を表しているのか、足のふくらはぎに筋肉痛を覚えだした。雪渓が一キロほど続く。足が滑り重心がぐらつきこけそうになる。雪の中へ登山靴の先を突き刺し、階段を登る仕草で前に進んで行く。しかし、なかなか思うように前へ進まない。時計に目をやると、三時を少し過ぎていた。早く山小屋に入って寝転びたい。和彦も疲れている表情だ。
「あの山小屋に着いたら休ませてあげるから、がんばれ!」
 和彦を元気づける。午後四時、涸沢小屋の敷居をふらつく足取りでまたいだ。早朝五時半に上高地を出発して、じつに十時間三十分を掛けて歩き続けてきた。初めての経験である。
 赤いトタンの三角屋根に、周囲を茶色のペンキを塗り付けた山小屋だった。ペンキは所々はがれ、物が当たった小さな傷がいたるところにある。お世辞にも綺麗な建物とはいえなかった。厳しい自然の中で、登山者に宿泊と避難の場所を提供する役目を果たすために耐えていた。
 すでに涸沢小屋には沢山の登山者が到着している。二階は満杯で、三階となる屋根裏の大広間が宿泊部屋となった。背を伸ばせば頭を打つ高さである。昼間の熱気が残っている大広間で、横になると息子と一緒に眠ってしまった。
 目を覚ますと屋根裏の窓から夕闇の中に綿を敷いた白いものが見える。雪渓である。その隣のゴツゴツした岩の間に、平地を探し色とりどりのテントが張られキャンプをしている。小さく見える人々が蟻のように動いていた。
眠っている息子を部屋に残し、屋外にある公衆電話から、おふくろが心配しているだろうと思い、無事山小屋に着いたことを連絡した。何気なしに見上げた上空に電話線らしきものは走っていない。まさか地下に埋め込んでいるとも思えないので、山小屋の人に聞いてみると、「無線になっています」と返ってきた。そう言えばおふくろとの会話も部分的にとぎれてしまうことがあった。
 夕食が終わり寝床に入ると、和彦はすぐに眠ってしまった。地図を見ると、今日だけで約十五キロの山道を歩いたことになる。登ってきた道中が鮮明に脳裏に浮かび、横で眠っている息子を見ながら、「よく頑張ったなあ」と声をかけたくなる。
 寝るまでに少し時間があったので、隣り合わせになった横浜から来ていた五十歳くらいの夫婦連れと、山の話や登るコースについて話をした。夫婦連れも奥穂高岳の登頂を目指しており、明日も同じ山小屋に泊まることがわかり親しさが増す。
 室内に取り付けてあるスピーカーから、「九時ですので消灯します」と放送が聞こえ、すぐに電灯が消された。布団を顎のところまで引っ張り上げ眠ろうとしたが、隣で寝ている夫婦連れの主人から出される、大きないびきでなかなか寝付かれなかった。
 深夜、突然の大きな音が響き渡る。寝床から飛び起きた。大きな揺れはなかった。山小屋全体に人々のざわめきが起こる。腕時計を見ると午前三時半だった。あとでわかったことだが、山肌に密着するように建っている山小屋のトタン屋根に落石があり、山小屋全体に大きな音が響き渡ったのである。
 落石が小さくてよかったが、大きければ屋根に穴が空き、けがをする者が出ていたかも……。平地に建っている家では味わえない経験である。それから目が冴えて眠れなかった。
 午前四時、窓からライトを照らしながら進む列が薄暗い中に見える。山頂をめざして出発している登山者たちである。大きなリュックを背負って登っている。体力、気力に感服する。
(もう少しゆっくり出発すればいいのに……)
 そんな思いが頭の中に浮かぶ。空が白くなってきた。目の前に前穂高岳がそびえ立っている。山と山の間に小さな山小屋が見える。今夜泊まる予定の穂高岳山荘であることが、涸沢小屋の主人に聞いてわかる。
