編集後記

  2画面テレビを重宝している。横長の画面が中央で割れて、同時に2つの番組を見ることができる。もっとも音声はどちらか一方で、それにより画面の主と副が区別されることになる。当方、阪神ファンの身なれば、正視に耐えない場面が多い。そんなときは野球中継を副に追いやり、嵐が過ぎるのを待つことになる。
 使い始めて分かったのだが、このテレビ、意外な楽しみを提供してくれることがある。左右番組の組み合わせの妙である。例えば、クラッシック中継を主画面にして、副でドラマを映していると、人の動きと音楽が絶妙に合って驚かされることがある。また、人間の悲と喜を同時に映された時など、思わず人生に思いを致したりするのである。
 ソルトレークオリンピックが始まって以来、テレビを見ることが多くなった。今回は日本勢の成績がふるわない上に審判を巡るきな臭い噂もあって、選手達の技を純粋に楽しみたいという向きには盛り上がりに欠ける大会らしい。しかし、自分にはたいそう面白い。別に皮肉な見方をしているわけではない。そういうごたごたも含めて、人間のドラマとして面白いのである。
 フィギュアスケートのペアでは、ごたごたの末に金メダルが二組になった。一連の騒動の中で、ロシアペアを気の毒に思ったのは、私だけではないだろう。彼らに非があったとは思えないが、一時はすっかり悪者扱いだった。引退もほのめかしていたほどだから、よほど追いつめられていたのだろう。
 その彼らのエキシビションは、チャップリンを素材にしたものだった。華やかな舞台にはめずらしい浮浪者風のいでたちで、ライムライトの音楽に合わせての演技がペーソスにあふれていたのは、決して素材を想起させるからだけではなかったろう。私としては、これぞ追いつめられた人間の美だなどと、自分なりの物語に引き寄せて勝手に目頭を熱くしていたのである。
  さて、2画面テレビである。この時期その機能を用いると、かたやオリンピック、かたや国会中継という組み合わせが少なくなかった。何とも皮肉な組み合わせである。鈴木宗男氏も相当追いつめられていたようだが、およそ美などとはほど遠い。あまり文章にもしたくないが、なぜか、昔「日本沈没」という本がベストセラーになったことを思い出した。
  今回のせるは3作品の掲載である。いずれも個性的な作者による、独立した作品であることはいうまでもない。しかしその組み合わせの妙を探し、感じてみるのも一興かもしれない。  (石)


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