飲むことを覚えて五年ほどたつが、例年以上に昨年末はよく飲んだ。師走に入ってからは、三日に一度は行きつけの所で閉店時までくだをまいていたのではなかろうか。はじめの頃は十日か二週間に一度ぐらい顔を出すのがせいぜいだったのに。
ことにクリスマス・イブまでの三日間は連日同じ店に通い詰め、毎日オールドかリザーブを一本飲み干して帰宅したものであった。女が目当ての行状、というような色気のある話ではない。私にとっては、言葉は悪いかも知れないが、野辺送りのようなものであった。
飲み歩くことを私に教えてくれた店、喫茶『ラブ』がイブの日、二十一年間の店の歴史にピリオドを打った。客足が途絶えてのことではなく、店舗買い上げのために退去を余儀なくされたあげくの閉店であった。
開店当初からその店を私は知っていた。二年前に死んだ親父がよく通っていたからである。親父に連れられ、母親や妹とともに何度か入った記憶がある。親父の方はおもに夜世話になっていたのではあるが。
親子二代で夜の部、つまり喫茶『ラブ』ではなく居酒屋『ラブ』とでも呼ぶべき時間帯に顔を出すようになった当初、よくママに言われたのが「いやあ、昔暗かったのに明るくなって! いい風に変わったやん、この子」というものであった。
親父がもっとも飲み歩いていた時期、私はよく泥酔した父を迎えに、方々の店に車を走らせると言うことを余儀なくされていた。なぜか『ラブ』へ迎えに行った記憶がすっぽり抜けてしまっているのだが、ママはその時のことを言っているのである。もっとも、深夜酔っぱらった身内を受け取りに行くのである。明るい顔つきでなかったとしても仕方ないとは思うのだが。
中学時代の友人に連れられて行ったのがきっかけで、親子二代にわたっての店通いが始まったのだが、はじめの頃の私についてのママのコメントで印象深いのが、「私はハゲが嫌い!」というものである。私は禿頭である。相手も酔った上での発言とはいえ、あまり気分のいいものではない。客相手によく言うよ、である。
が、通い始めて半年ほど経った年の暮れ、そのママが「今年のヒットは益池ちゃん!」などと皆の前で言ってくれるまでになっていた。豚もおだてりゃなんとやらで、その一言で私は『ラブ』の虜になってしまっていたのだろう。
それでもはじめの頃は一人では行きづらかった。二十一年も続いただけあって常連客が多く、新参者にはなかなか入りづらい雰囲気があった。だから最初は誰かと誘い合ってということが多かったが、これも店の魅力のなせる技だろうか、一人では行きづらいと分かりながら、十日も離れていると妙に気持ちがざわついてしまう。毎回誰かと待ち合わせるというのにも限界があり、いつしか一人でおそるおそる店に出入りするというようなことになってしまっていた。断っておくが、私はアル中でもなければ年上の女性に飢えているわけでもない。世間一般の中年独身男と一緒で、若い女の子には多少の興味は抱いている、と言えなくもないけれども。
こんなことがあった。
同い年の男三人でその店で飲んでいたとき、たまたま若い女の子の二人連れと一緒になった。二人は二十五歳の小学校からの友人で、二人ともまるでモデルのように姿がいい。一人はよく喋り、もう一人は美形にもかかわらず大口を開けてよく笑った。美人で若い女の子が横にいるのである。むろんアルコールのせいもあって、私はおおいに喋りまくって帰った。すると数日後顔を出したとき、ママは私を見るなり開口一番、「益池ちゃん、大人気! あの二人えらいよろこんでたよ。また会いたいんだって。モテモテよ、あんた!」
このセリフ、ほとんど殺し文句である。またまた、豚もおだてりゃなんとやら、である。
もっとも喫茶『ラブ』は私にとってそのように有り難い店ではあったが、その種の飲食店の常識からすると、決して褒められた店ではないと言えるかも知れない。
なじみ客になりたての誰もが驚くであろうことのひとつに店の夫婦のけんかがある。それはだいたい閉店間際の十時半を過ぎたあたりから、突如マスターが怒りだして始まるのが常だった。「だから女は駄目なんだ!」とか「だから女は、男のあばら骨の一本から生まれてきたに過ぎないって言われるんだ!」などと暴言を吐いてママをなじり始めるのである。むろん客がいたっておかまいなしで。これに馴れるのに私は苦労した。
そんな時、当のママは少しは言い返すのだが、たいていは黙ってしまい、それでも暴言が止まないと、一人で二階に上がってしまって一応の収拾は付くのだが、そんなママのけんか相手はもっぱら店の客なのである。これは違うと思ったら、相手が店の客であろうがおかまいなしで説教を始め、ひどいときには真剣に口げんかを吹っかける。とにかく性格が真っ直ぐなのである。また黙っていられない性分なのか、その場に居合わせない者にまでけんかの顛末を報告する。開店当初から通い詰めの私の飲み友達とけんかしたときなど、私が翌朝コーヒを飲みに寄った折りに彼女とのやりとりを事細かに説明し、そのあげくに賛同を迫られ困り果ててしまったことさえあった。
また子供に恵まれなかったこともあってか、夫婦はランという名の猫をまさしく猫可愛がりにかわいがっていたのだが、この猫が客が少ないときなど我がもの顔で店の中をのし歩く。カウンターでコーヒーや水割りを飲んでいたとき、何度尻尾を立てて目の前を通り抜けられたことか。むろん二人とも注意などしない。それどころか、ランも私が好きだからと言ってはやしたてる始末である。
事程左様に私がなじんだ店は考えようによっては、実にたいした店と言わざるをえない。
それでも私を含め客の多くが通うことを止めなかったのは、夫婦二人の魅力もさることながら、そこに出会いと言うものがあったからだろう。
私は今年『ラブ』夫婦へのはじめての年賀状に「二十八歳のギャルから、年上の人妻まで紹介していただきありがとう」と書き送ったのだが、まさしく店に通うようになったおかげで、実に様々な人たちと顔見知りになれた。
小、中学と同じ学校に通いながら、喋った記憶すらない同窓生とそこで出会い、今は立派な飲み友達である。また一つ年上の設計事務所の経営者とも、まったく職種が違うにも関わらず喋り合う仲になれた。さらには、両親ともたまには店で杯を交えることもあって、カラオケ好きの女の子と知り合えたのも店があったればこそだろう。ちなみに彼女のおかげで、二年前まではカラオケに行く機会があったとしても決してマイクを握らなかった男が、今では高橋真梨子の歌を熱唱(?)するまでになったのも、ひいては店のおかげと言うべきかも知れない。
今はなくなってしまった『ラブ』の事を思うとき、真っ先に思い出されるのが耳に残るママのだみ声である。常連客がその大半をしめ、半ば疑似家族化してしまっていたため、飲みに行くと私を含め客の多くが、どうかすると時間もかまわず居座って話し込むということが多かった。店の夫婦も閉める時間が過ぎても小一時間ぐらいは客の無駄話に付き合ってくれるが、いつまでも話が尽きないと分かると、おもむろにママがその場を離れ、立て付けの悪い玄関のシャツターを一気に半分まで下ろし、カウンターに戻って来ては居残る客を目の前にして一言、「閉店だよ!」と声高に叫んでその日の酒宴が閉じられるのが店の日常だった。私は何度「閉店だよ!」というママの声を聞いたことか!
もっとも『ラブ』最後の日、ママがその声を発したかどうか定かではない。残ったなじみ客十数人で互いに手を取り合い肩を寄せ、輪を作って名残を惜しんだことだけは覚えているのだが、その後の記憶がものの見事に抜けてしまっているからである。
|