排便をしたくなりトイレに入った。便器の中を覗くと太い筒状の中に便を落とすようになっていた。奥の方は暗くて見えないが、水が流れる音がしている。雪解け水を利用しての水洗便所だ。
 六時三十分出発、和彦と元気よく出発する。昨日と違い今日のコースは急斜面だった。頭上から照り付ける太陽の熱線と、急勾配を登るエネルギーの消費ですぐに息苦しくなってきた。尖った握り拳大の石やサッカーボールの大きさの岩が乱雑に敷き詰められた上を、足の置きやすい場所を探し一歩一歩進んでいく。呼吸は荒々しくなり発汗による脱水症状で、のどの乾きを覚える。
 リュックからペットボトルを取り出し、山小屋で入れてもらったお茶を一気に口に流し込む。身体に溶け込み吸い込まれていく。たまに雪渓を掘りきれいな雪を口の中にいれる。冷たさが歯に染み込んだ。和彦もまねて、「冷たい」と顔をしかめた。
 鎖を伝い鉄梯子を登っていく。少し恐怖心が襲ってきたが、前方に視線をやりながら進む。しんどさをはねのけて登っていく。和彦も鎖にしがみつき登っている。登りが急勾配になるほど、お茶を飲む回数が増えてくる。昨夜、熟睡できなかった分、疲労がじわじわと身体のエネルギーを奪っていくようだ。
「危ない!」
声が頭上から聞こえてきた。頭を上げると、上から野球ボールのような石が落ちてくるのがわかった。前を登っている者が足を滑らせたらしい。石は一メートル横を落下していく。腹立ちを覚える。憮然とした表情で睨みつけてやった。「もっと注意して登れ!」そう言いたくなる。
「すみません」
中年の女の人が謝っている。相手に謝られると、表情は和らぎ、心の内を隠し軽く手を挙げて応えた。
 午前十一時、這うようにして、標高三千百メートル近いところにある穂高岳山荘に到着する。
「和彦、着いた!」
軽い感動のためか、私の声は高ぶっていた。
「お父さん、やったね。でもしんどかったわ」
和彦は顔面に大粒の汗を浮かせながら、久しぶりの笑顔を見せた。辺りは先の尖った岩の山々が目の前にせまっていた。ほとんど植物らしいものは生えていない。景観のよいところに腰を下ろし、肩にくい込んでいるリュックを地面に滑り落とした。和彦も隣に座り大げさな仕草でバックを下ろす。そよ風が谷底から吹きあがってきて、気持ちがよかった。
 周囲を見渡すと山々が重なり合い、雲の上に突き出ている。膝の上に地図を広げ山々を確認する。
「あれが常念岳や、あれが蝶ヶ岳、あれがたぶん笠ヶ岳や。写真を見ているようや、来てよかったなあ」
高ぶる気持ちを抑え、山々を指し今回の計画を肯定するように言った。
 和彦に山登りの計画を話したのは夏休みに入ってすぐだった。本屋で買ってきた登山地図を持って和彦の部屋を覗いてみると、息子はテレビゲームに夢中になっていた。顔だけ、ちらっとこちらに向け、またテレビ画面に視線を戻している。
「何か用?」
声だけが、後から追いかけてくる。久しぶりに入る六畳の部屋を見回した。隅に勉強机があり、その上に真新しい教科書が、使われることなく立てられている。机の横にベッドがあり、上布団が折れ曲がったままベッドの端に放置されていた。押入は開け放たれ、五十冊以上はあると思われる漫画の本が、並べられているのが見える。
テレビの前には、テレビゲームのカセットが散らばっていた。
「そんな沢山の漫画の本やカセットは、どうしたんや」
「おばあちゃんに、お金をもらって買った」
顔は画面に向けたままである。
私はベッドの端に腰を下ろした。息子は父親がそばにいたからといっても、話しかけてくるわけでもなかった。
「毎日部屋の中に閉じこもっているのも退屈だろう」
言葉を選び、和彦を刺激しないようにした。
「別に……」
必要最小限の言葉が返ってくる。顔だけは、相変わらずテレビ画面に向けたままである。
「学校へ行く気にはならないか」
「………」
息子は表情を変えない。テレビ画面を見たままである。
「……山登りに行こうか」
和彦の気分転換を図ってやらなければと思い、前々から考えていたことを切り出した。
何回か信州の山を登ったが、危険に遭遇したことはなかったし、中年の女性や子どもの姿も見てきた。夏山であれば小学校六年生でも、計画を立て安全なコースを選べば三千メートル級の山は登れるはずである。
「山へ?」
 突然の言葉に、驚いた顔の表情を私に向けた。
「そうだ、見晴らしが最高だ。それに気分転換になると思って」
「でも……山へ行っても学校へは行かないよ」
 テレビゲームを一時停止にしていた。
「学校は、もっと時間をかければいい」
 はやる気持ちを押さえ、やさしく言葉を選んだ。
「信州の中央アルプスにある赤岳や南アルプスの北岳は登ったことがあるんだけど、北アルプスはまだ行ったことがないんだ」
「信州の山へ行くの?」
「同じ行くなら、北アルプスで一番高い奥穂高岳に登ろうか」
「怖くない?」
 和彦は不安な顔で聞いてくる。
「安全なコースを選び、時間をかけて登れば大丈夫だ」
 そう言って登山地図を広げた。
「上高地まで車とバスで行き、そこから奥穂高岳を迂回するように歩く。ちょっと距離があるが、このコースが一番安全だ」
地図に視線を落とし、真剣な表情で聞いている。
「どれくらい歩くの?」
「片道十五キロから二十キロくらいだ。平らな道もあるが、登り道もある」
「ふうん……」
息子は自分なりに思案していたが、軽くうなずいて見せた。
 爽快な風が吹き抜けた。先ほどまで体中に吹き出ていた汗が、休憩している間に乾いてしまっていた。穂高岳山荘の隣に、岩の斜面を削ってヘリポートが造られている。生活物資はヘリコプターで運んでいるらしい。もちろん急病人が出た場合もヘリコプターで運んでいるのであろう。
 山小屋の前の広場で登山者たちが昼食の準備をしたり、景観を楽しみながら弁当を食べている。私たちも昼食の準備をする。リュックを軽くするために、非常食として持ってきていた缶詰を食べることにした。しかし、食欲は湧いてこなかった。水分を取り過ぎた身体は、食事を受け付けない。少しでも胃袋に押し込まなければと、無理に食べる。和彦は缶詰の魚を一口入れたきり、箸が止まっていた。
「どうしたんや、明日、奥穂高岳に登るんやから、もっと食べて体力を付けておかな」
私の言葉で少し箸が動いたが、また、すぐに止まっている。小学校六年生には、標高三千メートルに居ることを、どう思っているのだろうか。危険と隣り合わせにいることを、深く考えていないのかもしれない。体調を崩したとしても病院はない。物を食べて体力を付け、体調を整えることが必要なのである。
「お父さんも食欲がない。しかし、食べて体力を付けておかないと、熱でも出たら大変やから無理して食べている」
そう言って、粘った口の中に食物を押し込んだ。
「缶詰の魚は美味しくないわ。フランス料理やったら食べられるかも……テレビで見たんや。美味しそうな魚やった。一度食べてみたいなあ」
和彦は前方の山並みに視線を向け呟いた。
「近いうちに連れていってやるから、今はもっと缶詰を食べろ」
息子はゆっくりと箸を動かし出し、二切れ魚の身を口に入れたが、また止まってしまった。
 今夜宿泊する穂高岳山荘は、三千百十メートルの涸沢岳と三千百九十メートルの奥穂高岳との谷間に建てられていた。赤いトタン屋根と、外壁は丸太を重ねて造られ、比較的新しい建物だった。
 山小屋にリュックを置くと、息子と一緒に北側にある涸沢岳に登った。さほど疲れは感じなかった。岩だけの山頂に立つと、ガスが谷の方から吹き上げてきた。さきほどまで晴れ渡って見渡せていた山々は、白いガスに覆われだした。
 山の天候の変わりやすさを肌で感じた。少し待っていると、ガスが流れてしまい穂高連峰が見渡せる。目の前に明日登る予定の奥穂高岳が顔をだしていた。木が生えていない岩だけの山である。真下に穂高岳山荘の赤い屋根が、少ない平地を占領し地面に張り付いていた。
 反対側を見ると、真下は深い渓谷があり、覗き込むと背筋に、ぞくぞくと寒さが走る。その向こうに北穂高岳がそびえ立つ。峰の上を登ってくる赤い服の登山者が見える。ひとつ足を踏み外すと、谷の底へ……そんな思いで、おそるおそる谷底を見た。息子もこわごわと谷底を覗き込んでいる。私は和彦の腕を掴んだまま離さなかった。
 涸沢岳のケルンをバックに記念写真を撮る。三千メートル級の山を踏破したことを、自信にして人生をがんばってほしいと思う。できれば、その勢いで不登校を吹っ飛ばしてほしいと……。
 ヘリコプターが上空を旋回している。上空を見上げると頭がクラクラして、立っていることができない。座ったまま見上げたが、目が回り長い間見上げることができなかった。
 夜、山小屋には沢山の泊まり客がいた。次々と荷物を背負った登山者が、なおも山小屋に吸い込まれていく。今日は土曜日だから余計多いのかもしれない。それに山小屋ではいくら満室状態であっても宿泊を断ることはできない。温度差の激しい頂上付近の屋外で寝ることは、ひとつ間違うと死に直面するからである。それに近くに山小屋はない。
 山小屋の中は混んでいた。一つの寝床に二人が寝なければならない満員状況であると、説明があった。食事の時間も三班に分けて食べなければ、食堂がさばけない。私たちは二班目で三十分ほど待たされたが、昼間の水分の取り過ぎで、胃が弱っているらしく、食欲は湧いてこない。
食卓には、ハンバーグとみそ汁、それにご飯が置かれていた。お茶を一口飲み、粘った口の中を潤した。やはり食欲は湧いてこない。隣で息子も食欲がないのか、食卓に置かれている料理を見たまま、箸をつけようとしなかった。
「さあ、食べようか」
私は空元気を出し、口の中にご飯をねじ込んだ。そして、みそ汁でのどの奥に流し込んだ。
「お父さん食欲がない。胸が悪い。吐きそうや」
青白く生気のない顔から疲労の色が窺える。
「どないしたんや、食欲ないのか」
和彦は頭を重そうにして、うなずいた。無理にでも口の中に食べ物を入れようとしない息子に、ひ弱さを感じ無性に腹立たしさを覚える。家だったら、「この根性なしが!」と怒鳴っていたかもしれない。
「部屋に帰って、寝てもいい?」
 弱々しい息子の声に、困惑した気持ちが芽生えた。
「少しだけでも食べとき。夜中腹減るで」
「いらない」
そう言って食べる気配はなかった。私がうなずくと、肩を落とした歩き方で食堂を出ていった。食卓に並んでいる食べ物を、急いで無理矢理腹の中に押し込むと、息子の後を追った。
大部屋は真ん中に通路があり、両側の壁に面して二段になっている。寝床は壁側が足で、通路側が頭になるように敷かれている。部屋の中はまだ昼間の残熱が立ちこめ、暑苦しさを感じさせた。和彦は下段に敷き詰められた入り口近くの布団の中にもぐり込んでいた。
「和彦、大丈夫か」
名前を呼んでも返事が返ってこない。昼食もほとんど食べていない。このまま放っておけば熱を出すのではと、心配な気持ちになる。今夜は蒸し暑い部屋の中で寝なければならない。熟睡することはできないだろう。焦りが湧いてきた。息子のために個室は取れないだろうかと思い、山小屋に掛け合ってみたが満室であった。
和彦の頭に手を当てたが、今のところ熱は出てない。背中を丸めて、布団の中にもぐり込んだままである。熱でも出されたら……そんな不安が胸の中に大きく広がった。
 小学校六年生に二泊の登山は無理だったのかも……後悔が頭に浮かぶ。標高三千メートル以上の山で、病気になっても救急車を呼ぶわけにはいかない。最悪の場合はヘリコプターを呼ぶことになる。何十万か何百万というお金を覚悟しなければならない。
 不安が大きく渦巻いてくる。何とかしなければ……そんな焦りが、いっそう不安に拍車をかけた。息子に飲ますために売店へジュースを買いに行った帰りに、「昨日はどうも」と、涸沢小屋で隣り合わせだった、横浜の夫婦連れの奥さんから声をかけられた。
「息子さんは?」
「それが、熱を出しそうな状況で……」
正直に話した。
「それは大変ね。今どこに?」
心配そうな表情をしてくれたことに、奥さんの優しさを感じた。和彦が寝ている大部屋に案内した。奥さんは息子の額に手を置いていた。
「熱はないようねえ」
「今どちらの部屋に……」
一抹の期待を込めて尋ねた。
「廊下の突き当たりの個室に入っています」
 どきりとした。
「あのう……ご一緒させていただけませんか」
おそるおそる聞いた。
「主人に聞いてみるけど……四人くらいは、たぶん大丈夫だと思うけど」
奥さんは顔に笑みを浮かべた。個室であれば熱を出したとしても、みんなに気兼ねすることなく看病ができる。今まで胸の中を占領していた不安感が少し解消した。
「今日は蒸し暑い。三千メートルの山の上でも気象状況によっては、こんな暑い日があるんですよ。息子さんは高い山の気象の変化で食欲をなくしたんでしょう」
山登りになれているらしい主人は、そう言って了解してくれた。
個室に入ると和彦は疲れていたらしく、すぐに眠り込んでしまった。気持ちに余裕ができた私は、熱を出した場合を考えて地図を広げ下山道を検討した。残念だが今の状況を考えれば仕方がないことだ。息子の額に手を当てながら顔を覗き込むと、軽いいびきをかいている。
 隣に寝ている夫婦連れが声をかけてくれなければ、二段になった部屋に大勢の人間と一緒に押し込まれ、ひとつの布団に二人寝かされる。そして、蒸し暑さと体熱の充満した熱地獄の中で、眠らなければならなかったことを考えると雲泥の差である。夫婦連れに頭が下がる思いがする。
和彦が熱を出さないか気になり、なかなか寝付かれない寝苦しい夜だった。便所に立とうと部屋を出ると、廊下に沢山の人が寝転がっていて、歩く足場がないくらいである。やはり大人が、ひとつの布団に二人寝るということは暑苦しくて、また窮屈で眠れないのだろう。廊下でもひとりのほうが寝やすいのだ。これも山小屋独特の光景だ。和彦の軽いいびきをたてながら眠っているのを見ると、個室に入れたことに胸をなでおろした。
 ここまでくれば、日本で三番目の高さを誇る奥穂高岳へ登りたい。そんな思いが押し寄せてくる。しかし、和彦の疲れきった顔を思い出すと迷いがでてくる。『登山は、前へ進むことより引き返す勇気が必要』登山誌に書いてあった言葉が脳裏に浮かぶ。あくる朝、息子が元気な顔をみせてくれることを祈る気持ちになる。
 午前四時、和彦が寝床から起き出した。表情から見て元気のようだ。やれやれである。玄関が騒がしくなっていた。身支度を済ませ登山者たちが、昨夜山小屋で作ってもらった弁当をリュックに入れ、薄暗い中、眠る時間を惜しむように出発して行く。仕事の合間の限られた時間内で、より多くの山々を征服したいという願望が、早朝出発を駆り立てている。
 小屋の前に人だかりができている。出てみると眼下に黒々とした山々に囲まれて、雲海が広がっていた。綿を敷き詰めた白い雲が重なり合い綿菓子に見える。肌寒さがじわじわと身体の芯まで迫ってくる。
 朝日が東の山陰周辺を徐々に紅く染め、真っ赤に焼けた丸い太陽が、白い雲を紅く染めて顔を現した。目が釘付けとなり、すべてがふっとんでしまう絶景だった。壮大な風景が自分の目の下に広がっているのである。肌寒さの中、爽快感が身体を通り抜けていく。
「和彦、きれいや」
「ほんまにきれいやわ、おばあちゃんにも見せたかったなあ」
胸を詰まらす言葉に聞こえた。太陽が登ってしまうと、人の流れは食堂へ向かう。全員は入りきれず、長い列をつくり待たされる。雲の上の天国から人間社会の現実に引き戻された。
 六時、さあ出発だ。和彦も元気になった。昨夜の個室がよかったようだ。山小屋の南側方向に、真っ青な空の中に奥穂高岳がそびえ立っている。見上げると全身に緊張感がみなぎった。斜面が切り立ったところには鉄梯子や鎖が備え付けてある。色とりどりの服装の登山者たちが、数珠つなぎになって登っている。日曜日だけに、その数も多い。
「行くか」
 和彦に声をかけ、自分自身に気合いを入れて登りはじめた。岩に手を掛け、突き出たところに足を置き体重をかけていく。岩肌にしがみついて登る。体を起こせば背中のリュックの重さで、バランスを崩しそうになる。それに膨れたリュックに突き出た岩が引っかかり邪魔をする。
(次から山へ登るときは、もっと荷物を減らそう)
 そんな思いが、また頭の中をよぎる。身体が温もっていないせいか、力が入りすぎる。もっとリラックスしなければと肩を上下に動かす。周囲の谷底が視野の中にはいると恐怖心が走り、岩を掴む手に脂汗が滲んだ。後ろから登山者が迫ってくる。和彦の姿が見えない。少し後方に視線を落とすと、ブルーのジャンパーを着た息子が、平地になったところに、しゃがみこんでいた。ほとんど登っていない。
「早く来い!」
 周囲の登山者を気にしながら、大きな声で叫んだ。しかし、息子は立ち上がろうとしない。和彦の近くにいた登山者が見かねて、何か話しかけている。息子が首を横に振っているのがわかる。
(これくらいのところが登れないのか!)
 ひ弱に見える和彦に、そう怒鳴りつけたい心境を胸に秘め、岩肌を抱え込み降りていった。
「怖くて登れない」
 私がそばに立つと、和彦はそう言った。登山者の邪魔にならないように、和彦を横に寄せ呆然と見つめた。息子は頭を下げたまま座り込んでいる。顔の色が青白くなっているのがわかる。立ち上がろうとしない息子に困惑した。
「男やろ。根性を出せ!」
和彦は顔を上げた。
「おばあちゃんが、怖かったら引き返しなさいと言った」
泣きべそをかいた顔で訴える目だった。胸にジンときた。
「もう少しで頂上だ。何のためにここまで来たんだ。がんばろう」
懇願するように諭したが、なかなかうなずかない。和彦は頭を下げたままだった。私は迷った。『登山は、前へ進むことより引き返す勇気が必要』の言葉が頭に浮かんだ。せっかくお金と時間と体力を使い、こんな遠いところまで来たのに……。
「どうされました?」
突然、声をかけられた。昨夜個室に入れてもらった横浜の夫婦連れが立っていた。
「子どもが、登るのが恐いと言って座り込んだまま動かなくて……困ってしまって……」
「どうしたの……せっかくここまで登ってきたんだから、おばさんと一緒に登ろうよ」
 奥さんは私の困惑した気持ちを読み取ったように、座り込んでいる和彦の横にしゃがみ、やさしく声をかけた。そして腕を取ると引っ張るようにして立たせていた。何とか立った息子は、「恐いもん」と言って、その場から動こうとはしない。
「おばさんも恐いけど、頂上に立ったときの気持ちは最高よ。和彦君の前後をおじさんとおばさんが登るから、前だけ見ていればそんなに恐くないと思う」
奥さんはゆっくりした言葉で言い聞かせていた。私はただじっと見守るしかなかった。
「じゃ、おじさんが先にゆっくり登るから、その後を和彦君が、和彦君の後ろはおばさんが登ることにしよう。一番最後はお父さんだ」
じっと様子を見ていた主人も、そう言って協力してくれた。横浜の夫婦に礼を述べた。息子はゆっくり言われるままに動き出した。まだ顔が青白く見える。私の前を三人は梯子を登りだした。
「下を見たらだめよ。おじさんの背中を見ながら進むのよ」
本当の母親が言っているように聞こえる。奥さんは息子の背中にぴったりと身体を寄せてくれていた。家に帰ってから礼状の一通も出さなければいけないと思った。
 標高が高いせいか息が切れ、呼吸が速くなる。急勾配のところをゆっくりと、手と足を岩肌に密着させて登り切ると、少し勾配が緩くなった岩の突き出た傾斜を這うように登った。
 突然、横の方からガスが押し寄せてきた。白い小さな粒子が目の前を流れていく。徐々に粒子の密度が濃くなり、辺りは真っ白で何も見えなくなってしまった。
「危ないからじっとしていよう。しばらくしたらガスが晴れるだろう」
 前を歩いていた主人が振り向いて言った。周りの人たちも同じようにその場に腰を下ろしているようだった。ガスの中にぼんやりと赤や青の服が浮かんでいる。
「何も見えないね」
「すぐに晴れるわよ。こんなときは、じっと我慢する。山登りでは短気を起こしたら負けなの。わかるでしょう。事故と紙一重だから」
 和彦と奥さんの声が耳に入る。ふたりは寄り添い岩に腰をかけている。和彦が奥さんの耳に顔を寄せ話しかけている。声が小さいので内容はわからないが、奥さんの歳がもう少し若ければ、ふたりは親子に見える。
辺りに充満していたガスが流れ出した。ガスが薄くなると周りは動き出し、私たちも腰をあげた。目先の岩肌を抱え込むようにして歩いた。和彦は横浜の夫婦に挟まれて登っていた。「がんばれ!」奥さんの力強い声が聞こえてくる。
小さな平地にさしかかったとき、小便がしたいと息子が言い出した。やむを得ず岩陰に連れて行った。青白かった顔に赤味がさしている。
「お母さんがほしい……」
私に向けられた和彦の言葉が、ずきんと胸に衝撃を与えた。今まで家では、別れた妻の話は避けてきた。おふくろに遠慮があった。和彦も私の態度を薄々気づき素直に打ち明けられなかったのだろう。
妻の居ない家庭なんて何となく寂しい。夫婦喧嘩をしても、姑と嫁の葛藤があったとしても、それが家庭だと思う。和彦にはまだ母親の必要な歳だし……本当の母親がいいのはわかりきっている……一度会ってみよう。結果がどうあれ、遅蒔きながら別れた妻と、とことん話し合って結論を出さなければならないことを、息子の一言で気がついた。
 ガスが晴れだした。前方に突き出た岩山が見えた。もう一歩で頂上である。頂上を目の前にしても、「お母さんがほしい」の言葉が脳裏から離れない。ブルーのジャンパーに包まれた背中が、母親の居ない寂しさに耐えてきたかと思うと、父親としての責任の重さをずしりと感じた。
息子の背中を押すようにして山頂に着いた。岩だけの頂上には登山者がひしめいていた。和彦と一緒に立つと、雲の上に突き出た山々をなでてきた爽快な風が身体を通り抜けた。心の奥底から湧き出るものを感じる。
「帰ったらおばあちゃんを誘って、フランス料理を食べに行こうか」
 穂高連峰の山並に視線を向けている息子に声をかけた。今回の登山で和彦が食べに行きたいと言っていたのを思い出した。

もどる